企業再建整備計画の認可に基づき、日本曹達株式会社の鉄鋼部門より分離独立し、日曹製鋼株式会社として発足。国内資源の活用として砂鉄の製錬に着目し、砂鉄を原料に電気炉による砂鉄銑の生産を開始
合金鉄、特にフェロニッケルの将来性に着目し、新発田工場の砂鉄銑設備をフェロニッケル製錬設備に転換
八戸工場完成、砂鉄銑の製造開始
フェロニッケル製錬を専業とする大平洋ニッケル株式会社設立に伴い、新発田工場を分離
八戸工場の銑鉄生産設備の一部を合金鉄及びフェロニッケル製錬用に転換、フェロマンガンに続いて、1966年にはフェロニッケル、1968年には鉱石からの一貫製造法によるステンレス鋼の生産を開始する。1969年に25,000KVA、1970年に40,000KVAの大型電気炉2基を設置し、フェロニッケルの生産を増強
大平洋ニッケル株式会社を吸収合併し、大平洋金属株式会社に社名変更
フェロニッケルのトップメーカーとしての基盤を確立
フィリピン事務所 開所
インドネシア・アネカタンバン社フェロニッケル製錬工場建設の技術援助契約締結(アンタム計画)
フィリピンのリオ・チュバ・ニッケル鉱山株式会社に資本参加し、ニッケル鉱山を開発
新潟工場完成。新発田工場の電磁材料部門、活性炭部門を移設
岩瀬工場を分離し、大平洋ランダム株式会社に研削材部門を営業譲渡
直江津工場、富山工場、習志野工場を分離し、鋳鋼部門、鍛鋼部門、機械部門をそれぞれ大平洋特殊鋳造株式会社、大平洋製鋼株式会社、大平洋機工株式会社に営業譲渡
八戸工場を八戸製造所に改称
八戸製造所にフェロニッケル製錬電気炉60,000KVAを設置、3炉体制確立
八戸港河原木第2埠頭完成(公共)
株式会社大平洋エネルギーセンターを設立
原料輸送コンベアライン設備完成(河原木)
本社機構を八戸に移転しフェロニッケル専業メーカーになる
株式会社大平洋エネルギーセンターの北沼発電所が電力供給開始
廃棄物リサイクル事業の「焼却灰・ホタテ貝殻リサイクル施設」完成
廃棄物リサイクル事業の「溶融飛灰リサイクル施設」完成
フェロニッケル製造ライン(6号キルン・8号炉)増強工事完了
ジャカルタ事務所 開所
湿式パイロットプラント設備 完成
フェロニッケル製造ライン(3号キルン・7号炉)増強工事完了
風砕スラグ加工工場完成
排水終末処理施設運転開始
統合マネジメントシステム運用開始
株式会社大平洋エネルギーセンター清算
廃棄物リサイクル事業の「焼却灰・ホタテ貝殻リサイクル事業」撤退