四国の別子銅山から産出した銅を新居浜工場で精錬する過程で発生し煙害の原因となる、亜硫酸ガスの処理を目的に住友総本店の直営事業として肥料製造所を設立。
営業開始(過燐酸石灰初出荷)
株式会社住友肥料製造所として独立する(現在の愛媛工場)。
住友化学工業株式会社に商号変更。
日本染料製造株式会社を合併して、染料、医薬品分門に進出(現在の大阪・大分工場)。
日新化学工業株式会社に商号変更。
旧住友アルミニウム製錬株式会社から全設備を譲り受け。
住友化学工業株式会社に商号を戻す。
愛媛工場においてエチレンおよび誘導品の生産を開始し石油化学部門へ進出。
中央研究所を設置(2003年3月閉鎖)。
住友千葉化学工業株式会社を設立(1975年1月同社を合併、現在の千葉工場)。
宝塚総合研究所を設置。
シンガポール政府との共同事業で、同国ジュロン島における石油化学コンビナートの建設計画を手がけ、日本国政府の後押しも受けながら、東南アジア諸国連合初のエチレンセンターを持つ大規模な化学設備を稼動
住友アルミニウム製錬株式会社を設立(1986年同社解散)。
三沢工場の操業開始。
インドネシア・アサハン・アルミニウムが操業開始。
愛媛工場のエチレンプラントを休止し、千葉工場へ生産集中。
稲畑産業株式会社との間で住友製薬株式会社を設立(同年営業開始)。
シンガポール石油化学コンビナート操業開始。
大阪工場内に安全性研究棟(現在の生物環境科学研究所)を設置。
「シンガポール石油化学コンビナート」第2期設備が操業開始、第1期分と合わせエチレン生産能力約100万トン。
シンガポールでのMMA・アクリル酸プロジェクトの全設備が完成
住友製薬と共同運営するゲノム科学研究所を設立。
情報電子化学部門を新設、基礎化学・石油化学・精密化学・農業化学・医薬品との6部門体制となる。
アベンティス・クロップサイエンスから家庭用殺虫剤関連事業を買収
武田薬品工業の農薬事業を、同社との合弁で設立した住化武田農薬株式会社に譲受(のち、2007年に吸収合併)。
韓国の子会社、東友STIで液晶ディスプレイ用カラーフィルター大型生産設備の操業開始
韓国の子会社、東友光学フィルムで液晶ディスプレイ用偏光フィルム一貫生産設備の操業開始
サウジ・アラムコと世界最大級石油精製・石油化学統合コンプレックス建設に向けた覚書を締結。
住友化学株式会社に商号変更。登記上の本店所在地を東京都中央区新川二丁目27番1号に変更。
サウジ・アラムコとの合弁会社ラービグ・リファイニング・アンド・ペトロケミカル・カンパニー(ペトロ・ラービグ)を設立。
住友製薬と大日本製薬が合併し、大日本住友製薬株式会社となる。
高分子有機ELデバイス開発を行うケンブリッジ・ディスプレイ・テクノロジーを完全子会社化。
ペトロ・ラービグの石油精製・石油化学統合コンプレックスの基幹プラントであるエタンクラッカーが稼動開始。
大日本住友製薬がアメリカの医薬品会社セプラコール(現・サノビオン)を買収。
精密化学部門を廃止し、基礎化学、情報電子化学、農業化学の各部門に再編するとともに、農業化学部門を健康・農業関連事業部門に改称。
基礎化学部門、石油化学部門を再編、石油化学部門とエネルギー・機能材料部門へ改組。
ペトロ・ラービグの第2期エタンクラッカーが操業開始。
韓国の子会社、SSLMでリチウム二次電池用セパレータ製造設備が操業開始
バイオサイエンス研究所を設置し、同研究所に大日本住友製薬株式会社(現 住友ファーマ株式会社)のゲノム科学研究所の研究機能を移管。
大日本住友製薬株式会社(現 住友ファーマ株式会社)がイギリスのロイバント・サイエンシズと戦略的提携。
オーストラリアの大手農薬会社ニューファーム社の南米子会社4社を買収。
石油化学部門をエッセンシャルケミカルズ部門へ改称。
大日本住友製薬株式会社が住友ファーマ株式会社に商号変更
保有する住化カラー株式会社の株式を日本ピグメント株式会社に譲渡