1930年
茅ヶ崎試験場(現 神奈川県茅ヶ崎市)を開設し、多種類にわたる研究開発をスタート
1930年
住友坂炭砿株式会社と住友九州炭砿株式会社が合併し、住友炭砿株式会社を設立
1930年
大阪地下鉄淀屋橋~北久太郎間受注(昭和7年竣工)
1930年
土木部新設による土木事業への本格的参入
1930年
赤ちゃん専用の離乳ビスケット、森永マンナ発売。
1930年
創始者 代田 稔が人の健康に役立つ乳酸菌の強化・培養に成功(乳酸菌 シロタ株)
1930年
淀川工場加工工場(のちの大阪工場)を開設
1930年
当社の前身である日本足袋タイヤ部により第1号タイヤが誕生
1930年
ゴルフボールと硬式テニスボールの生産開始
1930年
日本ブレード株式会社は、9月米国の関税引き上げに遭い解散
1930年
初代所長有沢富太郎個人経営の有沢製作所に改組
1930年
「NGスパークプラグ」の製造販売を開始
1930年
東京都江戸川区にスプリング専門工場を設立
1930年
田熊常吉が明治・大正年間十大発明家として表彰される
1930年
商工省が「クボタ石油発動機」を優良国産品に選定。
1930年
大崎工場の熱処理設備・鋼球工場・研磨機械を増設
1930年
中北辨造、大阪市北区松ケ枝町において自動調節弁の製造開始
1930年
水銀整流器の製造開始水銀整流器を日本へ初めて輸入し、翌年には川崎工場で製造開始。出荷シェアが高く、鉄道インフラ構築に貢献。
1930年
ラジオに「故障通知票」を添付。小売店で修理した故障内容を当社に連絡いただく
1930年
バス製造に進出 日本初の公営(鉄道省)路線バスに採用
1930年
帝国発条製作所(車輪工業の前身)、自動車用ホイールの試作開始
1930年
小川宗一が、岐阜県大垣市御殿町において太平洋工業合名会社を創立し、自動車用バルブコアの生産を開始
1930年
京都市下京区に本社移設、京都出張所を本社に併合
1930年
二代島津源蔵が、わが国十大発明家の一人として、宮中賜餐にあずかる
1930年
米国・ユニオンカーバイド社と販売代理店契約締結。
1930年
東京・茅場町にて佐藤ハガネ商店の商号で個人創業
1930年
岩谷直治商店を創業 酸素・溶接棒・カーバイドを取り扱う
1930年
大阪南海店、一部開店 (南区難波新地)
1930年
吉田橋横浜店、本建築開店(鶴屋呉服店を松屋呉服店と改称)
1930年
株式会社宮市大丸(資本金150千円)を、金沢市片町に設立。
1930年
湘南電気鉄道(株)の黄金町~浦賀間および金沢八景~湘南逗子間開通
1930年
成田花咲町(仮駅)~成田間開通(成田花咲町廃止)
1930年
参急 中川~松阪間および中川~久居間開通
1930年
参急 外宮前~山田(現:伊勢市)間開通
1930年
参急 伊賀神戸~阿保(現:青山町)間および佐田(現:榊原温泉口)~中川間開通
1930年
日本石油下松製油所建設に協力、構内荷役業者指名を受ける
1930年
田口利八名誉会長が岐阜県益田郡萩原町において田口自動車を創業
1930年
高速貨物船「畿内丸」を建造、ニューヨーク急航サービスを開始。
1930年
横浜/ニューヨーク間を25日と17時間30分で走破。当時の優秀船の平均(35日)を大幅に短縮。
1930年
福岡、長崎、佐世保、熊本等のガス事業を西部瓦斯(株)へ譲渡
1930年
東邦瓦斯株式会社から福岡、熊本、佐世保、長崎各市の供給区域を分離して、本社を福岡市におき、資本金1千万円をもって西部瓦斯株式会社を設立。
1930年
商号を大場宗憲土木事務所に変更し、東京都渋谷区に移転、測量業の他土木設計及び工事監理部門を併設。