1985年
米国のユニシー社が100%子会社となる
1985年
バイオテクノロジー研究専門の波志江研究所を伊勢崎市に建設。
1985年
化成品事業部が発足(1993年4月 環境営業部に改称し、環境部門を設置。一部事業は資源事業部門に統合)
1985年
鹿島建物総合管理株式会社(現連結子会社)を設立
1985年
青函トンネル貫通。旧西ドイツにKAJIMA GmbHを発足
1985年
世界初の「北極海向け移動式人工島」の建造について、石油学会・技術進歩賞、土木学会・技術賞を受賞。
1985年
兵庫県加東郡東条町(現 加東市)に兵庫工場を設置、操業を開始
1985年
第28回技能五輪国際大会電工職種、藤田正二優勝
1985年
東和興産株式会社が神奈川県大和市の三機工業株式会社保有地に賃貸用建物を建設。
1985年
建築設備子会社関西総合設備株式会社を設立。建築設備子会社中部総合設備株式会社を設立。
1985年
サマーセット・テクノロジー社とクロスライセンス契約締結
1985年
日本国内の通信の自由化に伴う新事業活発化
1985年
技術部を新設、専用工作機械設計業務を開始
1985年
本社を東京都新宿区高田馬場三丁目1番5号に移転
1985年
千葉県船橋市に東京工場を移転し、船橋工場開設。
1985年
全商品パッケージにアルミ蒸着フィルムを使用
1985年
Morinaga Nutritional Foods Inc.(米国)を設立
1985年
コンシューマ向けの自社開発ソフト第一弾、学習ソフト「コンピュータドリル」開発
1985年
産業向け組込開発、コンシューマ向けソフト開発も開始
1985年
事業を継承し可能性を引き上げ、新しい領域を開拓するフィロソフィ
1985年
大阪市東区に大阪営業所(現西日本ソリューション事業本部)を開設
1985年
新社屋「コアビル」を現在地、東京・三軒茶屋に竣工
1985年
会社CIを導入し『テレ&パル50音』(以下、『テレパル50』という)に電話帳名称を統一
1985年
大阪市南区(現中央区)において、教育事業を目的として、株式会社教育未来社を設立
1985年
大型映像機器の貸出と設置・オペレートを行う運用業務を開始。
1985年
兵庫県姫路市本町68番地に資本金100万円にて 株式会社ワークデーターバンク(現 WDBホールディングス株式会社の前身)設立 姫路初の事務処理サービスを開始
1985年
「第1回 伊藤園レディスゴルフトーナメント」開催
1985年
パルマジュ エディブル オイル 設立(マレーシア)
1985年
大山流通センター内に生鮮加工センター(現 食品加工センター)を開設
1985年
東京都新宿区早稲田に株式会社国際貿易商事を設立
1985年
アクセサリーショップ「パルコレクション」を大阪市北区の阪急梅田三番街に出店。
1985年
四ツ橋にもんじゃ焼「えびす」をオープン
1985年
「もつ鍋ひょうたん」のフランチャイズ開始
1985年
桜橋にCAFE「ジュテームカフェ」1号店をオープン
1985年
広島ターミナルホテルに「麺の庄 萬庵」オープン
1985年
つくば国際科学技術博覧会にレストラン出店
1985年
細胞融合トマト結実(野生種と栽培種の融合)。バイオ事業部新設 カゴメ記念館改装オープン 烏龍茶、食品ヒット大賞・優秀賞を受賞
1985年
神戸工場第2工場にサラダ工場を増設、サラダの量産開始。
1985年
スモークサーモン等の生産能力を増強するために神戸工場に第3工場を増設。
1985年
日本たばこ産業株式会社設立(日本のたばこ市場が海外メーカーに開放される)
1985年
新規事業の積極的展開を図るため事業開発本部を設立 その後1990年7月までの間に各事業の推進体制強化のため、同本部を改組し、医薬、食品等の事業部を設置
1985年
有限会社フレッシュ石守を兵庫県加古川市に設立。
1985年
エンジニアリングプラスチック本格生産開始
1985年
日新デニム株式会社を買収(2009年、日清デニム株式会社に社名変更)(2014年、日清紡テキスタイル株式会社に吸収合併)
1985年
情報開発部 事業部(後の「エレクトロニクス事業部」)となる
1985年
黒谷俊雄が新日本美術(株)(資本金1百万円、美術鋳物の製作販売、非鉄金属の精錬及び加工並びに販売)の全株式を取得。
1985年
会員制スポーツクラブ事業「(株)東急スポーツオアシス」設立
1985年
焼鳥居酒屋「トリドール三番館」を兵庫県加古川市に創業
1985年
宇都宮工場を開業、「テトロン」フィルムの操業を開始
1985年
人工気象室「テクノラマ」を設置(滋賀)
1985年
インターフェロン-β製剤 フエロン®の製造承認を取得
1985年
研究・技術開発のヘッドクォーターの役割を担う「技術センター」を設置(滋賀)
1985年
米国ポリプロピレンフィルムメーカーTREA社(現 Toray Plastics (America)社[TPA])を買収
1985年
水戸営業所を開設(2000年 東京工場に統合)
1985年
株式会社クスリのアオキ設立、資本金15,000千円、代表取締役社長青木桂生、本社所在地(石川県金沢市泉野出町4丁目322番地)
1985年
福岡市中央区大名に「博多 一風堂」をオープン
1985年
セーレンケーピー(株)設立(現・連結子会社)
1985年
リース業向けオンラインシステムの提供開始
1985年
株式会社スペック(鹿児島市)設立(現 当社システム開発部Ⅰ)
1985年
株式会社日本メディカルシステム(福岡市)設立 (現 当社福岡支店)
1985年
東京都港区三田に株式会社日本コンピューターテクノロジーを設立、ソフトウェア開発を開始
1985年
駐在員事務所、サクラメントからシアトル(アメリカ)へ移転
1985年
駐在員事務所、サクラメントからシアトル(アメリカ)へ移転
1985年
駐在員事務所、サクラメントからシアトル(アメリカ)へ移転
1985年
ミルワイドシステムの稼動(紙パ業界初の総合生産管理システムが順次稼動)
1985年
三本木工場(シリコンウェハー再生、高純度無機素材)新設、電子材料関連の拠点とする
1985年
独自の還元窒化法による窒化アルミニウム粉末製造開始
1985年
茨城県波崎町(現 神栖市)にファインケミカル事業拡大のため鹿島工場開設
1985年
ガスセンサ素子・機器製造会社 フィガロ技研株式会社に資本参加
1985年
名古屋工場のカセイソーダ製造方式を、水銀法からイオン交換膜法に転換
1985年
渋川工場にて電子基板「HITTプレート」製造開始
1985年
「シンエツシリコーンズ・オブ・アメリカ社」を設立
1985年
超高純度窒化ホウ素(PBN)の成形品を開発
1985年
姫路製造所で高吸水性樹脂の製造を開始。
1985年
ビーズ法発泡ポリプロピレン「エペランPP」を開発、鹿島工場で生産開始
1985年
カネカベルギーに「エペラン」プラント完成・稼働
1985年
TSMR-8800(サブミクロン対応高解像度ポジ型フォトレジスト)を開発。
1985年
SWK-436(半導体用反射防止膜)を開発。
1985年
世界初の割れないプラスチック製真空採血管「インセパック」の販売開始
1985年
熱可塑性エラストマーSISの生産を水島工場で開始。
1985年
「ジョリパットカラーシステム120」発売
1985年
特殊可塑剤の製造を目的として、水島可塑剤(株)設立に参加
1985年
商号を「花王株式会社」に変更し、CI導入(ただしCI導入は社名変更の半年前 月のマークはそのまま)。
1985年
TAPファーマシューティカルズ(株)設立、「ルプロン」を発売 1985年、米国アボット社との合弁でTAPファーマシューティカルズ(株)(後のTAP ファーマシューティカル・プロダクツ(株)。2008年に分割、武田ファーマシューティカルズ・ノースアメリカ(株) と合併)を設立。同年、自社創製の前立腺がん治療剤「ルプロン(一般名:リュープロレリン)」を発売する。
1985年
東京都千代田区に東京営業所を開設。(1995年4月東京支店に改称)
1985年
石川県羽咋郡志雄町(現・宝達志水町)に能登工場を開設
1985年
当社株式、東京証券取引所市場第一部に指定替え
1985年
血管造影用カテーテルシステムを発売し、血管内カテーテル診断・治療分野に進出
1985年
貼る塗料マーキングフィルム「ファンタック」の販売を開始
1985年
東明エンジニアリング株式会社〔現 東洋インキエンジニアリング株式会社〕を合弁設立。
1985年
プリント基板用UV硬化型インキ「トーヨーレジスト」発売。
1985年
電磁波シールドコンパウンド「リオコンダクトEMI」シリーズを開発。
1985年
神奈川県相模原市西橋本に社屋を建設及び本店移転。
1985年
株式会社ニシカワ商会の駐車場の保守および運営管理部門を分離独立させ、東京都品川区西五反田に資本金 1000万円をもってパーク24株式会社を設立
1985年
(株)パシフィック音楽出版が(株)フジ音楽出版と合併し、商号を(株)フジパシフック音楽出版(現(株)フジパシフィックミュージック)へ変更(現・連結子会社)。
1985年
日本語ワードプロセッサ「一太郎」を発売
1985年
日本市場における、リレーショナルデータベース管理システム「Oracle」をはじめとするソフトウェアプロダクトの販売及び当該ソフトウェアプロダクトの利用を支援する各種サービスの提供を目的として、東京都新宿区に日本オラクル株式会社(資本金1,000千円)を設立。
1985年
映像処理の多様化・迅速化のためコンピュータ制御による撮影システムを導入。
1985年
ヘリコプターの運航会社に対して、安全な運航をサポートする航空気象サービスを提供開始。
1985年
メディサ新薬株式会社(現当社連結子会社)設立。
1985年
九州工場第3期工事(注射剤製造設備)完成。
1985年
一球式プラネタリウム「インフィニウム 」一号機が科学万博つくば’85で活躍
1985年
本格的なオートフォーカス機能を備えた一眼レフカメラ「α-7000」発売世界に先駆けて、本格的なオートフォーカス機能を搭載した一眼レフカメラ「α-7000」を発売。世界各国で爆発的な売れ行きを記録しました。これ以降、各社から次々とオートフォーカス一眼レフカメラが発売され、一眼レフカメラは、それまでの「一部のプロやマニアのための難しそうなカメラ」から「誰でも簡単にきれいな写真が撮れる万能カメラ」へと変わっていきます。
1985年
「The Art of Beauty」(資生堂広告美術113の歩み)展開催(ニューヨーク、ファッション工科大学内ギャラリー)
1985年
高砂フードプロダクツ株式会社(現、連結子会社)を静岡県磐田郡浅羽町に設立。
1985年
サロンルート化粧品販売の株式会社クリエ(現 コーセープロフェッショナル株式会社)を設立
1985年
熱転写プリンター用インクリボンの生産開始
1985年
長尺フィラメントワインディング製造設備増設
1985年
膜構造建築用超広幅ガラスクロス製造設備新設
1985年
スクリーン工場開設し、フレネルレンズ製造開始
1985年
37インチ超大型CRT用ガラスの生産開始
1985年
施工・管理業務会社を設立(東陶エンジニアリング(株)(現社名:TOTOアクアエンジ(株)))
1985年
NGKセラミックスヨーロッパ(ベルギー)を設立
1985年
大阪市東区博労町(現中央区)に、ヨドコウ第2ビル竣工。
1985年
北品川工場 トヨタ自動車から原価改善活動「原価改善優秀賞」受賞
1985年
高周波鋳造(株) 鋳物堰破断機(ゲートペッカー)の製造販売開始
1985年
ビレット連続鋳造設備(BT/CC)操業開始
1985年
長寿命高品質軸受鋼を協力メーカーと共同開発
1985年
ニッカル押出(株)を統合(現・日軽蒲原(株))
1985年
主原料の効率的購入のため富山県高岡市に100%子会社エスケー商事株式会社を設立する。
1985年
[ダイカスト事業] 米国にシェラー・リョービCORP.(現リョービダイキャスティング(USA), INC.)を設立
1985年
[ダイカスト事業] 生野株式会社を設立
1985年
ラミネート鋼板(ハイペット)の出荷を開始
1985年
環境に配慮した新素材で、東洋製罐(株)の環境保全性の高い2ピース缶「TULC(タルク)」の実現に貢献
1985年
トーヨーサッシビル建材株式会社(のちのINAXトステム・ビルリモデリング株式会社)に、三井軽金属加工株式会社の営業を譲り受けさせ、ビル建材事業に本格的に進出
1985年
新明和工業株式会社(のちの株式会社可児LIXILサンウエーブ製作所)の株式を取得し、厨房事業に進出
1985年
日鐡カーテンオール株式会社及び日鐡サッシ販売株式会社の株式を取得し、超高層ビルサッシ部門に進出
1985年
第一木工株式会社(のちのブライトホーム株式会社)の株式を取得
1985年
不完全燃焼防止装置付湯沸器で日本瓦斯協会より太田賞を受賞
1985年
ウルボンスパイラルフープ筋の一般認定取得(建設省東住指発第51号)
1985年
日鐵ロープ工業株式会社(ワイヤロープ製造)を合併
1985年
ハードディスク装置用サスペンションの設備投資を行い、生産開始
1985年
インフォメーションネットワークサービスを開始 同年の日本における通信事業の民営化を背景とした情報サービス関連事業に取り組むための基盤を強化。多くのエンジニアの採用を開始。
1985年
株式会社アマダメトレックスが東京証券取引所市場第二部に指定上場
1985年
業界初の画像認識付き高速装着機 CP-II完成
1985年
溶接用大型治具専業メーカーのBOC社のアロンソン事業部を買収し、米国デラウェア州にケー・エヌ・アロンソン株式会社(現・コイケアロンソン株式会社・連結子会社)を設立。
1985年
生産工場をニューヨーク州に設置。米国における溶接用大型治具および切断機の現地生産拠点とする。
1985年
販売拠点拡充のため北関東営業所を開設。
1985年
松任市(現白山市)旭丘1丁目8番地旭丘工業団地(現在地)に本社工場を新設移転
1985年
10気筒斜板式固定容量型コンプレッサー(10PA17)の生産開始。
1985年
フルオートセット段ボール製函印刷機ACSYS FG-250を開発
1985年
大阪府泉大津市に泉州営業所(現 西日本支店)を開設。
1985年
イギリスミルトンキーンズで現地法人を買収し、シマセイキヨーロッパ(SHIMASEIKIEUROPE LTD.現連結子会社。2006年3月ダービー州に移転)とする。
1985年
台湾に超純水装置を納入し、台湾市場に進出
1985年
「サイレントパイラー KGK-130C4(コーナー4型)」を発売
1985年
マレーシアで設立されたオリエンタル建機Sdn.Bhd.に資本参加(現 日立建機(マレ-シア)Sdn.Bhd.)
1985年
広島県福山市にローツェ株式会社(資本金10000千円)を設立し、モータ制御機器の開発を開始
1985年
ステッピングモータドライバの製造・販売を開始
1985年
ATM/ATRM(全自動ウェーハ保護テーム貼り機・剥し機)を開発、販売
1985年
TAC(アパレル断裁システム)を開発、販売開始
1985年
液晶機器としてTAB圧着装置を開発、販売開始
1985年
群馬県利根郡新治村(現 みなかみ町)に新治工場を開設。
1985年
精密・電子事業に参入 半導体業界向けの新規事業プロジェクトを開始。翌1986年には、ルーツ型ドライ真空ポンプ1号機を納入しました。
1985年
インドネシアに代理店 株式会社グナエレクトロと共同出資で、ポンプ及び部品製造の合弁会社
1985年
P.T.Torishima Guna Indonesia(現連結子会社)を設立
1985年
当社の製造する機械の販売を目的として、扶桑商工株式会社を株式会社電業社商事と改称
1985年
東北地区における当社医療機器事業部製品の販売およびサービスを目的として、日機装東北医工株式会社を設立。
1985年
(国内マーケットを一体運営することで、営業・メンテナンス体制の更なる強化・効率化の実現を目的に2013年10月日機装に吸収合併。)
1985年
米国リーズ・アンド・ノースラップ社(現ハネウェル社)からマイクロトラック粒子径分布測定装置および水質分析計に関する技術を導入。
1985年
米国マーチインスツルメンツ社(現ノードソン社)の製品の販売を開始
1985年
本社ビル新館完成し、営業本部、事務関連部門を統合する。
1985年
アメリカに「CKD USA CORPORATION」設立
1985年
広島営業所、横浜営業所、水戸営業所(現茨城営業所)を開設
1985年
タッピングマシンにNC装置を組み入れたCNCタッピングセンターTC-211国内販売開始
1985年
金融機関向け循環式入出金システムを開発
1985年
岡山県和気郡に岡山事業所を新設。放電加工の受託業務を開始。
1985年
民間で世界初のトライボロジー研究所開設
1985年
民間旅客機向けジェットエンジンV2500用軸受
1985年
インドのNational Engineering Industries Ltd.にベアリングの製造技術を供与。
1985年
アメリカのFederal Mogul社とのベアリング合弁製造会社NTN-BOWER CORP.を設立。
1985年
(1987年 エヌ・テー・エヌ東洋ベアリング株式会社の連結子会社になる)
1985年
半導体実験開発棟にクリーンルーム設置 (クラス10の実験開発ルーム)
1985年
米国のベアリングメーカー(アメリカン証券取引所上場)New Hampshire Ball Bearings, Inc.を買収。
1985年
岐阜製作所に技術部門であるテクニカルセンターを新設。
1985年
東洋精工株式会社を吸収合併し、三重工場とする 山口工場(LMガイド製造)を新設
1985年
大東製機株式会社(現THKインテックス株式会社)に資本参加し、技術提携を行う
1985年
本社及び本社工場を京都市東山区から伏見区に移転(京都市 伏 見区久我本町11-260)
1985年
東京営業所と埼玉サービスステーションを統廃合して関東営 業 所(大宮市)開設
1985年
有漢精密株式会社(現 岡山イーグル株式会社)を設立
1985年
ピラー電子工業(株)(現・エヌピイ不動産(株))を設立
1985年
台湾・高雄に生産拠点として台湾北澤股份有限公司を設立。
1985年
ベクトル量子化方式によるテレビ会議システムの実用化
1985年
ノーヒューズ遮断器「スーパースクラムシリーズ」発売
1985年
インテリジェントビルシステム<MIBASS>発売
1985年
第一世代ミニUPS「M-UPSシリーズ」発売 主回路スイッチング素子にMOSFETを使用し小型化・低騒音を実現。同時に、業界に先駆けて瞬時電圧波形制御を採用。
1985年
国鉄205系電車用に世界初の添加励磁式界磁制御装置納入
1985年
縦型CVD拡散装置「VERTEX®」の発売を開始
1985年
シンガポールの法人SEMICON INDUSTRIES PRIVATE LTD.を買収、海外生産を開始(現在は、Toshiba Tec Singapore Pte Ltd )
1985年
東京工場を東京分工場として秦野工場の傘下とする
1985年
プリンター用モーターを発売し、事務機器分野に本格進出する。
1985年
魚津市江口に677㎡の3階建ての社屋を新築。
1985年
大阪変圧器(株)から(株)ダイヘンに商号変更
1985年
業務拡大に伴い、株式会社プレテックドウを設立
1985年
シンガポールにTERASAKICIRCUITBREAKERS(S)PTE.LTD.(現 連結子会社)を設立
1985年
「北斎」の商標で、A2フラットペンプロッタ販売開始
1985年
情報システム事業進出の為、(株)日立製作所ソフトウェア工場へ要員を派遣
1985年
本社を京都市右京区西京極に移転すると共に京都工場に積層プレス機を設置し多層プリント配線板事業に参入。
1985年
オキ アメリカ社オキ テレコム グループで自動車・携帯電話の一貫生産を開始
1985年
国内の生産会社として庄内電子工業(株)(現 東北エプソン(株))設立
1985年
(株)諏訪精工舎が子会社エプソン(株)と合併し、セイコーエプソン(株)に社名変更
1985年
本社を埼玉県北葛飾郡鷲宮町(現久喜市)に移転
1985年
核融合臨界プラズマ実験装置「JT-60」の真空排気系を納入。
1985年
関西の拠点工場としてアルバック精機株式会社を設立。
1985年
コンピュータ用CRTモニターを開発、生産し、自社ブランド「EIZO」にて欧州向けに販売開始
1985年
輸入を専門的に行うシャープトレーディング株式会社を設立
1985年
10月1日から、社名をアンリツ株式会社に変更
1985年
「株式会社ゼネラル」を「株式会社富士通ゼネラル」に改称
1985年
「株式会社富士通ゼネラルシステムエンジニアリング(FGS)」(東京都港区)を設立
1985年
ダブル温風吹き出しダッシュインバーター搭載ヒートポンプ・エアコン ALS-22BPRDとヒートポンプ・エアコン ALS-22BHV を発売
1985年
小型2室マルチスプリットエアコンの輸出を開始
1985年
業界初の4ダクトシステム冷蔵庫ER-326CV形(冷凍 / 冷蔵 / チルド / 野菜室に専用ダクトと温度センサー)を商品化
1985年
カメラ一体型8ミリビデオ「CCD-V8」発売
1985年
ノートパソコンの出現に伴い、スイッチング方式の外付け電源アダプタが誕生。その後、1990年代から携帯電話機用、デジタルカメラ用などの生産が急増した。
1985年
ベルギーに合弁会社(現Roland DG Benelux N.V.)を設立
1985年
名古屋市に名古屋営業所開設(現・中部営業所)
1985年
大徳産業との合弁会社ヒロセコリア株式会社を韓国に設立
1985年
航空電子エンジニアリング株式会社(現 航空電子ビジネスサポート)を設立
1985年
中国の西安儀表廠と合弁で、計装システムの設計・販売会社、西儀横河控制系統有限公司を設立
1985年
当社関係会社として埼玉県大里郡岡部町(現 深谷市)に㈱岡部新電元を設立
1985年
ドイツに現地販売子会社「日本光電ヨーロッパ(有)」を設立
1985年
科学万博「つくば85テクノコスモス」へ出展参加。
1985年
上海実験儀器総廠(中国)と合弁会社設立、契約に調印。
1985年
アメリカ現地法人 KEYENCE CORPORATION OF AMERICA設立
1985年
大阪府高槻市に製造子会社クレポ株式会社(現キーエンスエンジニアリング株式会社)設立
1985年
ロボット工学の理想を取り入れ、検体ごとのランダム処理を実現した全自動血液凝固測定装置「CA-3000」発売
1985年
青森県南津軽郡平賀町(現 青森県平川市)に新平賀工場(現 青森工場)を新設
1985年
プリント基板同士を接続するB to Bコネクタの製造、販売を開始
1985年
OPTEX (USA) INC.を米国カリフォルニア州に設立
1985年
走査型カラーレーザー顕微鏡「2LM11」を開発・発売
1985年
オランダにUSHIOEUROPEB.V.(ランプの販売)を設立
1985年
ヤマイチエレクトロニクスINC.(現 ヤマイチエレクトロニクスU.S.A.,INC.)(米国)の全株式を取得。
1985年
「クリエイト2000」から「CR-2000」にシステム名称を変更
1985年
株式会社図形処理技術研究所から株式会社図研に社名変更
1985年
論理回路設計用ワークステーション「LD-1」を開発
1985年
メカニカルCAD「CD-300」を開発
1985年
稲葉社長(現名誉会長)がルクセンブルグ大公国よりクロン・ド・シェーヌ勲章を受章
1985年
製品開発スピードアップ化のニーズに即応できるQMS(クイックモールディングサービス)システムを開発
1985年
徳島第二工場を新設、セラミック製品の生産を開始
1985年
4bit/8bitのオリジナルCPUを用いたマイクロコントローラの開発
1985年
エッチング方式によるICリードフレームの量産を開始
1985年
ゴールデン バード シッピング社を設立(現 連結子会社)
1985年
横浜営業所(現、横浜フォーラム)を開設
1985年
社長が石原俊(事務系出身)から久米豊(技術系出身)になり、今までの官僚経営から技術中心の経営、後の901活動を推進する経営へと変えていった。
1985年
「メシンいすゞインドネシア(MII)」工場を開所
1985年
「いすゞテクニカルセンター オブ アメリカ(ITCA)」を設立
1985年
4代目「840フォワード」シリーズ発売
1985年
「クラウン」にスーパーチャージャー付きツインカムエンジンを搭載
1985年
アメリカに「日野ディーゼルトラックス」設立
1985年
電子制御サスペンション「ECS」が自動車技術会技術開発賞を受賞
1985年
トピーコーポレーション(現 トピーアメリカ, INC.)設立
1985年
日本オイルシール工業株式会社よりNOK株式会社に社名変更。
1985年
軽自動車市場に再参入。「ホンダ・プリモ店」発足。四輪車販売網3系列体制確立。ホンダ青山ビル竣工。ホンダの最上級車レジェンド発売。
1985年
スズキ・オブ・アメリカ・オートモティブ社(販売会社)設立。
1985年
中国の航空技術進出口公司との125ccモーターサイクルの技術援助契約に調印
1985年
中国の汽車工業進出口公司と技貿結合方式で完成車の販売契約を締結
1985年
モーターサイクル愛好者のクラブ「Y.E.S.S.」(イエス)を発足
1985年
インドネシアのジャカルタにマニュアルクラッチ製造合弁会社ダイキンクラッチインドネシアを設立(2006年1月エクセディインドネシアに社名変更、2007年合弁を解消、その後カラワンに移設、2012年エクセディモーターサイクルインドネシアを吸収し、エクセディマニファクチャリングインドネシアに社名変更)
1985年
インドのシーケー・オートモーティブプロダクツ・リミテッドに資本参加(1987年11月シーケーダイキンに社名変更、2010年エクセディインディアに社名変更)
1985年
新潟県長岡市に(株)エヌエス・コンピュータサービス(現・(株)NS・コンピュータサービス)を設立。(現・連結子会社)
1985年
シマノヨーロッパ 西ドイツ・デュッセルドルフから西ドイツ・ヒルデンに移転
1985年
複合新素材リール「チタノスシリーズ」発売
1985年
長野県上田市に工場・ライスセンター・配送センター建設
1985年
山形県鶴岡市に鶴岡出張所(現鶴岡営業所)を開設
1985年
岩手県北上市に盛岡営業所を移転し、岩手支店と名称変更
1985年
コンビニエンスストアチェーン運営の北陸ホットスパー(株)の設立に参加。
1985年
病院用看護用品カタログを発刊し、病院・介護分野に本格的に進出。
1985年
創業10周年を記念し、加古川市に本社ビルが完成。
1985年
仕入活動強化のため大阪市北区芝田に大阪事業部事務所を開設
1985年
株式会社アルゴ21、セイコーインスツル株式会社及びソニー株式会社の出資を得て資本金1億円にて設立。
1985年
エンジニアリング・ワークステーションとして米国MASSCOMP社のReal Time UNIXをベースにしたシステムを販売開始。
1985年
「リビングストアーみった 森田店」を閉店
1985年
「ジョイフルストアーみった 開発店」を福井県福井市に出店
1985年
船舶機器の部品販売および修理のため、株式会社テックス(現 舶用機器システムカンパニー)設立。
1985年
ソフトウェア開発専門会社(株)トーセーシステムズを(株)シーイーシーと共同で設立
1985年
トータルステーション「DTM-1」発売 ニコン初のトータルステーション。ニコンで初めて、全面にわたって電子化した測量機でもある。
1985年
内視鏡ビデオ情報システム「EVIS-1」を発表
1985年
英国・ロンドンに印刷製版機器の技術サービス提供のため、Dainippon Screen Engineering of Europe Co. Ltd.を設立
1985年
洛西工場を新設、半導体製造装置の生産力を強化
1985年
精密成形用金型工場として『株式会社ファイン技研』を設立
1985年
西本貿易株式会社の子会社としてNORITSUDOBRASILLTDA.を設立(出資比率91.4%)し、南米市場へ進出(1989年9月に西本貿易株式会社との合併により当社の100%子会社化)
1985年
NORITSUSINGAPOREPTELTDを販売会社として設立(出資比率100%)し、東南アジア市場を強化
1985年
リトラ(株)(現・A&Dマニュファクチャリング)を設立、ロードセル・電子はかりの製造工場とする
1985年
韓国に合弁会社ロッテキヤノン(現Canon Korea Business Solutions Inc.)設立
1985年
世界初のバブルジェット方式インクジェットプリンター「BJ-80」発売
1985年
複合電子ファイル「キヤノフアイル5500」発売
1985年
電子編集印刷システム「EZPS 5300」発売
1985年
カメラ一体型8mmビデオ「キヤノビジョン8VM-E1」発売
1985年
アナログカラー複写機1号機「リコーカラー5000」発売
1985年
フランスにTOMYFranceSARL.を設立。
1985年
東京都内の葬祭場を運営する東京博善(株)への経営支援を開始
1985年
有価証券印刷、商法(現・会社法)関連書類に加え、上場、決算、ファイナンスなど証券取引法(現・金融商品取引法)関連開示書類を開拓、「ディスクロージャー・ビジネス」として事業分野を拡大
1985年
フランス文化省との共催で「日仏現代ポスター交流展」を東京で開催
1985年
千葉県柏市に研究施設(中央研究所)が完成
1985年
日本初のCD-ROM辞書『最新科学技術用語辞典』(三修社)を制作
1985年
昇華型感熱記録材の製造技術開発、生産を開始
1985年
液晶ディスプレイ用カラーフィルターの生産技術を開発
1985年
総合展示会「パールフェア」を初めて東京で開催 大阪支店を開設(大阪市淀川区)平成8年5月大阪府豊中市に移転
1985年
総台展示会「パールフェア」を初めて大阪で開催
1985年
モールシステム(ロー間仕切)を開発、販売開始
1985年
東北地区の生産拠点として新白河工場を建設。
1985年
ファミリーコンピュータ用ゲームソフト『スーパーマリオブラザーズ』を発売。
1985年
ユークイックシリーズ(石油小型給湯機)を開発、発売。
1985年
シンクロボイラ(大気開放型無圧式温水ヒータ、現在のシンクロヒータ)を開発、発売。
1985年
韓国に合弁会社、KOREA INDUSTRIAL FASTENER CORP.(現NIFCO KOREA INC.)を設立。
1985年
福岡県嘉穂郡(現飯塚市)に九州バルカー株式会社(現連結子会社)を設立。
1985年
ペン・ペンシルプロッタ「F-600/F-900」シリーズを開発、製造販売を開始。
1985年
パーソナルCADシステム「M-Draf」シリーズを開発、製造販売を開始。
1985年
東京支店を東京本社に変更。名古屋と合わせ2本社制となる。
1985年
現在地に大阪支店(第1期工事)を建設、移転。
1985年
香港事務所(現・第一實業(香港)有限公司)開設
1985年
社名を『菱洋エレクトロ株式会社』と変更
1985年
米国大手医療機器製造販売メーカーへ真空採血用針納入開始。 日米MOSS協議開催で医療機器のキット化が加速。
1985年
テレビアニメーション第1作「夢の星のボタンノーズ」を放送開始。
1985年
本社を東京都千代田区外神田6-5-12に移転。
1985年
(社)日本証券業協会(東京都地区協会)登録銘柄となる。
1985年
TAXAN(EUROPE)LTD.をイギリスに設立。
1985年
現「和食さと」の原型となる郊外型和食第1号店を奈良県橿原市に開店
1985年
大阪市北区にビジネスセンタービル(現本社)完成
1985年
南港物流センター(大阪市住之江区)を開設。
1985年
リンガーハット・100号店(福岡大橋店)を福岡県福岡市に開店
1985年
「株式会社アオキインターナショナル」に商号変更(CI 導入)
1985年
燃料事業部を分離独立、株式会社ライフコメリ設立
1985年
県外進出第1号店 山形県にHC米沢店(山形県米沢市)を開店
1985年
福島県に初出店、H&G希望ヶ丘店(福島県郡山市)を開店し、ハード&グリーンの県外出店開始
1985年
石川県金沢市に(株)ディー・アンド・シー(現・連結子会社)を設立。
1985年
マレーシアに海外1号店のジャヤ・ジャスコストアーズ ダヤブミ店オープン
1985年
神奈川県横浜市に横浜支店(現 首都圏支社)開設
1985年
「知らない人は誰も知らない。知ってる人はみんな知っている」のCMコピーで一躍脚光を浴びる
1985年
埼玉県比企郡小川町に生鮮センターを開設する。
1985年
郊外型カジュアル単独店の「メンズキャパ桑野店」を郡山市に出店。
1985年
株式会社カトーデンキを吸収合併、資本金1億円となる
1985年
当社自動車リース部門を分離し、伊藤忠商事株式会社、伊藤忠燃料株式会社(現、伊藤忠エネクス株式会社)、大成火災海上保険株式会社(現、損害保険ジャパン株式会社)とセンチュリー・オート・リース株式会社(現、日本カーソリューションズ株式会社)を設立。
1985年
顧客が証券会社に保護預けしている有価証券を担保として極度貸付方式による保護預り証券担保融資を開始
1985年
株式会社マルミヤより、貸金業の営業権を譲受
1985年
第1次スコアリングシステム(自動与信システム)導入
1985年
現株式会社オリコビジネス&コミュニケーションズを設立
1985年
第一生命投資顧問株式会社(現アセットマネジメントOne株式会社)を設立
1985年
都市型アパート「レオパレス21」の本格的販売開始
1985年
不動産管理事業確立のために賃貸アパート・マンション・駐車場の管理専門会社として、千曲管理サービス株式会社を設立(1997年1月スターツアメニティー株式会社へ商号変更)(現・連結子会社)
1985年
マレーシアに海外1号店のジャヤ・ジャスコストアーズ ダヤブミ店オープン
1985年
6000型が車体を一新し、6050型として登場
1985年
富士急ハイランド「コニファーフォレスト」開業
1985年
量販・小売店向け納品代行システムが稼働、チェーンストア物流事業を開始
1985年
米国に全額出資の現地法人米国住友倉庫会社を設立。
1985年
IATA(国際航空運送協会)貨物代理店資格を取得。
1985年
香港に現地法人上組(香港)有限公司を設立。
1985年
西府営業所(現:東京SLC)にてデジタルピッキングシステム開発導入
1985年
新潟市美術館の開設により、県都唯一のBSN新潟美術館は使命達成されたとして閉館し、館蔵品の展観継承のため新潟市美術館に寄託。
1985年
緊急警報放送システムをラジオ・テレビ同時発信方式で開始。
1985年
放送の企画でディレクターが暴走族にリンチをさせ、中学生らに怪我を負わせていたことが発覚した。ディレクターは暴行教唆容疑で逮捕され、同番組も打ち切り終了。郵政省から厳重注意を受けた(やらせリンチ事件)。
1985年
久米宏をメインキャスターに起用したニュース番組『ニュースステーション』スタート。
1985年
アニメ情報誌「Newtype」、少女コミック誌「ASUKA」を創刊。
1985年
オンライン情報サービスの「(株)学研メディコン(現(株)学研教育みらい)」を設立
1985年
『住居表示地番対照住宅地図(ブルーマップ)』を発刊
1985年
初めて商品化した電子地図をNTT武蔵野通信研究所に納品
1985年
地図情報を入力した磁気テープから直接印刷用の刷版を作る「レーザー製版システム」を日本で初めて実用化
1985年
女川原子力発電所1号機の稼働率が世界一を達成(1984年度96.07%)
1985年
川内原子力発電所2号機(89万kW)運転開始
1985年
北電営配エンジニアリング株式会社を設立
1985年
東洋瓦斯化学工業(株)様SNG生産停止により受入終了
1985年
地域社会への貢献活動の一環として、京葉ガス「小さな親切」の会を発足。
1985年
モービル石油株式会社よりモービルクレジット処理業務を全面受託
1985年
株式会社松竹パフォーマンス設立 株式会社サンシャイン劇場開場 歌舞伎座で大劇場初の三部制興行
1985年
HIS(HONGKONG)COMPANYLIMITED設立 初の海外拠点として香港支店開業
1985年
大阪府吹田市に大阪支店(現・関西支店)を設置
1985年
東京都文京区にレンタル事業部東京事務所を開設
1985年
宮崎台システムラボラトリを川崎市宮前区に建設
1985年
米国における当社製品の販売を目的として、カリフォルニア州にカプコンU.S.A., INC.を設立。
1985年
ソフトウエアメインテナンス株式会社設立
1985年
北米標準(ナプルプス)方式のビデオテックスを全国展開するビデオテックスセンター(株)を設立(その後、セコムトラストシステムズ(株)に統合)する。セコムを中心に京セラ(株)、三菱商事(株)などが出資。
1985年
セコムネット(株)を設立(その後、セコムトラストシステムズ(株)に統合)。コンピュータネットワーク「セコムネット」の情報通信網をセコムが分離独立し、それを活用してVAN(付加価値通信網)サービスを提供する。
1985年
日本電信電話(株)(NTT)と合弁で日本コンピュータセキュリティ(株)を設立(その後、セコムトラストシステムズ(株)に統合)。コンピュータ犯罪を防ぐシステム監査などコンピュータセキュリティの設計・施工を行う。
1985年
VANサービスを開始、通産省Σプロジェクトに参画、KICNETの光ファイバー化。
1985年
株式会社名古屋技術センターから株式会社メイテックに社名変更。CIを導入
1985年
株式会社TKCマネジメントコンサルティング設立
1985年
本社ビル(現大船ビル)落成(神奈川県鎌倉市)
1985年
商号を福井コンピューター株式会社に変更
1985年
他県への出店第一号店として埼玉県深谷市に「深谷店」を開設、同時に多店舗化に対応し、物流部門の強化のため、流通センターを増築。
1985年
プラスチック金型用標準部品カタログ創刊
1985年
下関市にロードサイド型1号店(山の田店)を開店。