top > 各企業の年別活動
各企業の年別活動

各企業における1956年での活動

Year
[証券コード]会社名
活動内容
1956年
当社初の国内油田となる、北海道・平取油田発見(生産期間1956~1961年)
1956年
株式を東京店頭市場に公開
1956年
別子建設株式会社、近畿建設興業株式会社を合併
1956年
大豊塗装工業株式会社(子会社)を設立。
1956年
都営地下鉄1号線押上地下鉄、箱根バイパス天狗橋などを施工
1956年
日本道路公団発注舗装第1号工事受注
1956年
外材の輸入業務に着手。
1956年
通信工事の請負施工を開始
1956年
ビニール外装ケーブル工法の開発に成功
1956年
日本初のグラスルーツ(新設)製油所である出光興産向け徳山製油所新設プロジェクトを受注し完成
1956年
初のテレビ放送設備工事(中部日本放送、大阪テレビ)
1956年
江崎グリコ栄食設立 グリコ協同乳業を設立
1956年
協和発酵工業、抗悪性腫瘍剤マイトマイシンCを分離し、工業化に成功
1956年
協和発酵工業、世界で初めて発酵法によるL-グルタミン酸の生産技術を発明し、アミノ酸発酵という一大事業分野を開拓
1956年
「必須アミノ酸結晶」(輸液原料)発売
1956年
トマトジュース200gビンを東京支店、大阪支店にて発売
1956年
畜産事業を開始。
1956年
神奈川県川崎市にハム・ソーセージ工場設置。
1956年
魚肉ハム・ソーセージ発売。
1956年
社名を東洋水産(株)に改称。
1956年
日本エクスラン工業株式会社(1958年4月アクリル繊維生産開始、現・連結子会社)設立
1956年
合繊紡績の生産(郡山)を開始。
1956年
大口工場建設
1956年
本社を港区芝田村町(新橋三丁目)に移転
1956年
東急不動産(株) 東京証券取引所市場第二部に株式上場(1961年一部に指定替え)
1956年
ツルハ薬局に屋号変更
1956年
玉島工場操業開始(レーヨン)
1956年
林木育種研究所(現 バイオリソース開発センター)設置
1956年
長岡工場に上質紙抄紙機(3号機)を新設
1956年
旧能町工場、1号抄紙機稼動、洋紙(ロール紙)生産開始
1956年
東京証券取引所市場第一部に株式を上場(1月5日)
1956年
大阪証券取引所市場第一部に株式を上場(6月20日)
1956年
本社、東京都中央区銀座(現中越ビル)に移転
1956年
旧能町工場、1号抄紙機稼動、洋紙(ロール紙)生産開始
1956年
東京証券取引所市場第一部に株式を上場(1月5日)
1956年
大阪証券取引所市場第一部に株式を上場(6月20日)
1956年
本社、東京都中央区銀座(現中越ビル)に移転
1956年
旧能町工場、1号抄紙機稼動、洋紙(ロール紙)生産開始
1956年
東京証券取引所市場第一部に株式を上場(1月5日)
1956年
大阪証券取引所市場第一部に株式を上場(6月20日)
1956年
本社、東京都中央区銀座(現中越ビル)に移転
1956年
銅山川製紙株式会社から工場設備を買収して川之江工場とする
1956年
呉羽興業株式会社(現・クレハ建設株式会社)設立(現・連結子会社)
1956年
大曹商事株式会社を設立
1956年
シクロヘキサノン、シクロヘキサノール製造開始
1956年
青柳工場、ガウジングカーボン生産開始 (1991年 生産中止)
1956年
塩化ビニル樹脂の製造開始
1956年
第一稀元素化学工業株式会社を設立
1956年
三宝工場(大阪府堺市)を再開、フッ化水素酸製造設備を増設
1956年
東京証券取引所市場第一部に上場。
1956年
抗悪性腫瘍剤マイトマイシンCを分離し、工業化に成功。
1956年
世界で初めて発酵法によるL-グルタミン酸の生産技術を発明し、アミノ酸発酵という一大事業分野を開拓。
1956年
名古屋工場でフェノールの生産を開始
1956年
岩国工場(現・岩国大竹工場)起工式
1956年
桂皮酸の製造を開始。
1956年
大日本プラスチックス株式会社、ローヤル株式会社を設立
1956年
大阪旭工場開設、日本初のプラスチック製雨とい「エスロン雨とい」開発、大阪旭工場内に中央研究所(現:開発研究所)開設、大阪工場を大阪泉尾工場に改称
1956年
高岡工場(富山県)が完成し、塩化ビニル樹脂生産開始。
1956年
ストップバルブ製造開始
1956年
布施市(現東大阪市)に布施工場を新設し、旧事業場を廃止統合。
1956年
不飽和ポリエステル樹脂用ペーストカラー「TRカラー」を発売。
1956年
ペレット状プラスチック着色剤(マスターバッチ)「TETカラー(ポリエチレン用)」を開発、販売開始。
1956年
グラビアインキ用顔料チップを国産化。
1956年
東映株式会社が日動映画株式会社を買収、東映動画株式会社へ商号変更。本社を東京都中央区京橋、製作所を東京都新宿区原町とする。
1956年
東京・渋谷に資生堂美容室開店
1956年
日本で初めての野菜果物・食器洗い専用の台所用合成洗剤『ライポンF』を日本食品衛生協会の推奨第1号品として発売、全く新しい市場分野を開拓
1956年
福岡市上西町に福岡出張所開設。(1975年6月 福岡支店に改称)
1956年
小林製薬株式会社を合併5月商号を小林製薬株式会社に変更11月本社を大阪市東区(現在の中央区)に移転
1956年
全国購買農業協同組合連合会(現・全国農業協同組合連合会)との連携強化。
1956年
化学研究所竣工
1956年
大阪営業所を大阪支店に昇格し、関西市場の拡張をはかる。
1956年
インドにガラス製造会社を設立。民間他社に先駆けて海外事業を展開
1956年
需要急増に応えて自動車用加工ガラス事業に本格進出
1956年
大型タンク炉による生産(ガラス溶解)を開始
1956年
粉末ガラス生産開始
1956年
富士窯業(現NGKアドレック)に資本参加
1956年
インド駐在員事務所(ボンベイ)を開設
1956年
共英伸鉄(株)(1963年12月共英特殊鋼(株)に社名変更)を設立し、平鋼の生産を開始
1956年
大阪工場に25屯反射炉一基を新設、大型ロール製造に着手。
1956年
川崎製造所の構内に研究所設立
1956年
(株)日向製錬所を設立し、フェロニッケルの生産開始
1956年
足尾製錬所で日本初の自熔製錬設備が完成する
1956年
スポンジチタン1,800t/年に設備増強
1956年
新東洋硝子株式会社(現東洋ガラス株式会社)を設立
1956年
福岡市東浜町に福岡工場を建設
1956年
福岡営業所を開設(現九州営業所)
1956年
株式会社三和シヤッター製作所(当社の前身)を尼崎市に設立
1956年
「軽量シャッターB型スラット」発売
1956年
高品質・低価格ステンレスシンク量産技術を日本で初めて開発(サンウエーブ)高品質・低価格ステンレスシンク
1956年
技術研究所を神戸市須磨区に開設(1986年2月兵庫県明石市に新設)
1956年
大阪営業所(現関西支社)を開設
1956年
PC鋼棒の研究について通産省鉱工業応用研究補助金を受ける
1956年
小阪工場新設操業開始
1956年
埼玉県鳩ヶ谷市に川口工場を建設
1956年
横型帯鋸盤(カットオフマシン)の生産開始
1956年
国産第1号機の200トン高速自動プレス完成
1956年
転造丸ダイスの製造を開始
1956年
ダイヤモンドブレード販売開始
1956年
我が国最初の極薄のレジノイド砥石を完成
1956年
万年筆メーカーの依頼により、厚さ0.13~0.14ミリ、直径100ミリのレジノイド砥石の量産体制に入る
1956年
東京都大田区久が原において会社設立
1956年
迅速流体継手「カプラSP型」を発売
1956年
日東工器の原点となった「エアマイクロメーター」
1956年
1トン積LA型フォークリフトを発売。
1956年
小火器の社内開発開始
1956年
株式会社イワキ創立
1956年
ショベルローダーの生産開始
1956年
強制弁式動力噴霧機を開発
1956年
丸山商事(株)[現 マルヤマエクセル(株)]を設立
1956年
振動ローラ(SR1)、ロードスタビライザ(PM103)の製造開始。
1956年
他社提携による技術導入 水処理装置に関して、米国インフィルコ社と折半出資のエバラインフィルコを設立。高圧ポンプ(横軸バレル型)に関して米国ボルグワーナー社バイロンジャクソン部と技術提携を行いました。
1956年
小型ポンプの標準化・量産化による拡販計画始動 小型ポンプを標準化による大量生産・大量販売という新コンセプトの標準ポンプを計画。1956年に一号機が完成し、その後多段ポンプ、水中ポンプなどシリーズを拡充しました。
1956年
横浜工場をコンベヤ専門工場として設備改良。
1956年
東京都渋谷区豊沢町に本社および工場を建設。
1956年
米国ケミポンプ社からケミポンプに関する技術を導入。
1956年
原子力利用関係機器・装置の設計・製作を開始。
1956年
和歌山出張所開設。(現・和歌山事業所)
1956年
油研工業株式会社に改組
1956年
各種ソレノイド及び空圧シリンダ、バルブの量産開始
1956年
機械部門に加えて機器部門を確立
1956年
商号を「天野特殊機械株式会社」に変更
1956年
現在の本社所在地に豊明工場(現 本社工場)を開設。
1956年
本社を東京都中央区日本橋兜町に、工場を埼玉県川口市上青木町に移転。
1956年
針状ころ軸受(ニードルベアリング)の研究開発に着手。 日本トムソンベアリング株式会社と業務提携し、ニードルベアリングの販売
1956年
日立金属工業株式会社(現 日立金属株式会社)、日立電線株式会社分離独立。
1956年
航空機用地上電源車を開発。空港支援車両事業に参入
1956年
ゲルマニウム、シリコン単結晶引上装置を受注し、半導体製造装置事業を開始
1956年
ゲルマニウム、シリコン単結晶引上装置
1956年
小型モーターの製造開始
1956年
本社(大阪市北区)移転
1956年
大阪事業所(大阪市淀川区)完成 操業開始
1956年
「セイコー マーベル」 ウオッチ事業の根幹となった、オリジナル設計機械式時計
1956年
株式会社東洋精機真空研究所を合併し、尼崎工場として真空化学装置及び真空ポンプ等の規格品の製造に着手。
1956年
東京電力千葉火力発電所に初めて活線碍子洗浄設備を設置。
1956年
営業部門を独立させ、シャープ電機株式会社を設立
1956年
東京都台東区に東京支店社屋を竣工
1956年
無線機部門を大森工場から川崎工場へ移転、大森工場に電気洗濯機の量産設備を設置
1956年
カラーテレビの開発を開始
1956年
吸収式電気冷蔵庫ER-101を発売
1956年
市川工場新設
1956年
日本初の完全非腐食性はんだろう接剤「ソルダーライト」フラックスを開発。社内に化学専門の研究所を設置する。
1956年
ロッドアンテナ生産開始(2003年事業撤退)。
1956年
コイルの製造・販売を目的として、東京都墨田区に墨田電機工業株式会社を設立
1956年
トランジスタ補聴器(H-530)を発売
1956年
聴力検査室(AT-2)を発売
1956年
粘度計(RV-1501)を発売
1956年
村山工場を飯能工場に統合し、工場を一元化
1956年
山武計器株式会社を山武ハネウエル計器株式会社と商号変更
1956年
デンソーの源流となる社是の制定 創業の精神を将来にわたり守り育てるために制定。
1956年
東京都品川区大井立会町に山一電機工業(株)を設立、真空管用ソケットの製造販売を開始。
1956年
国産初の核磁気共鳴装置 (NMR) JNM-1完成
1956年
日本で民間初のNCとサーボの開発に成功
1956年
セレン光電面ビジコン発売
1956年
高崎工場を開設(現江木工場・高崎グローバルセンター、群馬県高崎市)
1956年
村田技術研究所を長岡町に移転
1956年
京都工場を新設し、アルミニウム電解コンデンサの製造を開始。
1956年
三菱油化を設立(三菱グループとシェル社の共同出資)
1956年
菱光アセテート(のちの三菱アセテート)を設立(三菱レイヨンと米国セラ二一ズ社の共同出資)
1956年
第1次南極観測隊発足にともない、社員を派遣
1956年
一般公募により、「トヨペット ライトトラック」(SKB型)の愛称を「トヨエース」に決定
1956年
国民車の試作車を挙母工場で発表
1956年
ヤマハ発動機株式会社と取引開始
1956年
本田技研工業株式会社と取引開始、二輪車用部品の製造開始
1956年
東都鉄構株式会社設立
1956年
萱場オートサービス(株)(現KYBエンジニアリングアンドサービス(株))を設立
1956年
ヤマハ発動機(株)浜松研究所を設立(日本楽器製造(株)浜松研究所を移管)
1956年
ヤマハ発動機株式会社と取引開始。
1956年
外装式変速機の生産に着手
1956年
卵白の販売を目的とした(株)松田商店(食品系)を東京都中野区に設立
1956年
日本電気株式会社と電子機器に関する販売特約店契約を締結。
1956年
茂理 満(現名誉会長の母)と現名誉会長 茂理佳弘が宮詣り衣装、出産準備品を扱う「赤ちゃんの西松屋株式会社」を設立し、大手前通り店出店(資本金1,100千円、兵庫県姫路市本町、1997年11月廃止)
1956年
日本初のガスクロマトグラフを開発
1956年
松谷正雄が現高根沢工場所在地(栃木県塩谷郡高根沢町)において、個人で起業し、鉄製アイド縫合針の製造を開始。
1956年
日本写真機工業会による日本カメラセンター開所(米国ニューヨーク)に伴い、当社駐在員を派遣
1956年
秩父英工舎(現キヤノン電子)が関係会社となる
1956年
8mmシネカメラ「8T」発売
1956年
紙袋、包装紙の製造販売を目的として東京都練馬区南町一丁目3578番地(現 東京都練馬区栄町2番地)に株式会社平賀商店(資本金100万円)を設立。
1956年
『週刊新潮』(新潮社)を印刷。出版社による日本初の週刊誌
1956年
大阪工場を開設(日本精版を吸収合併)
1956年
木材資源の有効利用を目的に「日本ハードボード工業株式会社」を設立
1956年
名古屋市港区汐止町に工場建設着手
1956年
株式会社宝鋳工所(現タカラベルモント株式会社)の資本参加を得て、理美容椅子部品のプレス加工を開始
1956年
フラットファイルを発売
1956年
豐田通商株式会社(とよだつうしょう)に商号変更。
1956年
中央卸売市場法の一部改正により農林大臣許可の水産物卸売人となる。
1956年
釧路港町冷凍工場竣工
1956年
東京証券取引所において株式上場
1956年
㈱中水を吸収合併
1956年
独自設計による腕時計マーベル発売。
1956年
名古屋支店新設
1956年
台北出張所(現台北支店)開設
1956年
ニューヨークに、子会社として現地法人Far East Mercantile Corp.を設立。
1956年
事業目的の取扱品目に農林水産品、染料、助剤、一般化学製品、肥料、医薬品、医療器具、鉱工品及び機械類を追加
1956年
LPガスの全社的取り扱い開始を決定
1956年
大阪市北区梅田に大阪営業所開設
1956年
東京都足立区に小台研究所を設立
1956年
大阪市北区に本店を移転
1956年
他社に先がけて、サービス部門を開設
1956年
日本住宅公団と提携、NGK導管供給システムを開発して団地供給を開始
1956年
ロイヤル㈱(資本金1,000千円)を福岡市東中洲に設立
1956年
「ロイヤル経営基本理念」が制定
1956年
ケーキの冷凍技術を開発し、冷凍クリスマスケーキの製造・販売をスタート
1956年
清水實業株式会社(本店東京都中央区日本橋本町一丁目3番地、資本金500万円)を設立し、食料品販売及びパイン缶詰、フルーツ等の輸入並びに国内販売を開始。
1956年
「イタリアンフェア」開催(戦後初の外国商品催事)
1956年
株式会社みずほ設立(株式会社アターブル松屋ホールディングスの前身)
1956年
銀座店に空中エスカレーター完成
1956年
証券取引法に基づく免許会社となる
1956年
大和證券本店を呉服橋ビルに移転
1956年
財閥解体に伴って清算中だった、株式会社三井本社を合併。
1956年
一級建築士事務所登録
1956年
東京不動産管理(株)設立(2013年3月連結子会社化)
1956年
自動踏切遮断機を亀戸線で初使用
1956年
ラッシュ時に東上線で婦人専用電車の運転を開始
1956年
初の記念乗車券を東上線で発売(川越大師喜多院落慶記念)
1956年
電気式自動券売機を設置(浅草駅)
1956年
東急観光(現:東武トップツアー)を設立
1956年
東横興業(現:東急ストア)を設立
1956年
東急文化会館を開館
1956年
奥多摩振興(株)(現西東京バス(株))の株式取得
1956年
上本町~布施間複々線運転開始
1956年
「株式会社日本梱包運搬社」として資本金100万円をもって陸上 小運送および運送取扱業、鉄道発着貨物取扱業などを目的 に設立(東京都中央区築地1丁目3番地)創業者 黒岩恒雄
1956年
東京港における通船業者・東港通船(株)に資本参加(現在の東港サービス(株))
1956年
千葉港において曳船業開始
1956年
第1回すずらん慰問(日ペリ)現在まで継続している行事
1956年
シンガポール駐在員事務所開設
1956年
東京中央倉庫株式会社を吸収合併
1956年
大阪テレビ放送本放送開始
1956年
本社新社屋・スタジオを現在地に竣工。
1956年
新潟市網川原送信所を山二ツに移転放送開始。
1956年
東映が東急グループの五島慶太の支援のもと「国際テレビ放送」として教育専門テレビ局の申請を提出。その後同年には日本短波放送、旺文社系「日本教育放送」、1957年に日活系「日活国際テレビ」などが第10チャンネルの割当に申請を行った
1956年
「角川国語辞典」「角川漢和辞典」を刊行、辞典界に進出。
1956年
戦後初の大規模石炭火力発電所、新東京火力発電所1号機が運転開始(のちに石油専焼に転換)。
1956年
当社の株式を名古屋証券取引所に上場。(2014年6月上場を廃止)
1956年
黒部川第四発電所新設工事(大町ルート)着工
1956年
常願寺川・有峰発電計画に着手
1956年
わが国初の長幹碍子を採用(鳥海線)
1956年
苅田発電所1号機(石炭、7.5万kW)運転開始
1956年
北電興業株式会社を設立(現・連結子会社)
1956年
佐久間発電所運転開始日本で初めて米国から大型土木機械を導入、不可能と言われた工事をわずか3年で完遂
1956年
原料として千葉県産の天然ガスの受け入れを開始。
1956年
当社管内初の公団住宅「荒久山団地」(柏市)にガス供給を開始。
1956年
松竹会館(中央区築地3丁目8番地6)に落成、本社移転 財団法人松竹大谷図書館設立
1956年
「へそくり社長」公開(「社長」シリーズ第1作)
1956年
「宮本武蔵」米アカデミー賞名誉賞(現・外国語映画賞)受賞
1956年
日動映画(株)を買収、東映動画(株)[現・東映アニメーション(株)]として発足。
1956年
自社製品の製造を目的として(株)双葉製作所<現双葉テック(株)現・連結子会社>を設立。
1956年
関西ピーナツバター㈱(1957年9月カンピー食品工業㈱に社名変更)を設立