1968年
台湾に坂田股份有限公司渓北農場を開設、戦後初の海外生産
1968年
本社工場を設置し、きのこ栽培用のP.P(ポリプロピレン)ビンの製造を開始
1968年
長野県松本市に松本営業所(現、ホクト産業(株)松本支店)を設置
1968年
複数の大型肥育施設を展開するため、南九州畜産(現・連結子会社)を設立。
1968年
三井金属鉱業(株)、古河鉱業(株)(現 古河機械金属(株))との共同出資により日比共同製錬(株)を設立
1968年
当社戦後初の海外請負工事(東パキスタン・チッタゴン漁港建設工事)を受注
1968年
本店所在地変更(新所在地・東京都港区元赤坂一丁目2番7号)
1968年
東京本部設置、岡山、高松、金沢営業所を支店に昇格
1968年
酒井建設工業株式会社を吸収合併。陸上土木部門の充実を進める。
1968年
準低温米殻倉庫「ダイワエンターローリー」を全国展開、米殻倉庫市場を席捲
1968年
国内初の超高層ビル霞が関ビルディング竣工
1968年
千葉県富津市に製缶工場として千葉工場を新設
1968年
千葉工場を千葉食品コンビナートに移転竣工稼働
1968年
福岡工場稼働(当時(株)山崎製パン福岡工場)
1968年
札幌市に北海道連絡所(現北海道営業所)開設。
1968年
東京都杉並区に東京支店を移転し、併設して東京作業所を開設。
1968年
銘菓因幡の白うさぎを発売し、観光土産用菓子の高級化に取組む。
1968年
サンケイアトムズ(現ヤクルト球団)の経営を継承
1968年
プラスチック新容器による「ヤクルト」を発売
1968年
日本ではじめてのスナック菓子「カール」発売
1968年
「雪印ネオマーガリンソフト」(現「ネオソフト」)発売
1968年
日本ブロイラー(株)を共同出資で設立し、ファーム事業に参入
1968年
営業支店第1号「神奈川支店(現横浜緑支店)」開設
1968年
米国MDS社の日本総代理店として日本MDS(株)を設立、日本で初めてキー・ツー・テープ入力装置を紹介
1968年
日商と岩井産業が合併し日商岩井株式会社(大阪市)となる。
1968年
レスリー・ソルト社(米国)と提携、しょうゆの現地詰およびテリヤキソースの製造開始
1968年
東洋製油(株)(現、Jオイルミルズ社千葉工場)設立
1968年
「味の素KKのマヨネーズ」発売(米国CP社との提携により)
1968年
富士見工場完成(長野県諏訪郡富士見町)
1968年
衣料品の製造・販売業務、貿易業務を継承
1968年
同時に名古屋、大阪、福岡の各営業所も継承
1968年
犬山工場、パルプ事業を廃止、フィルム事業に転換
1968年
岐阜紡績株式会社を合併(現・岐阜工場)
1968年
徳山工場で「テトロン」短繊維の操業を開始
1968年
米国Dow Corning社との合弁で、トーレ・シリコーン(株)(現 ダウ・東レ(株)とデュポン・東レ・スペシャルティ・マテリアル(株))を設立
1968年
倉敷市に中央研究所(現くらしき研究センター)設立
1968年
創業者 加藤太郎氏、喫茶店「コメダ珈琲店」を開店
1968年
長野県松本市大手3丁目に松本営業所を開設
1968年
当社と東北パルプ株式会社が合併(現当社石巻工場)
1968年
新潟工場に長網三層高級白板紙抄紙機(4号機)を新設、わが国初の表裏のない板紙の生産開始
1968年
砺波製紙(株)二塚工場、2号抄紙機(新聞用紙)稼動
1968年
能町工場、3号抄紙機稼動、クラフト紙生産開始
1968年
砺波製紙(株)二塚工場、2号抄紙機(新聞用紙)稼動
1968年
能町工場、3号抄紙機稼動、クラフト紙生産開始
1968年
砺波製紙(株)二塚工場、2号抄紙機(新聞用紙)稼動
1968年
能町工場、3号抄紙機稼動、クラフト紙生産開始
1968年
東京日産化学株式会社が埼玉県上里村に工場移設(現在の当社埼玉工場)
1968年
岡山化成株式会社を旭化成工業株式会社(現・旭化成株式会社)と共同出資にて設立
1968年
特殊混和材「デンカCSA」販売開始。以降各種特殊混和材事業拡大
1968年
「鹿島塩ビモノマー(株)」、「鹿島電解(株)」を設立
1968年
電子材料用ジルコニアおよび樹脂用難燃剤の販売を開始
1968年
三菱油化株式会社(現 三菱ケミカル株式会社)と合弁会社鹿島酸素株式会社(現 株式会社ティーエムエアー)を設立。
1968年
(旧大陽東洋酸素)三菱油化株式会社(現 三菱ケミカル株式会社)と合弁会社鹿島酸素株式会社(現 株式会社ティーエムエアー)を設立。
1968年
米Ashland Oil Inc.と合弁会社 「日触アロー化学(株)」設立
1968年
耐熱塩化ビニル樹脂「耐熱カネビニール」を開発、大阪工場で生産開始
1968年
高砂工業所にオキシ法塩化ビニルモノマープラント完成・稼働
1968年
水島工場にて当社の技術開発によるキシレン分離異性化装置の操業を開始
1968年
東洋高圧工業と三井化学工業が合併、三井東圧化学が発足 企業規模拡大を目指し、両社が合併。総合化学企業としてスタート。
1968年
OMR-81(半導体用ネガ型フォトレジスト)の製造を開始。
1968年
東日本地域の流通強化のため千葉県八千代市に八千代事業所を設置。
1968年
新井工場のカーバイド、アセチレン、アルデヒドを停止し、有機合成品の原料を石油化学系に転換
1968年
ABS樹脂「セビアン-V」の製造を開始
1968年
大竹工場で、過酢酸法合成グリセリン企業化
1968年
発泡ポリオレフィン「ソフトロン」事業スタート、浴室用スノコは当時大きな人気を博した
1968年
堺工場にポリプロピレン工場新設(2001年に三井化学(株)に譲渡)
1968年
高分子研究所開設(現 みらい技術研究所)
1968年
愛知工場を建設し、シェルモールド用レジンおよびレジン・コーテッドサンド(RCS)の製造を開始
1968年
発泡ポリエチレンフォームの製造、販売を開始(関東工場及び天理工場)
1968年
野村オペレーションサービス(株)を設立(1996年にNRIデータサービス(株)に社名変更)
1968年
鹿島コンビナートへ進出。鹿島電解(株)、鹿島塩ビモノマー(株)、鹿島南共同発電(株)、鹿島ケミカル(株)設立に参加
1968年
ドイツのバイヤスドルフ社との提携により「ニベア花王株式会社」を設立。
1968年
三宝塗料株式会社の株式取得(現在の株式会社KAT)
1968年
Thai Kansai Paint CO.LTD.(タイ)を出資設立
1968年
印刷の指標となる、DICカラーガイドの販売を開始
1968年
石油留分を有効活用する、純国産技術によるエポキシ樹脂の製法を開発
1968年
包装加工研究所およびグラビア製版研究所を開設。
1968年
東洋インキ不動産株式会社〔現 東洋ビーネット株式会社〕を設立。羽獅子不動産株式会社を吸収合併。
1968年
汎用オフセットインキ「トーヨーキング」発売。
1968年
神奈川県相模原市相武台において松井設計事務所開業。
1968年
大阪にて「(株)大阪ビジネス」として設立
1968年
東京都港区芝西久保巴町(現虎ノ門)に電子計算機による計算業務の受託及び穿検孔作業の受託、並びにそれに伴う派遣業務を主たる目的としてシンコー計算サービス株式会社を設立、資本金200万円
1968年
大阪市旭区に大阪第二工場(当時)完成。
1968年
テレビ色彩調整分析器「ミノルタTVカラーアナライザー」発売、産業用計測機器分野に進出
1968年
横浜に資生堂研究所(2019年に資生堂グローバルイノベーションセンターに改称)完成
1968年
口臭を防ぐ『エチケットライオン』ハミガキを発売
1968年
米国、ニューヨークに現地法人TakasagoUSA,Inc.を設立。(1979年10月 ニュージャージー州に移転)
1968年
香港に香港高絲私人有限公司(高絲香港有限公司)を設立
1968年
クミアイ化学工業株式会社に商号を変更。
1968年
1942年5月創立の東亜農薬株式会社を吸収合併。龍野工場を加える。
1968年
袖ケ浦製油所操業開始(原油処理能力:日量7万バレル)
1968年
兵庫県加古川にベルトおよび工業用品の製造を目的として加古川工場新設
1968年
株式会社バンドー東販(現社名:東日本バンドー株式会社)を設立
1968年
研究所(現・技術研究所)を兵庫県伊丹市に開設
1968年
超高圧試験所(現電力技術研究所)が完成
1968年
海外での製鋼・圧延技術指導を目的に海外事業部を発足
1968年
千葉県市川市に京葉鉄鋼埠頭株式会社を設立。
1968年
川崎製造所60tアーク炉(8号炉)稼働
1968年
交野工場を建設し、住吉工場の軽量鋼管設備を移設。
1968年
チタンインゴット1,200t/年に設備増強
1968年
マレーシアに電線製造合弁会社フルカワエレクトリック・ケーブルズ・マレーシア(FECM)社を設立
1968年
[パワーツール事業] 電動工具の製造を開始
1968年
住宅用窓シャッター「ブラインド雨戸ミニ」発売
1968年
富山県高岡市に第二工場(現高岡工場)を竣工
1968年
国内初超高層ビルの霞が関ビルにカーテンウォールを施工(トステム・新日軽)
1968年
東京製綱繊維ロープ株式会社(繊維索網製造)設立
1968年
ばね業界初、「社内技能検定制度」を導入
1968年
スローガン「世界一安くて良いボイラを創ろう」
1968年
社是・社訓・社章制定 「社会への貢献」「個人の尊重」「商業的合理性の追求」という経営の三原則が社是として決定。当時「スローガン」「座右の銘」として掲げられていた「自ら機会を創り出し、機会によって自らを変えよ」という言葉は、後に社訓として制定。また、世界的デザイナーである故・亀倉雄策氏が手掛けた「かもめ」のシンボルマークを社章として採用。
1968年
IBM 1130を導入 上記コンピュータを、日本企業として初めて導入し、テスト事業などで活用。情報を扱う企業として、最新のIT環境を追求・整備。
1968年
MCD形門形マシニングセンタの製造開始。
1968年
国産初の工業用ロボット「オートハンド」完成
1968年
世界初のCNC平面・成形研削盤NFG-5型を開発
1968年
藤岡工場(現豊田事業所)新設、操業開始
1968年
OSG Tap and Die(アメリカ)を設立(現OSG USA)
1968年
超極薄40ミクロンレジノイド切断砥石「ミクロンカット」の開発に成功
1968年
アメリカ・ウエイン社(現・ジョンストン・スイーパー社)との提携による路面清掃車の製造開始
1968年
NC円テーブル、NC割出台の製造を開始。
1968年
業務拡張のため和歌山市坂田に本社及び本社工場を新設移転。
1968年
業界初の中型クラスの油圧ショベルUH06発売
1968年
東部シントー(株)(共立設備工業(株))に資本参加
1968年
西部新東工業(株)(旧市川工務(株))に資本参加
1968年
フォーダス社(イギリス)と連続式混練機について技術提携
1968年
全輪等径、等線圧、油圧駆動のマカダムローラ(R1)を開発。
1968年
遠心ガス圧縮機、蒸気タービンに関して米国エリオット社と技術提携 石油精製及び石油化学向けコンプレッサ事業に参入
1968年
中華人民共和国と年間輸出協定調印。海外技術に頼らないエアマン独自の技術でスクリュコンプレッサ完成。
1968年
東京都渋谷区恵比寿3丁目43番2号に本社移転。
1968年
大分工場を製缶系専門の新鋭工場として増設、第一種圧力容器製造認可を取得。
1968年
本店を横浜市鶴見区生麦四丁目6番29号に移転。
1968年
東京都港区三田に東京工場設置、操業開始。
1968年
九州地区の販売拠点として福岡市に九州支店(現福岡支店)を開設。
1968年
坂本商事株式会社(平成17年12月当社吸収合併)を設立し、営業部門を委譲。
1968年
2点式シートベルト(2003 事業譲渡)
1968年
超高層ビル向け高速エレベーター用軸受(超高層ビル時代開幕)
1968年
カナダに販売会社 NTN BEARING CORP. OF CANADA LTD.を設立。
1968年
半導体部門発足、拡散炉マークⅡの国産化開始
1968年
工業炉生産工場の一部を半導体専用工場に改装
1968年
米国ロサンゼルス現地法人 Nippon Miniature Bearing Corporation(現NMB Technologies Corporation)を設立。
1968年
本社を現在地(東京都港区高輪)に新築移転。
1968年
BWR用バルブを日本原子力発電所敦賀1号に納入し、原子力用バルブの本格的生産を開始した。
1968年
台湾に合弁会社台湾日鍛工業股份有限公司(現連結子会社)を設立、エンジンバルブの製造技術を供与(資本金3億3千万円)
1968年
鋳鉄製バタフライバルブの製造・販売を開始。
1968年
関西電力美浜発電所向け40万kVAタービン発電機完成、原子力発電第1号
1968年
ラインフローファン採用壁掛型セパレートタイプのルームエアコン「霧ヶ峰」発売
1968年
世界初の車両用量産静止形補助電源装置の完成
1968年
高性能、低コストモーター(FAタイプ)を発売。
1968年
ドイツフランクフル卜に欧州駐在事務所を開設する。
1968年
英文社名を「OMRON TATEISI ELECTRONICS CO.」に決定。
1968年
大型汎用機「FACOM230-60」を発表
1968年
厚木工場を建設 高周波応用機器の製作および熱処理受託加工業務を拡大
1968年
初の海外生産拠点Tenryu (Singapore) Pte. Ltd.設立(ウオッチケース、プレス加工部品、自動旋盤部品の製造) (現 Singapore Epson Industrial Pte. Ltd.)
1968年
「EP-101」 「EPSON」の由来となった、世界初の小型軽量デジタルプリンター
1968年
石川県羽咋市に株式会社ナナオ(現 EIZO株式会社)の前身である羽咋電機株式会社を設立
1968年
超高層ビル第1号として霞ヶ関ビルに防災設備を設置。
1968年
オールトランジスタ化16桁電卓 ECD-101を開発し、生産・販売を開始
1968年
トリニトロンカラーテレビ「KV-1310」発売1973年 トリニトロンカラーテレビの開発がエミー賞技術部門賞を受賞
1968年
ソニーと米国CBSとの合弁により、日本においてCBS・ソニーレコード株式会社を設立 1991年ソニー・ミュージックエンタテインメントに社名変更
1968年
台湾TDK(TDK Taiwan Corporation)設立
1968年
米国で音楽用カセットテープ「SD」発売
1968年
真空管からトランジスタの時代となり、プリント基板が急速に普及。自動はんだ付装置当社1号機を開発。以降、家電製品の大量生産時代を支えていく。
1968年
福岡県に九州星電(株)<現 ホシデン九州(株)を設立>
1968年
当社関係会社として山梨県甲府市に山梨電子工業㈱を設立(2006年11月 全株式を譲渡し、当社関係会社より除外)
1968年
東亞特殊電機株式会社が製造する医用電子機器の販売会社として、 東亞医用電子株式会社を設立
1968年
IC研究室を開設 将来的に自動車部品が電子制御化されることを見越し、早くから社内でICの研究開発を行う。電子関連製品は、現在のデンソーの主力製品の一つ。
1968年
イギリスに現地法人JEOLCO (U.K.) LTD.設立
1968年
オーストラリアに現地法人JEOLCO (AUSTRALASIA) PTY.LTD.設立
1968年
世界初の全自動アミノ酸分析装置JLC-5AH完成
1968年
世界で最初の実用化群管理システムを完成
1968年
オールプラスチック製のカウンター「アドチェック」が通産省(現・経済産業省)のグッドデザイン賞を受賞
1968年
ダイオードアレイ、ダイオードマトリクスの商品化を完了
1968年
サーディップ用 リードフレーム生産開始
1968年
富士通(株)へプレス金型製造技術研修のため技術者を派遣
1968年
米国カリフォルニア州に駐在員事務所を開設
1968年
表示放電管の製造・販売を開始し、ディスプレイデバイス業界に進出
1968年
電気機器製造工場として福井県遠敷郡上中町にワカサ電機株式会社(現ニチコンワカサ株式会社)を設立。
1968年
関西支社を大阪市城東区関目町1-53に移転する
1968年
箕輪工場にPC抵抗器専門工場を設置する
1968年
千葉工場に超大型ドック(50万dwt)が完成
1968年
ミリオンカード・サービス(のちのUFJカード)を設立
1968年
東京都中央区銀座に本社事務所を移転。日本興業銀行の仲介で富士重工業と資本業務提携を行う。
1968年
三菱重工業(株)と業務提携(1969年5月解消)
1968年
三菱重工業株式会社が三菱京都病院本館を竣工
1968年
アメリカ合衆国に子会社NOK-USA.,Inc.(現:NOK inc.)を設立。
1968年
福島県福島市に福島工場(現:福島事業場)を建設。
1968年
新型軽自動車「キャリイバン」(2サイクル360cc)を発売。
1968年
青森県青森市に青森営業所(現青森支店)を開設
1968年
食品スーパーマーケットの本格的ボランタリーチェーンを目指し、富山県射水郡大島町(現・射水市)にて食料品卸売事業本部として北陸チューリップチェーン(株)を設立。
1968年
シドニーに駐在員事務所を開設(2001年閉鎖)
1968年
ドイツにShimadzu(Europa)GmbHを設立
1968年
油圧機器の量産工場として、東京ビッカース株式会社を設立。
1968年
フォトギャラリー「銀座ニコンサロン」開設 企業イメージの浸透と写真文化の向上に貢献することを目的に開設。第1回展示会は「木村伊兵衛の眼」。(1974年「大阪ニコンサロン」開設)
1968年
「光電式ロータリーエンコーダRIE型」発売
1968年
社名略称制定(略称:東京光学、商標:TOPCON)
1968年
事業部制導入(光機、カメラ、電機、レンズの4事業)
1968年
顕微鏡、測定機器、医療機器分野の米国現地販売法人オリンパス・コーポレーション・オブ・アメリカ設立
1968年
ソニーのトリニトロン方式のブラウン管用金属部品「アパチャーグリル」を開発
1968年
西独・デュッセルドルフに欧州初の駐在員事務所を開設
1968年
キヤノン事務機販売(現キヤノンマーケティングジャパン)設立
1968年
キヤノンアムステルダムN.V.(現キヤノンヨーロッパN.V.)設立
1968年
独自の電子写真方式「キヤノンNPシステム」を発表、普通紙複写機(PPC)分野に進出
1968年
キヤノン電子が4トラック4チャンネルステレオ磁気ヘッドの量産化に成功
1968年
株式会社フルヤ金属を設立(東京都三鷹市)
1968年
企画制作専門のクリエイティブ・デザインセンターを設置
1968年
金属容器の製造・印刷工場として、埼玉県に越谷工場を開設。
1968年
業容拡大にともない、本社を現在地(福山市曙町)に移転
1968年
大阪府大阪市に販売子会社株式会社小松を設立 1982年8月 小松ウオール販売株式会社に改組。1987年12月 営業譲受。
1968年
石川県小松市において小松ウオール工業株式会社を設立 スチール及びアルミ製間仕切の製造販売、設計施工を開始。
1968年
本社内の研究室(現研究所)を蕨工場内に移転。工場に直結した研究・開発体制をとる。
1968年
硬質ホーロー流し台が通産省グッドデザイン及び大阪デザインハウスの選定を受ける
1968年
株式会社ミロクパーツを設立(現 株式会社南国ミロク)
1968年
米国・ゼネラルエレクトリック社と代理店契約締結。
1968年
米国サームコ社との合弁会社テル・サームコ(株)をTBS会館内に設立
1968年
テル・サームコ(株)で拡散炉の国内生産を開始
1968年
ジュネーブ天文台コンクールで機械式時計の上位独占。
1968年
国産初のデスクトップコンピュータ発売。
1968年
香港に Hattori(H.K.)Ltd(現 Seiko Hong Kong Ltd.)設立。その後世界各地に現地法人を相次いで設立。
1968年
日本レミントン・ユニバック(株)が日本ユニバック(株)に社名変更
1968年
初の大型投資となるブルネイでのLNG開発事業へ投資決定。
1968年
ニューヨーク事務所(現・DAIICHI JITSUGYO (AMERICA), INC.)開設
1968年
キヤノン事務機販売、キヤノン事務機サービスを設立
1968年
HANWAAMERICANCORP.(現・連結子会社)設立
1968年
旭川楢崎石油(株)(1961年6月設立)、東京楢崎石油(株)(1962年8月設立)、札幌楢崎石油(株)(1962年11月設立)、室蘭楢崎石油(株)(1967年4月設立)の子会社4社を合併統合し、商号を楢崎石油商事株式会社として新発足(現ナラサキ石油株式会社)
1968年
資本金100万円で東京都千代田区外神田3-8-3に設立
1968年
合成樹脂部門を新設し、本格的に合成樹脂類の販売を開始
1968年
「株式会社尼崎すし半本店」を兵庫県尼崎市に設立(実質上の存続会社の設立)
1968年
第1号店である尼崎本店を兵庫県尼崎市に開店
1968年
(株)岡田屋とフタギ(株)が合併を前提に業務提携
1968年
(株)岡田屋とフタギ(株)の提携に(株)シロも参画
1968年
旧嵐山店を開店し、本格的なチェーン展開に着手
1968年
株式会社三井銀行、株式会社東都銀行を合併
1968年
株式会社日本相互銀行、普通銀行に転換し株式会社太陽銀行に商号変更
1968年
公社債の引受および流通の円滑化を目的に公社債流通金融を開始
1968年
総合証券会社として大蔵省より免許を受ける
1968年
改正証券取引法に基づく総合証券会社の免許を受ける
1968年
日本初の超高層ビルである、霞が関ビルディング竣工。
1968年
(株)岡田屋とフタギ(株)が合併を前提に業務提携
1968年
(株)岡田屋とフタギ(株)の提携に(株)シロも参画
1968年
当社初の賃貸マンション「竹の塚ステーションビル」が完成
1968年
品川~泉岳寺間開通により、都心乗入開始
1968年
三者(京成、都営地下鉄、京浜急行)相互直通乗り入れ開始
1968年
大阪線、山田線、名古屋線ATS使用開始
1968年
土地・住宅開発業務を近鉄不動産㈱等に委託
1968年
武蔵野ディーゼル工業株式会社(現 日本運輸株式会社)を子会社として設立。
1968年
北米西岸コンテナ(PSW)航路開設(日本初のフルコンテナ船「箱根丸」就航)
1968年
大阪商船三井船舶、ジャパンライン、山下新日本汽船は、日本/カリフォルニア航路に、フル・コンテナ船「あめりか丸」、「ジャパンエース」、「加州丸」をそれぞれ就航。
1968年
宮城県塩釜市において仙台湾ポートサービス(株)の設立に参加(昭和52年7月に同業社と経営統合、現在の宮城マリンサービス(株))
1968年
羽田、伊丹両空港にグランドホステス誕生
1968年
海上コンテナの取扱いと国内におけるコンテナ・ターミナルの運営を開始
1968年
神戸および東京でコンテナターミナル業務を開始。
1968年
以降主要各港でコンテナターミナル業務を本格化。
1968年
イヌイ運送株式会社(現 連結子会社)を設立
1968年
「日本の詩集」(全12巻)を発刊。この年、詩集ブームが起こる。
1968年
姫路第二発電所4号機運転開始(45万kW、全機計135万kW)、超臨界圧初の2段再熱方式
1968年
福井市に株式会社福井共同電子計算センターを設立。
1968年
株式会社コンピューターエンジニアーズ(資本金100万円)として東京都港区高輪に設立し、ソフトウェア開発事業を開始
1968年
大阪府大阪市東区大川町(現 大阪府大阪市中央区北浜)にコンピューターサービス株式会社を設立
1968年
民間計算センターとして初めて地方自治体向け住民記録システムを開発。
1968年
株式会社トウジョウ・ウェザー・サービス・センター(東京都千代田区二番町)設立 資本金150万円、気象予報業務を登録 ※わが国初の民間気象予報会社 (1979年まで民間テレビ放送会社の「ヤン坊マー坊天気予報」の予報解説を担当)
1968年
牛めし・焼肉定食店「松屋」(江古田店)開業。
1968年
埼玉県上尾市に印鑑の訪問販売、友華堂として創業