1970年
峰島丸、ベーリング海母船式底曳網漁業に初出漁、敷島丸・玉栄丸とあわせてすりみ船団が3船団となる
1970年
フィッシュソーセージ・ハムの原料にスケソウダラすりみを使用開始
1970年
大和丸(世界最大の5,000トン型船尾式トロール船)竣工
1970年
新潟県新潟市に新潟営業所(現、ホクト産業(株)新潟支店)を設置
1970年
大島炭鉱を閉山し池島炭鉱に集中:1社1山体制となる
1970年
石油開発公団から分離し、民間会社として再出発
1970年
日本万国博覧会開催、お祭り広場等主要施設を手がける
1970年
太平不動産株式会社を設立(現・連結子会社)
1970年
神工業株式会社を吸収合併し、北海道の基盤を築く。
1970年
オランダの総合建設会社バラスト・ネーダムグループと合弁会社五洋バラスト株式会社を設立。
1970年
深掘浚渫・沈埋トンネル分野の技術提携。
1970年
浜田産業株式会社(現:住友林業クレスト株式会社<連結子会社>)の発行済株式総数の過半数を取得。
1970年
インドネシアにおいて森林開発を目的とする合弁事業開始(現 PT. Kutai Timber Indonesia<連結子会社>、昭和49年12月に建材製造工場操業開始)。
1970年
「ダイワハウスCシリーズ」開発。「ダイワハウスニュー春日」「ダイワハウスニュー飛鳥」を発売し、プレハブ住宅部門が大きく躍進
1970年
住宅設計、積算、工場発注システムなどにコンピュータを本格導入
1970年
茨城県猿島郡総和町(現 古河市)に関東工場を設置、操業を開始
1970年
信越支社(現、長野支社)設置、土木工事の営業開始
1970年
東京支社(現配電本部)設置、空調管工事(現、環境設備工事)の営業開始
1970年
第19回技能五輪国際大会電工職種、工藤義美優勝
1970年
日本万国博覧会では大阪・千里丘陵で77カ国が参加して盛大に行われ、当社は会場内の電気設備の70%を施工
1970年
地番変更により本店所在地を「東京都千代田区大手町2丁目2番1号」と変更
1970年
加島第二工場竣工、技術研究所を十三工場から加島工場に移転
1970年
中米5ヵ国マイクロ工事(多国間同時施工)開始
1970年
年アメリカJOY社と軸流送風機の技術提携
1970年
上州ラーメンの屋号にてチェーン展開を開始最盛期6店舗
1970年
展示会、ディスプレイ、イベント及び商業施設の企画、制作及び施工を目的とし、資本金500千円で東京都葛飾区に「株式会社博展」を設立。
1970年
EDP(電子データ処理システム)事業部を開設
1970年
大阪万博に参加、空中ビュッフェを運営。
1970年
Thai Glico Co., Ltd. を設立
1970年
大阪第二工場竣工稼働(当時(株)山崎製パン大阪工場の大阪第二工場)
1970年
米国ナビスコ社及び日綿実業(株)(現双日(株))と合弁会社ヤマザキ・ナビスコ(株)設立
1970年
Calbee America Inc.(米国カリフォルニア州)を設立
1970年
クラフト社(現クラフトフーズ・グループ社、モンデリーズ・インターナショナル社)と提携
1970年
有限会社スタミナ食品より、スタミナ食品株式会社に組織変更
1970年
株式会社テレビテクニカを設立 ポスト・プロダクション業界に参入
1970年
株式会社ビデオ・グラフを設立 物販事業を開始
1970年
メルシャン、「シャトー・メルシャン」発売
1970年
滋賀県大津市に中央研究所設置(2002年4月タカラバイオ株式会社へ承継、その後同社新社屋(草津市)へ本社機能を移転)。
1970年
高崎出張所を開設。1984年2月高崎出張所を廃止して関東信越支店を開設
1970年
沖縄県那覇市に株式会社サンエーを設立(資本金50千ドル)
1970年
総合衣料セルフサービス店「那覇店」を開店
1970年
米国センソマチック社(現タイコ・エレクトロニクス社)の商品監視システムを販売開始
1970年
米国ジョナサン社のスライドレールを販売開始
1970年
自社で開発製造した、日本初の漢字情報システム(TK4100)、ミニコンピュータ(TK70)、POSシステム(TK300)を発表
1970年
株式会社中部イー・ディー・ピー・センター(現・株式会社サーラビジネスソリューションズ)設立
1970年
太平洋貿易株式会社(現JFCジャパン(株))に資本参加
1970年
「味の素KKのほんだし®」(かつお風味)発売
1970年
合弁会社サンハウス食品(株)設立。レトルト食品発売。
1970年
合弁会社ハウス配送(株)(現ハウス物流サービス(株))設立。
1970年
大阪万国博に蒸気機関車クラス17号を協賛出展
1970年
米国カリフォルニア州ガーデナ市にニッシンフーズ(U.S.A.)Co.,Inc.を設立。
1970年
1972年本社を東京都港区新橋桜ビル(現 永谷園ビル)に移転
1970年
エンジニアリング事業部(現「エンジニアリング部)発足
1970年
「市川工業」(後の「クラボウ東京化成」)関係会社となる(~2002)
1970年
東京都府中市にファミリーレストランすかいらーく1号店(国立店)出店
1970年
静岡県大井川町に静岡工場を新設し、鉄骨加工の生産能力を増強その後、鉄骨加工で得た技術を生かして鉄骨請負工事、橋梁請負工事を展開する
1970年
機械製作所を設置(1978年(株)ニッケ機械製作所として独立、現・連結子会社)
1970年
東京都立川市に立川分室(現東京都八王子市、西東京営業所)開設。
1970年
愛媛工場(現 松山事業所南地区)を開業、「テトロン」長繊維の操業を開始
1970年
ポリオレフィンフォーム トーレペフ®の本格生産開始(滋賀)
1970年
高級スエード調人工皮革 エクセーヌ®の販売開始
1970年
電算・設計計算部門を独立、株式会社システムエンジニアリング設立(現:川田テクノシステム株式会社)
1970年
鐘淵紡績 (株)練馬工場のフエルト事業部門を買収。
1970年
セーレン電子(株)設立(現・連結子会社)
1970年
東京都千代田区有楽町に調査・分析業務及び委託調査・コンサルティング業務、情報処理サービス等を事業目的とし資本金5億円で(株)三菱総合研究所を設立。
1970年
(株)技術経済情報センター(現 エム・アール・アイビジネス(株))を設立し、情報処理サービス及び印刷に関する業務を開始。
1970年
長野県長野市県町 電算ビルに本社を移転
1970年
新潟県新潟市万代3丁目に新潟営業所を開設
1970年
新潟工場に大型上質紙抄紙機(5号機)を新設
1970年
聯合運送(株)他2社の子会社3社が合併し、(株)レンゴーサービスに社名変更(2004年4月 レンゴーロジスティクス(株)に社名変更)
1970年
クレハ・コーポレーション・オブ・アメリカ(アメリカ)(現・クレハ・アメリカInc.)設立(現・連結子会社)呉羽油化株式会社を合併
1970年
ポリプロピレン(PP)製造開始(2001年 株式会社プライムポリマーに営業譲渡)
1970年
横須賀市に追浜工場(1978年生産休止)を設置。
1970年
姫路工場(現姫路製造所)でアクリル酸及びアクリル酸エステルの製造を開始。
1970年
押出発泡スチレンボード「カネライトフォーム」を開発、大阪工場で生産開始
1970年
ダイセル・ヒュルス株式会社(現 ポリプラ・エボニック株式会社)を設立
1970年
堺工場開設(~2007年)、可塑剤の製造開始
1970年
『東京国際グッドリビングショー』にユニット住宅「セキスイハイム」を出品
1970年
B.F.グッドリッチ・ケミカル社が当社保有株をすべて日本側に譲渡。
1970年
食品技術研究所(現食品開発研究所)設置。
1970年
タジマ食品工業株式会社(連結子会社)へ資本参加。
1970年
インドネシアに医薬品の製造・販売会社を設立
1970年
マレーシア、フィリピンに医薬品販売会社を設立
1970年
薬粧部門(現 持田ヘルスケア(株))を設置
1970年
臨床検査センター株式会社東京スペシアルレファレンスラボラトリー(現・株式会社エスアールエル)を設立(現・連結子会社)
1970年
日本初の紫外線硬化型インキ「ダイキュア」を開発
1970年
アメリカに DICアメリカ、香港にDIC香港を設立
1970年
千葉県から埋立地(レジャー施設用地及び住宅用地)の分譲が開始。
1970年
第2次UHF開局によりFNS27局体制が確立し全国ネットワークが完成。
1970年
アメリカのオーシャンルーツ社の日本法人、オーシャンルーツ日本社が設立(創業年)。
1970年
ラミネートチューブ入の『ホワイト&ホワイトライオン』ハミガキを発売
1970年
チャールズブロンソンをブランドキャラクターとするマンダムラインを発売
1970年
自動車用ウインドシールドシーラントの販売開始
1970年
幅3.2メートルのスチールコードコンベヤベルトが製造できるドイツ製装置を平塚製造所に導入
1970年
第1回「ブリヂストンゴルフトーナメント」(現 ブリヂストンオープンゴルフトーナメント)を開催
1970年
大阪バンドーベルト販売株式会社(現社名:西日本バンドー株式会社)を設立
1970年
日本安全硝子株式会社を吸収合併し、京都工場(現・京都事業所)及び川崎工場の操業開始
1970年
岐阜製砥との共同出資により、東濃研磨(株)設立(研削砥石製造)
1970年
ホーロー浴槽の生産開始(小倉第二工場)
1970年
日本万国博覧会に日本陶器と共同で「風のモビール」を出展
1970年
福岡県北九州市に工場用地(約15万4,000平方メートル)取得。
1970年
千葉県市川市に、冷間圧延鋼板・ホーロー製品製造工場の建設に着手。
1970年
呉工場に連続式亜鉛めっき設備一基を増設、また連続式塗装設備一基を新設。
1970年
川崎製造所60tアーク炉(9号炉)稼働
1970年
川崎製造所 連続鋳造機(CCM2号機:5フィート幅)稼働
1970年
継目無鋼管製造設備(アッセル・ミル)完成
1970年
大平洋ニッケル株式会社を吸収合併し、大平洋金属株式会社に社名変更
1970年
フェロニッケルのトップメーカーとしての基盤を確立
1970年
徳島工場に港湾設備を備えた合金鉄工場完成(フェロアロイを製造)。
1970年
電工興産株式会社を設立(現、連結子会社)。
1970年
幸田合金鋳造所(現・日軽エムシーアルミ(株)幸田工場)の操業を開始
1970年
大阪アルミニウム(株)滋賀工場(現・日軽パネルシステム(株)滋賀工場)の操業を開始
1970年
大阪万博で活躍 動く歩道(スチールコード)、電力ケーブル、交通ゲーム制御システム
1970年
[印刷機器事業] 株式会社晃文堂(のちリョービイマジクス株式会社)がリョービグループに加わる(2012年4月 吸収合併)
1970年
本社が東京都板橋区と兵庫県姫路市の日本文化シヤッター(株)が合併し、文化シヤッター(株)(本社:東京都板橋区)に社名変更
1970年
山内洋行(現アール・ティ・エンジニアリング)へ出資
1970年
CPCヒューム管用異形PC鋼棒を開発し販売を開始
1970年
川崎工場を移転拡張し、土浦工場(鋼索鋼線、道路安全施設等製造)を設置
1970年
東京製綱スチールコード株式会社(スチールコード製造)設立
1970年
社内懸賞論文制度制定(後に「経営への提言」へ名称変更) 経営に言いたいことは、文句ではなく「提言」に書く。一人ひとりを経営者として認識し、「自分がリクルートの経営者ならどうするか」を考える機会を提供することで個人の成長を促す目的で開始。
1970年
社名をアイダエンジニアリング株式会社に変更
1970年
米国現地法人フジ アメリカ コーポレイション設立(現連結子会社)
1970年
DAS・DAD型スライシングマシーンを開発。販売を開始
1970年
FBR10/15型(立席型)リーチタイプ電動フォークリフトを発売。
1970年
全自動シームレス手袋編機(SFG)を開発、製造販売を開始。
1970年
新開発チェーンによるフリーフロー方式コンベヤの製造を開始
1970年
日本初アルミ製エアシリンダ(CM/CA) 開発
1970年
(旧)日立建機株式会社と日立建設機械製造株式会社を合併し、開発・生産と販売、サービスを一貫して行う日立建機株式会社を設立
1970年
産業排水、地方自治体の下水などの環境保全関連への取り組みを開始
1970年
(株)長谷川歯車と米国法人ユーエスエムコーポレーション(USM社)との合弁契約に基づき、東京都大田区南六郷3丁目24番13号に、「株式会社ハーモニック・ドライブ・システムズ」を設立(USM社は1970年12月に資本参加。資本金2億円。出資比率は両社各50%)。(株)長谷川歯車からUSM社との技術提携契約によるハーモニックドライブ機構の営業権を譲受。
1970年
松本工場(現長野県安曇野市豊科)においてハーモニックドライブ減速機の製造を開始。
1970年
三井物産(株)と非独占的代理店契約締結。
1970年
JUKI(株)とAPW(ポケット口自動縫製機)の製造販売で技術提携を行い、アパレル機器分野に進出(2006年3月技術提携解消)
1970年
LCで科学技術庁長官より「発明賞」を受ける
1970年
海外代理店と契約を行い、本格的輸出を開始
1970年
米国在中員事務所、東京営業所を設置し、営業・サービス体制の充実を図る。また、海外メーカーと技術提供を行い、開発強化を図る
1970年
レーブン社(西ドイツ)と電磁振動ふるい機について技術提携
1970年
鋳鉄の金型鋳造法に関してソ連と技術提携
1970年
インドネシア、ジャカルタ市に合弁会社PT.SAKAI SAKTIを設立、ロードローラの組立、修理を開始。
1970年
エアマンアンローダ( 無負荷動力軽減装置)、 エアマンプロフィル( 特殊円弧スクリュ歯形) 開発。国産最大ポータブルスクリュコンプレッサ( エアマンジャンボ) 発売。
1970年
米国リーズ・アンド・ノースラップ社(現Measurement & Control Systems社)からDEB制御(発電用大容量ボイラの自動制御)システムに関する技術を導入。
1970年
米国サンドストランド社からサンダインポンプに関する技術を導入。
1970年
尼崎工場の製缶工場に80トンクレーン、その他大型機械、自動設備等を増設。
1970年
滋賀県日野町に工場用地を取得。インダストリアルパークを構想し、翌1971年に造成工事に着手。
1970年
国内初のラフテレーンクレーンTR-150 を発売
1970年
国内初のラフテレーンクレーンTR-150を発売
1970年
中国・山陰地区の販売拠点として広島市に広島支店を開設。
1970年
東北地区の販売拠点として仙台市に仙台支店を開設。
1970年
「東海アマノ株式会社」を設立。(細江工場を分離独立、生産委託)公害事業部発足
1970年
香港に現地法人JUKI(HONGKONG)LTD.(現連結子会社)を設立
1970年
ミッチェル社(米国)とカーエアコン用コンプレッサーの技術提携
1970年
昭和塗装株式会社を子会社化し、グローリー機器株式会社(現 グローリープロダクツ株式会社)に商号変更。
1970年
山形県寒河江市にテーピ工業㈱ (現 TPR工業㈱)設立。シリンダライナを製造。
1970年
島根県大原郡木次町(現 雲南市木次町)に島根工場(調理機器工場)を開設。
1970年
神奈川県厚木市に厚木事業所を新設。アルミ押出用金型の一貫ラインを設備し、受託業務を開始。
1970年
NSKド・ブラジル・ベアリング社(現・NSKブラジル社)設立
1970年
半導体製造部門が独立し、光洋リンドバーグセミコン株式会社設立
1970年
工作機械、油圧機器部門発足(機器部門を分割)。
1970年
長坂工場にステンレス鋼製バルブの鋳造工場及び工作工場が完成、操業を開始。
1970年
FF式ガス温風暖房機<クリーンヒーター>、全熱交換形空調換気扇<ロスナイ>発売
1970年
関西電力美浜発電所向けのわが国最大56万kVAタービン発電機完成
1970年
「米国富士電機社」設立 (現 「富士電機アメリカ社」) 北米、中南米で電気機械設備及び半導体デバイス、駆動制御機器、器具の販売。
1970年
東京・名古屋・大阪証券取引所市場第一部に指定(2003年2月 大阪証券取引所の上場を廃止)
1970年
マキタU.S.A.Inc.(米国)設立(初の海外現地法人)岡崎工場(愛知県岡崎市)新設
1970年
電子料金はかり「ハイ・メトロン」生産開始
1970年
溶接機第二の生産拠点として鳥取ダイヘン(株)設立(現・ダイヘン産業機器(株))
1970年
欧州地域への機器製品の販売を目的として、英国のグラスゴーに英国における電気機械器具の販売会社であるAutomatEngineeringGlasgowLtdと合弁会社TerasakiCircuitBreakerCo.,(UK)LTD.を設立
1970年
本社を愛知県瀬戸市より現在地の愛知県長久手市に移転
1970年
販売会社として日東販売株式会社が営業を開始
1970年
プリント配線板事業拡大を目的として京都市右京区梅津にシライ電子工業株式会社を設立。
1970年
「SAM-D」 磁石事業の先駆けとなった、希土類ボンド磁石
1970年
専売特約店の三和アルバック販売株式会社(商号変更 アルバック東日本株式会社)を設立。
1970年
シャープ精機株式会社が発足(1994年、シャープマニファクチャリングシステム株式会社に社名変更)
1970年
ガリウム砒素ダブル発光ダイオードを発売
1970年
オーストラリア向け公衆電話機の輸出開始
1970年
「野辺地ゼネラル株式会社」でエアコン用モータの生産を開始
1970年
消防救急指令装置(クロスバー方式)の開発に着手
1970年
日本初のSCR偏向方式20形ICオールトランジスタカラーテレビ 20-CTRを発売
1970年
テレビ用ハイブリッドIC開発の生産を開始
1970年
日本企業初、ニューヨーク証券取引所に上場
1970年
磁気ディスク用ガラスボンディングヘッド発売
1970年
宮城県古川市(現大崎市)に中央研究所を開設(1991年8月 宮城県仙台市に移転、現仙台開発センター)
1970年
新潟県新潟市にホーク電子(株)を設立(2005年新潟エヌ・デー・ケー(株)に社名変更。2021年事業終了)
1970年
音楽用カセットテープ「UD」シリーズ商品化
1970年
小宮電気株式会社(現・連結子会社 九州リオン株式会社)を買収し、子会社化
1970年
世界初のデジタル騒音計(NA-10)を発売
1970年
当社関係会社として千葉県夷隅郡大原町にアズマ電子工業㈱を設立(2002年3月 解散)
1970年
当社関係会社として秋田県本荘市(現 由利本荘市)に㈱秋田新電元を設立
1970年
株式額面を50円に変更するために、株式会社堀場製作所(旧日本藺製品株式会社)と合併。
1970年
シンクロスコープ、ファクシミリ、産業半導体、真空試験装置のメンテナンスを目的として、東京都目黒区上目黒五丁目27番16号にトーワ電気株式会社を設立
1970年
東京営業所開設('71年2月支店に変更)
1970年
株式会社スタンレー宮城製作所を設立(現・連結子会社)
1970年
株式会社スタンレー鶴岡製作所を設立(現・連結子会社)
1970年
株式会社スタンレー伊那製作所を設立(現・連結子会社)
1970年
東京証券取引所市場第2部上場 資本金 400,000千円姫路市に播磨事業所を新設
1970年
スーパースコープ JEM-50A (小型で低価格な汎用透過電子顕微鏡)、1000台出荷達成
1970年
ニューヨーク州に現地販売会社Casio,Inc.(現・CasioAmerica,Inc.、現・連結子会社)を設立
1970年
長生郡睦沢村に睦沢工場を設置、プレス金型用部品部門を移転
1970年
モールドベース組立セット品を規格・標準化し販売を開始
1970年
タンタル固体電解コンデンサ量産工場として米国SPRAGUE ELECTRIC COMPANYとの共同出資により滋賀県高島郡(現高島市)安曇川町にニチコンスプラーグ株式会社(後にニチコンタンタル株式会社)を設立。
1970年
米国シカゴに販売会社 NICHICON (AMERICA) CORP.を設立。
1970年
亀岡工場(現ニチコン亀岡株式会社)にハイブリッドICの量産工場を増設。
1970年
海外販売拠点として、現地法人UNITED CHEMI-CON, INC.(米国)を設立。
1970年
長野県飯田市千代に千代興亜電工株式会社を設立し、抵抗器の製造を開始する
1970年
長野県伊那市大字伊那3672に伊那営業所を設置する
1970年
三菱レイノルズアルミニウムは、三菱アルミニウムと改称
1970年
三菱自動車工業を設立(三菱重工業の自動車部門を分離・独立)
1970年
大利根工場(茨城県総和町・現大利根製作所)新設、橋梁鉄骨の製作を開始
1970年
マリーン事業(プレジャーボート)に進出。
1970年
日産自動車(株)と業務提携(1971年7月解消)
1970年
TR型4t積みトラック「フォワード」発表
1970年
KS型3 3.5t積みトラック「エルフ350」発表
1970年
トヨタ自動車労働組合がトヨタ自動車工業労働組合、トヨタ自動車販売労働組合に分離
1970年
米国トヨタ、初のトヨタ専用埠頭をサンフランシスコのベンシア港に完成
1970年
CMC社と台湾における国産化援助契約を締結
1970年
熊本県阿蘇市に熊本工場(現:熊本事業場)を建設。
1970年
株式を東京・名古屋証券取引所市場第一部に上場
1970年
総合的な品質保証を目指して、部品メーカーとしては先駆けとなる、走行テストが可能な専用テストコースを持つ「藤岡試験場」を設立。 自動車部品の輸出拡大と、国際企業としての躍進に備え、ロサンゼルスに初の海外現地法人「アイシンU.S.A」を設立。
1970年
新型軽四輪駆動車「ジムニー」(2サイクル360cc)を発売。
1970年
4ストロークエンジンを搭載したモーターサイクルの第1号機「XS1」を発売
1970年
新潟県長岡市に日精サービス(株)を設立。(現・連結子会社)
1970年
現在地に本社・本社工場を移転。新潟県小千谷市に真人工場を新設。
1970年
伊藤忠商事株式会社が、保有株式を日本航空株式会社、全日本空輸株式会社に譲渡し、3社の資本参加となる。
1970年
全日本空輸株式会社からボーイング727-200用8機分、737用3機分のギャレーおよびインサートを受注。
1970年
伯東化学株式会社が四日市工場及び四日市研究所を設置。
1970年
東京地区の事業拡大に伴い、東京営業所(現東京支店)を開設。
1970年
技術部を独立し、大都電子工業(株)(1988年ダイトロンテクノロジー(株)へ商号変更)を設立。
1970年
電子オルガンのOEM生産、輸出を本格化
1970年
米国ハモンド社との合弁でハモンド・インターナショナル・ジャパンを設立
1970年
油圧パワーユニットの組立専門工場として、東京計器メカニックス株式会社(現 東京計器パワーシステム株式会社)を設立。
1970年
Topcon Europe N.V.(現Topcon Europe B.V.)をオランダ、ロッテルダムに設立
1970年
検眼ユニット OU-100A ビジョンテスターVT-SD、レフラクトメータRM-1B、レンズメータ LM-3により検眼から眼鏡レンズ調整まで当社機器で可能に(1974年第4回機械工業デザイン賞 通商産業大臣賞/日刊工業新聞社賞受賞)
1970年
Topcon Instrument Corporation of America(現、Topcon Medical Systems Inc.)をアメリカ、ニューヨーク(現、ニュージャージー州)に設立
1970年
生化学自動分析装置「ACA-III」を開発、分析機市場に参入
1970年
製造部門拡充のため、奈良工場の操業を開始
1970年
日本以外で初の生産拠点、台湾キヤノン設立
1970年
国産初の普通紙複写機「NP-1100」発売
1970年
国産初の半導体焼付装置「PPC-1」を発売
1970年
会津工場(福島県会津若松市)を開設(後に東北リズム株式会社に統合)
1970年
香港にTOMY(HongKong)Ltd.を設立。同 上ダイキャストミニカー「トミカ」を発売。
1970年
コンピュータ組版をわが国で初めて実用化
1970年
日本万国博覧会でサウジアラビア館などパビリオン9件の企画設計を担当
1970年
西ドイツ・デュッセルドルフにDNPヨーロッパを設立
1970年
山口県新南陽市(現:周南市)に南陽工場建設
1970年
九州タカラ工業株式会社を設立(全額出資)、企業組合平和ブロック工業の全業務を引き継ぐ
1970年
FN HERSTAL社(ベルギー)と技術提携
1970年
日本工業ファスナー(株)から(株)ニフコへ商号変更。
1970年
スイス・チバガイギー社と共同出資により長瀬チバ株式会社(現・ナガセケムテックス株式会社・連結子会社)を設立。
1970年
東京・大阪両証券取引所市場第一部銘柄に指定。
1970年
横浜にテル・サームコ(株)社屋を移転し、拡散炉完全国産化へ
1970年
大阪万博で世界初の無線式電波時計を設置。
1970年
アメリカに Seiko Time Corporation(現Grand Seiko Corporation of America および Seiko Watch of America)設立。
1970年
工場精工舎を分離し、株式会社精工舎設立。
1970年
世界初のC-MOS IC搭載クオーツウオッチを開発。
1970年
子会社 第一機械サービス株式会社(現・株式会社第一メカテック)設立
1970年
国産初の普通紙複写機「NP-1100」を発売
1970年
仙台市に仙台営業所を開設(現、仙台支店)
1970年
家庭用電器品の営業権を各地域販売会社へ譲渡開始(’71年終了)
1970年
子会社として「日本システム工業株式会社」を設立し、電子機器の製造およびソフトウェア開発を開始。
1970年
設備事業部を設置し、ビルの空調設備、セントラルヒーティングの施工業務を開始
1970年
本部制を採用し、染料・化学品・合成樹脂・機械の各本部を設置する
1970年
Gunze(Dusseldorf)GmbHをドイツに設立(現GSIEurope-Import+ExportGmbH、現・連結子会社)
1970年
GunzeTradingHongkongLtd.を香港に設立(現GSITradingHongKongLtd.,現・連結子会社)
1970年
宇島酸水素株式会社(現、連結子会社伊藤忠工業ガス株式会社)の株式取得
1970年
立石電機株式会社(現、オムロン株式会社)と特約店契約を締結。
1970年
子会社山田空調株式会社(現、サンワトリニティ株式会社)を設立。
1970年
厚生コマーシャル株式会社(保険代理業、厚生施設管理)を設立
1970年
恒栄フード・サービス株式会社に商号を変更
1970年
大阪万国博覧会のアメリカゾーンに外国店扱いで出店
1970年
浜勝商事株式会社(法律上の存続会社)設立(資本金130万円)なお、実質上の存続会社、株式会社「浜かつ」は1964年3月に設立(資本金100万円、1973年4月(株)浜勝に商号変更)され、1979年3月1日に浜勝商事株式会社に吸収合併
1970年
㈱東松山ショッピングセンターを設立し、同センター内に東松山店と本社機能を移設。
1970年
オリジナル金仏壇「明日香」の販売を開始
1970年
東京都中央区に(株)勁草書房(現・連結子会社)を設立。
1970年
石川県金沢市に(株)金沢ニューグランドホテル(現・連結子会社)を設立。
1970年
第1次合併。(株)岡田屋がフタギ(株)、(株)オカダヤチェーン、(株)カワムラ、ジャスコ(株)を合併。翌4月ジャスコ(株)に社名変更
1970年
日本初の現金自動販売機(貸付機)を開発し、梅田店(大阪市北区)に設置
1970年
札幌、仙台ではじめてクレジットカードを発行。
1970年
アジア開発銀行債券が初の円建外債として発行され、引受幹事となる
1970年
アジアにおける生命保険への支援を拡大し、(財)アジア生命保険振興会(現・(公財)国際保険振興会)(FALIA)を設立。
1970年
国際航業株式会社より東京・大阪両国際空港の土地、建物および営業を譲受
1970年
東京・大阪両国際空港にてビル賃貸、地域冷暖房・給排水事業を開始
1970年
第1次合併。(株)岡田屋がフタギ(株)、(株)オカダヤチェーン、(株)カワムラ、ジャスコ(株)を合併。翌4月ジャスコ(株)に社名変更
1970年
京王ハウジング(株)(現京王不動産(株))を設立
1970年
富士山ハイウェイ(現在の南富士エバーグリーンライン)開業
1970年
上本町、京都、奈良、名古屋から賢島へ特急列車の直通運転開始
1970年
近畿日本ツーリスト㈱が航空貨物事業を近鉄航空貨物㈱(現:㈱近鉄エクスプレス)に譲渡
1970年
万国博ロープウェイ営業開始(~9.13)
1970年
難波~名古屋間、難波~賢島間直通特急運転開始
1970年
(難波~名古屋間2時間16分、難波~賢島間2時間32分)
1970年
京阪ショッピングモール(現京阪モール)開業
1970年
社名を「日本梱包運輸倉庫株式会社」に変更。ワンサイドタイプの四輪車積載車両を開発。
1970年
日本初の「自動車専用船」Kラインは 1970年、日本で初めての自動車専用船 第十とよた丸 を建造
1970年
日本万国博(大阪)を運ぶ 指定運送・通関業者として各国から集められた展示品、販売品を輸送、搬入、据え付け、撤収までを請け負う。現在もシンボルとして残る「太陽の塔」の顔部分の輸送も担当。
1970年
証券取引所(東京、大阪、名古屋)市場第一部に指定。
1970年
ボーイング747型航空機(ジャンボジェット)就航。
1970年
米国カリフォルニア州に倉庫会社設立(こののち、1972年3月ニュージャージー州に倉庫会社、1981年6月ニューヨーク州に運送取扱会社設立、両社は1998年10月合併)
1970年
北九州市小倉区(現 小倉北区)下到津に本社新工場が完成
1970年
当社初の原子力発電所である美浜発電所1号機運転開始(
1970年
わが国初の純揚水発電所である喜撰山発電所1号機、2号機の運転開始
1970年
北海道電設工事株式会社を設立(1992年4月株式会社テクセルに商号変更。)
1970年
千里中央地区で日本初の地域冷暖房事業開始
1970年
日本歌劇団がOSK日本歌劇団に改称 株式会社中央音楽出版(後の松竹音楽出版株式会社)設立
1970年
東映ビデオ(株)を設立、ビデオ事業に進出。事業目的にホテル業を追加。
1970年
西武流通グループ(当時)の情報処理機能の統合と新しい情報サービス業の創造を目的として、東京都豊島区南池袋に資本金5千万円をもって株式会社西武情報センターを設立。情報処理サービス事業、ソフトウェア開発事業を開始。
1970年
全額出資の子会社、株式会社東京サマーランドを設立1970年9月
1970年
株式会社両毛電子計算センター設立(群馬県桐生市広沢町一丁目2789番地の1)
1970年
製造業、都市ガス、地方自治体、流通分野に参入
1970年
株)インフォメイション・サービス・ビューローを資本金200万円で創立 同時にファシリティ・マネジメント(コンピュータの運用管理)事業開始
1970年
ソフトウェア開発および受託事業の営業を開始
1970年
大阪府吹田市で日本万国博覧会(大阪万博)が開催。建設現場警備から2年1ヵ月に渡り無事故で警備を行い、重責を果たす。
1970年
オンライン安全システムの機器の設置工事を行う日警電設(株)(現・テクノ事業本部)を設立する。
1970年
東京・晴海に本格的な中央管制センターを開設。併せて全国18ヵ所に管制センターを新増設、「SPアラーム」拡大体制を整備する。
1970年
会社設立 株式会社富士ソフトウエア研究所(神奈川県横浜市)資本金:300万円
1970年
コスモスクラブを設立 経営者のための経営戦略研究会として会員制組織コスモスクラブを設立。
1970年
テナントの家庭用品販売業「有限会社まるぶん」吸収合併
1970年
個人経営から株式会社組織に改組。利器工匠具を中心とした金物類の卸売を目的として株式会社坂本産業(本社所在地 新潟県三条市大字一ノ木戸117番地)を設立。
1970年
事業の合理化のため、英和精器(株)が英和精工(株)を吸収合併。
1970年
カンピー食品工業㈱の営業資産を譲り受け、上郡工場を設置