陸運元会社を設立 江戸定飛脚問屋・和泉屋の支配人の佐々木荘助が中心となり、運輸会社として陸運元会社設立。他の飛脚問屋もこれに合流し、今日に至る企業体として創業。
内国通運会社に改称 陸運元会社は政府の保護を受け、飛脚時代の輸送網を再編。社名を内国通運会社と改める。
国際通運株式会社として発足 内国通運が国際運送と明治運送、国際通運(旧合同運送)を吸収合併し、社名を国際通運株式会社として発足。
日本通運株式会社を創設 10月1日に「日本通運株式会社法」に基づく半官半民の国策会社として、民間企業・国際通運の業務を引き継ぐ形で発足。2017年に創立80周年を迎え、今日に至る。
日通株を上場、純然たる民間会社として再出発 通運事業法が施行され、国策会社から一民間企業としてのスタートを切る。
日通式コンテナ試験輸送を実施。 美術品輸送業務の開始 日通式コンテナは小型の折り畳み式であり、さまざまな現場で使用された。サンフランシスコのデ・ヤング美術館で開催された日本古美術展の輸送から本格的な美術品輸送がスタートした。
ニューヨーク 初代駐在員を派遣 アメリカのREA社と提携の2年後、同社のデスクを借りてスタート。航空・海運貨物、海外引越、旅行などのアメリカ側代理店の品質チェックを行っていた。
米国日通を設立 当社初の海外現地法人。NY初代駐在員が副社長として現地で奮闘する。
東京オリンピックを運ぶ オリンピック大会公認運送人として指定。競技用具、手荷物、開会式で放す鳩の輸送のほか、マラソンや自転車の練習コースづくりやケガをした競技用馬輸送のためのコンテナ作製などあらゆる要請に応えた。
日本万国博(大阪)を運ぶ 指定運送・通関業者として各国から集められた展示品、販売品を輸送、搬入、据え付け、撤収までを請け負う。現在もシンボルとして残る「太陽の塔」の顔部分の輸送も担当。
「モナ・リザ」を運ぶ 当時、アメリカに渡った以外は門外不出であった名画を上野・東京国立博物館へ輸送。
東京都庁の移転作業を実施 荷物量は2トン車にして延べ3500台分、6500人の人員が投入されて移転を実施。マスコミでも話題となった。
阪神淡路大震災で指定公共機関として救援物資などを輸送 トラック延べ3200台、貨物船延べ225隻を投入し、救援物資を輸送した。物流は水道やガスと同様にライフラインであることが改めて認識される。
「物流博物館」を開館 当社本社ビル内にあった「物流史料館(旧・通運史料室)」をベースに、東京都港区に新たに博物館として誕生。物流全般について紹介し、同時に企業資料を保存・公開している。
国立天文台「すばる望遠鏡」を輸送 すばる計画に関わるほとんど全ての貨物の輸送を担当した。世界最大級の主鏡はドイツから輸入した特殊トレーラーを用いて標高4200mのハワイ島マウナケア山頂まで運び上げた。
本社を汐留地区に建設 新本社ビルヘ移転 当社の事業の原点ともいえる鉄道発祥の地、汐留地区で、グローバル企業としての新たな顔となるべく、「知的創造性を生み出す空間づくり」「人と環境にやさしい建物」「周辺地域への貢献」をテーマに竣工した。
愛知万博 「愛・地球博」を運ぶ 場内指定事業者として愛知万博の開催準備を物流面からサポート。話題となった“マンモス”は、当社の総合物流機能を駆使し、シベリアからの冷凍輸送を無事成功させた。
東日本大震災で救援物資などを輸送 24時間体制で陸・海・空の輸送モードを駆使した支援物資輸送を行った。トラックの台数にして延べ6810台の輸送を行った。
Tokyo C-NEXがオープン。当社最大規模の物流拠点。都心部へのアクセスはもとより、鉄道コンテナ・空港・港などの各基地まで30分以内と、物流拠点として好適な立地にある。
築地市場の移転作業を実施 日本の台所として83年の歴史を刻んできた築地市場を豊洲市場へ移転。4.5日間で2トントラックにして約5300台分の荷物を輸送した。
NIPPON EXPRESS ホールディングス株式会社発足 NXグループ新体制スタート