財団法人理化学研究所における発明の工業化を目的とする理化学興業株式会社から独立し、理研感光紙株式会社として設立。資本金35万円(~1938年)。市村清専務取締役就任(~1946年1月11日)
大河内が会長を務める旭光学工業株式会社(現:リコー大森事業所)の専務取締役に市村が就任。
理研光学工業株式会社に商号変更。
旭光学工業が旭無線に社名変更。河内の厚意により、理研光学工業、旭無線、飛行機特殊部品の3社が理研コンツェルンから切り離され完全に独立
旭無線が旭精密工業に社名変更。
カメラの大衆化の先駆け、リコーフレックスを発売
旭精密機器工業と、同じく関連会社であった愛光商事株式会社を吸収合併し、東京都大田区に大森工場(現:リコー大森事業所)を設立
事務用オフセット印刷機1号機「リコーオフセットB4」発売。
国産初の自動露出EEカメラ「リコーオート35」発売
社名を株式会社リコーに変更
静電複写機「電子リコピーBS-1」発売。業績不振を救うヒット商品となり、南極観測船「ふじ」にも搭載された
オフィスコンピューターの1号機「リコム8」を発売
乾式普通紙複写機 (PPC)「リコーPPC900」発売。
世界初の電話回線網に直接接続する高速デジタルファクシミリ1号機「リファクス600S」、製品発表会で東京 ニューヨーク間の衛星回線経由ファクス送受信に成功。
乾PPC「ニューリコピーDT1200」発売、普及機では初の2種類用紙ワンタッチ切替機構を搭載しベストセラーとなる
拡大・縮小機能付きA3判PPC 「リコピーFT4060」発売、ヒット商品となる
アナログカラー複写機1号機「リコーカラー5000」発売
創立50周年を機に中央研究所を横浜に設立
一般オフィス向けデジタル複写機「IMAGIO 320」発売、小型化と低価格によりヒット商品
世界初の透明ボディフィルムカメラ「リコーFF-9sD LIMITED」を2000台限定で発売、発売日に完売となる。デザインが好評だった1990年3月発売の「リコーFF-9sD」[20]のボディを透明プラスチックにしたもの。
超薄型コンパクトフィルムカメラ「リコーR1」発売。パトローネ部分以外を厚さ25mmとすることで世界一薄いボディを実現した
コンパクトデジタルカメラ1号機「リコーDC-1」発売。記録媒体はPCカードを採用
日立プリンティングソリューションズの株式を100%譲受し完全子会社化、リコープリンティングシステムズ株式会社に社名変更。
リコー経済社会研究所を設立
ユニファイド コミュニケーション システム事業に参入
ペンタックスリコーイメージング株式会社を発足
アディティブ・マニュファクチャリング事業に参入
株式会社PFUの株式の取得(子会社化)完了
日本ガイシとリコー、合弁会社「NR-Power Lab株式会社」の事業を開始