1928年
水産食料品の宣伝のため、日水食料品店を開く
1928年
周辺付帯設備等が整備され、鶴見・川崎臨海工業地帯完成
1928年
日揮ホールディングス株式会社の前身、日本揮発油株式会社設立
1928年
米国ユニバーサル・オイル・プロダクツ・カンパニー(現UOP社)と熱分解蒸留法装置の日本における特許の譲受け及び建設に関する協約を締結
1928年
麒麟麦酒、本店所在地を横浜市神奈川区子安町字海道通から横浜市鶴見区生麦に登記変更
1928年
鈴木商店の子会社であった日本商業株式会社が、倒産した鈴木商店の商事部門を引き継ぎ日商株式会社となる。
1928年
昭和肥料(株)(現、昭和電工(株))設立
1928年
高級生糸“片倉ミノリカワ・ローシルク”が世界的評価を得る
1928年
東京急行電鉄(株)の前身となる目黒蒲田電鉄(株)が田園都市(株)を合併
1928年
井川伊勢吉、三島にて製紙原料商を始める
1928年
大日本人造肥料株式会社富山工場(現在の当社富山工場)完成
1928年
日本合成化学工業大垣工場に電力とカーバイド供給開始
1928年
久留島政治が専務取締役兼代表取締役に就任
1928年
会社創設 東京都千代田区に本社を設置 米国・パーカー・ラスト・プルーフ社より技術導入。鉄鋼防錆剤、防錆加工法に関する特許を譲り受け、社員9名でスタート
1928年
三井鉱山化学事業が合成アンモニアや硫安事業へ本格的に進出 三井鉱山が鈴木商店彦島製錬所(現・下関三井化学)の委託運営を開始。 鈴木商店は、1924年(大正13年)に、彦島で日本初のクロード法アンモニア合成に成功している。
1928年
農業薬品製造部門を分離して日本農薬(株)を設立
1928年
田嶋一雄、「日独写真機商店」(後のミノルタ株式会社)を創立、国産カメラの製造に着手父が経営する神戸の貿易会社に勤めていた田嶋一雄は、欧州訪問の際に光学機器の将来性に着目。帰国後の1928年11月11日に「日独写真機商店」(後のミノルタ株式会社)を設立し、現在の西宮市武庫川河畔に最初の工場を開きました。当時、周辺に下請け工場などはなく、ドイツから呼び寄せた技術者たちの指導のもと、小さな部品の1つ1つにいたるまで自社生産が行われていました。そして翌年にはカメラ一号機「ニフカレッテ」を発売します。
1928年
資生堂化粧品部、資生堂アイスクリームパーラー開店
1928年
静岡県清水市(現・静岡市清水区)において農薬製造業として柑橘同業組合を開設。
1928年
フルコール式による普通板ガラスの生産を開始
1928年
事業目的を「煙火の製造及び行政官庁委託火工品製造販売」「火薬類の販売」に変更
1928年
鈴木商店経営の彦島亜鉛製煉工場(現彦島製錬株式会社)を買収
1928年
自転車用チェーンの製造をやめ、機械用チェーンの製造に転換
1928年
昭三式ミシン(麦わら帽子製造用環縫ミシン)の商標を「BROTHER」と定めて市販開始
1928年
機械工具国産化のため不二越鋼材工業株式会社を富山市に創立。
1928年
「ボールベアリング付き三相誘導電動機」を製品化
1928年
藤山愛一郎氏が間宮堂を買収、資本金200万円で日本金銭登録機株式会社を設立本格的な金銭登録機の製造の基礎を確立
1928年
船舶用2kW遠隔操縦式無線電信装置を製造
1928年
浅間丸など欧米航路優秀船用として納入された
1928年
創立)の第2会社の一つとして新明和興業株式会社の社名で設立され、自動二輪車、農機具の製造販売、車両修理等の事業並びに子会社である株式会社明和工務店(現・連結子会社)及び三和商事株式会社(現・連結子会社新明和商事株式会社)を承継
1928年
辻本写真工芸社を買収。原色グラビア印刷開始(日本初)
1928年
法人組織に改組し、株式会社楢崎商店を設立
1928年
大礼記念国産振興東京博覧会の百貨店協会特設館に「画に遊ぶサロン」陳列 日本初のマネキンガールが話題となる
1928年
業容の拡大をはかるため、合資会社を株式会社に改組
1928年
金沢市木ノ新保において 三谷合名会社金沢出張所として創業、 石炭・コークス・セメントを販売
1928年
国際通運株式会社として発足 内国通運が国際運送と明治運送、国際通運(旧合同運送)を吸収合併し、社名を国際通運株式会社として発足。
1928年
市川町内の350件のお客さまに都市ガス供給を開始。
1928年
初の歌舞伎海外公演(市川左團次一座によるソビエト連邦公演)
1928年
浅草松竹座が洋画封切館として再発足 東京松竹楽劇部発足 松竹興行株式会社設立、松竹合名社東京事務所を吸収