1960年
ミール工船玉栄丸船上で洋上すりみ生産の研究開始
1960年
神奈川県藤沢市に長後試験場を開設、野菜の育種農場として発足
1960年
「ショーボンド」の製造・販売・施工に関する事業を開始
1960年
東京大学生産技術研究所などから「ショーボンド」製品の性能試験結果が良好と評価される
1960年
三菱鉱業(株)ほか三菱系列企業10社が発起人となり新菱建設(株)設立
1960年
大阪府堺市に当社初の本格的工場(堺工場)開設
1960年
RGパイル(無振動・無騒音の場所詰め杭)1号機完成
1960年
プレハブ住宅の事業化を計画、資本金1億円にて積水ハウス産業株式会社として発足
1960年
茨城県に技術員養成所(現・人材育成センター)建設
1960年
本社を東京都文京区湯島4丁目1番18号に移転
1960年
富士三機鋼管株式会社に鋼管部門の営業を譲渡。
1960年
一級建築士事務所登録番号神奈川県知事登録第422号として登録
1960年
横浜市鶴見区に溶接工場として、鶴見工場を新設
1960年
日本初の国産インスタントコーヒー発売。
1960年
焼菓子(半生・カステーラ)工場(津工場)竣工
1960年
鹿児島工場(鹿児島県串木野市(現いちき串木野市))を開設。
1960年
国内初の医薬品開発受託研究機関として安全性試験(前臨床試験)の受託事業を開始
1960年
飲料の製造・販売を目的とし、資本金5千万円をもって日米飲料株式会社を、福岡市長浜町一丁目5番地に設立
1960年
「キユーピー ベビーフード」缶入り発売
1960年
1960年六郷工場(現 技術開発センター)竣工
1960年
韮崎製糸所をメリヤス肌着製造に転換(メリヤス事業開始)
1960年
福岡富士ビル(現(仮称)ヒューリック福岡ビル建替計画)竣工
1960年
阪都不動産管理(株)(現ヒューリックビルマネジメント(株))設立(現連結子会社)
1960年
大阪富士ビル(現ヒューリック大阪ビル)竣工
1960年
リットウセンイ株式会社(1989年7月呉羽テック株式会社に社名変更、現・連結子会社)設立
1960年
東京研究所(現 東京研究センター)を開設
1960年
帝人化成(株)ポリカーボネート樹脂の生産を開始
1960年
銀座にトラッドテイストの(株)テイジンメンズショップをオープン
1960年
ポリエステルフィルム ルミラー®の生産開始(三島)
1960年
(財)東洋レーヨン科学振興会(現 (公財)東レ科学振興会)を設立
1960年
紀州製紙パルプ(株)は紀州製紙(株)に商号変更
1960年
川内工場、4号抄紙機稼動、上質紙生産開始
1960年
川内工場、4号抄紙機稼動、上質紙生産開始
1960年
川内工場、4号抄紙機稼動、上質紙生産開始
1960年
富士製鐵(株)(現 新日鐵住金(株))と住友化学工業(株)(現 住友化学(株))の折半出資により(旧)製鉄化学工業(株)を設立し、姫路工場を建設
1960年
湿式シリカ製造開始 (2010年 生産停止)
1960年
山口県南陽町(現 周南市)にセメント事業拡大のため南陽工場完成
1960年
塩化アンモニウムをベースとする高度化成肥料を開発し、生産を開始
1960年
わが国初のアクリル酸エステルの企業化に成功
1960年
青柳工場、メラミン化粧板製造工場竣工。メラミン化粧板「イビボード」発売
1960年
信越ポリマー株式会社を設立。ポルトガルに塩化ビニル樹脂の製造・販売を行うシレス社を設立。
1960年
(旧大陽東洋酸素)愛知県海部郡に名古屋工場を設置。
1960年
新東和通商(株)(現パーカーエンジニアリング(株))を買収
1960年
京都アセチレン株式会社を吸収合併して京都工場とする
1960年
旭硝子株式会社(現AGC株式会社)の資本参加を受け系列会社となる
1960年
姫路市に姫路工場(現姫路製造所)を設置。
1960年
高砂工業所に「カネビニール」プラント完成・稼働
1960年
日本樹脂化学工業株式会社水島工場(現当社水島工場)操業開始
1960年
米デュポンと三井ポリケミカルを設立(現・三井デユポンポリケミカル)
1960年
東洋高圧工業ニューヨーク駐在事務所開設
1960年
セキスイハウスA型の試作が完成、ハウス事業部が発足
1960年
滋賀栗東工場開設、塩化ビニル管、塩化ビニル建材製品の製造開始
1960年
ハウス事業部を分社化し、積水ハウス産業株式会社(現:積水ハウス株式会社)設立
1960年
滋賀水口工場開設、ポリビニルブチラール、中間膜の製造開始
1960年
メラミン化粧板「アイカデコライト」発売。4月「アイカ」に改称
1960年
発泡性ポリスチレンビーズの製造、販売を開始
1960年
「川崎工場」(現連結子会社「サンケミカル(株)」)稼働。ポリエチレングリコール「PEG」、ウレタンフォーム原料「サンニックス」を国産化。
1960年
「尚志社」設立 1923年に五代武田長兵衞が私費を投じて苦学生の支援を始めたことにルーツがあり、1960年に育英事業を目的とする「尚志社」に発展した。
1960年
黒石製薬株式会社(現連結子会社シオエ製薬株式会社)と提携。
1960年
神奈川県平塚市に平塚工場(現在の平塚事業所)を新設
1960年
京都府京都市下京区に京都営業所を開設。
1960年
羽獅子不動産株式会社〔現 東洋ビーネット株式会社〕を設立。
1960年
オリエンタル化成株式会社〔現 トーヨーカラー株式会社〕設立。
1960年
千葉県浦安沖の海面を埋め立て、商業地・住宅地の開発と大規模レジャー施設の建設を行い、国民の文化・厚生・福祉に寄与することを目的として、資本金2億5,000万円にて株式会社オリエンタルランドを設立。(設立7月11日)
1960年
本社を東京都中央区西銀座(現・東京都中央区銀座)へ移転。
1960年
複写機一号機「ミノルタコピーマスター」(湿式ジアゾ複写機)完成カメラで培った技術を元に光学関連機器の開発に取り組み始めました。中でもとくに注力したのは複写機の開発です。1960年に第一号機として湿式ジアゾ複写機「ミノルタコピーマスター」を完成。その後も開発を進め、情報化社会の進展に伴って需要を伸ばしていきます。
1960年
化粧品(コールドパーマ剤・シャンプー等)の製造販売を目的に、ユタカ美容化学株式会社(大阪市東淀川区)を設立し、同所に工場を併設
1960年
米国オーエンズ・イリノイ社からガラス管製造技術を導入
1960年
川崎セメント株式会社を合併(現・岐阜工場)
1960年
整流・耐摩耗性に優れた東海道新幹線向け高速電車の主電動機用電気ブラシ「TD350」完成。高速電車用として人気を博す
1960年
神守工場操業開始(レジノイド砥石製造)
1960年
光学用硝子・板硝子向けのポリシング材FR[フジミレミロックス(酸化セリウム)]を生産開始
1960年
神奈川県川崎市に「東京技術センター」を開設
1960年
岡山県倉敷市に工場誘致条例にもとづき工場用地(約50万3,000平方メートル)取得。
1960年
仁豊野工場に圧延工場完成、本邦唯一の軌道用品一貫メーカーとなる。
1960年
川崎製造所 冷間圧延機(20段ゼンジミアミル)稼働
1960年
松戸工場を新設し、軽量鋼管の製造開始。
1960年
二酸化ゲルマニウムの製造を開始、電子材料事業へ進出
1960年
溶解第1工場、チタンインゴットの生産を開始(設備能力120t/年)
1960年
大阪市港区福崎に大阪港工場を建設(1979年7月廃止)
1960年
立山鋳造株式会社を立山アルミニウム工業株式会社に改称
1960年
プッシュルプル式水栓の発売開始(アメリカン スタンダード)
1960年
神奈川県相模原市に工場新設(相模原事業所)
1960年
商事部門を分離してエーエム商事株式会社設立
1960年
国産第1号機のトランスファープレス完成
1960年
面取旋盤T600の製造により工作機械へ進出
1960年
トヨタ系10社の出資により、株式会社豊田中央研究所を設立。
1960年
3気筒クランク式固定容量コンプレッサーの生産開始。
1960年
自社製エンジンB-06を搭載したブルドーザT09を発売
1960年
「畑作用乗用トラクタ」を開発・商品化。わが国初の海外水道工事(プノンペン市)を受注・竣工。
1960年
東寿興産(株)(旧(株)久保田製作所、(株)東伸社)を設立
1960年
シンプソン・インターナショナル社(アメリカ)と混練機について技術提携
1960年
大阪支店開設。資本金1,200 万円。
1960年
三菱石油(株) 向け 水島製油所建設工事受注
1960年
日本水工株式会社に資本参加[1985年関西オルガノ商事株式会社に、2006年オルガノ関西株式会社に商号変更、2014年オルガノ株式会社に吸収合併]
1960年
日本で最初の人工心臓を東京大学木本外科に提供。
1960年
東村山工場第1期工事完成。ミルトン・ロイポンプ、ケミポンプの増産体制確立。
1960年
油圧式トラッククレーンOC-5A型 4台をインドネシアへ初輸出
1960年
(有)コミック商会と平和物産(株)を統合し東和工業(株)を設立東京出張所(現東京営業所)、大阪出張所(現大阪営業所)を開設
1960年
大阪工場を新設。船舶用中大型ライナの鍍金加工を開始。
1960年
北日本精工(現・NSKステアリングシステムズ)設立
1960年
大手電機メーカー(Bosch社)との小型玉軸受大量輸出契約成立
1960年
静岡県磐田市に株式会社東洋ベアリング磐田製作所を設立、ボールベアリングの量産を開始。
1960年
(1983年 NTN株式会社に合併、現 自動車事業本部 磐田製作所)
1960年
株式会社東洋ベアリング磐田製作所 (現 磐田製作所)
1960年
バッチ型浸炭炉の自動化国産第1号機が完成
1960年
米国 Miniature Precision Bearings Corp.(MPB社)と販売提携を始める。
1960年
秦野市清水町に新鋭機械工場を建設(第一次合理化計画)
1960年
欧米の自動加工機や造型機を導入し、最新鋭機を配備した高性能自動生産体制を確立。
1960年
電子計算機第1号<MELCOM1101>完成
1960年
DC-8ジェット旅客機用パッセンジャステップを開発
1960年
米国ワーナー社と電磁クラッチ・ブレーキについて技術提携
1960年
実用精密小型マグネットモーター(FM、RMタイプ)を開発し、音響、映像、精密分野に進出。
1960年
千葉県習志野市に工場を新設し、「サーミスタ(バルク型)」の製造を開始
1960年
世界初の「無接点近接スイッチ」を開発。
1960年
京都府長岡町(現長岡京市)に「中央研究所」を竣工。
1960年
福岡県糟屋郡古賀町1295(現古賀市)に工場新設
1960年
(株)正興商会、正興電気建設(株)設立
1960年
川越工場(現川越事業所)を建設 無線鉄塔、鉄構などの製作を開始
1960年
大和郡山工場(現・奈良工場)に第1工場を竣工
1960年
21形 / 17形カラーテレビ21CC-F / 21CT-F / 17CT-Gを生産・発売
1960年
14形両袖2スピーカ・コンソレットの白黒テレビ 「Xライン」モデル 14SB / 14KB を発売
1960年
トランジスタ化FM無線機・ミニラインシリーズを開発
1960年
当社初のエアコン ウィンド形クーラーEA-55Aを発売
1960年
米国現地法人ソニー・コーポレーション・オブ・アメリカ設立
1960年
小型・軽量のポータブルトランジスタテレビ発売
1960年
TDKとして初のバリウムフェライト磁石発売
1960年
音響部品(イヤホン、マイクロホン)の開発・生産を開始
1960年
関東地域への販売拠点として東京都品川区に東京営業所を開設
1960年
工場拡張のため、生野区猪飼野、生野区巽町、布施市高井田へ移転後、
1960年
八尾市北久宝寺(現在地)に本社工場を移転
1960年
リオン金属工業株式会社(現・連結子会社)を設立
1960年
株式会社小林理研製作所をリオン株式会社に商号変更
1960年
わが国で初めて環境試験器の開発に着手。
1960年
有限会社東京ITV研究所を設立 医療用X線テレビカメラ装置の設計・開発を担う松下通信工業(株)の協力会社として有限会社東京ITV研究所を創業
1960年
静岡県浜松市に浜松工場開設、自動車用電装品を製造
1960年
神奈川県秦野市に秦野製作所開設、自動車用電装品を製造
1960年
連続切削用オープンループNCの一号機完成
1960年
福岡県八幡市(現北九州市八幡西区小嶺)に小嶺工場(現本社・八幡事業所)を新設
1960年
宝工業(株)[現 東海理化サービス(株)]設立
1960年
東海理化販売(株)[現 (株)東海理化クリエイト]設立
1960年
京都府亀岡市に亀岡工場(現ニチコン亀岡株式会社)を新設。
1960年
三菱鉱業およびグループ10社の出資で新菱建設(のちのピーエス三菱)を設立
1960年
石川島重工業株式会社が株式会社播磨造船所を合併し、石川島播磨重工業株式会社に商号変更。
1960年
民生デイゼル工業を日産ディーゼル工業に、日産民生ジーゼル販売を日産ディーゼル販売に商号変更。
1960年
中小企業庁長官より中小企業合理化モデル工場の指定を受ける
1960年
社名を「新明和興業株式会社」から「新明和工業株式会社」に変更
1960年
ドイツ連邦共和国のフロイデンベルグ社と資本提携。
1960年
神奈川県藤沢市に藤沢工場(現:湘南開発センター)を建設。
1960年
研究開発部門を分離した「株式会社本田技術研究所」を設立、白井孝夫をリーダーとして建設した鈴鹿製作所を開設。
1960年
アメリカに日本楽器製造(株)の海外現地法人Yamaha International Corporation(YIC)を設立し、当社製品の販売を開始
1960年
FRP製ボートの第1号艇「CAT-21」と「RUN-13」を発売し芦ノ湖で発表会を実施
1960年
帝都布帛工業株式会社シート部朝霞工場を新設(現 本社所在地)
1960年
帝都布帛工業株式会社シート部のすべてを引継ぎ、東京シート株式会社として分離独立
1960年
腕時計用ネジの量産を目的として、シチズン時計(株)との共同出資により東海精密(株)を設立
1960年
船舶自動化機器の開発に成功し、世界各国から注目される。
1960年
東京芝浦電気(株)(現(株)東芝)の関係会社となり、電気計測器等の生産を開始
1960年
昭和工場(東京都昭島市、現在の昭島工場)を新設。 保谷光学工業(株)、山中光学工業(株)および保谷光学硝子販売(株)を吸収合併し、商号を(株)保谷硝子に変更。
1960年
事務用オフセット印刷機1号機「リコーオフセットB4」発売。
1960年
国産初の自動露出EEカメラ「リコーオート35」発売
1960年
メサ型トランジスタ製造用マスクや、テレビブラウン管用シャドウマスクなどの精密部品実験工場を開設
1960年
埼玉県にエレクトロニクス製品工場を開設
1960年
印刷技術を応用した木目化粧板の実用化(1956 年)に続き、金属化粧板の実用化にも成功。
1960年
宝印刷株式会社(現株式会社TAKARA & COMPANY)設立
1960年
米国に販売子会社 ヤマハ・インターナショナル・コーポレーション(現ヤマハ・コーポレーション・オブ・アメリカ)を設立
1960年
信越化学工業株式会社の全額出資により設立
1960年
大阪木材工業株式会社に資本参加(全額出資)、流し台木部の製造を開始
1960年
本社工場を、高知県高知市稲荷町180番地に移転
1960年
温水缶を基にして、住宅用および業務用としてオートカン(温水ボイラ)を開発、発売。
1960年
名古屋営業所を開設(1970年4月支店登記)。
1960年
大阪市南区(現 中央区)に大栄食品㈱設立
1960年
世界最高水準精度の「グランドセイコー」発売。
1960年
名古屋営業所(現・名古屋支社)を設置。
1960年
取扱品目の多角化を図るべく船舶・舶用機械類の輸出入取扱に特色をもつ日協産業株式会社と対等合併、本店を東京都千代田区丸の内二丁目6番地に移転
1960年
滋賀県大津市に大津工場(現滋賀県草津市びわこ工場)を設置し、管瓶・小型電球用バルブ等の生産を開始。
1960年
子会社のFar East Mercantile GmbHをデュッセルドルフに移転。
1960年
ソーシャル・コミュニケーション・ビジネスの確立をめざし、株式会社山梨シルクセンター(現当社)を東京都に設立。
1960年
本店を山口県防府市八王子1丁目2番3号に移転設置
1960年
各銀行発行のクレジットカードによる信用販売を始める
1960年
「月賦」の呼称を「クレジット」に変え、企業の体質改善と近代化を推進。
1960年
丸井運輸株式会社(現 株式会社ムービング)を設立。
1960年
株式会社神戸銀行、信託業務及び勘定を東洋信託銀行株式会社に譲渡
1960年
元町店(神戸市中央区)で勤人信用貸(サラリーマン金融)を開始
1960年
証券代行業務を東洋信託銀行株式会社に営業譲渡 野村證券投資信託委託株式会社(1997年10月、野村投資顧問株式会社と合併し、野村アセット・マネジメント投信株式会社となる)の設立に伴い、証券投資信託の委託業務を営業譲渡
1960年
京成電鉄等と共同出資、株式会社オリエンタルランドを設立。
1960年
東京都内ハイヤー営業開始(1960.7.13事業免許15台)
1960年
鉄道踏切器材(株)(現京王建設(株))を設立
1960年
都営地下鉄線に直通乗り入れ運転開始(押上~浅草橋間)
1960年
熱田急配株式会社(現 株式会社メイコン)を買収により子会社化。
1960年
千代田土地建物を飯野不動産株式会社と社名変更。
1960年
飯野ビルディング完成にともない東京都千代田区内幸町二丁目1番1号に本社移転。
1960年
初のジェット旅客機であるダグラスDC-8型航空機就航。
1960年
福岡支店開設(こののち、1974年4月門司支店を統合)
1960年
社名を「株式会社東京放送」(略称TBS)に変更
1960年
株式会社東電建設設計事務所設立(現・連結子会社「東電設計株式会社(1966年7月商号変更)」)
1960年
世界初の2導体超高圧送電線の活線作業を実施
1960年
東北幹線昇圧(275kV 超高圧送電線の導入)完了、運用開始
1960年
港発電所1号機(石炭、15.6万kW)運転開始
1960年
石炭によるガス製造を廃止し、原料を全面的に県産天然ガスに転換。
1960年
『青春残酷物語』(監督‧大島渚)公開、松竹ヌーベルバーグが話題となる
1960年
銀座に東映会館を開館、本社を移転。第ニ東映発足。「丸の内東映」オープン。