1963年
群馬種苗株式会社(群馬県農産種苗株式会社より1948年6月に商号変更)と合併。(資本金1000万円)1967年11月前橋市古市町(現所在地)に本社を新築移転。
1963年
大成プレハブ株式会社を東京都中央区に設立
1963年
九州営業所開設(昭和47年支店に昇格)
1963年
住友建設株式会社、西日本復興建設株式会社より営業権を譲受
1963年
大阪支店設置。以後業容の拡大に伴い全国に亘る営業の基盤を固めるため、1964年4月仙台支店、名古屋支店、1964年10月新潟支店、1967年6月札幌支店、広島支店、1969年8月横浜支店、1970年12月福岡支店を開設しました。
1963年
本店を東京都新宿区市谷砂土原町2丁目7番地に移転。
1963年
戸田道路株式会社(現連結子会社)を設立
1963年
住宅市場の拡大ニーズに応え、2階建プレハブ住宅などを発売
1963年
「RGパイル工法」を地下鉄銀座線工事で施工
1963年
「格子枠ブロック併用種子吹付工法」が科学技術庁長官賞受賞
1963年
空調管工事及び土木工事の請負施工を開始
1963年
海外進出、中米ホンジュラス国の線路・土木工事着工
1963年
日本電信電話公社以外の通信・電力工事に進出
1963年
埼玉県大井町(現 ふじみ野市)に「中央研究所」完成、本社や大阪の研究所を集結
1963年
千葉工場稼働(当時(株)山崎製パン千葉工場)
1963年
名古屋市に名古屋出張所(現名古屋オフィス)開設。
1963年
ヤクルト独自の婦人販売店システムを導入
1963年
鳥清ハム(株)と合併し、商号を日本ハム(株)と変更、資本金7億320万円となり、本店を大阪市浪速区大国町2丁目7番地に移転
1963年
自動販売機で清涼飲料を販売する会社・自動販売サービス株式会社(現・キリンビバレッジ株式会社)設立
1963年
商号を日米コカ・コーラボトリング株式会社に変更
1963年
本店を福岡市大字箱崎字葦津ケ浦4127番地の29(現、福岡市東区箱崎七丁目9番66号)に移転
1963年
横浜根岸湾埋立地において横浜磯子工場操業開始。横浜工場を横浜神奈川工場に改称
1963年
ニューヨーク・デトロイトに米国オフィスを開設
1963年
中部設備工業株式会社(現・株式会社中部)設立
1963年
中部プロパンスタンド株式会社(現・中部プロパンスタンド有限会社)設立
1963年
「ケロッグ」コーンフレーク発売(米国ケロッグ社との提携により)
1963年
社名を「カゴメ株式会社」と改称、トマトマーク制定 愛知トマト(株)(現カゴメ不動産)設立
1963年
敦賀工場、無延伸ポリプロピレンフィルム生産開始(1981年1月敦賀フイルム株式会社へ移管、2015年1月よりキャストフィルムジャパン株式会社、現・持分法適用関連会社)
1963年
北海道旭川市に(株)ツルハ薬局(現(株)ツルハホールディングス)を設立
1963年
基礎研究所(現 医薬研究所)を開設(鎌倉)
1963年
本社を千葉県市川市から東京都文京区(現在地)に移転。
1963年
三島・自家発電設備(1号タービン、ボイラー)新設
1963年
栃木プラスチックス株式会社(現・クレハ合繊株式会社)設立(現・連結子会社)
1963年
四日市に黄色顔料チタンイエロー工場完成
1963年
宇部曹達工業株式会社が旧セントラル硝子を吸収合併し、商号をセントラル硝子株式会社に変更
1963年
東亜燃料工業株式会社と提携し、セントラル化学株式会社を設立
1963年
松阪工場(現:CGP)を建設し、安全ガラスの生産を開始
1963年
瞬間接着剤「アロンアルフア」 生産開始
1963年
高圧ガスの製造・販売会社西日本高圧瓦斯(株)に資本参加(現・連結子会社)
1963年
小名浜工場完成(酸化チタン需要増に対処)
1963年
抗悪性腫瘍剤「マイトマイシン」および抗生物質「スピラマイシン」発売。
1963年
岩国大竹工場で三井石油化学工業 メチルイソブチルケトン(MIBK)製造設備完成 三井化学工業 川崎工業所発足。川崎でPPG生産開始
1963年
日本ラテックス加工株式会社(現・株式会社イーテック・連結子会社)設立。
1963年
大協和石油化学(株)四日市工場午起製造所完成
1963年
奈良工場で、国産第1号のFRPプレス成形浴槽「セキスイバス」の製造開始
1963年
米国ペンシルバニア州に発泡ポリスチレンペーパーの製造を行なうSEKISUI PLASTICS CORPORATION設立(日本の製造業では米国進出第1号)
1963年
下関工場を建設し、レジン・コーテッドサンド(RCS)の製造を開始
1963年
積水スポンジ工業株式会社(旧商号:文化企業株式会社)に吸収合併される
1963年
「武田科学振興財団」設立 タケダからの寄附金を基金として、科学技術の研究を助成振興し、科学技術および文化の向上発展に寄与することを目的として、設立された。
1963年
動物薬品部を設置(2002年譲渡)、植物薬品部を設置(2001年譲渡)、臨床検査室の業務開始(2002年譲渡)
1963年
医療の安全性を高めるために、国産初の使い切り注射筒を発売し、使い切り医療機器分野に進出
1963年
静岡県富士市に富士工場〔現 トーヨーカラー株式会社富士製造所〕完成(第一期)。
1963年
ダストコントロール商品の初の生産拠点、吹田工場開設吹田工場開設
1963年
「株式会社東京データセンター」を東京都港区神谷町に設立し、データエントリー業務を開始
1963年
当社初のテレビシリーズアニメ作品「狼少年ケン」放映開始。
1963年
イタリア・ミラノで販売開始、初のヨーロッパ向け化粧品輸出
1963年
本社を移転(大阪市東住吉区)するとともに、工場を閉鎖し、喜連工場(大阪市東住吉区)を設置
1963年
フランス・ロレアル社と技術提携(2001年8月に合弁契約を解消)
1963年
新しい事業の柱として液状接着剤事業への参入
1963年
社名を「横浜護謨製造株式会社」から「横浜ゴム株式会社」に変更
1963年
日本側の出資比率が50%を超え、「住友ゴム工業株式会社」に社名変更
1963年
当社独自の合成皮革「カブロン」の製造に成功、販売を開始。
1963年
米国オーエンズ・イリノイ社からCRT用ガラス製造技術を導入
1963年
福島セメント株式会社(田村工場)及び住友石灰工業株式会社(現・山口事業所)を合併
1963年
日本コーテッドアブレーシブ(株)設立(研磨布紙製造)(のちに(株)ノリタケコーテッドアブレーシブ)
1963年
呉工場に連続式亜鉛めっき設備一基を新設。
1963年
志村化工(株)特殊鋼部門の人員・商権を継承
1963年
東邦電化株式会社(1934年設立、日高工場でフェロアロイ・郡山工場で金属けい素を製造)と合併し、社名を日本電工株式会社に改称。
1963年
米国のフルハーフインターナショナルリミテッドと技術提携。「日本フルハーフ (株)」を設立
1963年
亜鉛焙焼、硫酸の製造を開始(小名浜製錬所)
1963年
シポレックス製造(株)を設立し、ALC(軽量気泡コンクリート)の製造開始
1963年
[建築用品事業] ドアクローザの製造販売を開始
1963年
キャップ下部のブリッジが破断することで開栓の確認が可能でいたずら防止に貢献
1963年
株式会社三和シヤッター製作所、三和シヤッター株式会社、三和商事株式会社の3社を合併。商号を三和シヤッター工業株式会社と改め、本社を東京に移転
1963年
菊池プレス工業株式会社:菊池プレス工業有限会社を資本金10,000千円の株式会社に改組、商号を菊池プレス工業株式会社に変更、本店を東京都三鷹市に置く
1963年
相模原事業所に組立工場を新設、及び金型工場、プレス工場を増設
1963年
平田プレスエ業株式会社が、三重県亀山市に亀山製作所を設置
1963年
タイに合弁会社日本発条(泰国)有限公司を設立。
1963年
日本初の連続式ごみ焼却プラント納入(大阪市住吉工場 処理能力 450t/日)
1963年
株式会社日本リクルートセンターに社名変更
1963年
リクルート初の新卒採用活動 「学歴・男女・国籍不問」の求人募集を開始。その後1965年には、1500名余の応募があり、その約8割が女性。働く意欲と能力が高く、多様性に富んだ従業員たちが、それぞれの個性を活かしながら働く組織づくりのきっかけとなる。
1963年
絶対位置検出方式のNC装置(OSP)を自社開発。
1963年
わが国唯一の機電一体の総合メーカーとなる。
1963年
兵庫県小野市所在の株式会社巧技術研究所(帯鋸刃の製造業)を系列下に収める
1963年
販売部門を分離し、オーエスジー販売株式会社を設立
1963年
本社・工場を現在地(東京都大田区仲池上)に移転
1963年
新東ブレーター(株)を設立(ホイールアブレーター社(アメリカ)との合弁)
1963年
「大阪金属工業株式会社」を「ダイキン工業株式会社」に社名変更
1963年
世界初の連続式純水製造装置(2200㎥/d)納入 日本初の[パルスベッド]式糖液脱色装置納入
1963年
制御関連機器、計器類の輸入販売部門設置。
1963年
小牧工場竣工、操業を開始。米国のBowl-Mor Company, Inc.との提携で、ボウリングマシンの国産第1号機を生産。
1963年
茨城工場の第一期工事が完了し、操業を開始する。
1963年
ドイツのシェルリング社(現ブッシャーシェルリング社)と路面清掃車の製造ならびに販売権に関する技術提携認可される。
1963年
高松市新田町に本社社屋完成カーゴクレーン TM-2H を発売[車両搭載型クレーン]
1963年
高松市新田町に本社社屋完成、カーゴクレーンTM-2Hを発売[車両搭載型クレーン]
1963年
長野県埴科郡坂城町大字坂城9347番地に、株式会社竹内製作所を資本金3百万円で設立し、自動車部品メーカーの下請を開始
1963年
広島県安佐郡(現広島市)に(株)ジューキ広島製作所(現社名JUKI広島(株)(現連結子会社))を設立(現所在地広島県三次市)
1963年
米国ボステッチ社('65 テキストロン社傘下に。)と資本・技術・販売提携。
1963年
消耗品専用工場として藤岡工場を新設・稼動。
1963年
本社を現在地である愛知県豊明市栄町南館3番の16へ移転。
1963年
エヌエスケー・トリントン社(現・高崎・榛名工場)設立
1963年
アメリカに販売会社 NTN BEARING CORP. OF AMERICAを設立。
1963年
イギリスのハーディ・スパイサー社と技術提携、ドライブシャフトの生産を開始。
1963年
IKO(アイ ケイ オー)を当社ブランドとして商標登録。
1963年
西ドイツBLW 社と精密鍛造歯車の製造に関し技術提携
1963年
亀戸工場より習志野工場独立。日立化成工業株式会社分離独立。
1963年
東京銀座に「三菱電機スカイリング」完成
1963年
国産で唯一の認可である電動ポンプのスウェーデン規格(SEMKO)取得
1963年
半導体製造装置における不純物拡散の研究を開始
1963年
世界初のマジックバッグ・クリーナー発売
1963年
高電圧、高速小型マグネットモーター(FTタイプ)を開発し、モデルレーシングカー用として発売する。
1963年
株式額面変更のため、形式上、高松木材株式会社(大正15年3月設立)を存続会社として合併し、その商号を東京科学株式会社に変更。同時に本店を東京都葛飾区に移転する。
1963年
高出力、小型マグネットモーター(RSタイプ)を開発し、家庭電気機器分野に進出。
1963年
埼玉県入間郡三芳町に埼玉工場(現埼玉事業所)を新設。
1963年
通信機器等の販売を行う米国ニッポン・エレクトリック・ニューヨーク社(現NECコーポレーション・オブ・アメリカ社)設立
1963年
米スペリーランド社と沖ユニバック株式会社設立
1963年
「プリンティングタイマー」 1/1000秒まで計時可能なスポーツ競技用電子記録システム
1963年
「セイコー クリスタルクロノメーター QC-951」 世界初、AC電源不要なポータブル型高精度水晶時計
1963年
新生産業株式会社(昭和4年9月20日創立)に吸収合併されると共に、同日社名を日本真空技術株式会社と改称し、旧日本真空技術株式会社の事業内容を継続。
1963年
「ゼネラル照明機器株式会社」を「ゼネラル電工株式会社」に改称
1963年
オールトランジスタ白黒テレビ6形 / 9形 GTM‐6 / GTH‐9を発売(90度偏向ブラウン管を採用)
1963年
脱水機付二槽式電気洗濯機EW-55の生産を開始
1963年
大阪府大阪市に関西支店を開設(1974年12月 大阪府吹田市に移転、2020年8月 大阪府大阪市に移転)
1963年
狭山事業所内に人工水晶工場完成、人工水晶の製造開始
1963年
山武エンジニアリング株式会社(現:アズビル株式会社)を設立
1963年
山武計装株式会社(現:アズビル株式会社)を設立
1963年
日本初のデジタル電圧計「デジタル・マルチメーター」を発売
1963年
国内初の自動血球計数装置「CC-1001」実用化成功。
1963年
二重収束質量分析装置 JMS-01完成
1963年
汎用自動記録液体クロマトグラフ JLC-01完成
1963年
ポリアセタール樹脂「デルリン」を使用して「インボリュート」及び「サイクロイド」歯形の小歯車の、金型による成形加工法を確立
1963年
米国GTI社へめっき技術研修のため技術者を派遣
1963年
長野県更級郡更北村(現・長野市小島田町) に更北工場開設
1963年
滋賀工場(現·滋賀蒲生工場)を新設 滋賀工場
1963年
ユニーク精工(株)を吸収合併して精機部を設置し、プレス金型用器材の製造・販売を開始
1963年
日本ケミカルコンデンサ株式会社に商号変更。
1963年
自動販売サービス(のちのキリンビバレッジ)を設立
1963年
キャタピラー三菱を設立(新三菱重工業と米国Caterpillar Overseas S.A.の合弁)
1963年
乗用車「ベレット」発表、1t積み小型ボンネットトラック「ワスプ」発表
1963年
この年、「かんばん」による生産管理方式スタート
1963年
新車保証期間を大幅延長(全車種の新車保証期間を3カ月または1万kmから、1年または2万kmに)
1963年
第1回日本グランプリレースで「クラウン」「コロナ」「パブリカ」がクラス優勝
1963年
創立15周年記念行事の一環として作業服を白に統一
1963年
ホンダ初の四輪車、軽トラックT360発売。F1初参戦。
1963年
ホンダ鋳造(現・本田金属技術)を設立。
1963年
米国ロサンゼルスに販売会社 米国スズキ社を設立。
1963年
インドの現地資本と提携しパール・ヤマハを設立、モペットの生産・販売を開始
1963年
朝霞工場(現本社所在地)において四輪車用シートの製造を開始
1963年
工業薬品の製造・国内販売及びエンジニアリングサービスを目的として、伯東化学株式会社を設立。
1963年
青森県八戸市に八戸営業所(現八戸支店)を開設
1963年
理化学分野におけるプラスチック素材の将来性と営業におけるカタログの重要性に着眼して研究用カタログを発刊。
1963年
世界で初めて超音波流量計の開発に成功し、流量計測制御に新分野開拓。
1963年
日本で初めてウェーハスライシングマシンを開発
1963年
オールウェザーカメラ「ニコノス」発売 高度の耐水・耐圧・耐蝕(しょく)性を備え、水陸両用の「オールウェザーカメラ」として位置づけられたカメラ。
1963年
トプコンREスーパー 世界初のTTL開放測光方式を採用した一眼レフカメラ
1963年
東京都八王子市(石川町)に事業場を設立
1963年
世界初のハーフサイズ一眼レフカメラ「オリンパスペンF」を発売
1963年
カラーテレビのブラウン管用金属部品「シャドウマスク」を開発
1963年
キヤノンSAジュネーブ設立、総代理店制を廃止し、キヤノン本社直属の販売体制スタート
1963年
三陽工業株式会社をトミー工業株式会社に、富山商事株式会社を株式会社トミーに、それぞれ商号変更。
1963年
各証券取引所より上場会社の適格株券印刷会社として確認を得る
1963年
北海道飲料(北海道コカ・コーラ ボトリング)を設立
1963年
電子製版システム「PDIカラースキャナー」を導入。東証第1部に上場。関西地区の商業印刷工場として、大阪に近畿共同印刷(現 共同印刷西日本)を設立。
1963年
日写不動産株式会社設立(現:NISSHAビジネスサービス株式会社)
1963年
皇太子殿下(現:上皇陛下)、東京工場に行啓
1963年
公共住宅用規格部品委員会の<KJ>の指定を受ける
1963年
アメリカ・モービル石油と合弁で極東石油設立。
1963年
(株)東京放送の出資により、東京都港区赤坂に資本金500万円で(株)東京エレクトロン研究所を設立
1963年
拡散炉、リークディテクタ、IC製造機器の納入・販売を開始
1963年
八戸市で冷蔵倉庫業及び水産買付加工販売を行う八戸東市冷蔵株式会社設立。
1963年
三谷生コン株式会社(現 寺前生コン株式会社・現 連結子会社)設立
1963年
本店を東京都千代田区丸の内三丁目2番地に移転
1963年
名古屋市港区の空見工場で鋼板剪断加工スタート
1963年
魔法瓶用中瓶加工の自動機械を開発し魔法瓶用硝子の販売を開始。 スーパーマーケット事業へ進出。
1963年
合板、ポリエステル化粧板など取扱商品が増え、化学品から建材部が分離独立する
1963年
社名を現在の株式会社ゴールドウインに改める。
1963年
本社を千代田区外神田2丁目(現外神田ビル所在地)に新築移転
1963年
東京電気化学工業株式会社(現TDK株式会社)と特約店契約を結ぶ
1963年
計測器・試験機の販売を目的として、群馬県高崎市に三益産商株式会社を設立
1963年
茨木市に衛星都市進出第1号店として「茨木店」を開設
1963年
日本瓦斯運輸株式会社(現商号日本瓦斯運輸整備株式会社)設立
1963年
福岡市下和白にアイスクリーム工場を建設
1963年
第2号店として塚本店(大阪市西淀川区)を開設し、同時にライフ本部を設置(1979年11月大阪市淀川区へ移転、1980年10月組織変更により本社とする。)し、チェーンストア志向を明確化。その後、大阪府・兵庫県を中心として各地に店舗を開設。
1963年
東京証券取引所市場第二部に株式を上場。
1963年
住宅機器、空調機器の販売ならびに空調設備工事の設計施工業務を開始
1963年
府中市中河原にて住宅地開発を開始。戦後の住宅事業を本格化
1963年
香港に現地法人・香港住友置業有限公司を設立
1963年
一般車両の塗色変更(ロイヤルベージュとインターナショナルオレンジのツートンカラー)を決定
1963年
横浜地下街(株)(現・(株)相鉄アーバンクリエイツ)設立
1963年
(株)福岡交通センター(現博多バスターミナル(株))の設立
1963年
奈良電気鉄道㈱(京都~西大寺間)を合併
1963年
旅客船部門の営業権および経営資産を東京湾フェリー(株)に譲渡し同社に資本参加
1963年
広島/北九州、広島/大分、松山/大分の3路線を東亜航空へ移譲
1963年
バイカウント828にて世界最初のテレビサービス公開飛行実施
1963年
福岡/鹿児島、福岡/宮崎、福岡/大村線を東亜航空に移譲
1963年
ケネディ大統領暗殺を報道(初の衛星中継)
1963年
初の衛星中継を実施、米ケネディ大統領暗殺事件を伝える
1963年
株式会社イタリア軒株式の過半数取得。(1920年10月23日株式会社に組織変更)
1963年
茨城宇宙通信実験所で、日米間初のテレビ中継受信に成功
1963年
姫川電力株式会社の株式を取得し子会社化(現・連結子会社「東京発電株式会社(1986年6月商号変更)」)
1963年
当社初の重油火力阿南発電所1号機12.5万kW、運転開始
1963年
市川工場に「コントロールセンター」を開設、テレメーター・テレコントロールシステムが稼働。
1963年
道頓堀文楽座、人形浄瑠璃の経営から手を引く 浅草松竹座閉場 株式会社大阪松竹歌劇団が日本歌劇団(NKD)に改称 松竹会館6階に松竹ボウリング開場
1963年
「マイ・フェア・レディ」初演(東京宝塚劇場)
1963年
大阪市西区北境川町4丁目15番地に、黒田商事株式会社(現:株式会社イチネンホールディングス)を設立。エッソ・スタンダード石油株式会社(現:ENEOS株式会社)と販売代理店契約締結。
1963年
建設コンサルタント業を営むことを目的として、東京都中央区銀座西(現 銀座三丁目)に建設技研株式会社を設立〃設立と同時に本社及び大阪市南区(現 中央区)の大阪支社(現 大阪本社)で開業
1963年
経営相談及び経営に関する講座、出版、その他用具の販売、並びに付帯業務を目的として、株式会社田辺経営相談所を設立。
1963年
浦和研究所を設置し、本格的に地盤工学の研究・開発の場をつくるとともに、測定機器の研究・開発・製作・販売を開始。
1963年
電子機器、ベアリングの販売を目的として三住商事株式会社を設立
1963年
法人化し、資本金600万円で小郡商事株式会社を設立。