1966年
神奈川県横浜市に羽沢倉庫(現 羽沢事業所)を開設、商品包装・発送の基地とする
1966年
村上建設株式会社を吸収合併(増加資本金103百万円)
1966年
本店を大阪市阿倍野区松崎町一丁目51番地に移転
1966年
関西支店(1986年4月関西支社に改称)開設
1966年
「RGパイル工法」を地下鉄千代田線工事で施工
1966年
英国シェル・リサーチ社と酸素バーナ技術導入契約締結
1966年
米国のDCA Food Industries Inc.との共同出資により「日清ディー・シー・エー食品株式会社」(日清テクノミック株式会社に商号変更)を設立
1966年
株式会社中部マイクロセンターに商号を変更
1966年
写真製版を中心としたオフセット印刷部門を開設
1966年
シンボルマークとして太陽マーク、シンボルキャラクターとしてスージーちゃんマークを使用開始当時の食パン「アメリカパン」
1966年
大阪第一工場竣工稼働(当時(株)山崎製パン大阪工場)関西に進出
1966年
人形特撮テレビシリーズ『サンダーバード』をNHKに配給
1966年
大阪市阿倍野区にて株式会社商工通信を設立、近畿、関東、九州へ進出し、各地に支店を開設
1966年
麟鳳商会、ホテルエコー株式会社に商号変更
1966年
伊藤園の前身「フロンティア製茶株式会社」を静岡県静岡市に設立
1966年
浜松プロパンスタンド株式会社(現・浜松プロパンスタンド有限会社)設立
1966年
キユーピー倉庫株式会社(現 株式会社キユーソー流通システム)設立
1966年
札幌富士ビル(現HULIC SQUARE SAPPORO(Ⅱ期))竣工
1966年
呉羽紡績株式会社と合併、ナイロン事業へ進出(敦賀ナイロン工場、現・敦賀機能材工場)
1966年
株式会社綿半銅鉄金物店から綿半鋼機株式会社に商号変更する東京都新宿区四谷に綿半野原ビル完成 綿半グループの東京本社となる
1966年
米国にToray New York社(現 Toray Industries (America)社[TAM])を設立
1966年
岡山工場で人工皮革<クラリーノ>の生産開始
1966年
株式会社長野電子計算センターとして長野県長野市に設立
1966年
白河パルプ工業株式会社と合併し、白河工場(現在の白河事業所)および北上工場(現在の北上ハイテクペーパー(株))を当社工場とする。
1966年
新潟工場の再建工事完成(2号機移設、3号機新設)
1966年
海外留学制度の第1号生が米国メーン大学へ留学
1966年
「クレハBTA」(MBS系耐衝撃強化剤)製造開始
1966年
大日本産肥株式会社(現連結子会社)の株式取得
1966年
低密度ポリエチレン(LDPE)、エチレン酢ビコポリマー(EVA) 生産開始
1966年
機能・加工製品事業開始(デンカポリマー(株)現・連結子会社)
1966年
本社を大阪市北区太融寺町33番地(大阪合同ビル)に移転
1966年
大阪工場で硬質塩化ビニールコンパウンド「カネビニールコンパウンド」を生産開始
1966年
耐熱ABS系樹脂「カネカMUH」を開発、高砂工業所で生産開始(2001年譲渡)
1966年
協和油化(株)設立(協和発酵工業(株)の化学品製造子会社。大協和石油化学(株)の誘導品部門を分離)
1966年
アイカアメリカン社設立(米国カリフォルニア州ガーデナ市)
1966年
奈良県天理市に天理工場設置、発泡ポリスチレンシートの製造を開始
1966年
(株)野村電子計算センター(NCC)設立(1972年に野村コンピュータシステム(株)に社名変更)
1966年
空気酸化を応用したイソブチレン誘導体「PTBBA」の製造開始
1966年
米国の医薬品メーカー、アボット・ラボラトリーズと折半出資により「サンアボット有限会社」(現・サンアプロ(株))(現連結子会社)を設立。(注.現在の折半出資相手はエボニックインターナショナルホールディングB.V.)
1966年
米国のノプコ・ケミカルと折半出資により「サンノプコ(株)」(2001年に100%子会社化、現連結子会社)を設立。
1966年
食品専門工場として盛岡工場設置(2008年8月に生産機能をタジマ食品工業株式会社へ移転集約し閉鎖)。
1966年
電力ケーブル・静電防止フィルム用半導電性コンパウンドを開発。
1966年
劇場長編アニメ作品「ガリバーの宇宙旅行」がアメリカ国内でも公開。
1966年
ドイツ・デュッセルドルフに欧州市場を統括するFuji Photo Film (Europe) GmbH(現 FUJIFILM Europe GmbH)を設立
1966年
初の量産型光学式プラネタリウム「MS-10」一号機を設置
1966年
財団法人橘保善会(現 コニカミノルタ科学技術振興財団)設立
1966年
財団法人橘保善会(現 コニカミノルタ科学技術振興財団)設立
1966年
サマー・キャンペーン「太陽に愛されよう」撮影のため、日本の広告で初めて海外ロケをハワイで実施
1966年
手になめらかなローションタイプの食器・野菜用洗剤『ママレモン』を発売
1966年
共同石油(現 ENEOS)グループに参加
1966年
米国での自動車タイヤ販売を促進するため、業界に先駆け、「Toyo Tire (U.S.A.)Corp.(現、 Toyo Tire U.S.A.Corp.)」を設立
1966年
わが国初のラジアルタイヤ「SP3」の生産開始
1966年
平坦で大きなガラスをつくれる新技術・フロート法による板ガラスの生産を開始
1966年
滋賀興産株式会社を合併(多賀工場、彦根工場)
1966年
米国NGKスパークプラグ(株)設立(販売会社)
1966年
共英特殊鋼(株)を吸収合併し、当社放出工場とする(1989年3月閉鎖)
1966年
仁豊野工場、市川工場を本社工場内に移設集約。
1966年
米国シグノード社と提携、同社のパッキングシステムに使用する磨帯鋼の独占的製造販売権を取得。
1966年
川崎製造所 熱間圧延機(プラネタリーミル)稼働
1966年
スポンジチタンがJIS表示許可を受ける
1966年
「昭和線材加工株式会社」 (現 昭和リサイクル株式会社) 設立
1966年
[ダイカスト事業] 三良坂工業株式会社(現リョービミラサカ株式会社)を設立
1966年
[ダイカスト事業] 御調工業株式会社(現リョービミツギ株式会社)を設立
1966年
釣具の製造販売を開始 ( 2000年9月 釣具事業を譲渡 )
1966年
日本文化シヤッター(株)(本社:東京都台東区)の本社を東京都板橋区に変更
1966年
軽量シャッター用中間施錠「ハイロック」発売
1966年
高尾金属工業株式会社:滋賀県甲賀郡土山町(現滋賀県甲賀市土山町)に滋賀工場建設
1966年
ベーナイト組織焼入鋼帯(ハイベント)の開発に成功。量産工業化
1966年
LA-N形NC旋盤製造開始。LA-N形NC旋盤
1966年
株式会社 東芝との共同開発により、国産第一号のNCガス切断機を完成。
1966年
立体自動倉庫(モノレールスタッカクレーン)を開発。
1966年
石川県能美郡寺井町(現 石川県能美市吉光町)にて個人創業。
1966年
アルミ用8ステーション金型鋳造機(PM型)開発
1966年
高所作業車(AS-B4)の量産を開始。
1966年
南ア連邦との技術提携調印。ノックダウン工場始動。
1966年
ミルフロー制御容量ポンプを自社開発し、製造販売開始。
1966年
スイス ルーワ社と薄膜式蒸発装置精溜装置を中心としたプラント製作に関する業務提携契約を締結、石油化学・薬品・食品・油脂等の新分野に進出。
1966年
日本初の高層自動倉庫「ラックビルシステム」を小牧工場内に完成、公開。松下電器産業・電機事業部に1号機を納入。
1966年
トラッククレーン TL-125 を発売[専用キャリヤ架装]
1966年
株式会社中央製作所設立(本社 愛知県名古屋市)。名古屋工場、東京支店、大阪支店、本社業務部(現本社)を開設。
1966年
(株)中島製作所(現社名JUKI松江(株)(現連結子会社))の株式の過半数を取得
1966年
ブラザー最初の本格的エレクトロニクス製品となる電子卓上計算機の生産開始
1966年
東京都港区にホシザキ東京株式会社(現 連結子会社)を設立。
1966年
富士山測候所、世界最大のパラボラアンテナ向け軸受け
1966年
愛知県海部郡に洋ベア特殊合金株式会社(現 NTNアドバンストマテリアルズ株式会社蟹江工場)を設立。
1966年
東海原子力発電所に原子力圧力容器等を納入
1966年
騒音防止装置の開発によりエンジン発電機、エンジン溶接機にこれを採用する
1966年
電動ポンプのノルウェー規格(NEMKO)取得
1966年
高性能でコンパクトなモーター(REタイプ)を発売。
1966年
自動車部門を新設し、自動車用電気部品の製造販売を開始。
1966年
キュービクル式高圧受電設備の製造販売を開始
1966年
真空冶金事業部を分離し、真空冶金株式会社を設立。
1966年
「八欧電機株式会社」を「株式会社ゼネラル」に 改称
1966年
業界初のフルオートチューニングステレオ KHR-832D を発売
1966年
銀座・数寄屋橋交差点にソニービルがオープン
1966年
国産初OEMでのカセットテープを発売 開発した音楽用カセットテープが爆発的に普及。TDKの名が世界へ。
1966年
宮城県栗原市に若柳電子工業株式会社を設立(2012年10月、(株)若柳タムラ製作所へ社名変更)
1966年
初の海外進出、香港に現地法人 香港星電(有)を設立
1966年
当社関係会社として埼玉県入間郡日高町にコマ電子工業㈱を設立(2004年4月 新電元スリーイー㈱と合併)
1966年
山武ハネウエル計器株式会社を山武ハネウエル株式会社(現:アズビル株式会社)と商号変更
1966年
山武プレシジョン株式会社(現:アズビル株式会社)を設立
1966年
全国代行店制度を組織、全国の販売網を確立。
1966年
自動血球計数装置「CC-1002」発売
1966年
米国にシカゴ営業所、ロスアンゼルス出張所を開設 海外初の営業所の設立は、貿易の自由化など、世界の潮流を見越しての対応。
1966年
神奈川県川崎市下沼部にイリソ電子工業株式会社を設立
1966年
1000kV超高圧電子顕微鏡 JEM-1000完成
1966年
平面研削盤の量産化体制を整え外販を開始
1966年
ICリードフレーム打抜き用のタングステンカーバイド試作金型を開発
1966年
アメリカ(イリノイ州)にシカゴ事務所を開設
1966年
当社初のICパッケージ・ DIP-10生産開始
1966年
正特性サーミスタ「ポジアール®」の生産を開始。
1966年
小形電解コンデンサを生産するために、宮城工場(宮城県大崎市、現ケミコン東日本株式会社宮城工場)を建設。
1966年
電解コンデンサ用箔を専門に加工する会社として、株式会社ヒタチ電解箔研究所(茨城県高萩市、89年にKDK株式会社に商号変更、現日本ケミコン高萩工場)を設立。
1966年
ホーバークラフト国産第一号艇タイ国へ輸出
1966年
世界最大の高炉用軸流ブロワーを 日本鋼管株式会社(現 JFE スチール株式会社)向けに完成
1966年
世界初の20万トン級タンカー「出光丸」就航。
1966年
スカイライン、グロリアを持つ「プリンス自動車工業株式会社」(富士重工業等と共に分割解体された旧中島飛行機の一部で、冨士精密工業の後身)を合併。
1966年
「泰国いすゞ自動車(IMCT)」を設立
1966年
富士重工業(株)と業務提携(1968年5月解消)
1966年
トヨタレンタカーサービス(株)(現 トヨタレンタリース東京)を設立
1966年
東富士工場(現 東富士研究所)の自動車性能試験場完成
1966年
自工・自販・日野自工・日野自販、業務提携を発表
1966年
韓国の新進自動車工業とCKD組立で提携(1972年10月提携解消)
1966年
全国の特約販売会社の社名に「三菱自動車販売」を冠称
1966年
鈴木自動車工業株式会社(現スズキ株式会社)と取引開始
1966年
日本楽器製造(株)より輸出業務を全面移管
1966年
台湾の功學社股公司と二輪車の生産技術援助契約を締結
1966年
テイケイ気化器(株)(現・連結子会社)に資本参加し子会社化
1966年
現・上田計測機器工場の第3期工事完成、本社を上田市秋和へ移転
1966年
日本原子力研究所と研究契約を結び、針付縫合糸のCo 60 γ線滅菌の研究を日本で最初に開始。
1966年
パイプ接着の針付縫合糸の販売を試みるため、MANIブランドのロゴとコーポレートカラーを黄色と制定。
1966年
米国・ロサンゼルスに海外駐在員事務所を開設
1966年
国産初の電子色分解装置「スキャナグラフI型」を開発
1966年
半導体製造装置用超精密縮小カメラ「アンバサダー C-59」を開発
1966年
レンズ原器、超精密レンズ、プリズムの生産開始
1966年
各種一眼レフカメラにオート絞りで使用できる マウント交換方式「タムロン・アダプトマチック」レンズ群の開発に成功。ITV用・放送用テレビレンズ等を生産開始
1966年
国産初の電子ウオッチ「エックスエイト」発売
1966年
財団法人ヤマハ音楽振興会を発足(2011年、一般財団法人に移行)
1966年
西ドイツ(当時)に販売子会社 ヤマハ・ヨーロッパを設立
1966年
タカラ販売株式会社を設立(全額出資)、阪神地区の販路拡充を図る
1966年
Browning社(米国)と販売・技術提携
1966年
東通株式会社(旧・浅野財閥の浅野物産の後身)を合併する。その際に東京支社を東京本社に昇格し、2本社制を採用した。管理本部の殆どを大阪本社から東京本社に置き、丸紅の本社機能は実質的に東京に移った。
1966年
本社所在地を大阪府大阪市東区本町から東京都中央区日本橋に移転
1966年
ブリヂストン液化ガス(現:ENEOSグローブ)に資本参加。
1966年
名古屋雑貨支店新設(現 名古屋ライフ支店)
1966年
アルプス石油販売株式会社(現 ミタニ滋賀株式会社・現 連結子会社)設立
1966年
米国にTheShinshoAmericanCorp.(現・ShinshoAmericanCorp.:連結子会社)設立
1966年
東京都千代田区に東京営業所(現ファーマパッケージング事業部 技術営業部)を開設。
1966年
医薬品部を医薬事業部と改組し、販売体制の強化・拡充を図る
1966年
台湾に駐在員事務所を開設(同年11月 台湾三栄股份有限公司に改組)
1966年
詩集「愛する歌」発行。出版物の企画・販売業務開始。
1966年
オリジン電気株式会社(現、株式会社オリジン)と代理店契約を締結。
1966年
半導体シリコンウエハー加工のための研磨部を発足し、群馬県群馬郡群馬町(現 高崎市足門町)に工場を建設
1966年
新日本瓦斯株式会社設立(都市ガス事業に進出)
1966年
社名を「株式会社長谷川仏壇店」とし、法人化する。
1966年
コンピュータおよび関連機器の販売 ならびにソフトウェア開発業務を開始
1966年
電子計算部を分離独立させて、株式会社野村電子計算センターを設立(1972年12月、野村コンピュータシステム株式会社に社名変更 1988年株式会社野村総合研究所を合併し、社名を株式会社野村総合研究所に変更)
1966年
蒸気機関車の運転を全廃(貨物線の全線電化完成)
1966年
向ヶ丘遊園モノレール線(向ヶ丘遊園~向ヶ丘遊園正門間)開通
1966年
京都~宇治山田間直通特急運転開始(1日2往復、2時間30分)
1966年
内航部門を分離し、川崎近海汽船㈱を設立。
1966年
川崎支店第1次サイロ竣工、以降サイロ商品の取扱いが本格化
1966年
キユーピー株式会社の倉庫部門より分離・独立し、東京都調布市仙川町で資本金1,000万円にて『キユーピー倉庫株式会社』を設立
1966年
NNN(ニッポン・ニュース・ネットワーク)結成
1966年
大阪市大淀区(現・北区大淀南)に本社屋を移転
1966年
株式会社BSN電子計算センター創立。(現・連結子会社)(1985年10月1日株式会社BSNアイネットに社名変更)
1966年
KDD、茨城衛星通信所開所。日米間テレビ伝送開始 インテルサット太平洋衛星にアクセスする地球局の役目のほか、パンナムサットやアジアサットを介したテレビ中継の用途にも供された。
1966年
北海道伊達市に株式会社長和石油を設立(資本金500万円)、石油類の販売を開始。
1966年
創業者 奥田耕己が、当社の前身、丸栄計算センター(株)を設立
1966年
日本初のオンライン安全システム「SPアラーム」を開発、サービスを開始。ご契約先に防犯・防火センサーを取り付け、通信回線を通じて当社が24時間遠隔監視。異常が発生すれば緊急対処員が駆け付ける。
1966年
株式会社事務計算センターを東京都港区に設立。
1966年
ソフトウエア開発事業および受託計算事業を開始。
1966年
東京都中央区銀座西六丁目6番地に資本金100万円をもって、常駐警備を主たる事業目的とするセントラル警備保障株式会社を設立。
1966年
公認会計士・税理士 飯塚毅、栃木県宇都宮市に株式会社栃木県計算センターを設立
1966年
東京都練馬区羽沢に中華飯店「松屋」開店。(創業)