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各企業の年別活動

各企業における1954年での活動

Year
[証券コード]会社名
活動内容
1954年
東急不動産(株)と合併、同社の建設工業部となる
1954年
世界平和記念聖堂 竣工
1954年
合名会社水野組を合併(呉市)。東京、名古屋、大阪、中国、福岡、南九州に支店開設。
1954年
初の注入コンクリート工事(橋梁橋脚部)を施工
1954年
本店を富山市東田地方5番地に移転
1954年
技術員養成所を開設(現 きんでん学園)
1954年
協和電設株式会社設立(本社:東京都港区芝浜松町)
1954年
日本電信電話公社(現NTT)から電気通信設備の通信線路・通信機械・伝送無線に資格認定
1954年
サーフェス・コンバッション社(SC社)との技術導入契約調印(5月19日)
1954年
初の海外工事を経験(フィリピンA型交換機据付)
1954年
日本初のバンドオーブン導入。
1954年
「6Pチーズ」大量生産化
1954年
摂津酒造株式会社より灘第二工場(現・白壁蔵)を買収。
1954年
大阪支店を開設
1954年
パーム核油の搾油を開始
1954年
サンパウロ・パリ・バンコク・シンガポール・香港に事務所設置
1954年
資本金1億円となる 九州出張所(現九州支店)開設 とんかつソース発売
1954年
資本金を10億円に増資
1954年
片倉ハドソン靴下株式会社を設立(昭和37年に片倉ハドソン㈱と社名変更)
1954年
婦人靴下「キヤロン」ブランドを製造、販売
1954年
衣料品事業部門の始まり
1954年
小千谷製糸所、自動繰糸機の開発と実用化で 第6回毎日工業技術賞受賞
1954年
「共同羊毛工業」(後の「倉敷ウール加工」)設立(~2000)
1954年
住友電気工業(株)と特約店契約を結ぶ
1954年
ニューヨーク駐在員事務所を開設
1954年
帝人久村奨学生制度創設(現 公益財団法人帝人奨学会)
1954年
紀州製紙パルプ(株)紀州工場で洋紙の生産を開始
1954年
川内工場開業、クラフトパルプ(KP)生産開始
1954年
川内工場、1号抄紙機稼動、洋紙(クラフト紙)生産開始
1954年
川内工場開業、クラフトパルプ(KP)生産開始
1954年
川内工場、1号抄紙機稼動、洋紙(クラフト紙)生産開始
1954年
川内工場開業、クラフトパルプ(KP)生産開始
1954年
川内工場、1号抄紙機稼動、洋紙(クラフト紙)生産開始
1954年
クラフトパルプ製造設備、KPI設備を新設
1954年
四国初のKP工場で未晒パルプの製造を開始する
1954年
化成品部門・黄リン・リン酸製造開始
1954年
四日市に硫酸法酸化チタン工場完成
1954年
青柳工場、メラミン生産開始 (1971年 生産中止)
1954年
川崎工場を新設し、液化酸素、液化窒素、液化アルゴンの製造を開始。
1954年
日本蒸溜工業株式会社を設立。(現日触テクノファインケミカル株式会社 現連結子会社)
1954年
チーグラー法ポリエチレンとの出合い
1954年
三井化学工業の石田社長が欧米視察に訪れた際、チーグラー博士と出会いチーグラー法ポリエチレン技術のすばらしさに感銘を受ける。これをきっかけに2年後、三井化学工業は独占ライセンス権を正式契約、後の三井石油化学工業でのエチレン生産開始につながっていく。
1954年
網干化工工場河内分工場(現 播磨工場)を新設、無煙火薬の製造を開始
1954年
アドヘア化工株式会社(現:積水樹脂株式会社)設立
1954年
ユリア樹脂木材接着剤が我が国初のJIS表示許可(新川工場)
1954年
シェルモールド用レジン(鋳物用樹脂)製造開始
1954年
ロケット用推進薬製造開始
1954年
花王石鹸と花王油脂が合併し、新・「花王石鹸株式会社」となる。
1954年
ビタミンB1誘導体「アリナミン」を発売 ビタミンB1誘導体製剤(ビタミンB1の体内への吸収を高めた製剤)「アリナミン」の開発に成功、発売を開始する。ちょうどその頃、戦後の食糧難からくる栄養不足を改善するため食品強化用ビタミンの供給を始める。
1954年
西大路工場内に総合工場を設置(2001年11月に京都工場を閉鎖)。
1954年
胃腸薬「シロン」発売。
1954年
中将湯糖衣錠「ラムール」を発売
1954年
米 Sun Chemical社との技術提携契約を締結
1954年
インターケミカル社〔現 BASF社〕と顔料捺染剤「アリダイ」および金属用塗装剤「フィニッシェス」に関する技術提携契約を締結。
1954年
塩ビ電線被覆用着色剤「TVEカラー」を販売開始。
1954年
静岡県清水市(現・静岡市清水区)に清水工場、研究所(現・化学研究所製剤技術研究センター)を設置。
1954年
日本初のスノータイヤ「Y-29」発売
1954年
わが国初のチューブレスタイヤを開発
1954年
自動車用防振ゴム事業参入
1954年
複層ガラス「ペヤグラス®」の生産を開始
1954年
シリコーンゴム加工研究開始し、樹脂加工部門開設
1954年
浜松工場を新設
1954年
炭化ケイ素系の焼成窯用棚材・支柱を開発
1954年
呉工場が完成し、冷間圧延鋼板・磨帯鋼の製造を開始。
1954年
株式会社愛鋼工業所(現在の愛鋼株式会社)を子会社化
1954年
合金鉄、特にフェロニッケルの将来性に着目し、新発田工場の砂鉄銑設備をフェロニッケル製錬設備に転換
1954年
三菱セメント(株)設立。セメント事業に進出。
1954年
フィンランドのオートクンプ社から自熔製錬技術を導入する
1954年
月産25トンのチタン工場完成
1954年
神奈川県茅ヶ崎市に工場を建設
1954年
第1工場でスポンジチタンの生産を開始(設備能力240t/年)
1954年
対米輸出開始
1954年
国産化成功 オイルテンパー線
1954年
静岡県沼津市に沼津工場を開設
1954年
プラスチック製品の製造を開始
1954年
帝国クラウンコルク株式会社(現日本クロージャー株式会社)が東洋製罐グループに参加
1954年
東京都大田区糀谷町に東京羽田工場を設置(1967年12月廃止)
1954年
東京営業所(現関東支社)を開設
1954年
内面研削盤IGMシリーズを開発
1954年
モーターブロックおよびバルブコントロールの生産開始。
1954年
防衛機器に進出、東京研究所を設置
1954年
丸山熱農具(株)[現 日本クライス(株)]を設立
1954年
シェルモールドマシン第一号機SHM型)開発、鋳造プラント初輸出
1954年
米国ミルトン・ロイ社の総代理店として、ミルトン・ロイポンプ(制御容量ポンプ)の販売開始。
1954年
機械式トラッククレーンの生産を開始する。
1954年
大阪支店を開設する。
1954年
油圧式産業機械の開発着手
1954年
ダンプトラック第1号車が完成
1954年
油圧式産業機械の開発着手、ダンプトラック第1号車が完成
1954年
羽田工場にJIS規格基拠の流量 試験設備竣工
1954年
家電製品の第1号撹拌(かくはん)式電気洗濯機の生産開始
1954年
家庭用編機KH1-B1の生産開始
1954年
輸出機関としてブラザーインターナショナル株式会社を設立
1954年
米国・ニューヨークに販売会社 ブラザーインターナショナルコーポレーション(U.S.A.)を設立(当初はBIC of N.Y.)
1954年
椿本鋼球製造株式会社に社名変更
1954年
日本の機械工業界で初のデミング賞を受賞。
1954年
大型ストリップミル国産第1号機を完成。
1954年
国産第1号の産業用テレビITVを完成
1954年
超小型電磁開閉器の製造開始 斬新な設計により超小型化を実現。
1954年
セレン整流器の量産開始 テレビ・ラジオブームの需要に応え、交流を直流に変える電子部品セレン整流器がシェア80~90%を占める大ヒット製品に。
1954年
技術研究所設置
1954年
ブラウンボベリ社(スイス)と直流機器に関する技術提携
1954年
小型マグネットモーターおよび電気機器、ならびに模型教材、玩具等の製造を目的として東京都葛飾区に東京科学工業株式会社を創立し、本格的な製造販売を開始する。
1954年
アルニコマグネットを用いたアルニコモーターを開発する。
1954年
九州化成株式会社設立(現 株式会社戸上化成)
1954年
電流制限器及び配線用遮断器の製造を開始。
1954年
配電函、鉄箱開閉器の製造販売を開始
1954年
東京都豊島区に東京事務所開設
1954年
育徳園保育所を開設
1954年
本社を大森工場に移転
1954年
10形世界初の前面スピーカ方式白黒テレビ10T-1 の生産・発売を開始(10インチ角型70°偏向で国産初の静電集束方式ブラウン管を採用)
1954年
東京都渋谷区代々木新町[現 渋谷区西原]に本社ならびに工場を建設し、移転
1954年
川崎市(日本電気株式会社玉川工場内)に工場設置
1954年
大阪サービスステーション(現・西日本営業所)を開設
1954年
電子計測器専門メーカーとして、資本金50万円をもってタケダ理研工業株式会社を愛知県豊橋市に設立
1954年
株式会社田葉井製作所に改組。
1954年
各地に整備工場を設置する「指定サービスステーション制度」を開始 各地のエンドユーザーへのサービス向上を図るために設置。現在では、世界中にサービス網を整備
1954年
技能養成所を開設 「モノづくりは人づくり」「技術と技能の両輪」の思想は、今日にも受継がれる。
1954年
小型電気式計算機(ソレノイド式)試作機を開発
1954年
東洋電具製作所として創業
1954年
炭素皮膜固定抵抗器の開発、販売開始
1954年
熱処理後総研削仕上げ金型1号機を納入
1954年
小型フェライトコア「フェリットコア」の生産を開始
1954年
西枇杷島町内に新たに土地を購入し、本社を移転
1954年
三菱鉱業およびグループ20社の出資で三菱セメントを設立
1954年
三菱商事は不二商事、東西交易、東京貿易を合併、大合同を実現
1954年
株式会社呉造船所として播磨造船所から分離設立。
1954年
株式会社富山ファイナンス設立
1954年
FA型大型トラックを発表
1954年
トヨタジープの愛称を「ランドクルーザー」に決定
1954年
トヨペット整備(株)(現 トヨタテクノクラフト(株))を設立
1954年
技術本館(テクニカルセンター)完成
1954年
日本自動車学校(現 トヨタ東京教育センター)を開校(東京立川市)
1954年
国産ジープの販売会社として菱和自動車販売株式会社(のちの新三菱自動車販売株式会社)を設立
1954年
航空発動機の修理開始
1954年
自吸式ポンプの生産開始
1954年
航空機機体の修理開始
1954年
東京都立川市に立川スプリング株式会社を設立
1954年
鈴木自動車工業株式会社に社名変更。
1954年
鈴木自動車工業株式会社 (現、スズキ株式会社)と取引開始。
1954年
帝都布帛工業株式会社シート部として二輪車用シートの製造を開始
1954年
毒物劇物一般販売業の許可取得することにより、一般の化学工業薬品の他に毒物劇物の化学工業薬品の販売を開始
1954年
(現)三菱商事株式会社が資本参加。以後、農水産物の缶壜詰類のほか一般加工食品の取扱いを逐次拡充。
1954年
業務拡張に伴い、本社を大阪市北区堂山町に移転。
1954年
ソニー製品の卸部を強化し、同時に(株)タムラ製作所の各種トランス、(株)広瀬商会製作所(現・ヒロセ電機(株))・多治見無線電機(株)の各種コネクタの販売を開始。
1954年
圧力計日本工業規格表示工場の許可を授く
1954年
計量管理モデル工場に指定される
1954年
油圧機器の製造を開始。
1954年
「実体顕微鏡SM型」発売 実体顕微鏡は左右両眼で観察することで立体視が可能。「実体顕微鏡SM型」は、3段変倍系を内蔵し、変倍しても焦点が変わらず、落射照明装置も付属しているこの型は国産では当時唯一のものだった。
1954年
埼玉県秩父市大字山田に資本金2,000万円をもって株式会社秩父英工舎を設立。
1954年
テレビ放送開始にそなえ、NHK技術研究所とテレビカメラを共同開発
1954年
東京都港区に移転し(有)桜井広済堂に組織を変更
1954年
「ヤマハ音楽教室」の前身となる教室を開講
1954年
オーディオの製造を開始(HiFiプレーヤー)
1954年
欧米で急速に発展したプラスチック産業への特化を図り、天馬合成樹脂株式会社に社名を変更。
1954年
浜松市において、婦人会服「トッパー」の直接販売を開始
1954年
東京冷凍工場竣工
1954年
デパート、スーパーなどに出店販売の築地食品株式会社設立。
1954年
総合商社・三菱商事が新発足、東京・大阪両証券取引所に株式上場。
1954年
ドイツ(デュッセルドルフ)に海外事務所を開設
1954年
大阪支店、新潟支店、秋田支店、福島支店新設
1954年
福岡出張所(現・九州支社)を開設
1954年
富士セメント株式会社(現日鉄セメント株式会社)の特約販売店となる
1954年
日本電気硝子 の西日本地区総代理店となったのを機に、京都市下京区に日本硝子商事 を設立。アンプル用硝子管・錠剤瓶用硝子管の販売を開始。
1954年
アトラス雑貨貿易(株)と共和貿易(株)を合併 東栄貿易(株)と改称
1954年
三興燃料株式会社を買収し、同社の商号を千葉煉炭工業株式会社(株式会社チバネン)に変更
1954年
名古屋出張所(現名古屋オフィス)開設
1954年
株式会社防府専門大店設立
1954年
防府市に宮市店を開設し、食料品、日用雑貨、衣料品等の販売を開始創業当時の宮市店
1954年
商号を株式会社丸久に変更
1954年
パーツ販売店より、家電専門店に転換
1954年
ロイヤル中洲本店にマリリン・モンロー、ジョー・ディマジオ夫妻来店
1954年
毎週木曜日定休開始
1954年
石川県金沢市に(株)大和印刷社(現・連結子会社)を設立。
1954年
株式会社帝国銀行、株式会社三井銀行に行名復帰
1954年
函館に資本金330万円の「デパート信用販売株式会社」を設立。
1954年
クーポン券を発行し会員を募集するデパート月賦事業を開始。
1954年
取締役社長に伊部政次郎が就任、常務取締役に渡邊達弥・山根要が就任。
1954年
協同組合広島クーポンを設立
1954年
国際航業株式会社に商号変更
1954年
浅草駅に初の自動券売機を設置(機械式)
1954年
(株)京浜百貨店(現(株)京急ストア)を子会社化
1954年
大森水上レクリェーション(株)(現京急開発(株))を子会社化
1954年
川崎鶴見臨港バス(株)を子会社化
1954年
西鉄観光(株)(現西鉄旅行(株))の設立
1954年
航空船舶代理店事業を近畿日本航空観光㈱に譲渡
1954年
テレビ付特急列車運転開始
1954年
ユーゴスラビア向けレーヨンビスコースのプラント輸出一貫作業を受注
1954年
特別積合せ貨物運送事業(路線事業)を開始
1954年
富山~名古屋間の定期路線運行開始
1954年
富山~東京間の定期路線運行開始
1954年
東京~大阪間の定期路線運行開始
1954年
興国汽船㈱を吸収合併。
1954年
東京~ホノルル~サンフランシスコ線開設により、本邦企業初の国際線定期輸送を開始。
1954年
日本ヘリコプター輸送、愛称を「日ペリ航空」に決める
1954年
山﨑埠頭倉庫株式会社を吸収合併
1954年
倉庫証券発行許可取得。
1954年
長岡中継所放送開始、長岡放送局に改称。呼出符号JODE、1062kHz.(現在)中継局 塩沢放送局 (1974.12.20) 1485kHz.柏崎放送局 (1981.5.12) 1062kHz.十日町放送局(1983.12.20) 1062kHz.小出放送局 (1994.3.30) 1026kHz.(現在)
1954年
株式会社に改組、文芸出版社としての地歩を確立。
1954年
小倉市(現 北九州市小倉北区)に本拠を移転
1954年
東興業株式会社設立(「東電工業株式会社(1961年9月商号変更)」)
1954年
北海道計器工業株式会社を設立
1954年
「ゴジラ」公開(「ゴジラ」シリーズ第1作)
1954年
「七人の侍」公開
1954年
京都撮影所、東京撮影所に新ステージ完成。
1954年
教育映画の自主製作を開始。
1954年
大井オートレース場開場、第1回大井オートレース開催
1954年
最初の社標「鈴マーク」