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各企業の年別活動

各企業における1952年での活動

Year
[証券コード]会社名
活動内容
1952年
天龍丸船団、戦後初の母船式サケマス漁業に出漁
1952年
トロール船浅間丸、北洋カレイ漁業に出漁
1952年
宮島丸船団、東部ベーリング海で母船式カレイ漁業操業、北洋母船式底曳網事業を開始
1952年
戸畑工場にてフィッシュソーセージの本格的生産を開始
1952年
商号を住友石炭鉱業株式会社に変更
1952年
池島炭鉱の開発に着手
1952年
日本初の全溶接鉄骨造 日本相互銀行本店 竣工
1952年
三建工業株式会社、三井建設株式会社と改称
1952年
大豊式潜函工法の特許登録。
1952年
商号を「東鉄工業株式会社」に変更。
1952年
わが国で初めてプレストレストコンクリートを企業化するために東日本重工業(株)七尾造船所の諸施設および従業員を引き継ぎピー・エス・コンクリート(株)を設立
1952年
建設業法による建設大臣登録(ロ)第58号
1952年
東京都北区(下十条)に王子モータープールを開設
1952年
本店を大阪市東区伏見町に移転
1952年
本店を大阪市北区南扇町の新社屋に移転
1952年
UOP社と石油精製及び石油化学に関する特許の実施及び建設に関する契約を締結
1952年
横浜工務部を「横浜市南区最戸町100番地」に設置
1952年
触媒製造工場を分離し日揮化学(株)を設立
1952年
建設業者登録番号東京都知事(ろ)第7044号として登録
1952年
札幌出張所開設(1968年4月 支店に昇格)
1952年
名古屋出張所開設(1959年3月 支店に昇格)
1952年
名古屋出張所を開設(昭和36年3月に支店へ昇格) 福岡出張所を開設(昭和36年3月に支店へ昇格、現在の九州支店)
1952年
年塗装プラント事業開始
1952年
(株)日立製作所通信機器販売特約店契約。
1952年
中央研究所を設置
1952年
工場再建により製粉能力が戦前レベルに回復し、販売体制を再編
1952年
鳥取県米子市角盤町に寿製菓株式会社を設立し、飴菓子等の製造を開始。
1952年
株式会社鎌倉海浜ホテルを連結子会社とする(2013年清算)
1952年
政府より専売アルコール工場の払下げを受け、高鍋(現・黒壁蔵)、島原の二工場とする。
1952年
中央酒類株式会社を吸収合併、市川(1964年5月松戸工場に統合)、灘第一(1995年11月廃止)、鹿児島(1965年6月廃止)の三工場とする。
1952年
設立(土木建設機械の輸入・販売)
1952年
米国バロース社(現ユニシス社)と日本総代理店契約
1952年
調理冷凍食品の販売を開始。
1952年
「お茶づけ海苔」発売
1952年
松坂屋銀座店(名店街)に出店
1952年
日中民間貿易協定の調印後、直ちに中国貿易の開始を決定。
1952年
食糧庁(現農林水産省)輸入食料取扱商社の指定を受く
1952年
大阪支店を設置
1952年
岩国新研究所を開設
1952年
帝人商事(株)創立
1952年
大阪証券取引所市場第2部に上場。
1952年
大阪特殊製鉄所が大阪チタニウム製造株式会社に商号変更。
1952年
川田工業株式会社に社名変更、同時に川田鐵工所の事業を継承
1952年
資本金を9,000万円に増資
1952年
商号を「王子製紙工業株式会社」と変更
1952年
三菱製紙健康保険組合設立。
1952年
住友化学工業株式会社に商号を戻す。
1952年
四日市に化成肥料工場完成
1952年
電解ソーダ事業進出
1952年
ソーダ灰と併産していた苛性ソーダを電解法による製造へ
1952年
松山工場(愛媛県松山市)の操業を開始
1952年
パークロールエチレン製造開始
1952年
河間工場、合金鉄を集中生産
1952年
溶解アセチレンの製造・販売を開始
1952年
西日本の販路開拓のため、大阪に支店を開設。
1952年
大阪証券取引所(現東京証券取引所)市場第一部に上場。
1952年
無水マレイン酸の製造を開始。
1952年
溶液型塩化ビニル樹脂「カネビラック」を開発、大阪工場で生産開始
1952年
榎工場メタノール製造設備操業開始(1974年12月生産停止)
1952年
京都工場開設、塩化ビニル管「エスロンパイプ」の本格製造開始
1952年
蒲原工場(静岡県)が完成し、塩化ビニル樹脂生産開始。
1952年
ASAHI AVバルブの製造を開始
1952年
製品開発・研究拠点である包装科学研究所を設立
1952年
ペンタエリスリトールの製造を開始
1952年
現名誉会長・赤澤庄三は大阪大学薬学部の研究生として医薬品の研究を行う
1952年
農業用乳化剤および展着剤の技術開発に成功し、製造開始 工業用各種界面活性剤並びに製紙用助剤の製造開始
1952年
トール油の試験生産を開始
1952年
点眼薬「ロートペニマイ目薬」発売。
1952年
本店を東京都中央区に移転
1952年
合成樹脂技術の発展を目指し、外資合弁会社を設立
1952年
合成樹脂の用途は印刷インキや塗料にとどまらず、接着剤、建材、紙加工、強化プラスチック、繊維加工など多岐にわたっていたことから、JRCの設立は当社にとって非常に大きな価値を持つことになりました。
1952年
包装用インキ製造販売開始
1952年
合成樹脂ビヒクルを用いた樹脂型オフセットインキの製造を開始。凸版用プロセスインキ「ジェムトーン」、オフセット枚葉インキ「クヰックセットインキ」、オフセット輪転インキ「ヒートセットインキ」を発表。
1952年
水性アニリンインキ、アルコール性アニリンインキを開発。
1952年
日動映画株式会社へ商号変更。
1952年
初の米国拠点を設立
1952年
本社を現在地に移転
1952年
神奈川県の平塚工場建設第1期が完成、ベルト、大型タイヤ、ビニールなどの生産を開始。横浜工場は閉鎖
1952年
インドネシアと電解苛性ソーダのプラント輸出契約を締結
1952年
舞鶴工場の操業開始(現・舞鶴事業所)
1952年
伊吹工場を新設
1952年
増資(10百万円)
1952年
本店を東京都中央区銀座東に移転
1952年
うず巻形ガスケット(ボルテックス®ガスケット)の製造販売を開始。東京証券取引所店頭売買承認
1952年
本社を大阪市東区博労町(現中央区)に移転。
1952年
本社を熱田工場に移転
1952年
神戸及び大阪証券取引所に株式を上場
1952年
新日本鋳造株式会社、商号を変更し日本鋳造株式会社に復帰
1952年
新資本金5,000万円
1952年
商号を東京鋼材(株)から三菱鋼材(株)に変更
1952年
日亜製鋼株式会社より分離独立、日亜鋼業株式会社として資本金5,000万円にて設立
1952年
カナダのアルミニウムリミテッド(後のアルキャン社、現・リオ・ティント社)と資本・技術提携
1952年
神岡鉱業(株)から三井金属鉱業(株)へと商号を変更
1952年
「安中運輸株式会社」を設立
1952年
太平鉱業(株)が三菱金属鉱業(株)に商号変更。
1952年
社名を住友金属鉱山(株)に改称、同時にヰゲタマークの使用を復活
1952年
柵原で硫化鉄鉱の新鉱床を発見(下部鉱体)
1952年
日本初のチタン試験工場を完成
1952年
住友金属工業株式会社が資本参加
1952年
商号を大阪チタニウム製造株式会社に変更
1952年
日本初のチタン工場
1952年
「多摩川電線株式会社」 設立
1952年
社名をオーナンバ化工株式会社と改め、ビニル電線、ビニル被膜品、ビニルチューブ類の製造に転換
1952年
大阪市城東区に朝日化学研究所として創業
1952年
写真定着液からの銀のリサイクル事業を開始
1952年
日本初のスプレー式殺虫剤の生産を開始
1952年
空間にさっとひと吹きするだけで、迅速な駆除が可能になる
1952年
東京都港区芝田村町に東京事務所を開設
1952年
大阪出張所(現 大阪支店)を開設する
1952年
高尾金属工業株式会社:和歌山県田辺市に高尾金属工業株式会社を設立
1952年
トヨタ自動車株式会社他、数社に自動車エンジン用弁ばねの納入を開始
1952年
平田工業株式会社が、本田技研工業株式会社向けのオートバイ、スクーター部品の生産を開始
1952年
ばね座金、JIS表示品目として指定される(表示許可番号第1990号)
1952年
商号を旭ダイヤモンド工業株式会社に復帰
1952年
自動車用プレス型の生産開始。
1952年
チャック、空圧機器の製造開始
1952年
サイジングマシン等の製造を開始。
1952年
バルブコック専門工場に転換し、その製造販売を広める
1952年
「株式会社日本オイルレスベアリング研究所」設立(資本金100万円)
1952年
モーターグレーダーの生産開始
1952年
池貝自動車製造(株)、中越電化工業(株)を吸収合併し、それぞれ川崎工場、氷見工場として発足
1952年
ユニオン・カーバイド社(米)より各種合成樹脂、コロンビア活性炭その他の販売権を獲得
1952年
稲毛工場JIS表示許可工場に指定
1952年
会社の商号を荏原実業(株)に変更
1952年
大阪工場を新設し、木工機及び各種チッパーの製造工場とする
1952年
W2セロファン包装機第1号機を完成
1952年
ブランド名「エアマン」採用。
1952年
ローム・アンド・ハース社[現 DuPont社](米国)と提携し、イオン交換樹脂アンバーライトの日本総代理店となる
1952年
スイスのBuhler Brothersと技術提携。「バルクベヤ」の製造を開始。
1952年
有限会社油圧機器研究所に改組
1952年
簡易枕木移動機が好評を得る
1952年
リクレス(ドレーン分離機)1号機を納入
1952年
名古屋市昭和区天神町3丁目15番地に御器所工場を開設。
1952年
高温・高圧管フランジ用バーチカルガスケットを開発
1952年
ふっ素樹脂製品(商品名ピラフロン)の生産を開始
1952年
長坂工場が青銅製バルブJIS表示許可工場となる。
1952年
半導体の研究開始
1952年
わが国初のカルダン駆動装置完成
1952年
航空機用電装品の生産再開
1952年
三櫻工業株式会社に商号変更
1952年
家電製品・クリーナー生産開始
1952年
家電製品・ミキサー生産開始
1952年
本社を東京都目黒区中目黒へ移転、東京電気株式会社に商号変更
1952年
札幌営業所開設(現 北海道支店)
1952年
佐賀塗装有限会社設立(現 株式会社戸上メタリックス)
1952年
有限会社戸上電機サービス設立(現 株式会社戸上デンソー)
1952年
九州製罐有限会社設立(現 株式会社戸上メタリックス)
1952年
高周波応用機器の製作、高周波熱処理加工業を開始
1952年
埼玉県大和田町(現 新座市)に本社・工場を移転
1952年
各種真空装置の輸入販売を目的として、日本真空技術株式会社(資本金6百万)を創業。
1952年
フィリップス社と技術提携
1952年
販売店向け情報誌『シャープニュース』を創刊
1952年
米国・RCA社(Radio Corporation of America)とテレビで技術提携
1952年
有力代理店、販売店との連携強化のため、全国でシャープ会を結成
1952年
東京大森工場(東京・品川区)が完成、家庭電器製造部門を除く全部門を移転
1952年
17型白黒テレビ試作機17T-1を完成
1952年
鈴木和夫社長逝去。鈴木武が社長に就任
1952年
電力線搬送電話装置を開発
1952年
オージオメータ(聴力検査器 A-1002)を発売
1952年
ハネウェル・インコーポレイテッド(米国)と技術提携契約を締結
1952年
世界初の電気眼底(脳内)血圧計を発売
1952年
世界初の簡易聴力計を発売
1952年
資本金180万円で日置電機株式会社設立
1952年
有限会社富田電機製作所を設立
1952年
シールドビーム・自動車照明器具の製造に着手
1952年
デミング賞を受賞
1952年
東京出張所、京都工場設立
1952年
大阪営業所開設。
1952年
東京に本社機構を移設玉野造船所に研究部を創設
1952年
三菱重工業と日本冷蔵(のちの二チレイ)との共同出資により、東洋製作所を設立
1952年
プレストレスト・コンクリート技術の先駆者としてピー・エス・コンクリートを設立
1952年
財閥商号使用禁止等の政令廃止、三菱の商号使用を禁止されていた会社は三菱の名称に復帰
1952年
光和実業は三菱商事と改称
1952年
新光レイヨンは三菱レイヨンと改称
1952年
太平鉱業は三菱金属鉱業と改称
1952年
日本化成工業は三菱化成工業と改称
1952年
ヘリコプタの製造を開始(ベル47D型)。日本の航空機産業は、1945年の終戦とともに壊滅し、1952年に対日講和条約が発効するまで航空機の生産は禁止
1952年
米ナショナル・バルクキャリア(NBC)、呉海軍工廠跡に呉造船部開設。
1952年
イギリスのオースチン社との技術提携を元にしたオースチン・A40サマーセットのノックダウン生産を開始。
1952年
トヨタ陸送(株)(現 トヨタ輸送(株))を設立
1952年
関東自動車工業(株)に出資
1952年
重工3社など各社が本社を千代田区丸の内に移転し、三菱の社名、スリーダイヤ・マークの使用を再開
1952年
自転車用エンジンを搭載したカブF型発売。全国5,000を超える自転車販売店にダイレクトメールを送り販売網を確立。
1952年
輸送用機器へ進出。バイクモーター「パワーフリー号」(2サイクル36cc)発売。パワーフリー号
1952年
富士工業、富士自動車工業、大宮富士工業、東京富士産業 4社が合併同意文書に調印
1952年
岡崎工場を閉鎖し、名古屋工場に併合
1952年
社名を富士バルブ株式会社に変更し、東京都大田区に工場を完成し、操業開始
1952年
大阪市西区に大阪支店を開設(現 大阪営業所)
1952年
業容拡大に伴い鈴木電業株式会社を設立。
1952年
Rocke International, Inc.社と総代理店契約を締結し、米国製機器の輸入販売を開始
1952年
名古屋市千種区内山町に本社を移転。
1952年
大阪市北区太融寺に資本金30万円にて大都商事(株)を設立。
1952年
東京通信工業(株)(現・ソニーグループ(株))の特約店となり、当時珍しかったテープレコーダの販売に注力。
1952年
大阪府大阪市に大阪出張所(現 大阪支店)を開設
1952年
日本初の光電式分光光度計を開発
1952年
米国スペリー社とレーダの製造権契約を締結。
1952年
写真文化の向上のため「ニッコールクラブ」設立 木村伊兵衛、土門拳、三木淳、亀倉雄策、溝口健二、高峰秀子氏などが発起人となり設立。写真は1953年から発刊されている会報誌。中央が創刊号の表紙。
1952年
ガストロカメラ「GT-I」を発売
1952年
理研精機光学株式会社を吸収合併
1952年
資本金250万円で『泰成光学工業株式会社』設立
1952年
光学ガラスBK7製造再開。
1952年
世界初のスピードライト同調35mmカメラ「IVSb」発売
1952年
国産初のカレンダー付ウオッチ発売
1952年
日本コンタクトレンズ研究所創設
1952年
本社工場を移転(東京都港区)
1952年
日本専売公社からたばこの外函の印刷を受注
1952年
多色グラビアエンドレス版の製造に成功。メラミン化粧板(住友ベークライト向け)の印刷開始
1952年
株式会社宝商会創業(港区桜田町)
1952年
ニッピ研究所においてコラーゲン研究開始
1952年
京都市内に分散していた製造場を、京都市東山区福稲上高松町にまとめ、工場を設置。
1952年
東京工場操業開始
1952年
重油焚大型温水缶を開発、発売。
1952年
本社を横浜市西区北幸町に移転
1952年
ふっ素樹脂の加工技術研究が完了、日本で最初の製品化。商品名を「バルフロン」として生産・販売を開始。
1952年
東京都世田谷区に(株)武藤目盛彫刻を設立。
1952年
伊藤忠アメリカ会社(現・伊藤忠インターナショナル会社)を設立。
1952年
本社を大阪市東区(現中央区)に移転。
1952年
築地市場内で荷役業を営む中央小揚株式会社(連結子会社)を設立。
1952年
商号を住友商事株式会社に変更。
1952年
大阪出張所(現・大阪支社)開設
1952年
石油製品の販売開始
1952年
名古屋出張所(現・名古屋支社)開設
1952年
(株)利興商会と(株)大興商会が合併、商号は(株)利興商会、資本金1,500万円
1952年
合成樹脂の取り扱い開始
1952年
石油製品の販売を目的として、三愛石油株式会社の商号でスタンダード・ヴァキューム石油会社の代理店として発足、本店を東京都中央区銀座五丁目2番地に置く(資本金1,000万円)
1952年
東京国際空港内における構内営業を許可され、空港内に羽田営業所(現航空事業部)を開設し、航空機への給油事業に着手
1952年
〃本社を東京都中央区に移転し、東京支店を統合京都支店を開設
1952年
メリヤスメーカーから、スポーツウエア専業メーカーへと転身。 現在の方向性を確定づける。
1952年
石油製品、同器具の販売を開始(品目―灯油、ガソリン、重油、軽油等、石油器具)
1952年
大阪変圧器株式会社(現、株式会社ダイヘン)と販売代理契約を結び同社製品販売を開始。
1952年
東京都港区芝田村町(現在の港区西新橋)に東京営業所開設
1952年
米穀商米利商店を創業
1952年
バラの包装紙になる (これ以後、バラの花が高島屋のシンボルとなる)
1952年
神田今川橋の土地を売却 銀座店接収解除
1952年
阪急物産株式会社と阪急共栄製薬株式会社とが合併し、阪急共栄物産株式会社(子会社)設立
1952年
武蔵店を閉鎖。
1952年
首都圏における営業基盤づくりを図るため、東京営業所を開設(現東京本社)
1952年
株式会社大阪銀行、株式会社住友銀行に行名復帰
1952年
前橋市本町に本店完成
1952年
米国財務省より米国政府公金受託銀行に指定
1952年
「新丸ノ内ビル」竣工
1952年
宅地建物取引業者免許を取得
1952年
特急列車を自由定員制から座席指定制に変更
1952年
本社を高岡市に移転
1952年
創立委員会を設置し、委員長に福本柳一氏を指名(日ペリ)
1952年
極東航空(株)設立、登記完了。資本金5000万円
1952年
日本ヘリコプター輸送(株)設立、登記完了。資本金1億5000万円、役員12名、従業員16名で発足
1952年
商号を上組合資会社に復元。
1952年
汽船龍洋丸を購入、小野田セメント株式会社(現・太平洋セメント株式会社)の海上輸送業務を開始
1952年
会社設立 日本初のテレビ放送免許を取得
1952年
「株式会社ラジオ新潟」創立、新潟市古町7番町・大和新潟店内に本社及びスタジオを置く。坂口献吉社長就任
1952年
放送局(無線局)の予備免許を交付される。
1952年
全国民間放送第18番目の放送局(無線局)として免許を交付される。
1952年
ラジオ放送開始。呼出符号JODR、1116kHz.(現在)
1952年
雑誌「俳句」創刊。「昭和文学全集」(全60巻)を発行。戦後出版史を飾る大ベストセラーとなり、「全集ブーム」の引き金に。事務所を千代田区富士見町に移す。
1952年
初版住宅地図『別府市住宅案内図』を発行
1952年
月刊誌「税務弘報」を創刊
1952年
東京・大阪証券取引所に上場
1952年
電源開発株式会社設立
1952年
大阪松竹座が洋画封切館として再発足
1952年
日劇ミュージックホール開場
1952年
本社を東京都中央区京橋に移転。 東京証券取引所に株式上場。
1952年
接収を解除される。
1952年
ブラベンダー社(西独)と代理店契約を締結し、試験機器等の輸入販売を開始
1952年
直接需要家向販売会社として英和精工(株)を資本金100万円で設立。
1952年
大阪府知事より計量器販売許可を受ける。
1952年
大阪市北区に日本伝導株式会社を設立
1952年
東邦カーボン製造所の販売部門を母体として日邦産業株式会社を設立
1952年
株式会社日立製作所化学製品の特約店となり各種炭素製品の販売を開始