1944年
設計部に建設業界初の「研究課」を創設(技術研究所の前身)
1944年
会社設立、事業の目的を「電気工事」とする配電線工事、発送変工事および一般屋内配線工事などの電気工事の営業を開始
1944年
本店を富山市柳町30番地に、また支店を富山・金沢・福井の3市に設置
1944年
軍需省の要請により、主に中国5県下の電気工事12社が統合し、資本金150万円の電気工事会社として広島市小町33番地に中国電気工事株式会社を設立(広島・岡山・山口・松江・大阪の5市に、支社を設置、営業開始)
1944年
電気工事業整備要綱により(株)協立興業社他7社が統合、これに関東配電(株)が参加し、資本金300万円の電気工事会社として東京都赤坂区溜池2番地に関東電気工事株式会社を設立、また、神奈川・埼玉・千葉・群馬・栃木・茨城・山梨・沼津(現静岡)の8支社を設置、営業開始
1944年
九州電気工事 株式会社 創立、資本金250万円
1944年
トヨタ自動車株式会社より和歌山工場を買収。
1944年
愛知工場を設立(庄内川レーヨン(株)などより吸収合併)
1944年
京都写真工業株式会社と合併。写真印画紙に対する京都試製工場とする。(現在の京都工場)
1944年
浪速製紙株式会社と合併。板紙の抄造に当り浪速工場と改称。
1944年
北越パルプ(株)を合併、パルプ工場と称す
1944年
日本染料製造株式会社を合併して、染料、医薬品分門に進出(現在の大阪・大分工場)。
1944年
住友化学工業(株)(現 住友化学(株))と(株)多木製肥所(現 多木化学(株))の共同出資により住友多木化学工業(株)設立
1944年
呉羽化学工業株式会社(現・株式会社クレハ)設立
1944年
住友化学株式会社と共同で住友多木化学工業株式会社
1944年
大和田工場(モンサント式接触硫酸工場)を買収
1944年
矢作工業株式会社が昭和曹達株式会社・北海曹達株式会社・レーヨン曹達株式会社の3社を吸収合併し、社名を「東亞合成化学工業株式会社」とするこれをもって当社の創立とする
1944年
橋本化成工業株式会社(大阪府堺市)を設立
1944年
「発酵研究所」設立 60年間にわたって、微生物株の保存機関として研究を支援してきました。現在は、微生物研究の助成事業を行っている。<div></div>
1944年
サントニン現地生産のため、札幌工場を設置(1990年9月に閉鎖)。
1944年
本社(東区北浜(現・中央区北浜))を淀川工場敷地内に移転
1944年
榎本光学精機製作所の事業を継承し、富士写真光機(株)が発足
1944年
昭和19年10月31日、日本電気(株)などの出資により設立
1944年
木津川病院買収 中山製鋼所附属病院となる
1944年
兵庫県飾磨郡御国野村(現・姫路市)にて代表者:井上浅次が資本金19万8000円をもって、川西航空機(株)の姫路地区協力工場として創立。
1944年
「北陸軽金属工業(株)」(後のホクセイアルミニウム(株))を設立
1944年
日比製煉所から竹原電煉工場を分離し、竹原製煉所を設置
1944年
新潟金属工業所(現(株)ダイヤメット)で、粉末冶金製品の量産開始
1944年
東亜化学製錬大阪製錬所を買収し、大阪製錬所として化学部門へ進出する
1944年
栃木県に足尾銅山機械部門の小山工場を建設する
1944年
[ダイカスト事業] 火入れ式を行い、ダイカスト製品の製造販売を開始
1944年
三重県上野市(現伊賀市)に上野工場(旧三重工場)を竣工
1944年
帝国人造絹絲株式会社(現 帝人株式会社)より分離独立、帝人航空工業株式会社となる(山口県岩国市)
1944年
ショットブラストの心臓部であるインペラーユニット発明
1944年
株式会社坂口機械製作所から兼松機工株式会社に社名を変更。
1944年
株式会社国栄機械製作所(現 グローリー株式会社)を設立。
1944年
亀有工場より清水工場独立。多賀工場より栃木工場独立。
1944年
長野県上田市に工場を開設(上田北工場、旧緑が丘工場)
1944年
能美商会を解散し、新たに日本防災通信工業株式会社を設立。
1944年
大阪府和泉町(現・和泉市)に和泉工場を開設(1948年売却)
1944年
練馬区東大泉に大泉工場竣工。業務の大半を移管。
1944年
株式会社小林理研製作所(現・当社)を設立
1944年
長野市石堂の富士通(株)長野作業所を富士電機製造(株)(現・富士電機(株))が「富士電機研究部長野分所」として借り受け
1944年
労働調整令第二条適用工場の指定を受ける
1944年
ミツワ製材工業株式会社を買収して小林工場とする。
1944年
東京海上火災保険は明治火災保険、三菱海上火災保険を統合
1944年
日本化成工業、旭硝子を合併、三菱化成工業となる
1944年
企業整備令に基づき今村直治商店が志鷹吉蔵商店、藤井外治商店、小島喜四郎商店を統合して今村証券株式会社を設立
1944年
本店を東京都日本橋区通一丁目(現在の東京都中央区)に移転。日産重工業株式会社に商号変更。
1944年
本社を品川区東品川から品川区南大井へ移転
1944年
三菱重工業株式会社が京都機器製作所(現、京都製作所京都工場)を設立
1944年
東京武蔵野で株式会社に改組、会社組織となる
1944年
日本ユーシー工業株式会社を日本油止工業株式会社に社名変更。
1944年
資本金120万円の株式会社に改組。 商号を(株)東洋光学硝子製造所に変更。
1944年
株式会社三光化学工作所を設立、合成樹脂成形品の製造並びに販売を開始。
1944年
三興、大同貿易及び呉羽紡績の合併により大建産業株式会社を設立。
1944年
三興、大同貿易、呉羽紡績の3社が合併して、大建産業となる。
1944年
株式会社住友ビルディングを合併して、商号を住友土地工務株式会社に変更。
1944年
日本染料製造と住友化学工業株式会社(現・住友化学株式会社)の合併に伴い、当社は住友化学工業株式会社の染料、化学品、医薬品の特約販売店となる
1944年
株式会社壽百貨店の店舗を当社横浜店として開店
1944年
株式会社帝国銀行、株式会社十五銀行を合併
1944年
総武鉄道(株)と合併(現野田線 1944.3.31登記)
1944年
(当社)茅ヶ崎~橋本間を運輸通信省に譲渡
1944年
京王電気軌道株式会社は、陸上交通事業調整法により東京急行電鉄株式会社に合併
1944年
信貴山急行電鉄㈱(信貴山口~高安山間および高安山~信貴山門間、営業休止中)、南和電気鉄道㈱(尺土~御所間)および㈱大鉄百貨店を合併
1944年
近畿日本鉄道㈱設立(南海鉄道㈱と合併)
1944年
飯野海運産業株式会社を飯野海運株式会社と改称。