1962年
採卵鶏の育種改良及びその雛の孵化販売を目的として伊地知種鶏場(現・アクシーズ)を設立。
1962年
別子建設株式会社、株式会社勝呂組を合併、商号を住友建設株式会社に変更
1962年
わが国最大(当時)のディーゼル式ポンプ船 亜細亜丸(7,000ps)建造
1962年
「ダイワロッジ」発売。事務所、倉庫、移動教室に採用
1962年
大型空間建築の先駆けとして鋼管を活かした独自のシェル構法を開発、単管シェルを商品化
1962年
千里ニュータウン(大阪府)に公共団体の戸建分譲住宅としてはじめて「ダイワハウスA型」を建設
1962年
科学技術庁より「科学技術開発奨励金」を受け「緑化工法」の研究、開発
1962年
関東石材工業(株)(現、(株)ケイアセットマネジメント)を設立
1962年
産業機械の販売と製造を推進するため新三菱重工業、三菱商事と業務提携契約を締結
1962年
設計製作及び設計製図を主業務として、有限会社関口興業社及び現 代表取締役社長関口相三の親族等の出資により、株式会社大阪技術センター(資本金30万円)を設立
1962年
株式会社名古屋レミントンランド・マイクロフィルムサービスを設立
1962年
図面文書などのマイクロフィルムサービス受託業務を開始
1962年
本社を千葉県市川市より東京都墨田区へ移転
1962年
市川駅前直売店を分離し、(株)ヤマザキを設立
1962年
興南糧食工業株式会社を吸収合併、同工場を本社第1工場(後の神戸御影工場)とする。
1962年
京都麦酒工場建設(1967年7月麒麟麦酒株式会社に譲渡)。
1962年
ザ コカ・コーラカンパニーおよび日本コカ・コーラ株式会社と、コカ・コーラ、ファンタの製造・販売に関する契約を締結し、福岡県、佐賀県および長崎県におけるコカ・コーラ、ファンタの製造・販売権を取得
1962年
勝沼洋酒株式会社設立(現マンズワイン(株))
1962年
西府産業株式会社(現 キユーピー醸造株式会社)設立 「キユーピー マヨネーズ」専用の酢を製造
1962年
(有)ドトールコーヒーをコーヒー焙煎加工卸販売を目的に設立。
1962年
英文社名をNisshin Spinning Co., Ltd.に変更
1962年
「日本インスタント食品」(現「日本ジフィー食品」)関係会社となる
1962年
「ナショナルリネンサプライ」(後の「クラボウリネンサプライ」)設立(~2007)
1962年
寝屋川工場竣工 ポリウレタンフォーム事業へ進出
1962年
不燃吸音天井板ミネラートン工場(千葉)を新設。
1962年
当社の前身、ことぶき食品有限会社を設立
1962年
静岡県静岡市に長尺屋根加工所を設置し、屋根外装工事を開始する
1962年
東京都港区に東京営業所(現神奈川県横浜市、東京支店)開設。
1962年
米国アライドケミカル社のナイロン6の製造技術導入許可を取得
1962年
東洋工事(株)(現 東レエンジニアリング(株))を設立
1962年
中条工場(現新潟事業所)操業開始(ポバール)〃西条工場でポバールフィルムの生産開始
1962年
米国The National Cash Register Co.と日本国内のNCR紙の製造につき技術提携契約調印。
1962年
能町工場(当時中越印刷製紙(株)新能町工場)、クラフトパルプ(KP)生産開始
1962年
能町工場(当時中越印刷製紙(株)新能町工場)、クラフトパルプ(KP)生産開始
1962年
能町工場(当時中越印刷製紙(株)新能町工場)、クラフトパルプ(KP)生産開始
1962年
呉羽化成株式会社を合併錦工場研究所(現・中央研究所)設置
1962年
ナフサ熱分解・混合ガス法による塩化ビニル樹脂の製造を目的として呉羽油化株式会社設立
1962年
東京都町田市に中央研究所(現・デンカイノベーションセンター)完成
1962年
青海工場田海地区にクロロプレン工場完成(国産クロロプレンゴムの製造に成功)
1962年
ポリスチレン等樹脂・化成品の製造会社デンカ石油化学工業(株)を設立(1974年4月当社に合併し、千葉工場とする)
1962年
「信越協同建設(株)」(現・信越アステック(株))を設立
1962年
(旧大陽東洋酸素)大阪府堺市に堺工場を設置。
1962年
株式上場を目的とする株式額面変更のための合併手続により高圧ガス工業株式会社となる
1962年
日本アセチレン工業株式会社を吸収合併して浜松工場とする
1962年
日本スチレンペーパー株式会社(現株式会社JSP 現持分法適用会社)設立
1962年
三井石油化学工業ヨーロッパ(ドイツのデュツセルドルフ)駐在事務所開設
1962年
三井石油化学工業ニューヨーク駐在事務所開設
1962年
名古屋工場でポリプロピレングリコール製造設備が稼働
1962年
岩国大竹工場で三井ポリケミカルの低密度ポリエチレン製造設備が稼働
1962年
わが国最初のポリプロピレン製造設備が岩国大竹工場で運転開始
1962年
三井化学工業がチーグラー触媒によるエチレン以外のポリオレフィン類への応用として、大竹工業所で日本で初めて石油からポリプロピレンを製造。近隣の三井石油化学工業から、原料のプロピレンをタンクローリーで受け入れた。
1962年
三井化学工業と三池合成が合併 事業の合理化などで企業基盤強化を図るため、両社が合併。三井化学工業が存続会社となった。
1962年
TPR(プリント基板用フォトレジスト)の製造を開始。
1962年
武蔵工場開設、プラスチックテープ、塩化ビニルテープの製造開始
1962年
発泡ポリスチレンシートの製造、販売を開始
1962年
プラスチック可塑剤、安定剤の製造販売を目的としてアデカ・アーガス産業(株)設立(1963年 アデカ・アーガス化学(株)となる)
1962年
アジア進出 1962年の台湾での製造・販売会社設立を皮切りに、その後フィリピン、タイ、インドネシアなど東南アジアに製造・販売子会社を設立。1994年に設立された天津武田薬品(有)は、中国初のGMP適合工場となった。
1962年
ローヤル・モーターズ株式会社(現連結子会社日本新薬アドバンス株式会社)を設立。
1962年
防疫用農薬を製造販売する津村交易株式会社を吸収合併。
1962年
千葉工場完成 パン・マレーシア・ペイント・インダストリー設立 (現 NIPPON PAINT (SINGAPORE) COMPANY PRIVATE LIMITED)
1962年
JRCを吸収合併、商号を大日本インキ化学工業株式会社に変更
1962年
オーストラリアのインキ製造会社へ技術供与
1962年
福寿産業株式会社〔現 東洋FPP株式会社〕に資本参加。
1962年
アクリル樹脂エマルション「トークリル」を発売。
1962年
難燃性付与ポリエチレンコンパウンド「NF POLY」を開発。
1962年
オリエンタルランド川﨑社長がウォルト・ディズニー・プロダクションズ(現ウォルト・ディズニー・カンパニー)を表敬訪問。
1962年
千葉県と「浦安地区土地造成事業及び分譲に関する協定」を締結。
1962年
本店所在地変更(東京都新宿区市ヶ谷河田町7番地)。
1962年
ニンニクエキスの製法特許を取得し、ビタミンB1製剤を発売。
1962年
英国Rank Xerox Limited(現 Xerox Limited)との合弁により、富士ゼロックス(株)設立
1962年
米国の宇宙船フレンドシップ7号の記録用カメラとして「ミノルタハイマチック」が搭載される1950年代、米国のカメラショーに積極的に出展するなど業界に先駆けて海外へ打って出ていきました。当時、世界では超大国による宇宙開発競争が活発化していました。1958年に米航空宇宙局(NASA)が設立され、1961年に有人宇宙飛行に成功、1962年にはジョン・グレン飛行士が地球周回軌道を飛行し、宇宙から見た地球の撮影に成功します。その時使用したカメラが「ミノルタハイマチック」でした。この快挙は、世界における日本のカメラの評価を大きく変えました。その時のカメラは、米国ワシントンのスミソニアン博物館に永久所蔵品として展示されています。
1962年
資生堂が出資した、初の海外の販売会社資生堂オブハワイ設立
1962年
資生堂会館(現:東京銀座資生堂ビル)完成
1962年
米国ブリストルマイヤーズ社と技術提携し男性整髪料『バイタリス』および制汗剤『バン』を発売
1962年
東京都中央区西八丁堀1-2に本社を移転。
1962年
宮城県遠田郡小牛田町(現・美里町)に小牛田工場を設置。
1962年
株式を東京証券取引所市場第2部に上場。
1962年
船舶部を分離して、外航部門として出光タンカー(株)(現・連結子会社)を設立
1962年
タイヤ販売促進に向けて作成した「スマイレージマーク」
1962年
我が国初のトラック・バス用スチールラジアルタイヤの開発に成功
1962年
超耐熱結晶化ガラス〈ネオセラム〉を開発
1962年
日本初の24インチ黒鉛電極を納入。英国・カナダ・西ドイツへ輸出
1962年
ノリタケマシン(株)設立(研削機械製造)
1962年
急速ろ過池用集水装置(有孔ブロック)の技術をレオポルド社(米国)から導入
1962年
ヨーロッパ駐在員事務所(西ドイツ・ハンブルク)を開設
1962年
米国駐在員事務所(ニューヨーク)を開設
1962年
小牧工場(愛知県)操業開始小牧工場(愛知県)操業開始
1962年
岡山工場第1号平炉完成、操業開始。以後120トン平炉5基、中形及び小形圧延設備完成、中形及び小形形鋼の生産従事。
1962年
当社初の電炉工場として佃工場(枚方事業所大阪工場)新設
1962年
株式を東京・大阪両証券取引所市場第一部に上場。
1962年
本社工場に鉄骨橋梁部門(重工課)を新設。
1962年
川崎製造所30tアーク炉稼働(ステンレス鋼専業メーカーとして国内初の大型炉)
1962年
王子金属工業(株)および昭和ダイカスト(株)の両社を吸収合併、伸銅事業部・ダイカスト事業部を設置
1962年
三菱レイノルズアルミニウム(株)(現三菱アルミニウム(株))設立。
1962年
足尾製錬所で古河・オートクンプ式自熔製錬設備が完成する
1962年
スポーツ用ボウリングの開発が完了し、販売を開始する
1962年
小山工場でクローラショベルの生産を開始する
1962年
高純度金属ヒ素の研究開発が完了し、99.999%製品の販売を開始する
1962年
新幹線に採用 ディビダーク式枕木 空気ばね
1962年
[ダイカスト事業] 蒲原工場(現静岡工場)の操業を開始
1962年
プラスチックボトル(洗剤向け)の生産を開始
1962年
東洋エアロゾール工業株式会社が東洋エアゾール工業株式会社に商号変更
1962年
千葉県松戸市松飛台に東京松戸工場を建設(2001年10月廃止)
1962年
平塚工場(現:製品事業部製造部平塚工場)を新設
1962年
アメリカのロックウェル社とシートスプリング製造に関する技術援助契約締結。
1962年
「企業への招待」を創刊 大学生への求人情報だけを集めた就職情報誌を創刊。個人ユーザーと企業クライアントが出会う場(プラットフォーム)を提供するビジネスモデルを確立。
1962年
形彫り放電加工機を開発、ならびに大型工作機械工場を新設。
1962年
空気式高速多針タガネ「ジェットタガネ」を発売
1962年
油圧機器、トランスファマシンの製造開始
1962年
欧州繊維機械メーカー各社と技術提携を行い、自社開発の高速合撚糸機とともに合繊機械の生産を開始
1962年
社名を 「紡機製造(株)」 より 「東洋機械金属(株)」 に変更
1962年
和歌山市手平に本社及び本社工場を移転、商号を島精機株式会社に変更。
1962年
日立製の建設機械を取り扱う販売会社を国内に6社設立
1962年
電気ショベルU23を完成し、水資源機構に納め矢木沢ダム(群馬県)で稼働
1962年
埼玉県大宮市(現在さいたま市)に東京工場を新設。
1962年
「水処理事業部」新設、環境整備事業へ本格参入。「水田用トラクタ」の製造開始。
1962年
名古屋市瑞穂区に愛知車輌株式会社を設立。資本金250万円。
1962年
自動車、鉄鋼、家電業界向けのコンベヤの生産拡大を図る
1962年
東村山工場第2期工事完成。ハイパワーポンプの本格的製造開始。
1962年
旧大阪汽力工業株式会社と合併、資本金を3億200万円とする。
1962年
包あん機HA7型を開発、現在地に株式会社として設立
1962年
国内初のビル内蔵型・立体駐車設備を納入
1962年
日本ミシン製造株式会社からブラザー工業株式会社に社名変更
1962年
ミシンの加工のための社内技術を活用し、タッピングマシンの生産を開始。工作機械分野に進出
1962年
現地販売法人ジャムコ・コーポレーション社設立(1967 NSKコーポレーション社に社名変更)
1962年
株式会社東洋ベアリング磐田製作所にニードルベアリング工場を建設。
1962年
静岡県磐田市に株式会社東洋ベアリング専用工作機研究所(現 生産技術研究所)を設立。
1962年
量産用バッチ型浸炭窒化炉の国産第1号機が完成
1962年
事業部制を採用(工具、ベアリング、機器、鋼材(現マテリアル)部門発足)。
1962年
アメリカ・ニューヨーク州に販売会社NACHIAMERICAINC.を設立。
1962年
東京証券取引所市場第2部および福岡証券取引所に株式を上場した。
1962年
秦野市曽屋に新たに土地を取得し工場を建設、自動車用バルブの本格的量産体制に入る(第二次合理化計画)
1962年
黄銅熱間鍛造プレスを国内で初めて導入。黄銅製鍛造バルブの製造・販売を開始。
1962年
電動ポンプのオーストラリア規格(SAA)取得
1962年
米国ヒグビー社と二重巻鋼管(ダブルウォールチューブ)の製造技術援助契約締結
1962年
冷蔵庫、ショーケース用ワイヤーコンデンサーの製造開始
1962年
東京証券取引所市場第二部へ株式を上場。
1962年
山形県に本社を置く企業としての初の上場(東京証券取引所市場第二部)
1962年
埼玉県本庄市に通信機器の工場として本庄工場開設
1962年
オキ・エレクトロニクス・オブ・アメリカ社をアメリカに設立
1962年
真空材料株式会社(商号変更 アルバックマテリアル株式会社)を設立、耐火材料の販売を開始。
1962年
熱分析機器の専門メーカーとして真空理工(現・アドバンス理工株式会社)を設立。
1962年
名神高速道路の梶原・天王山トンネルに高速道路トンネル第1号として防災設備を設置。
1962年
当社初の海外販売会社シャープ・エレクトロニクス・コーポレーション(SEC)を米国に設立
1962年
業務用電子レンジ〈R-10〉の量産を開始
1962年
高野山に早川電機供養廟(現・シャープ供養廟)を設ける
1962年
工業用計測機器(電子マイクロメータ)の製造を開始
1962年
地下水を利用した水冷式クーラーAC-6502Cを発売
1962年
微弱無線機器事業に進出。東京オリンピック(1964年)では、各競技場にワイヤレスマイクが設置され、公式記録映画の収録に使用される。
1962年
埼玉県狭山市に新工場[現 狭山事業所]建設着手
1962年
円盤式録音再生機リオノコーダ(RR-01)を発売
1962年
群馬県富岡市に富岡工場を新設し、生産子会社として操業開始
1962年
日本自動制御株式会社を設立 X線テレビのみでなく、最先端の分野での技術開発に注力
1962年
X線マイクロアナライザ JXA-3完成
1962年
初の海外現地法人JEOLCO (U.S.A) INC.設立
1962年
(平成5年4月、JEOL USA,INC.に社名変更)
1962年
プログラム機能がついた科学技術用計算機「AL-1」発売
1962年
さん孔タイプライターと連動したIDPシステムマシンシリーズ「キャビコンO-1」を開発
1962年
東京都板橋区熊野町に第一精工株式会社を設立 (資本金100万円)
1962年
エンジニアリングプラスチックパーツの金型製作から成形加工までの一貫生産を開始
1962年
福井村田製作所を天皇皇后両陛下がご視察
1962年
ホビーラジコン用送受信機の製造・販売を開始
1962年
アルミニウム電解コンデンサ総合工場として長野県南安曇郡豊科町(現安曇野市豊科)に長野工場(後にニチコン長野株式会社)を新設。
1962年
長野県下伊那郡豊丘村に豊丘工場を設置する
1962年
東京都渋谷区恵比寿3-2-3に興亜電工ビルを建設し、川崎、神田、横浜の出先機関を廃止し、東京支店に統合する
1962年
当社初の化学プラント(硫酸プラント)輸出契約(台湾肥料公司向け)
1962年
三菱レイノルズアルミニウムを設立(三菱金属鉱業、三菱化成工業を中心とする三菱グループと米国レイノルズ社の合弁)
1962年
三菱テー・アール・ダブリユ(のちの三菱電機ソフトウエア)を設立(三菱電機を中心とする三菱グループと米国TRW社の合弁)
1962年
三菱プレシジョンを設立(三菱電機を中心とする三菱グループと米国General Precision社の合弁)
1962年
三菱液化瓦斯を設立(三菱石油、三菱化成工業、三菱油化、三菱商事が出資)
1962年
NBCから同社呉造船部の営業譲渡を受ける。
1962年
「TP型」10t積みキャブオーバートラック発表
1962年
初の自動車運搬専用船「第十一福寿丸」就航
1962年
第1回全社監査を実施(1966年5月業務点検に名称変更)
1962年
タイに海外初の販売会社を設立(現「タイ日野販売株式会社」)
1962年
名古屋自動車製作所に岡崎試験場(テストコース)が完成
1962年
全国中小企業団地第1号富山機械工業センター造成、当社の全設備を移転
1962年
第1回全日本選手権ロードレースのノービスクラス250ccと350ccで優勝
1962年
ヤマハ技術研究所からモーターサイクルの開発部門をヤマハ発動機(株)本社に移転
1962年
ソフトコルク工業株式会社を吸収合併し、西町工場を引き継ぐ
1962年
科学機器の販売を目的として大阪市北区に株式会社井内盛栄堂を設立。
1962年
通産省、輸出振興試作国庫補助金下附の対象となる。
1962年
超高解像力レンズ「ウルトラマイクロ・ニッコール」発売 フォトリソグラフィー工程に必要なフォトマスク製作用に開発、当時世界最高の解像力を実現したレンズ。
1962年
ドイツで4年に1回開催される印刷製版機器の国際展示会「DRUPA」に初出品
1962年
米国・フェアチャイルド社とスキャナカラーの日本総代理店契約を締結
1962年
第一次5カ年計画を策定、事務機分野への本格的取り組みを開始
1962年
パナマに中南米総代理店、キヤノンラテンアメリカ開設
1962年
萩原工業株式会社 設立 資本金15百万円
1962年
花ござタテ糸用PEモノフィラメント製造で萩原工業創業
1962年
メタルプリントを設立(現 DNPエリオ)。富士製鉄(現 日本製鉄)との合弁
1962年
福山パール紙工(株)設立。広島県福山市霞町に本社を設置し、PSP成形加工を開始
1962年
蕨工場内に段ボール箱の自動包装機の製作部門を設置。青果物・食品・繊維製品・家庭電器製品の自動包装化を企業化し、包装用ガムテープと合わせたシステムセールスを進める。
1962年
大阪証券取引所市場第二部および京都証券取引所に株式を上場。
1962年
株式会社矢田ホーロー製作所(現名古屋工場)に資本参加(全額出資)、ホーロー流し台の製造を開始
1962年
福岡営業所を開設(1976年4月九州営業所と改名)。
1962年
オンワード販売株式会社(現 株式会社オンワードコーポレートデザイン)設立
1962年
冷蔵倉庫業を営む中央冷凍株式会社(連結子会社)を設立。
1962年
当市場内に冷蔵保管業務を目的として建設の冷凍工場(収容能力4,362トン)が竣工。
1962年
大阪・東京の営業部門を一体とし商品本部制を実施、鉄鋼・非鉄金属・電機・機械・農水産・化成品・繊維・物資燃料・不動産の9本部を設置。
1962年
電子計算機事業部を設置。ユーザック電子計算機を発表。
1962年
台湾事務所(現・一實股份有限公司)開設
1962年
三谷石油販売株式会社(現 株式会社ミタニ・現 連結子会社)設立
1962年
三菱電機(株)と代理店契約を締結(旧特約店を代理店と改称)
1962年
株式額面の変更の目的をもって、東京都港区所在の三愛石油株式会社(昭和22年1月21日設立)と合併
1962年
オリジナルデザイン第1号「いちご」を制作、ギフト商品を発売。
1962年
研究所(サンワテスコム株式会社清算の前身)を設置。
1962年
本社を東京都中央区銀座四丁目に移転(本社移転に伴い東京営業所を本社に吸収)
1962年
小台研究所を分離独立させ、ソマール工業株式会社を設立
1962年
三菱電機(株)との特約店契約を改め、代理店契約を締結
1962年
セントラルキッチンシステム(集中調理方式)を採用し、業務用冷凍料理の製造に着手
1962年
本社営業部門を改組し、金沢営業所を設置
1962年
利用代金を分割返済できる「信販小切手」を導入。
1962年
東建商事(株)設立(現(株)東京建物アメニティサポート)
1962年
高級賃貸アパート「目白台アパート」完成(東京都文京区)
1962年
池袋東武会館が完成(1962.5.29池袋東武百貨店オープン)
1962年
特急スピードアップ(時速110㎞運転 浅草〜東武日光間106分に)
1962年
(当社)相鉄不動産(株)を吸収合併し、不動産賃貸業を開始
1962年
東急多摩田園都市、最初の区画整理事業として野川第一地区が完成
1962年
本店を福岡市中央区天神一丁目11番17号福岡ビルに移転
1962年
商号を「礪波運輸株式会社」から「トナミ運輸株式会社」に変更
1962年
世界初、大型LPG専用船「ブリヂストン丸」が竣工
1962年
自動化タンカーの第一船である「おりおん丸」就航。
1962年
米国日通を設立 当社初の海外現地法人。NY初代駐在員が副社長として現地で奮闘する。
1962年
東京・深川にコンピュータ・倉庫・住宅の複合賃貸ビルを建設、コンピュータ用賃貸ビル事業開始(こののち、不動産事業に本格進出、コンピュータ専用ビル、オフィスビル、商業施設等の賃貸施設を建設するとともにマンション分譲を継続的に実施)
1962年
新潟放送興業株式会社創立。(現・連結子会社)
1962年
「校本芭蕉全集」(全10巻)を発刊、完結後文部大臣賞。
1962年
中電工事(株)(現・連結子会社)を設立
1962年
大阪証券取引所市場第一部に上場(2013年7月東京証券取引所と大阪証券取引所の市場統合に伴い、大阪証券取引所市場第一部は、東京証券取引所市場第一部に統合。)
1962年
ペルー国タクナ水力発電計画商業ベースとして初の海外コンサルティング事業
1962年
本社地区熱量変更実施(3600kcalから5000kcalへ)
1962年
東京証券取引所市場第2部に株式を上場。
1962年
東急と洋画興行で全面提携(S‧Tチェーン結成=Shochiku‧Tokyu映画興行チェーン) 株式会社松竹新演芸を松竹芸能株式会社に改称 松竹セレクト国際映画株式会社を解消、松竹映配株式会社(外国映画輸入配給)設立
1962年
「ニッポン無責任時代」公開(「東宝クレージー映画」シリーズ第1作)
1962年
東映フライヤーズ、プロ野球日本シリーズにて優勝。
1962年
創業者・飯田亮、戸田寿一が日本初の警備保障会社として日本警備保障(株)(現・セコム(株))を東京・芝公園で創業。巡回警備、常駐警備を開始する。
1962年
高校生向け「関西模試」を開始(73年に「進研模試」として全国展開)
1962年
東京支店(現 南東京支店)を開設(首都圏へ進出・全国展開を開始)
1962年
商号を「上野金属産業株式会社」に変更。
1962年
北陸地区の拠点として金沢支店を開設し小林薬品株式会社の営業権を譲受