1947年
金子才十郎商店を母体とした群馬県種苗統制株式会社(後に商号変更し群馬県農産種苗株式会社となる)の卸販売部門が独立し、資本金18万円にて前橋市栄町(現千代田町)に発足。
1947年
吉野春吉(現会長 吉野佳秀の父)により土木工事業「吉野商店」(愛知県名古屋市中川区)創業
1947年
総合設備会社の第一設備工業株式会社を設立
1947年
本店を大阪市西区京町堀上通1丁目(現 西区京町堀1丁目)に移転
1947年
札幌出張所開設(1965年札幌支店に昇格)
1947年
モルタル急結液を開発し、社名の由来となるライト防水液と命名
1947年
東京支店を東光電気工事株式会社として独立
1947年
九州配電(株)[現 九州電力(株)]と配電工事委託請負契約締結
1947年
重油燃料に関する技術解説書「DIAMOND OIL BURNING APPARTUS」発行
1947年
東京都千代田区の現在地において、資本金18万円をもって、屋内外線の電気工事会社として設立
1947年
大阪市北区に大阪支店を、北九州市小倉北区に九州支店をそれぞれ開設
1947年
通信機器の部品製造、修理、販売、通信電灯工事の請負を目的として東京都千代田区神田に資本金195千円にて設立。
1947年
株式会社井村屋設立(資本金195千円、本店・松阪市新町、主たる事業・パン委託加工)
1947年
大黒葡萄酒株式会社より白河工場(2003年3月廃止)を買収。
1947年
日本酒精株式会社を吸収合併、木崎、楠、防府(1995年3月廃止)の三工場とする。
1947年
リノール油脂株式会社(当時 東濱油脂化学工業株式会社)設立
1947年
第一産業(株)((株)デオデオの前身)設立
1947年
(株)浦上糧食工業所を設立。資本金197,500円。
1947年
蚕糸業の再開に伴い、商号を再び「神栄生絲株式会社」に変更。
1947年
制限付き民間貿易再開に伴い、貿易業を再開。
1947年
旧三井物産の解体に伴い、同社神戸支店有志により神戸を本店として資本金195千円をもって三洋貿易株式会社を設立
1947年
高岡製紙(株)として設立(資本金3百万円、本社:富山県出町)
1947年
伏木工場開業、グラウンドパルプ(GP)および仙貨紙生産開始
1947年
高岡製紙(株)として設立(資本金3百万円、本社:富山県出町)
1947年
伏木工場開業、グラウンドパルプ(GP)および仙貨紙生産開始
1947年
高岡製紙(株)として設立(資本金3百万円、本社:富山県出町)
1947年
伏木工場開業、グラウンドパルプ(GP)および仙貨紙生産開始
1947年
井川伊勢吉社長が銅山川の流れを見たことから、銅山川疎水事業の取り組みが始まる
1947年
西大垣と木戸の両工場を合併、大垣工場と改称
1947年
香川県丸亀市において、二硫化炭素の製造を目的に資本金200万円をもって設立
1947年
札幌営業所、工場(後に北海道大日精化工業㈱と改称、当社に吸収合併)開設。
1947年
「有機溶剤」「試薬」の製造販売を開始。
1947年
プラスチックの総合的事業化を目指し、積水産業株式会社として発足
1947年
高松市において旧倉敷飛行機高松製作所の役員・従業員の一部をもって住宅業の「四国住宅株式会社」を設立
1947年
ナフトール染料(顕色剤)を上市、ナフトールメーカーとしての基盤を確立。
1947年
当社製品の販売を目的として陽光産業(株)を設立(2006年 ADEKAケミカルサプライ(株)に商号変更)
1947年
日油商事(株)(前身の日勢商事(株))創立
1947年
播磨化成工業株式会社として創業(現 兵庫県加古川市)
1947年
東京都港区に資本金19万円をもって興生水産株式会社(現、生化学工業株式会社)を設立し、水産加工業を主体として営業開始
1947年
有機溶剤型グラビアインキの製造販売を開始。
1947年
石油配給公団の発足とともに、石油業界に復帰
1947年
資本金200万円をもって「興国化学工業株式会社」を設立。
1947年
本店を東京都中央区日本橋とし、工場を栃木県足利市に置き、ゴム製品の製造、販売を開始。
1947年
米国ノリタケ(NORITAKE CO., INC.)設立(食器販売)(現 NORITAKE U.S.A., INC.)
1947年
本店を東京都に置き耐火煉瓦、その他耐火物の生産を目的として設立しました。牛込製粉工場及び明知耐火煉瓦株式会社多治見工場の設備を買収して、当社多治見工場を設置、耐火煉瓦の製造を開始しました。
1947年
共栄製鉄(株)(資本金18万円)を創立(1947年12月に伸鉄業に転換)
1947年
三越金属工業株式会社に商号を変更する。
1947年
「川崎電気株式会社」 (現 株式会社SDS) 設立
1947年
自動車部品とカメラ部品の製造を開始する
1947年
京都工場(現在閉鎖)を財団法人応用科学研究所内に設立、高周波焼入受託業務を開始
1947年
市川工場(気体酸素工場) を千葉県市川市に新設。
1947年
大阪市東区(現中央区)に木村工機株式会社を設立し、伸銅品・機械工具販売事業を開始。大阪営業所(現大阪営業本部)を開設
1947年
染色仕上関係機械に重点を置いた各種乾燥機を開発する
1947年
産業機械器具、船舶用機械の製造販売および医療施設事業を開始。
1947年
戦後初の新規製作第1号新聞輪転機(電光竪型)と書籍輪転機(A倍判A-I型)を完成
1947年
全国木工機械展覧会に出展し、優秀賞を受賞
1947年
兼松機工株式会社から大福機工株式会社に社名を変更。当時大阪と福知山に工場があったことから、大福と名づけた。
1947年
生産機種を「スタッカー」などに変更し、荷役運搬機械の製造を開始。
1947年
名古屋市瑞穂区桃園町17番地に星崎電機株式会社を設立(資本金180千円)。
1947年
株式会社に改組し、前澤バルブ工業株式会社を東京都目黒区に設立。上水道用諸機械器具の製造販売を開始
1947年
世界初の高性能馬蹄型マグネットモーターを開発し、生産を開始した。その後、製品の開発・改良を重ねる一方、量産化技術にも成功する。
1947年
和泉電気㈱(大阪市中央区)設立 開閉器の生産、販売開始
1947年
「八欧無線電機製作所」を吸収合併し、「八欧電機株式会社」を「八欧無線電機株式会社」に改称
1947年
スーパーヘテロダイン方式ラジオに必要な 中間周波トランス用コアの需要急増
1947年
大阪市東成区に当社前身古橋製作所を創業
1947年
初代社長田葉井五郎、専務田葉井敏雄、2代目社長小山栄一らが、科学機器の製造を目的として、現本社所在地にて創業。
1947年
原田次郎が神奈川県横浜市神奈川区六角橋において計測器の修理、販売を目的として有限会社原田電機製作所を設立。
1947年
「株式会社指月電機製作所」として再発足。
1947年
合資会社佐藤電機工業所を改組して、日本ケミカルコンデンサー株式会社を設立。
1947年
商工省より通信関係主要工場の指定を受ける
1947年
株式会社日立製作所保有の当社全株式が持株会社整理委員会に譲渡される。
1947年
三菱商事はGHQの指令により解散、清算に入る
1947年
GHQ覚書により、大型乗用車50台の生産許可
1947年
一般公募により、小型車(SA型)の愛称を「トヨペット」に決定
1947年
関西協豊会発足(従来の協豊会は、東海協豊会に改称)
1947年
埼玉県草加市で福田製作所を創業、金属玩具等の製造を開始
1947年
自社設計第1号製品、A型自転車用補助エンジン生産開始。
1947年
本社を現在地(静岡県浜松市中央区高塚町300)に移転。
1947年
東京都港区芝金杉橋四丁目22番地に資本金18万円で佐鳥電機株式会社を設立
1947年
連合国最高司令官により(旧)三菱商事株式会社が解散したため、その持株を当社の取引先・役職員等にて譲受け。
1947年
堀越合資会社と中善商事株式会社が合併し、丸文株式会社を設立
1947年
測量機「レベルE型」「トランシットG型」発売 戦後ニコンで初めてつくられた測量機。写真左は「レベルE型」、写真右は「トランシットG型」に改良が加えられ1949年に発売された「トランシットG2型」。
1947年
レンズメーターI型を発売、医用機器事業を開始
1947年
商号を(株)保谷クリスタル硝子製造所に変更。
1947年
株券、証券の印刷を目的として「亜細亜証券印刷株式会社」を設立(東京都中央区)上野一雄が社長に就任
1947年
京都市東山区今熊野東瓦町に株式会社丸福(現・任天堂株式会社)を設立。
1947年
名古屋工場を新設、冷蔵庫内箱のホーロー加工工場として操業開始
1947年
豐田産業が第5次指定で持株会社として財閥解体の対象となる。
1947年
樫山株式会社(現 株式会社オンワードホールディングス)設立
1947年
中央魚類荷受組合発足 東京都水産物集荷機関の指定を受ける。
1947年
資本金300万円をもって、水産物及びその加工製品の卸売業務を営むことを目的として中央魚類株式会社を設立し、中央魚類荷受組合の営業一切を継承する(築地本場に本社を、足立分場に千住支社を設置)。
1947年
財閥解体によりGHQから解散命令を受ける。第一物産、旧三井物産系の新会社の一つとして設立。
1947年
大阪魚㈱に商号変更、鮮魚介加工水産物荷受機関登録許可
1947年
福井市において工具等の販売を目的とする山善工具製販株式会社を設立。
1947年
日本レミントン・ユニバック(株)の前身となる吉澤機器(株)設立
1947年
旧三菱商事株式会社が1947年7月連合国最高司令官の覚書により解体を命ぜられると同時に、同社の西日本地区機械部門関係者が中核となり門司市(現・北九州市門司区)に資本金195千円にて設立
1947年
三菱系各社支援の下、一般産業機械及び器具類の国内販売、輸出入を業とする機械専門商社として新発足し10月20日を創立記念日とした。
1947年
大阪市西区立売堀に大阪支店(現関西支店)を開設
1947年
大阪市東区に主に鉄鋼製品を扱う卸売業として設立(資本金198,000円 本店:大阪市)
1947年
(株)利興商会・(株)大興商会創立。資本金それぞれ195,000円
1947年
三菱電機株式会社並びに磐城セメント株式会社(現住友大阪セメント株式会社)の特約店となる
1947年
創業者・佐野 實(さの みのる)20歳、琵琶湖天然瓦斯の協力を得て滋賀県大津市において電球再生事業を興す。
1947年
連合軍総司令部覚書により、三井物産株式会社は解散を命ぜられたため、同社機械部門営業各課並びに貿易部門関係者を主体として昭和22年11月27日当社設立。
1947年
極東貿易株式会社(資本金500万円、本店 東京都千代田区丸の内2丁目2番地)の商号をもって設立し、機械専門の商社として事業を開始。
1947年
明和産業株式会社設立(東京都中央区日本橋呉服橋)
1947年
旧三菱商事の本店および大阪・名古屋・八幡の各支店の化工品部門ならびに業務部門49名により設立
1947年
本社移転(品川区小山台)大阪出張所(現大阪オフィス)開設
1947年
東京都中央区日本橋室町に曹達商事株式会社を設立し、無機薬品類の販売を開始 名古屋市、小樽市(1953年札幌市に移転)に営業所(現・名古屋支店及び札幌支店)を開設
1947年
三菱商事(株)と特約店契約消滅、新たに三菱電機(株)と特約店契約を締結
1947年
高島屋ボールルーム(会員制ダンスホール)開設
1947年
京阪神急行電鉄株式会社(現阪急阪神ホールディングス株式会社)の百貨店部門が分離独立し、株式会社阪急百貨店を設立
1947年
加藤 馨が、茨城県水戸市元台町5丁目の借家にラジオ受信機を主体とする販売・修理業を開始
1947年
東武鉄道(株)が東武自動車(株)を合併(1947.5.31登記)
1947年
キャサリン台風により414.9㎞が不通(1947.10.27全線仮復旧)
1947年
(当社)東京急行電鉄(株)への委託経営解除
1947年
旧南海鉄道㈱から承継した事業を南海電気鉄道㈱に譲渡
1947年
上本町~名古屋間特急運転開始(1日2往復、4時間3分)
1947年
大阪支店博多埠頭営業所開設(1949年、支店に昇格)
1947年
「学習研究社」を法人組織に改組、「(株)学習研究社」を設立
1947年
旧熊本工場(現萩原供給所)が操業を開始。
1947年
新潟工場天然ガス1号井自噴以後新潟地区の天然ガス自家採取を開始、天然ガスベースに移行
1947年
株式会社として法人設立、新たに建築、土木工事の施工部門を併設。
1947年
創業者 住野敏郎(本名 利男)が中心となって大阪市福島区において自動車部品の卸売を目的とした個人経営の末廣商會を創業
1947年
大阪市西区にて阿部英三郎が個人経営で英和商店を創業し、航海計器・発動機部品の販売を開始。
1947年
株式会社に改組し、加藤産業㈱を設立創立当時の加藤産業外観
1947年
「株式会社鈴謙洋行」の社名を「株式会社鈴木謙三商店」に変更