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各企業の年別活動

各企業における1949年での活動

Year
[証券コード]会社名
活動内容
1949年
東京・大阪(2003年11月上場廃止)・名古屋(2003年2月上場廃止)証券取引所市場第一部に上場
1949年
企業再建整備計画実行完了
1949年
社員株主制度が実現、非同族会社となる
1949年
持株会社整理委員会の管理していた全株式を当社役員・従業員が譲り受けた。
1949年
建設業法による第一回登録(建設大臣)完了
1949年
米国W・Eダン社よりコンクリートブロックの製造技術を導入、同建築を普及
1949年
建設業法により建設大臣登録(イ)第432号の登録を受けた。
1949年
建設業法により、建設大臣登録(イ)第8号の登録完了
1949年
三建工業株式会社、建設業法による建設大臣登録(イ)1085号の登録を完了(以後2年ごとに登録更新)
1949年
旧満州国の大豊満ダムの建設に参画した技術陣を中心とし、その他満州、台湾及び朝鮮等の外地で活躍した土木、建築技術者を糾合し、資本金500万円をもって大豊建設株式会社を設立。爾後、建設業者として広く、土木・建築の業務に従事しております。
1949年
建設業法制定による建設業者登録。
1949年
建設業法による建設大臣登録(イ)第76号の登録を完了(以後2年毎に登録更新)
1949年
建設業法により建設大臣登録(イ)第146号の登録を完了。
1949年
建設業法による建設大臣登録(イ)1018号の登録を完了。
1949年
建設業法による建設大臣登録
1949年
建設業法施行により登録を受ける(建設大臣登録(第85号))
1949年
建設大臣登録(イ)233号登録
1949年
建設業法による建設大臣登録を受ける
1949年
建設業法により、建設大臣登録第11号の登録を受けた。
1949年
建設業法により、建設大臣登録(イ)第250号を取得(以後2年ごとに更新)
1949年
建設業法による登録(建設大臣)を受ける
1949年
企業再建整備法に基づき、冷暖房、衛生水道、金属製サッシ等の請負及び販売を目的に旧三機工業株式会社の第二会社として設立。
1949年
建設業法による建設大臣登録(イ)第348号の登録を行う。(以後2年ごとに登録更新)
1949年
本店を「東京都中央区日本橋室町2丁目1番地」に移転
1949年
東京事務所 開設
1949年
油圧噴霧式バーナ1号機製作
1949年
建設業法に基づく建設大臣登録(イ)第940号を受ける
1949年
大阪支店開設
1949年
建設業法による建設大臣登録(イ)第558号の登録を完了(以後2年ごとに登録更新)
1949年
年(合)建材社解散、株式会社建材社 設立
1949年
年建設業法施行に伴い建設業者登録
1949年
第2次大戦で罹災した工場の復旧、増設をほぼ完了
1949年
キャラメル工場(津工場)竣工
1949年
和菓子を製造開始
1949年
「松尾糧食工業所」を法人に改組し、「松尾糧食工業(株)」(広島県広島市)を設立
1949年
森永乳業株式会社設立
1949年
日本共栄株式会社(現株式会社サッポロライオン)を設立
1949年
日本麦酒株式会社を設立
1949年
過度経済力集中排除法により、大日本麦酒(株)は、日本麦酒(株)と朝日麦酒(株)に分割
1949年
過度経済力集中排除法により、大日本麦酒株式会社は、朝日麦酒株式会社と日本麦酒株式会社に分割。
1949年
ビアホールを経営する金港商会株式会社の株式取得
1949年
商標「キリンビール」を復活して販売開始
1949年
横浜工場を再建し、操業を開始
1949年
北海製油株式会社を合併、当社小樽工場となる。
1949年
しょうゆの輸出を再開
1949年
名称を(株)ハウスカレー浦上商店と改称。
1949年
東京、大阪(
1949年
サンシー殖産株式会社に商号変更、本店を大阪市北区に移転。
1949年
東京証券取引所第一部に上場、前後して大阪・名古屋取引所に上場
1949年
資本金を5億円に増資
1949年
愛知県豊橋市広小路におでん割烹『酒房源氏』を創業
1949年
BRASILANA PRODUCTOS TEXTEIS LTDA.(2001年12月TOYOBO DO BRASIL LTDA.に社名変更、現・連結子会社)設立
1949年
株式を上場(東京、大阪)
1949年
宍道工場を分離し大和機械工業㈱(現㈱オーエム製作所)を設立 その後、工作機械・紡績機の製造を手掛けていた㈱大阪機械製作所と1960年に合併し㈱オーエム製作所が誕生
1949年
株式を上場(東京・大阪・名古屋・新潟)。
1949年
長野県飯田市に株式会社綿半銅鉄金物店(現当社)を設立する(資本金20万円)
1949年
「倉敷レイヨン株式会社」に社名変更
1949年
北陸車輌株式会社に社名変更
1949年
企業再建整備法により日本フエルト (株)から分離し、市川毛織 (株)設立 (本社:千葉県市川市)。
1949年
「苫小牧製紙株式会社」として発足
1949年
十條製紙株式会社設立
1949年
伏木工場、新聞用紙生産開始
1949年
本社、東京都中央区槇町に移転
1949年
高岡製紙(株)、「中越パルプ工業株式会社」に社名変更
1949年
能町工場開業、亜硫酸パルプ(SP)生産開始
1949年
伏木工場、新聞用紙生産開始
1949年
本社、東京都中央区槇町に移転
1949年
高岡製紙(株)、「中越パルプ工業株式会社」に社名変更
1949年
能町工場開業、亜硫酸パルプ(SP)生産開始
1949年
伏木工場、新聞用紙生産開始
1949年
本社、東京都中央区槇町に移転
1949年
高岡製紙(株)、「中越パルプ工業株式会社」に社名変更
1949年
能町工場開業、亜硫酸パルプ(SP)生産開始
1949年
本社及び工場を富山市東中野町に新設移転。
1949年
旧住友アルミニウム製錬株式会社から全設備を譲り受け。
1949年
企業再建整備法により、油脂部門(現在の日油株式会社)を分離
1949年
菊多運輸株式会社(現・クレハ運輸株式会社)設立(現・連結子会社)
1949年
企業再建整備法により解散し、第二会社三和鉱工株式会社を設立し再発足
1949年
同月石原産業株式会社に社名復帰
1949年
札幌営業所(現北海道支店)を開設
1949年
青柳工場、日本初のカーボン焼成用電気式トンネル炉を開設
1949年
東京証券取引所に株式上場。
1949年
塩化ビニール用安定剤製造開始
1949年
本店を東京都中央区に移転
1949年
社名を「日本触媒化学工業株式会社」に変更。
1949年
「鐘淵化学工業株式会社」資本金2億円で創立
1949年
塩化ビニル樹脂「カネビニール」を開発
1949年
協和発酵工業(株)を創立。
1949年
ベンジルアルコール、ベンジルアセテート等の製造を開始。
1949年
協和発酵工業(株)設立
1949年
大阪工場でセロハンテープ製造実験を開始
1949年
第二次日本油脂(株)(本社:日本橋白木屋)設立 〔企業再建整備法により独立〕
1949年
日本有機が旧・「花王石鹸株式会社」に商号変更。一方、花王と大日本油脂が合併し「花王油脂株式会社」となる。
1949年
「三洋油脂工業(株)」として創業。本社・工場:京都、支店:東京、営業所:大阪。
1949年
東京・大阪証券取引所に株式を上場 5月に上場企業となる。
1949年
ロート製薬株式会社を設立、信天堂山田安民薬房の営業権その他一切を継承。
1949年
病医院への医薬情報提供の活動を開始
1949年
東京営業所(現 首都圏支店)を開設
1949年
たばこ「ゴールデンバット」の包装紙用にアルコール性アニリンインキ(フレキソインキ)を使用。
1949年
「セロカラーインキ7600」シリーズ(セロファン用)、「VCインキ」シリーズ(ビニル用)など、非吸収原反に対応した各種グラビアインキを製造開始。
1949年
ペースト状のプラスチック着色剤(ペーストカラー)「TVカラー(塩化ビニル用)」を発売。
1949年
株式会社巴屋化粧品製造所を吸収合併
1949年
株式会社組織に変更、商号を庵原農薬株式会社とする。
1949年
元売業者に指定され(3月)、民間として石油供給業務開始
1949年
名古屋証券取引所(名証)に株式を上場
1949年
ガラス織物の製造技術開発に着手
1949年
株式会社有沢製作所に改組、資本金2000万円で設立
1949年
昭和24年12月1日、同社より分離独立(この日を実質上の会社創立の日としている)
1949年
東京証券取引所の市場第一部に上場
1949年
「東洋炭素株式会社」に社名変更
1949年
NTKニューセラミック製造開始
1949年
東京・名古屋両証券取引所に株式上場
1949年
尼崎製鈑(株)設立
1949年
大阪市に歌島工場を開設し、ホーロー製品の製造を開始。
1949年
企業再建整備計画の認可に基づき、日本曹達株式会社の鉄鋼部門より分離独立し、日曹製鋼株式会社として発足。国内資源の活用として砂鉄の製錬に着目し、砂鉄を原料に電気炉による砂鉄銑の生産を開始
1949年
東京・大阪各証券取引所市場第一部に上場。
1949年
長崎製鋼(株)及び東京鋼材(株)を設立
1949年
「(株)興和商会」(現・日軽産業(株))を設立
1949年
東京証券取引所及び大阪証券取引所に上場
1949年
自動車用ワイヤーハーネス事業を開始
1949年
潮田健次郎が株式会社LIXILの前身、トステム(当初社名は日本建具工業株式会社)を設立
1949年
業界初「バガス焚ボイラ」を輸出
1949年
企業再建整備法に基づき芝浦機械製作所を設立(会社設立)
1949年
郵政省発足
1949年
簡易郵便局法施行
1949年
お年玉付郵便はがきの発行開始
1949年
東京、大阪及び名古屋の各証券取引所に株式上場。
1949年
大阪証券取引所市場第二部に上場
1949年
純国産技術により日立機械式ショベルU05を完成。建設省(当時)に納め、木曽川工事にて稼働
1949年
熊本県熊本市健軍町に熊本工場を新設
1949年
澁谷商店を澁谷工業株式会社に改組(資本金150万円)
1949年
事業組織を法人に改め、(株)酒井工作所(資本金200万円)を設立。
1949年
国内製油所復旧工事に邁進
1949年
水処理薬品事業(ボイラ薬品)により創業 水処理薬品事業(ボイラ薬品)会社として栗田工業(株)を設立。
1949年
ボイラ薬品販売を開始 海軍出身である創業者が、海軍の汽缶技術を活用したボイラ薬品の販売を開始。
1949年
船舶用ローラチェーン、ロイド検定に合格
1949年
本店を横浜市鶴見区生麦町813番地に移転。
1949年
販売体制確立のため、販売会社としてスマート製販(株)を設立。('54 マックス製販(株)と改称。)
1949年
カメラ用ミニアチュア軸受
1949年
株式を東京証券取引所に上場
1949年
設立8月18日、神戸製鋼所が三分割され、神鋼電機株式会社設立
1949年
電気通信機器および高周波応用機器の製造販売を主目的とする国際電気株式会社を設立
1949年
三櫻化醸株式会社に商号変更
1949年
福岡出張所開設(現 九州支店)
1949年
東京証券取引所に上場
1949年
企業再建整備法により沖電気株式会社を解散し、第二会社として沖電気工業株式会社設立
1949年
特別経理会社の指定を解除される
1949年
大阪証券取引所に株式を上場
1949年
ラジオ受信機、計器、蓄音器部門を分離、各独立会社となる
1949年
水晶振動子の製造、販売を開始
1949年
本店を東京都新宿区に置き、他に埼玉県飯能市に飯能工場及び東京都東村山市に村山工場をもって設立
1949年
本店を東京都千代田区に移転
1949年
企業再建整備法により山武工業株式会社の第二会社として山武計器株式会社を設立
1949年
トヨタ自工から分離独立し、日本電装株式会社を設立
1949年
旧商号スタンレー電気株式会社に復元
1949年
株式会社日本電子光学研究所設立(東京都三鷹市)
1949年
電子顕微鏡 JEM-1完成
1949年
三井工作所創業 創業者である三井孝昭が、福岡県八幡市筒井町1丁目(現北九州市八幡西区黒崎5丁目)において金型の製造販売業を開始
1949年
チタン酸バリウム磁器コンデンサを日本で初めて量産
1949年
電子管工場を長生郡茂原町に移転
1949年
大阪、東京支店開設
1949年
防食テープ製造開始
1949年
大浪工場閉鎖
1949年
ふそう自動車販売(のちの三菱ふそう自動車)を設立
1949年
三菱製鋼は企業再建整備法による決定整備計画に基づき、長崎製鋼と東京鋼材の2社を設立
1949年
再開の東京・大阪・名古屋証券取引所に株式を上場
1949年
郵政省発足
1949年
再び商号を日産自動車株式会社に変更。
1949年
商号を現在の「いすゞ自動車株式会社」に変更、資本金を1億5000万円に増資
1949年
労働組合、労働組合法の改正に反対して結成後初のストライキ
1949年
労働組合と、賃金の一割引下げ・人員整理は行わない旨の覚書を締結
1949年
日本電装(株)(現 (株)デンソー)・愛知琺瑯(株)を設立
1949年
沖縄のアメリカ軍向けのトラック100台の競争入札を全量落札
1949年
東京証券取引所へ株式上場
1949年
トラック・バスの販売会社としてふそう自動車販売株式会社を設立
1949年
企業再建整備法に基づいて明和興業株式会社(旧商号川西航空機株式会社、
1949年
「愛知工業」を新たに設立。
1949年
初の自社設計フレームに98cc 2ストローク単気筒エンジンを搭載したドリーム号D型生産開始。
1949年
東京、大阪、名古屋各証券取引所に株式を上場。
1949年
企業再建整備法により、国華工業株式会社の第2会社として名古屋、岡崎両工場を名古屋ゴム株式会社の名称で分離独立(会社創立)
1949年
クラヤ薬品株式会社設立
1949年
非鉄金属の販売を目的として株式会社白銅商店設立
1949年
東京精密工具(株)設立、東島好蔵社長
1949年
社名をオリンパス光学工業と改称
1949年
東京出張所を開設、関東地方の販売促進とアフターサービスの増強を図る
1949年
シチズン商事株式会社発足
1949年
東京都中央区に櫻井謄写堂として創業
1949年
大阪出張所開設(現:日本写真印刷コミュニケーションズ株式会社大阪支社)
1949年
太洋商事株式会社として創業。
1949年
東京都渋谷区で同様の熱ポンプ設備を完成。
1949年
伊藤忠商事株式会社を設立。
1949年
大建産業が過度経済力集中排除法の適用を受け、4社(伊藤忠商事、丸紅、呉羽紡績、尼崎製釘所)に分割され、丸紅株式会社として設立される。
1949年
当社株式を東京証券取引所に上場。
1949年
高島株式会社と商号変更。
1949年
百貨店への販売開始
1949年
社員の海外渡航再開。第一陣が米国へ出発
1949年
北海商運㈱、大北水産物㈱の業務を継承
1949年
大阪市南区(現 中央区)に大栄水産㈱設立
1949年
大阪市福島区に大阪水産物直売㈱設立
1949年
大阪・東京・名古屋の各証券取引所に株式を上場。
1949年
佐藤商事株式会社を設立(資本金500万円)
1949年
戦時統制解除に伴い、石炭の販売を再開
1949年
三菱石油株式会社(現ENEOS株式会社)の特約店となる
1949年
仙台出張所を開設
1949年
帯広出張所を開設
1949年
大阪支店を設置。
1949年
モンサント社(現・モンサント・カンパニー)の塩化ビニル樹脂の取り扱いを開始する
1949年
東京支店及び大阪支店を開設
1949年
名古屋市東区に陶磁器の輸出を主とする昭栄貿易(株)を設立
1949年
会社発足と同時に株式会社安川電機製作所(現、株式会社安川電機)と代理店契約を締結。
1949年
丸正産業株式会社に商号変更
1949年
札幌駐在所(現札幌オフィス)開設
1949年
エキスポートバザー(EB)開設 (輸出用繊維製品をドル貸で販売する売場)
1949年
フタギ、株式会社に改組。フタギ(株)を設立。資本金100万円。二木一一が代表取締役社長に就任
1949年
三谷石炭株式会社設立
1949年
株式会社帝国銀行、東京証券取引所及び大阪証券取引所に株式を上場 株式会社大阪銀行、大阪証券取引所及び東京証券取引所に株式を上場(その後、 昭和25年4月札幌証券取引所、 平成元年3月名古屋証券取引所に株式を上場)
1949年
日本証券金融(株)に商号変更
1949年
東京、大阪、名古屋証券取引所加入
1949年
東京証券取引所(再開)の正会員(現、総合取引参加者)加入
1949年
東京証券取引所市場第一部に上場。
1949年
東京証券取引所に株式再上場
1949年
財閥解体により株式会社住友本社の不動産部門を継承する会社として設立
1949年
(当時は泉不動産株式会社と称する)
1949年
フタギ、株式会社に改組。フタギ(株)を設立。資本金100万円。
1949年
「華厳号」・「鬼怒号」特急電車を運転開始、毎日1往復、土・日曜日2往復
1949年
(当社)東京証券取引所に上場
1949年
東京急行電鉄、東京証券取引所に再上場
1949年
東京証券取引所に株式上場
1949年
東京証券取引所に上場
1949年
東京郊外自動車(株)(現京王自動車(株))の株式取得
1949年
笹塚自動車工業(株)(現京王重機整備(株))の株式取得
1949年
大阪証券取引所、東京証券取引所に株式を上場
1949年
福岡証券取引所に株式を上場
1949年
プロ野球球団「近鉄パールズ」創設
1949年
岡﨑工業株式会社設立
1949年
海上運送業および海上運送取扱業、海運仲立業、海運代理店業を登録(当時は、海上運送業および海上運送取扱業は届出登録制)
1949年
東京証券取引所に上場。なお、1952年10月迄に順次大阪証券取引所他6証券取引所に上場した。
1949年
横浜港において曳船業を開始
1949年
横浜支店を設置。
1949年
戦後接収されていた旧川崎埠頭事務所が返還され、川崎支店とする 以降、政府の石炭増産計画と相まって、埠頭商品の大量荷役が活発化
1949年
東京証券取引所に株式を上場
1949年
「角川文庫」創刊(B6版)、第1回配本はドストエフスキーの「罪と罰」。
1949年
創業初の刊行物、観光小冊子『年刊別府』を発行
1949年
近畿コークス販売(株)(現 大阪ガスケミカル(株))設立
1949年
東京・名古屋・大阪証券取引所に当社株式上場
1949年
・東京証券取引所に株式上場登録
1949年
福岡証券取引所に株式を上場。
1949年
西部瓦斯副産株式会社(現西部ガスエネルギー株式会社)を設立。
1949年
長谷川大道具株式会社設立 株式会社歌舞伎座設立
1949年
東京都競馬株式会社設立
1949年
形式上の存続会社である三光株式会社(のちに商号を株式会社日機に変更)が東京都千代田区丸の内に設立
1949年
大阪市東成区に因幡電機産業株式会社を設立
1949年
山口県宇部市でメンズショップ小郡商事を創業