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各企業の年別活動

各企業における1925年での活動

Year
[証券コード]会社名
活動内容
1925年
坂炭砿株式会社の商号を住友坂炭砿株式会社に変更
1925年
川崎工場開設
1925年
有限責任北海道製酪販売組合設立
1925年
バター製造開始
1925年
バター販売開始
1925年
麒麟麦酒、本店所在地を横浜市山手町から横浜市神奈川区子安町字海道通に登記変更
1925年
現京都市伏見区竹中町609番地に、酒類、酒精、清涼飲料水、医薬用品、調味料等の製造および販売を主たる目的として、寳酒造株式会社を設立。四方合名会社を吸収合併し、伏見、木崎(1938年3月東亜酒精興業株式会社へ譲渡)の二工場とする。
1925年
野田醤油株式会社と野田醤油醸造株式会社、万上味淋株式会社、日本醤油株式会社が合併、野田醤油株式会社とする
1925年
第17工場竣工
1925年
日本で初めてマヨネーズを製造・販売 日本初のマヨネーズ「キユーピー マヨネーズ」発売 キユーピーの商標を使用
1925年
本社を兵庫県高砂市から東京都千代田区有楽町に移転。
1925年
株式会社住友肥料製造所として独立する(現在の愛媛工場)。
1925年
広瀬発電所 送電開始、認可出力 5200kW
1925年
「花王石鹸株式会社長瀬商会」設立。
1925年
株式会社武田長兵衞商店を設立 株式会社武田長兵衞商店(資本金530万円、社長五代目武田長兵衞)を設立。これにより、当社は個人商店から、研究開発・製造・販売を一体化した近代的な会社組織となる。1943年に社名を現在の武田薬品工業株式会社に変更
1925年
大正14年の工場俯瞰図 武田製薬工場から長兵衛商店本工場へ武田製薬株式会社(工場は十三にあった)は武田朝長兵衛商店に合併され、その製薬部本工場となった。
1925年
上野十藏によって中外新薬商会として創立。
1925年
有機顔料の自給生産を開始、化学会社としての一歩を踏み出す
1925年
寳酒造株式会社設立
1925年
中国に昌光硝子を設立。旭硝子初の海外ビジネスがスタート
1925年
日の出セメント株式会社を合併(八戸工場)
1925年
東京支店設置(日本橋区)
1925年
我が国最初のマンガン製特殊軌条の製作に成功
1925年
中央理化工業(株)設立
1925年
当時の事業目的は消火器製造販売
1925年
川崎工場(ワイヤロープ・麻ロープ製造)設置
1925年
(株)神戸製鋼所の紡機部門より分離独立し、紡機製造(株)として繊維機械を生産開始
1925年
株式会社神戸製鋼所、発動機製造株式会社、東京瓦斯電気工業株式会社の3社により、神戸市脇浜町1丁目31番地に日本エヤーブレーキ株式会社を設立(資本金30万円)し、鉄道車両用エアーブレーキ装置の製造、販売を開始
1925年
石版ロール印刷機を開発
1925年
水道向けポンプの国産化を実現 国産ポンプの採用を訴え続けた結果、性能比較の機会を得た東京市淀橋浄水場で、外国製ポンプに引けを取らない性能を証明し、水道向けポンプの国産化を実現。
1925年
船舶用ジャイロコンパス・ロータ用深溝玉軸受
1925年
「川崎工場」操業開始
1925年
変圧器の製造開始
1925年
わが国最初期の電磁クラッチを開発。電磁クラッチ・ブレーキ事業に参入
1925年
エアブレーキ圧縮機用直流電動機を製作開始。鉄道車両機器事業に参入
1925年
自動配電装置の製造販売を目的として株式会社戸上電機製作所を設立
1925年
名古屋出張所開設(現 中部支店)
1925年
I.W.E.社は、インターナショナル・テレホン・アンド・テレグラフ社に買収され、インターナショナル・スタンダード・エレクトリック・コーポレーション(略称I.S.E.社)と改称
1925年
国策会社である日本無線電信株式会社の設立
1925年
国産第1号鉱石ラジオ受信機の組み立てに成功し、量産・販売を開始
1925年
大阪市西区に靱(うつぼ)営業所を開設
1925年
安中電機、東京中央放送局愛宕山送信所第2設備用として国産初の500ワット放送機を製造
1925年
北洋商会(のちの三菱食品)を設立
1925年
第一製氷(のちの玉川機械金属)を設立
1925年
「無停止杼換式豊田自動織機(G型)」1号機完成
1925年
豊田喜一郎、自動織機の予備杼溜の特許を出願(特許第65950号)
1925年
当社前身「合資会社プレッス作業所」創業(東京都品川区)
1925年
鉄道車両部品、建築材料類のプレス加工開始
1925年
株式会社北洋商会の商号のもとに(旧)三菱商事株式会社の取扱う水産缶詰の国内販売会社として同社の全額出資により設立。(資本金5万円、本店:東京市麹町区)
1925年
「JOICO顕微鏡」発売 ニコン設計による初の顕微鏡。JOICO(ジョイコ) とは、当時の社名である日本光学工業株式会社を直訳した Japan Optical Industry Co. の頭文字をとってつくられた商標。
1925年
設立当時の共同印刷(1925 年)
1925年
博文館理事大橋光吉が創設した美術印刷中心の精美堂と合併して、共同印刷株式会社を設立。社長大橋光吉。総合印刷会社として大量生産体制を確立した。
1925年
三菱商事(株)と特約店契約を締結
1925年
東京市京橋区銀座3丁目に銀座店開店(5月1日)
1925年
下足預りの廃止・百貨店初のカフェテリア式大食堂や安本亀八の生人形など(百貨店は大衆化へ)
1925年
株式会社大阪野村銀行の証券部を分離して設立
1925年
小川町~寄居間10.8㎞開通(東上線全通)
1925年
湘南電気鉄道株式会社創立(資本金1千2百万円)
1925年
高田~八木間開通
1925年
八尾~恩智間開通
1925年
資本金50万円をもって東京都に関東土地株式会社を創立し、不動産の賃貸借売買を主体に営業開始
1925年
本店事務所を現在地に新築移転。