1977年
前橋市千代田町に株式会社カネコガーデンショップを設立。
1977年
アメリカ カリフォルニア州にサカタ・シード・アメリカを設立
1977年
日本ケンタッキー・フライド・チキンと販売契約を締結。
1977年
川上工場をスーパーマーケット向け鶏肉加工工場からケンタッキーフライドチキン向け専用工場に設備を改修。
1977年
埼玉県大宮市(当時)に技術研究所を設立
1977年
第一種圧力容器製造認定工場として新潟労働局長(旧新潟労働基準局長)より許可を受ける
1977年
建築部門の拡大強化が打ち出され、今日の建築の成長の端緒となる。
1977年
スミリン緑化株式会社(現 住友林業緑化株式会社<連結子会社>)設立。造園・緑化事業を開始。
1977年
省エネ住宅「ダイワハウスソーラーDH-1」発売
1977年
マンション事業へ進出、大型マンション「グリーンコーポ千寿」(東京都)発売
1977年
積和不動産株式会社(1982年3月に関西積和不動産株式会社に商号変更)を設立
1977年
本店を大阪市大淀区本庄東の新社屋に移転(現 北区)
1977年
韓国ベアリング工業とのオールケース炉、焼戻炉、ガス発生機の技術供与契約に調印
1977年
埼玉県久喜市菖蒲工業団地内に埼玉工場を新設。これに伴い、鶴見工場、千葉工場を廃止
1977年
電子交換機部門を強化 交換ソフト分野へ本格進出
1977年
自動車関連マニュアル原稿作成業務の受託を開始
1977年
(株)サンロイヤル(現(株)ヴイ・ディー・エフ・サンロイヤル)がインストアベーカリー事業を開始
1977年
(株)サンエブリー設立(コンビニエンスストア事業進出)
1977年
大阪市に大阪オフィス(現関西支店)開設。
1977年
「梅の香巻」「フレッシュパック柿の種」発売
1977年
仙台フード(株)を設立し、食肉販売体制の構築を開始
1977年
ロサンゼルスのデイリーミーツ(現デイリーフーズ)を買収、海外事業展開スタート
1977年
大阪市北区堂島にて株式会社実鷹企画(現当社)設立
1977年
株式会社イーディーピー・アプリケーションシステムに社名を変更
1977年
ミニコンピュータによる制御システムの開発に着手
1977年
日本でITが普及する以前の黎明期から当社は情報処理のためのサービスを開始
1977年
ハリウッド劇場映画『遠すぎた橋』を公開し、配収18億円の大ヒット
1977年
マイクロコンピュータ技術の「デパート化」推進開始
1977年
商工プロセス株式会社を商工印刷工業株式会社と商号変更
1977年
「サッポロびん生」発売(後の「サッポロ生ビール黒ラベル」)
1977年
ポッカコーポレーションシンガポール設立
1977年
ホテルエコー、キリンエコー株式会社に商号変更
1977年
金港商会、株式会社キリンフードサービスに商号変更
1977年
鶴見倉庫株式会社を完全子会社とする(2009年株式譲渡)
1977年
KW Inc.(現・Coca Cola Beverages Northeast、アメリカ)設立
1977年
直営専門店「茶十徳」第1号店オープン(神奈川県横浜市)
1977年
本格的なドライブスルー方式を採用した第1号店を東京都杉並区にオープン(環八高井戸店)
1977年
運送取扱子会社を設立。(現・(株)ロジスティクス・ネットワーク<連結子会社>)
1977年
MARUCHAN,INC.にラーメン工場設置。
1977年
本社ビル完成に伴い、本店を現在地の大阪市淀川区に移転。
1977年
カタクラ園芸センター山梨店をニューライフカタクラ石和店として改装オープン
1977年
中央蚕研(株)を買収し、中央蚕研事業所(現生物科学研究所)を開設
1977年
伊丹工場を分離し、日東紡伊丹加工株式会社を設立。
1977年
埼玉県東松山市にセントラルキッチン東松山工場(現東松山MDセンター)開設
1977年
長野県長野市にホームセンターの運営を目的に株式会社綿半ホームエイドを設立する4月に長池店(1号店)を新規出店する
1977年
抗血栓性材料 アンスロン®カテーテルの製造承認を取得
1977年
コメダ珈琲店名物商品「シロノワール」販売開始
1977年
労働保険の収納システム、全国初の画期的処理を実施
1977年
新工場・N4号抄紙機(ベルベフォーマー型/新聞用紙5本取り)新設(N4号機完成によって三島工場は、単一工場として世界最大級の規模となる)
1977年
大阪営業所を大阪大淀区中津(現北区中津)二丁目に新設移転し、大阪支店に改称。
1977年
「クレスチン」(抗悪性腫瘍剤)販売開始
1977年
青柳工場で放電加工用電極 黒鉛素材の販売開始
1977年
県域を超えて事業を図るため、社名を株式会社電算システムと変更。
1977年
代謝性強心剤バルク「ユビデカレノン(CoQ10)」を発酵法により開発、高砂工業所で生産開始
1977年
三井東圧化学 日本石油化学とポリプロピレン生産で泉北ポリマー設立
1977年
OAPM(世界初の全自動枚葉式プラズマエッチング装置)を開発。
1977年
エー・シー・アール(株)、(株)東京環境測定センター設立
1977年
日本石油化学(株)(現・ENEOS(株))と折半出資により「(株)サン・ペトロケミカル」(現関連会社)を設立。
1977年
ホローファイバー型人工腎臓(ダイアライザー)を発売し、人工臓器分野に進出
1977年
生理ナプキン用両面接着テープ「DF3400」販売開始。
1977年
正式名称東京ディズニーランド®と決定。
1977年
害虫駆除等環境衛生管理事業(現ターミニックス事業)を開始ターミニックス事業
1977年
「汎用ファイル編集プログラム」、「中小企業向けフロントシステム」などの販売用ソフトウェアを開発し、販売を開始
1977年
世界初のオートフォーカスカメラ「コニカC35AF(ジャスピンコニカ)」発売当時行った撮影済みフィルムの市場調査の結果、写真の失敗要因の36%がピンボケ(焦点が合っておらず不鮮明になる)であることが判明。その解消をめざした技術開発によって生まれたのが、世界初のオートフォーカスカメラ「コニカC35AF(愛称:ジャスピンコニカ)」です。シャッターを押すだけで自動的に焦点を合わせてくれるカメラの登場で、多くの人が鮮明な写真を撮影できるようになりました。
1977年
世界初の指先測定型パルスオキシメータ「OXIMET MET-1471」発売パルスオキシメータとは、動脈血中に含まれる酸素の量(動脈血酸素飽和度 SpO2)を、採血することなく測定する装置です。体内への酸素の取り入れ状況をリアルタイムに検知するため、病院の手術室や集中治療室、呼吸器科の外来などで、幅広く使用されています。当社は1977年、世界で最初の指先測定型のパルスオキシメータ「OXIMET MET-1471」を発売。その後、小型化と高品質の追求を進め、40年以上を経て、新型コロナウイルス感染症患者の重症度の判断に有効なツールとしても大いに活用されました。
1977年
高栄産業株式会社(現、連結子会社)を神奈川県平塚市西八幡に設立。
1977年
注目の技術異方性導電膜(ACF)を業界にさきがけて製品化
1977年
ツーリングカー用レーシングタイヤ「Y-801」「Y-802」開発
1977年
動力炉・核燃料開発事業団の委託を受け、高レベル放射性廃液ガラス固化技術の研究に着手
1977年
八戸工場を分離し、八戸セメント株式会社を設立(現・連結子会社)
1977年
インドネシアNGKスパークプラグ(株)設立
1977年
プラスチックレンズ用研磨材[POLIPLA]を生産開始
1977年
大谷重工業株式会社を合併、商号を合同製鐵株式会社とする
1977年
「日軽ホクセイ住宅建材(株)」(後の新日軽(株))を設立
1977年
Sumitomo Metal Mining Singapore Pte.Ltd.設立
1977年
シンガポールでリードフレーム生産を開始(平成29年、会社譲渡)
1977年
柵原で岡山砿油を設立、環境・リサイクル事業を開始
1977年
中国向け三塩化チタン系触媒プラント輸出完了
1977年
ブラジルFISA社としてパラナ州クリチバに通信ケーブル工事完成 インドネシアに銅荒引線の合弁会社P.T.トゥンバガ・ムリア・セマナン社を設立
1977年
Crown Seal Company Limited(現Crown Seal Public Co., Ltd.)がタイ証券取引所に株式を上場
1977年
ビバホーム株式会社(のちのトステムビバ株式会社)を設立
1977年
東洋ビルサッシ株式会社を設立し、ビル建材事業に進出
1977年
フープ筋、フレキシブル筋(高強度せん断補強筋 ウルボン1275)の販売を開始
1977年
自己申告制度開始 異動を希望する従業員は、直接、当時管轄する部署まで申告する制度。自己申告制の導入が1969年、完全制度化は1977年。
1977年
スタンピングセンタシステム・マークIV(3次元トランスファ)完成
1977年
株式会社マコト工業設立(現株式会社アドテック富士)
1977年
NC形彫り放電加工機用電源「GPC」シリーズを完成
1977年
M&Aによってメドテック(当時・ハッピー精密工業)をグループ会社とする
1977年
氏家工場(現・栃木日東工器)竣工、操業を開始
1977年
氏家工場(現・栃木日東工器)の操業開始
1977年
繊維機械事業部からコンプレッサー事業部を分離。
1977年
クライスラー社及びフォード社に、斜板式コンプレッサーを技術供与。
1977年
スキッドステアローダー「ジョブサン」を発売。
1977年
直交座標型ロボットNC制御XYテーブル「マシンベース」を開発
1977年
多用途制御バルブ(PFC/QFC/SSC) 開発
1977年
Sumitomo Cyclo Redutores do Brasil Ltda. (SCB)設立
1977年
FA機器(現メカトロニクス製品)の製造・販売を開始。
1977年
ハーマン・シントー・Vプロセス社をアメリカに設立
1977年
土工用大型振動ローラ(SV90)開発。
1977年
ナイジェリアNNPC向け カドナ製油所建設工事受注
1977年
京都工場内に新開発センター(後のR&Dセンター)完成
1977年
東村山工場を東村山製作所と改称、流体機器工場および計装工場を設置。
1977年
大阪営業所(現 大阪支店)開設・東京営業所(現 東京支店)、仙台出張所(現 東北支店)、北陸事務所(現 北陸営業所)開設
1977年
長野県埴科郡坂城町に千曲工場を新設、撹拌機製造工場とする(2018年6月付で撹拌機事業をエムケー精工株式会社に譲渡)
1977年
横浜市西区(現本社 横浜市南区)にホシザキ湘南株式会社(現 連結子会社)を、石川県金沢市にホシザキ北信越株式会社(現 連結子会社)を設立。
1977年
大証第二部上場の自動車部品メーカー 大阪車輪製造(株)を買収。米国の多国籍企業マロリー社のモーター部門である Hansen Manufacturing Co., Inc.(後のHansen Corporation)を買収。
1977年
旧西独に販売会社 Nippon Miniature Bearing GmbH(現 NMB-Minebea-GmbH)を設立。
1977年
東邦精工株式会社が株式会社テーエチケーより製造部門を買収し、甲府工場とする
1977年
ふとん乾燥機、オーブンレンジ、電子温風コタツを発売
1977年
国内初全電気式産業用ロボット「MOTOMAN-L10」を発表
1977年
ドイツのデュッセルドルフに現地法人Kokusai Electric Europe GmbH(現 Kokusai Semiconductor Europe GmbH)を設立
1977年
ADR (米国預託証券)発行に伴いNASDAQ(全米証券業会自動表示システム)にて取引開始(2013年4月 同取引所の上場を廃止)
1977年
マキタ・ヴェルクツォイクG.m.b.H.(ドイツ)設立
1977年
アメリカ合衆国ニューヨーク市にマブチモーターアメリカコーポレーション(アメリカマブチ)を設立(1997年、本店をデトロイト近郊のトロイ市へ移す)。
1977年
大財電機工業株式会社設立(現 株式会社戸上コントロール)
1977年
「EPSON EX-1」 初めてエプソンブランドを冠した、会計事務専用コンピューター
1977年
九州地区の営業活動の拡大のために九州アルバック株式会社(現・アルバック九州株式会社)を設立。
1977年
松下正治会長、山下社長体制へVHS方式のビデオを発売
1977年
シャープシステムサービス株式会社を設立
1977年
合資会社早川金属特選工場がシャープ株式会社の特例子会社に認定
1977年
ブラジル・アンリツ(リオデジャネイロ)を設立
1977年
「Teleton Electro (U.K.) Co., Ltd. 」(イギリス・ロンドン:現 Fujitsu General (U.K.) Co., Ltd. ) を設立
1977年
「中部ゼネラル株式会社」(現浜松事業所) 工場を完成し、輸出向けルームエアコン、熱交換器の生産を開始
1977年
PCMによる音声時分割多重の研究を開始
1977年
薄型ラジオに積層セラミックチップコンデンサ採用
1977年
大阪市に大阪営業所を開設(現・関西支店)
1977年
ゼット・マーケティング・カンパニー(現JAE Electronics, Inc.)を設立
1977年
世界一(当時)の乾電池式ロングライフ1ch心電計を発売
1977年
イギリスに現地法人ホリバ・インスツルメンツ社(現ホリバ・UK社)(イギリス)を設立。
1977年
福知山工場の第二期工事竣工、そして生産部門の関係会社を3社設立。
1977年
ディジタルクランプハイテスタ3202を発売
1977年
技能五輪国際大会で初の金メダルを獲得 設立以来力を入れてきた技能育成が実を結ぶ。デンソーがこれまで獲得した技能五輪国際大会のメダルは60個以上。メダリストたちが技術者と一体となった開発を行うことで、新しい技術の製品化に貢献している。
1977年
大阪営業所開設('86年11月支店に変更)
1977年
プリント基板上で基板の動作チェックを行うチェックピンを開発し、製造、販売を開始
1977年
本社及び工場を神奈川県川崎市高津区に移転
1977年
先端部をテーパ状に加工したコネクタ用ピンを開発し、製造、販売を開始
1977年
EDR(欧州預託証券)を発行し、ルクセンブルグ証券取引所に上場
1977年
米国に現地法人 FANUC AMERICA CORPORATION を設立
1977年
ロボット量産出荷開始 (ROBOT-MODEL 1)
1977年
技術センター内に恒温恒湿精密測定室を完成
1977年
DAISHINKU (AMERICA) CORP. を設立、米国市場に水晶振動子の供給を開始
1977年
コンピュータとの接続で新境地を拓く コンピュータ用ビジコンカメラの開発
1977年
米国カリフォルニア州に SHINKO ELECTRIC AMERICA INC. 設立
1977年
香港現地法人Kyocera(Hong Kong)Ltd.(現·Kyocera Asia Pacific Pte. Ltd.)が営業開始
1977年
世界初の円筒チップ型磁器コンデンサを開発
1977年
ヨーロッパ地域への販売拠点として、現地法人EUROPE CHEMI-CON (DEUTSCHLAND) GmbH(ドイツ)を設立。
1977年
東京都渋谷区恵比寿3-2-3(興亜電工ビル)に東京第一営業所、東京第二営業所を設置する
1977年
長野県上伊那郡南箕輪村大河原5061に南殿工場を設置する
1977年
アタカ工業株式会社(アタカ大機株式会社(連結子会社))を経営系列化
1977年
第1回トヨタ技術会アイディアオリンピックを開催
1977年
米国にトヨタテクニカル・センターUSA社を設立
1977年
藤岡研修所を完成(現 藤岡技術研修センター)
1977年
観光バスの市場を変えた 日本初「スケルトン構造」バス発売
1977年
4G1型(オリオン)エンジンの生産を開始
1977年
日本自動車エンジニアリング株式会社(現、三菱自動車エンジニアリング株式会社)を設立
1977年
名古屋自動車製作所岡崎工場(現、岡崎製作所岡崎工場)を設立
1977年
カークーラー、ルームエアコンの冷媒制御機器製品の生産を開始
1977年
岐阜県美濃市に美濃工場を新設し、タイヤバルブおよびバルブコア部門の一部を移転
1977年
ものづくりの精神と技能を伝承し、生産職場の核となる人材の育成を目指す企業内訓練校「アイシン高等学園」を設立。小容量FRオーバードライブ付4速オートマチックトランスミッション(世界初)サンルーフ (日本初)
1977年
アメリカのYamaha International Corporationから当社関連部門がYamaha Motor Corporation,U.S.A.として独立
1977年
アメリカの'78年排ガス規制を「DT100E」と「XS650E」が業界トップでクリア
1977年
世界GPモトクロスの500ccクラスで初のメーカー&ライダーチャンピオンを獲得
1977年
米国カリフォルニア州に全額出資の販売会社ダイキンクラッチU.S.A.を設立(後にミシガン州に移転し、1987年ダイキンクラッチに社名変更、2006年エクセディグローバルパーツに社名変更)
1977年
東京都千代田区に東京営業所を開設(2015年1月東京都武蔵野市に移転)
1977年
TRI-CON INDUSTRIES, LTD.を設立
1977年
シンガポールに現地法人SINGAPORE SATORI PTE., LTD.を設立
1977年
S&T Enterprises Ltd. Singapore Branch(現Hakuto Singapore Pte. Ltd.)を開設。
1977年
全日本スパー組織に加盟し、地区本部とする。
1977年
千葉県市川市市川に第3号店として市川北口店を開店し、多店舗化に着手。
1977年
シンガポールで当時としては画期的な三国間貿易を開始
1977年
埼玉県入間郡日高町(現・埼玉県日高市)田波目にレーザ用光学機器の製造および販売を目的としてシグマ光機株式会社を設立。
1977年
米国ニューヨークに現地法人スターマイクロニクス アメリカ・INCを設立(現在は米国ニュージャージーに移転)
1977年
「ニコンF2チタンウエムラスペシャル」の開発 植村直己のセルフタイマーによる自写像。脚にカメラの影が映っている。 画像提供:文藝春秋
1977年
映像事業の米国販売拠点オリンパス・カメラ・コーポレーションを設立
1977年
世界最大規模の「全自動プリント配線板製造装置」をエルナー株式会社と共同開発
1977年
電子計測器の製造・販売を目的として(株)エー・アンド・デイ設立(資本金42,040千円)本社を東京都練馬区に、工場を埼玉県北本市に置く
1977年
栃木キヤノン宇都宮工場(現キヤノン宇都宮工場)が完成
1977年
リズム工機株式会社(福島県会津若松市)を設立(後の東北リズム株式会社)
1977年
東京都葛飾区立石に本社ビル本館を新築。
1977年
家庭用テレビゲーム機「テレビゲーム15」、「テレビゲーム6」を発売。
1977年
大阪住機株式会社、九州タカラ工業株式会社を吸収合併
1977年
山本銃砲製作所(1981年12月に株式会社香北ミロクに商号を変更)の株式を取得
1977年
(株)ニフコと日英物産(株)が合併。新社名を(株)ニフコとし、資本金を10億円とする。
1977年
東京都世田谷区に(株)オレンジキャット(1981年7月(株)ムトーエンタープライズへ商号変更)を設立。
1977年
個人通販の原点「友の会」を発足し、ダイレクトメールによる販売を開始
1977年
アブダビ・ダス島のアブダビLNG生産開始。
1977年
パナマにSeiko Time (Panama) S.A.設立。
1977年
金融機関向けソフトウェア「FAST」を開発
1977年
さまざまな顧客の要望を捉え、産業を支えるビジネスソリューションの提供を通じて社会の発展に貢献しました。
1977年
北陸自動車道南条サービスエリアでレストラン経営開始
1977年
TOKYO SANGYO SINGAPORE (PTE) LTD.設立
1977年
仕入先ネットワーク「ユアサ炭協会」発足
1977年
商号を日本硝子商事 から ニッショーに変更。 滋賀県草津市に技術開発センター(現総合研究所)を開設。
1977年
(株)安川電機製作所(現 安川電機)と代理店契約を締結し、溶接ロボットの販売を開始
1977年
全国ミツウロコ会LPガス災害共済制度「やすらぎ」創設
1977年
(株)サンアンドキュー[(株)ミツウロコファイナンス]設立
1977年
株式額面変更のため、大阪市東区釣鐘町二丁目36番地を本店とする伊藤忠燃料株式会社と合併
1977年
子会社株式会社山田工業研究所(サンワテスコム株式会社清算)を設立。
1977年
シンガポールにShinko(Pte)Ltd.を設立
1977年
香港に現地法人SANSHINELECTRONICS(HONGKONG)CO.LTD.を設立。(現連結子会社)
1977年
シンガポールに現地法人SANSHINELECTRONICSSINGAPORE(PTE)LTD.を設立。(現連結子会社)
1977年
英文名を TOYO Corporation に変更
1977年
株式会社モスサプライ設立(現:株式会社エム・エイチ・エス)
1977年
首都圏進出1号店のロイヤルホスト三鷹店オープン
1977年
ホームセンター事業に参入、新潟県にHC三条店(新潟県三条市)を開店(1号店)
1977年
富山県内におけるLPG販売を目的として三谷ガスサービス株式会社(平成11年7月に三谷ガス株式会社に吸収合併)を設立
1977年
証券会社に対して貸借取引とは別に株券を貸し付ける一般貸株業務を開始
1977年
日本銀行より国債元利金支払取扱店の指定を受け、同取扱店業務を開始
1977年
事務用機器を中心にリース事業の営業開始
1977年
割賦購入斡旋、消費者金融業の「日本消費者金融株式会社」を設立
1977年
ペルサス・シッピング(現:オリックス・マリタイム)を設立。
1977年
「住友中之島ビル」竣工(大阪府大阪市)
1977年
「夙川グリーンタウン」竣工/市街地再開発事業(兵庫県西宮市)
1977年
賃貸仲介、売買仲介、分譲事業の拠点として千葉県市川市に行徳店を開設し千葉地区に進出、その後習志野店他を開設
1977年
船橋駅ビルが完成(1977.10.7船橋東武百貨店オープン)
1977年
東大阪線特許・免許取得(東大阪市長田~生駒市元町間)
1977年
布施駅付近の奈良線線路を連続立体交差事業により高架へ切替え
1977年
日本・極東と中近東・欧州間のシベリア・ランド・ブリッジサービスを開始
1977年
本店に国際部、プラント部設置、国際運送業務を本格展開
1977年
東京支店仙台営業所開設(2002年、廃止)
1977年
『史上最大!アメリカ横断ウルトラクイズ』放送
1977年
商号を全国朝日放送株式会社に変更。同時に略称をNETからANBに変更。
1977年
KDD、国際海事衛星機構 (インマルサット) に加盟
1977年
富山県富山市で、アイドマ(個人事業)を創業。
1977年
東京計算サービス株式会社設立(現・連結子会社「株式会社テプコシステムズ(2001年10月商号変更)」)
1977年
東京電材輸送株式会社設立(現・連結子会社「東電物流株式会社(1999年7月商号変更)」)
1977年
東新潟火力発電所1号機(60万kW)運転開始
1977年
当社初の原子力伊方発電所1号機56.6万kW、運転開始
1977年
八丁原発電所1号機(地熱、2.3万kW)運転開始
1977年
豊前発電所1号機(石油、50万kW)運転開始
1977年
知多LNG共同基地操業開始し、インドネシアLNG導入開始
1977年
県産天然ガス需給逼迫のため、東洋瓦斯化学工業(株)様よりSNG(代替天然ガス)を導入
1977年
'71年からの熱量変更作業が完了。市川地区を残し12Aに。
1977年
モービル石油の全国指定計算センターとなる
1977年
広島県広島市に広島出張所(現 中国支社)を開設
1977年
東京電力(株)、関西電力(株)、中部電力(株)と当社の4社合弁で、原子力施設に関する科学防護システムの研究開発、科学防護機器の設計、施工、保守点検などを業務とする日本原子力防護システム(株)を設立する。
1977年
宮城県白石市にセコム工業(株)を設立し、オンライン安全システムを構成する機器の自社生産を開始する。
1977年
東京海上火災(現:東京海上日動)・同和火災海上(ニッセイ同和損害保険)・興亜火災海上(現:日本興亜損保)と提携
1977年
計量証明事業(騒音レベル)登録の認可を得る。
1977年
地質調査業登録の認可を得る。(1977年4月制定)
1977年
プライベートブランド商品として「タイヤ」「オイル」「バッテリー」を発売
1977年
東京都千代田区に実演手打うどん「杵屋」大手町日本ビル店を出店。関東地区へ進出
1977年
米国にヨシノヤウエストINC.を設立。
1977年
オフィスコンピューター「JBCシステム-1」を開発、販売 日本ではじめて漢字処理のできる「JBCシステム- 1漢字」を開発、販売
1977年
ファミリー層を対象に新しい店舗スタイルで、石川県金沢市に「8番らーめん」泉ヶ丘店を開店、同時に以後の屋号を「8番ラーメン」から「8番らーめん」に変更
1977年
埼玉県大宮市奈良町37番12号に(株)友華堂を設立