1923年
関東大震災により横浜市にある社屋焼失、地震災害による経営悪化でシカゴ支店閉鎖
1923年
帝国ホテル 二代目本館(通称 ライト館)
1923年
関東大震災。丸ビル改修工事他復旧・復興工事に従事
1923年
震災により南鞘町本店焼失、実業之日本社ビルに仮本社を構える
1923年
松井角平(第15代)が松井組東京出張所を開設、関東大震災後の首都復興に尽力
1923年
高砂工業株式会社煖房工事部の権利義務の一切を継承して髙砂煖房工事株式会社として創立
1923年
東洋醸造株式会社との買収契約成立、仙台工場(現・キリンビール仙台工場)発足
1923年
上記「味の素®」特許の期限6ヵ年延長許可される
1923年
関東大震災により本店社屋焼失,川崎工場全壊
1923年
愛知トマトソース製造(資)を愛知トマト製造(株)に改組改称 資本金50万円
1923年
「倉紡中央病院」(現「倉敷中央病院」)開院
1923年
日東紡績株式会社を創立。(福島紡織株式会社(旧福島精練製糸(株))が片倉製糸紡績株式会社岩代紡績所(旧郡山絹糸紡績(株))を買収する形をとり、商号を日東紡績株式会社に変更)
1923年
我が国初の「田園都市」計画に基づく洗足住宅地、
1923年
多摩川台住宅地(現、田園調布)販売開始
1923年
福井撚糸染工(株)、福井県絹紬精練(株)、福井県精練(株)、丸三染練合資組合、島崎織物(株)加工部の統合により、福井精練加工(株)(現セーレン(株))を設立(資本金 200万円)
1923年
大日本人造肥料株式会社が関東酸曹株式会社と日本化学肥料株式会社を合併
1923年
研究開発部門として、本社に工務部研究課、王子工場に研究係を設置
1923年
「吾嬬町工場」(現在の東京工場)操業開始、石鹸の生産に乗り出す。
1923年
大蔵省印刷局〔現 国立印刷局〕の大手町庁舎および工場消失を受け、富久町工場のインキ生産設備を提供、震災復興に貢献。
1923年
小西写真専門学校(現 東京工芸大学)設立
1923年
資生堂化粧品連鎖店(チェインストア)制度発表
1923年
(株)中山悦治商店を設立〔設立:12月22日、資本金:50万円、本社:大阪市西区〕
1923年
本社・工場を現在地(江東区木場)に移転
1923年
潮田竹次郎がトステムの前身、木製建具小売の妙見屋商店を設立
1923年
ガステーブルコンロ、ガスレンジ、ガスオーブン、ガス湯沸器などを全国のガス会社へ納入及び輸出開始
1923年
創業者、津上退助が東京本所大平町でゲージブロックの研究を始める
1923年
関東大震災により工場が全焼するも、直ちに再建復興
1923年
小森機械製作所を本所区北新町(現、墨田区東駒形)に創業
1923年
外国製のカタログをヒントに、機械用チェーンの製造開始
1923年
大阪市西区の巴商会と西園鉄工所が提携し、NTNの商標で国産ベアリングの製造販売を開始。
1923年
「富士電機製造株式会社」創業1923年8月29日 日本の「古河電気工業」と、ドイツの「シーメンス社」との資本・技術提携により設立。社名の「富士」は、古河の『ふ』とシーメンスの『し』をとり、また日本一の富士山を表象したもの。
1923年
本社事務所(東京市麹町区)、東京販売店、大阪販売店(現関西支社)開設
1923年
国産初の蓄電池式運搬車完成。産業車両事業に参入
1923年
大阪市此花区において電気機械器具類の製造・販売を寺崎電機製作所の商号にて創業
1923年
古河電気工業とドイツの電機メーカーであるシーメンス社が発電機と電動機を日本で国産化するため合弁会社として富士電機製造株式会社(現・富士電機株式会社)を創業として設立。社名の富士の「富」は古河グループの「ふ」、「士」はシーメンス社(ドイツ語では「ジーメンス」社)の「じ」に由来する。
1923年
豊田紡織、自動織機の試験のために刈谷試験工場を設立
1923年
大阪市生野区に於て初代取締役社長足立一馬が個人企業として創業
1923年
関東大震災で本店と製文堂が類焼。本店を牛込区市谷加賀町に移転
1923年
米国・イーストマンコダック社と取引開始。
1923年
店祖井村徳三郎氏が百貨店事業として京都大丸と提携、石川県金沢市片町に、宮市百貨店を創設。
1923年
三越呉服店と商品配達の正式な約定書締結
1923年
日華連絡航路(長崎・上海線)開設、第1船「長崎丸」出帆
1923年
大阪松竹座(道頓堀松竹座)開場、松竹楽劇部第一回公演『アルルの女』 関東大震災で、再建中の歌舞伎座、事務所および京浜地区で直営の劇場と映画館22館を失う 京都下加茂撮影所で撮影開始