1942年
水産統制令で「日本海洋漁業統制(株)」「帝国水産統制(株)」の設立命令発令
1942年
陸上設備・工場・販売機能を「帝国水産統制(株)」に譲渡
1942年
坂田商会を解散し、5社合同で「坂田種苗株式会社」(資本金195千円)を設立
1942年
地番変更により本店所在地を「大阪市東区高麗橋4丁目10番地」と変更
1942年
新潟県新津に触媒製造工場(現日揮触媒化成(株)新潟事業所)を設置
1942年
戦時体制のもとで、昭和モロゾフ合同製菓有限会社(後の興南糧食工業株式会社)を出資設立。
1942年
創業者大社義規が徳島市寺島本町に徳島食肉加工場を創設
1942年
内海紡織株式会社、中央紡織株式会社、協和紡績株式会社、豊田押切紡織株式会社の4社と合併し、中央紡績株式会社設立
1942年
昭和毛絲紡績(株)を合併(現・一宮事業所)
1942年
日本フエルト (株)と合併し、日本フエルト (株)市川工場となる。
1942年
1933年に福澤桃介が当社の原形となる矢作工業株式会社を名古屋で設立し、1940年の矢作水力による吸収合併を経て、1942年に電力事業が国家管理になったことを機に、改めて矢作工業株式会社(二次)を名古屋で設立
1942年
大牟田工場にてアセチレンブラックの製造開始
1942年
電力供給事業を廃止し、自家発電を利用する電気化学工業を経営の主体とする
1942年
北海道工場(現・北海道三井化学)が完成
1942年
協和化学研究所を所管する協和化学興業(株)(後の協和産業(株))が、ブタノールの工業化検討に着手
1942年
匿名組合沖ノ山炭鉱組合、匿名組合宇部新川鉄工所、宇部セメント製造株式会社、宇部窒素工業株式会社の4社を合併して宇部興産株式会社設立
1942年
太平洋戦争にともない、社名を「日本タイヤ株式会社」に変更
1942年
東京金属工業所(現筑波製作所に事業継承)を設置し、切削工具事業に本格進出。
1942年
機械部門を足尾製作所として、足尾鉱業所から独立させる
1942年
津上精密工学工業(株)を設立、工場を長野県佐久市に建設
1942年
これを1945年2月に吸収合併し信州工場とする
1942年
沼津工場開設、中型精密工作機械の生産に着手
1942年
鉱山用電気機械器具の増産のため、福岡県糟屋郡古賀町 (現 福岡県古賀市)に電機工場を移転。
1942年
阿賀工場の一部を改築し、レジノイド切断砥石の製造を開始
1942年
山田航空工業(株)の名称で、航空機のウィング部品メーカーとして設立。
1942年
「富士電機病院」創立 従来川崎工場内に設けられていた付属診療所を拡充して、昭和17年に病院に改組し、各科専門の診療を施すこととした。
1942年
茨城県猿島郡新郷村(現・古河市)に古河製作所建設
1942年
商号を「森尾電機株式会社」と改称するとともに、東京都葛飾区に移転。
1942年
セイコーエプソンの前身として、(有)大和工業創立
1942年
「株式会社八欧商店」を「八欧電機株式会社」に改称
1942年
株式会社 山武商会を山武工業株式会社と商号変更 別会社として株式会社 山武商会を設立
1942年
富士通信機製造(株)(現・富士通(株))が長野市石堂にて 電話交換用ランプの製造開始
1942年
日野製造所を分離、「日野重工業(株)」(現在の「日野自動車(株)」)を設立
1942年
上海工場を分離し、華中豊田自動車工業(株)を設立
1942年
豊田紡織、豊田押切紡織、中央紡織、内海紡織、協和紡績の5社合併により、中央紡績(株)を設立
1942年
日本ユーシー工業株式会社に社名変更し、オイルシールの製造・販売を開始。
1942年
東京油止工業株式会社(前身は1939年に設立した江戸川精機株式会社)と2社体制での生産を開始。
1942年
旭光学工業が旭無線に社名変更。河内の厚意により、理研光学工業、旭無線、飛行機特殊部品の3社が理研コンツェルンから切り離され完全に独立
1942年
船舶部を分離し、三井船舶(現:商船三井)設立。
1942年
第二精工舎の協力会社として諏訪に大和工業設立(後に合弁会社となる)。
1942年
石川県金沢市に石川日産自動車販売(株)を設立。
1942年
京浜電気鉄道、小田急電鉄を合併、東京急行電鉄に商号変更
1942年
小田急電鉄(株)とともに東京横浜電鉄(株)に合併、東京急行電鉄(株)と商号変更
1942年
九州鉄道(株)、博多湾鉄道汽船(株)、福博電車(株)、筑前参宮鉄道(株)を合併商号を西日本鉄道(株)と変更、本店を福岡市に移転
1942年
戦時陸運統制令により集約合同され戦時輸送に従事
1942年
日・米・英 外交官交換船差立(「淺間丸」・「龍田丸」・「鎌倉丸」)
1942年
三井物産は船舶部を分社化し、三井船舶を設立。
1942年
船舶運営会による我が国全船舶の国家使用・船員徴用が決定され、当社も指定を受ける。
1942年
松竹動画研究所第1回作品『フクちゃん奇襲』公開