1935年
トロール船湊丸、メキシコ・カリフォルニア湾エビ漁に出漁
1935年
宝製油(株)設立(3月)(後、味の素社吸収)
1935年
宝製薬(株)(現、味の素ヘルシーサプライ(株))設立
1935年
「倉敷毛織」(後の津工場)を設立 羊毛事業へ進出(~2009)
1935年
バライタ原紙(写真用原紙)の抄造開始。
1935年
塩釜営業所(現東北支店宮城事業所)を開設
1935年
大垣電化工場で石灰窒素生産開始(1981年 生産中止)
1935年
川上発電所 送電開始、認可出力 2950kW
1935年
わが国最初のアナタース型酸化チタンの工業的生産に成功
1935年
新潟県に新井工場を新設、アセチレン系有機合成事業を開始
1935年
「みぶよもぎ」の品種改良。薬用植物研究のため、山科研究圃場(現山科植物資料館)を設置。
1935年
大阪市東淀川区下新庄町(現・東淀川区下新庄)に淀川工場(大阪工場)開設
1935年
本社事務所竣工〔面積:建坪 344.47坪、延坪 885.54坪、設計:村野藤吾〕
1935年
大阪市に鉄鋼板・鉄鋼材製造を目的として、1月30日設立。
1935年
川崎合金工場にてステンレス初出鋼(高周波誘導炉3基火入れ式)
1935年
缶詰輸出拡大への対応として、日本初の民間ブリキの生産を開始
1935年
国内材料自給を可能にし、缶詰輸出拡大にともなう安定供給に貢献
1935年
東京プレス工業株式会社設立(江東区大島町)資本金30万円
1935年
東京芝浦で、トヨダG1型トラック発表会を開催。
1935年
タイヘのロードローラを初めとして輸出始まる。
1935年
日本初のフルオロカーボンガスの生産に成功、1942年に量産開始
1935年
個人事業を改組し、東京品川に株式会社加藤製作所を設立する。
1935年
現本社所在地に新工場を建設し移転した。
1935年
電話部を独立させ「富士通信機製造株式会社」(現 「富士通株式会社」)設立
1935年
福岡市西堅粕284番地(現本社地)に工場新設
1935年
富士電機製造社の電話部所管業務を分離して、富士通信機製造株式会社として設立。
1935年
共存共栄の理念に基づいて 松下電器貿易を設立 基本内規を制定
1935年
株式会社早川金属工業研究所を設立、法人組織となる。資本金30万円
1935年
初代社長齋藤憲三が世界最初のフェライトコアの事業化を目的として、加藤博士・武井博士のフェライト特許を取得し、東京市芝区田村町に東京電気化学工業株式会社を設立
1935年
映画フィルムの現像・上映用プリント事業を目的に、(株)極東現像所として京都・太秦で創業
1935年
三菱製鉄解散、その業務を三菱鉱業へ譲渡
1935年
名古屋の日の出モータース(株)(現 愛知トヨタ(株))でG1型トラック発表会開催
1935年
挙母町に約58万坪の工場建設用地を取得
1935年
神谷正太郎ら豊田自動織機に入社、販売部設置
1935年
軍需品、自動車及び航空機部品その他金属器の製造販売を目的として、東京市において関東重工業株式会社を設立(1935年から1945年までの間は戦災により一切の記録を失いましたので詳細は不明であります。)
1935年
株式会社並木製作所志村工場(1966年東京工場に改称)を開設
1935年
秀英舎と日清印刷が合併、大日本印刷発足
1935年
本社工場が完成。紙の印刷だけでなく、布と金属の印刷も開始して「東洋一の印刷のデパート」と称されるにいたる。
1935年
兼松羊毛研究所創業(現在のカネヨウ株式会社)
1935年
造船部門を分離して株式会社楢崎造船鉄工所(楢崎造船株式会社)を設立
1935年
稲畑染工場を東洋紡績株式会社(現・東洋紡株式会社)に譲渡する
1935年
当時の日本人の死因の第1位であった結核の予防・治療を目的に、「財団法人 保生会」を設立。