1939年
上海に支店を開設し、アメリカ向けに種子を輸出
1939年
石炭、鉄鉱石、石灰石等の製鉄原料の総合開発と確保を目的として、日本製鐵(株)の鉱山部門が独立し、資本金5,000万円をもって当社設立 設立時は、二瀬鉱業所(福岡県)、釜石鉱業所(岩手県)、倶知安鉱業所(北海道)、赤谷鉱業所(新潟県)などの国内外鉱山を承継
1939年
清水式無音無震動基礎杭工法、フラッシュバット式電気溶接法を開発
1939年
「株式会社松井組」を設立(資本金13万円)京橋区入船町
1939年
宝製油(株)横浜工場(現、Jオイルミルズ社横浜工場)設置
1939年
満州農産化学工業社設立(6月)(1945年接収)
1939年
旧官営富岡製糸場(株式会社富岡製糸所)を合併
1939年
グラスファイバーの生産(富久山)を開始。
1939年
大阪工場においてフッ化物(主として人造氷晶石)の製造開始
1939年
青森営業所(現東北支店青森営業所)を開設
1939年
渋川工場にて金属マグネシウム、か性ソーダの操業を開始
1939年
株式会社電気興業所を買収、同社大垣工場(後の河間工場)を引き継ぐ
1939年
東洋高圧工業が北海道に進出。北海道工業所(現・北海道三井化学)起工式
1939年
我が国初のユリア樹脂接着剤「愛知無敵糊」発売
1939年
第1高炉(450トン/日)及び付属設備 竣工
1939年
日本政府から軸受鋼専門メーカーとして指定される
1939年
古河電気工業(株)と東京電燈 (株)(後の東京電力 (株))の提携によりアルミニウム製錬事業を目的に「日本軽金属(株)」を設立
1939年
資本金10万円(現在に換算すると約3億円)で加藤発條株式会社を設立。
1939年
平田源七が、金属プレス製品の生産を目的として、東京都本所区に平田工業株式会社を創業
1939年
日本発条株式会社創立。資本金150万円。
1939年
「L型ねじ切りフライス盤」T-TML500生産開始
1939年
「油圧式万能円筒研削盤」T-UG300生産開始
1939年
鶴見工場開設、強力大型工作機械の製作を開始
1939年
西部電機工業株式会社に改組(資本金18万円)。(設立)
1939年
現本店所在地に資本金250万円をもって津田駒工業株式会社を設立。
1939年
株式公開。各工場に「技能者養成所」を設置。
1939年
木村鉛鉄機械工業所として尼崎市の現在地に工場を新設。以降遂次鉛管鉛板をはじめ鉛についての一貫体制を完備すると共に化学工業用各種装置メーカーとして晶析装置・脱酸機・真空蒸発装置等の設計・製作および製缶・ステンレス加工等独自の地歩を確立。
1939年
御幣島工場(現 大阪本社)を新設。翌1940年に本社を大和田から御幣島に移転。
1939年
大阪において設立。主として航空機用、船舶用ピストンリングを製造。
1939年
三重県桑名市に桑名工場(現 産業機械事業本部 桑名製作所)を建設。
1939年
多賀工場新設、日立工場より日立研究所独立。
1939年
東京市芝区(現・東京都港区)に大宮航空工業株式会社として創業
1939年
埼玉県北足立郡日進村(現・さいたま市)に大宮製作所を建設、航空機機体部品を製造
1939年
東京芝浦電気株式会社(旧、株式会社芝浦製作所)における事業の一部を継承、株式会社芝浦京町製作所の商号にて資金500万円をもって設立
1939年
現在のテープレコーダーの母体となった交流バイアス式磁気録音機を開発
1939年
海軍技術研究所、フェライトコアを船舶無線用として正式採用決定
1939年
東京都新宿区に資本金18万円を以て株式会社タムラ製作所設立
1939年
静岡県浜名郡可美村に高塚分工場が完成。
1939年
静岡県浜松市佐藤町において、株式会社不二ライト工業所を設立。
1939年
ベークライト樹脂を主材料とした圧縮成形で、クラッチ板・歯車等の製造を開始。
1939年
レンズ(セレナーと命名)の自社生産に着手
1939年
浜松市でミシン6台の武藤洋裁所として創業
1939年
植田奈良漬製造株式会社(阪急食品工業株式会社(子会社))設立
1939年
東武鉄道(株)経営の自動車事業(川越地区)を一括して東武自動車(株)へ譲渡
1939年
松田自動車株式会社合併、神奈川県下において乗合自動車営業開始
1939年
「あるぜんちな丸」および「ぶらじる丸」を建造。当時の日本造船技術の粋を集めて建造した代表的貨客船で南米航路に就航。