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各企業の年別活動

各企業における1980年での活動

Year
[証券コード]会社名
活動内容
1980年
冷凍食品の製造を目的に極洋食品株式会社(現:連結子会社)を設立
1980年
神奈川県横浜市にフローリストサカタを開設
1980年
北海道札幌市に札幌営業所(現 北海道支店/北海道上川郡東神楽町)を開設
1980年
宮之城工場内の加工食品部門を食品工場(現・鹿児島工場、所在地:薩摩郡さつま町)として分離新設し、加工食品の製造販売事業に本格参入。
1980年
資本金30百万円にて、明豊産業株式会社を渋谷区富ヶ谷に設立。
1980年
(株)日本内装を設立
1980年
東大寺金堂(大仏殿)昭和大修理
1980年
本店を大阪市阿倍野区松崎町二丁目2番2号に移転
1980年
定款の事業目的に建設工事用機械器具及び建設工事用鋼材製品の設計、製造、修理、加工、販売等を追加
1980年
中途空家時の家賃保証を行う大東共済会(株)を設立
1980年
東京都品川区に技術研究所完成。
1980年
スミリン住宅販売株式会社2社の商号を、それぞれ住友林業ホーム株式会社(東京)、住友林業住宅株式会社(大阪)に変更。
1980年
岩盤・無土壌地の緑化工法「キャトルバン工法(厚層緑化基盤材吹付工法)」
1980年
積和不動産株式会社(1982年3月に九州積和不動産株式会社に商号変更)を設立
1980年
静岡県小笠郡大東町(現 掛川市)に静岡工場を設置、操業を開始
1980年
建築設備子会社株式会社三機空調センター及び株式会社三機電設センターを設立。(東京総合設備株式会社を経て、現・連結子会社、三機テクノサポート株式会社)
1980年
機械システム子会社株式会社三機産設センターを設立。(現・連結子会社、三機産業設備株式会社)
1980年
環境システム子会社株式会社三機環設センターを設立。(現・連結子会社、三機化工建設株式会社を経て、2024年4月1日付で商号を三機グリーンテック株式会社に変更。)
1980年
バーンオフ炉、省エネルギーセンターから優秀製品賞を受ける
1980年
米国CPSIとHIP(Hot Isostatic Press 高温高圧熱処理装置)の業務協定契約調印
1980年
仏国スタイン・サーフェス社から回転ドラム式装入・抽出装置技術導入契約締結
1980年
FHC型低NOxバーナの販売を始める
1980年
冷延鋼板連続焼鈍炉(CAL)を、ソ連、日本、スウェーデンで相次いで竣工
1980年
海外事業本部開設(1983年7月 事業部に改組。2005年9月 事業本部に昇格。2011年4月 エンジニアリング事業本部海外事業部に改組。2014年1月エ ンジニアリング事業本部国際事業部に改称。2015年1月 国際事業本部に改組)
1980年
T.T.E エンジニアリング(マレーシア)Sdn. Bhd.を設立(現・連結子会社)
1980年
「日本電気システム建設株式会社」へ社名変更
1980年
年神奈川県座間市に座間技術センターを開設年テクニカルセンターと改称)
1980年
本社を大阪市北区に移転
1980年
岡崎市舞木町字山中町123-1に技術出版物専業会社として中央立体図株式会社を設立
1980年
株式会社中部印刷製本センターを名古屋市に設立
1980年
製版から印刷、製本に至る一貫体制を確立
1980年
日本フード株式会社(豊橋)子会社となる
1980年
(株)サンデリカ設立
1980年
広島市に広島営業所および広島工場開設。
1980年
仙台市に仙台営業所(現仙台オフィス)および仙台工場開設。
1980年
Calbee Tanawat Co. Ltd.(タイ)を設立
1980年
カルビーポテト(株)(北海道帯広市)を設立
1980年
「タフマン」を発売
1980年
スポーツ用プロテイン「ザバス」シリーズ発売
1980年
「ストリングチーズ(現「さけるチーズ」)」発売
1980年
三重工場(三重県阿山郡伊賀町(現伊賀市))を開設。
1980年
OA機器販売事業開始
1980年
日鐵コンピュータシステム株式会社が発足。
1980年
東京都港区芝に本社移転
1980年
株式会社アコード・システム設立
1980年
鹿児島郡吉田町(現 鹿児島市宮之浦町)に安全性研究所を新設し、あわせて本店を移転
1980年
缶スープ発売、スープ事業に参入
1980年
世界初の「缶入りウーロン茶」開発、一部地域で販売実施
1980年
ニッコー製油株式会社設立および経営に参画
1980年
フジサニープラザ阪南竣工
1980年
株式会社テー・ブィ・ビーサンチェーンと業務提携。
1980年
中野ブロードウェイ内にまんが古書店を開店する
1980年
ジーンズショップ「パル青山須磨店」(神戸市須磨区)・「パル高槻店」(大阪府高槻市)・「パル堺東店」(大阪府堺市)等の出店により郊外型店舗の基盤確立。
1980年
キッコーマン株式会社に社名変更
1980年
キッコーマン・クッキング・センター(KCC)オープン
1980年
「味の素ダノン」製品発売(仏、ダノン社との提携により)
1980年
醸熟ソース発売
1980年
緑のたぬき天そば発売。
1980年
1982年岡山工場(現(株)永谷園フーズ 岡山工場)竣工
1980年
髙島屋横浜店に出店。関東地区進出。
1980年
神戸工場第1工場を神戸市東灘区に開設。
1980年
佐藤食品工業株式会社と改称
1980年
生切り・生丸餅製造販売を始める
1980年
(株)ビックカメラを設立し、旧 池袋北口店として(株)ビックカメラ(高崎)の東京支店を引き継ぐ
1980年
岩国工場、中空糸型逆浸透膜モジュール“ホロセップ”生産開始(現・岩国機能膜工場)
1980年
非繊維事業開発グループ(後の 新規事業開発部)発足(~2010)
1980年
分光光度計「カラー7」開発
1980年
兵庫県西宮市に関西物流センター開設
1980年
ジョナサン1号店(練馬高松店)オープン
1980年
「東急ビルメンテナンス(株)」設立
1980年
調剤薬局の経営を事業目的として、札幌市において、創業者・三津原博氏が日本調剤株式会社を設立
1980年
第1号店舗として、札幌市中央区に日本調剤山鼻調剤薬局を開局
1980年
帝人医薬(株)の営業を開始(重症感染症治療剤「ベニロン」の販売を開始)
1980年
緩下剤「ラキソベロン」の販売を開始
1980年
湿し水不要平版材 東レ水なし平版®の販売開始
1980年
東レ・メディカル(株)を設立
1980年
CDC-ZACコーティングの操業を開始
1980年
名古屋工場を新設
1980年
豊中工場を新設
1980年
病院の医事会計システムの提供開始
1980年
総合固定資産管理システムパッケージ「FASPAC-Ⅰ」を開発・販売開始
1980年
川内港チップヤード完成
1980年
川内港チップヤード完成
1980年
川内港チップヤード完成
1980年
塗工紙(コート紙)分野に参入
1980年
ベビー用紙おむつの製造販売を開始
1980年
小山工場を開設
1980年
化学品販売商社フタワ化学品(株)を設立
1980年
機械部門・掘進機分野へ進出
1980年
神奈川県藤沢市に藤沢研究所開設(2001年 つくば研究所に統合)
1980年
フッ素化技術を活かしファインケミカル事業への展開
1980年
アセチレンブラック製造のためシンガポールにデンカシンガポールP.L.設立(現・連結子会社)
1980年
合成性フェロモンを開発
1980年
鉄鋼連続鋳造用電融ジルコニアの本格販売を開始
1980年
ステンレス製魔法瓶の製造を目的として株式会社日酸サーモを設立。
1980年
米国にジャパン・オキシジェン社を設立。
1980年
医薬中間体HPGを企業化(カネカシンガポール)
1980年
三井グループによる石油化学事業であるイランのIJPC事業の工事再開
1980年
メタノール法による酢酸の製造を開始
1980年
兵庫県網干に総合研究所を新設
1980年
合成香料の生産を水島工場で開始。
1980年
新川工場にて第1回C&C大会開催
1980年
沖の山コールセンター完成
1980年
シンガポール駐在員事務所開設(現 UBE Singapore Pte. Ltd.)
1980年
世界の広告会社に先駆けて中国に北京事務所を開設
1980年
石川県金沢市に設立
1980年
日油技研工業(株)設立
1980年
シオノギ渋谷ビル(東京都渋谷区)を建設
1980年
新薬研究所(大阪府豊中市)を建設(現:医薬研究センター)
1980年
日本で初めてソフトバッグ入り高カロリー輸液用基本液を発売
1980年
PPSコンパウンドの生産を開始
1980年
シドニーに駐在員事務所を設置
1980年
埼玉工場〔現 東洋インキ株式会社埼玉製造所〕完成。
1980年
突然変異原性検索法(Ames試験法)を導入。
1980年
電子線硬化システムの開発に着手。
1980年
朝日新聞のコンピュータ製版化に応じ新型新聞インキ「WKNU」シリーズを開発。
1980年
プリント基板用フォトレジストの製造を開始。
1980年
東京ディズニーランド協調融資団結成。
1980年
浦安町舞浜地区(現浦安市舞浜)において「東京ディズニーランド」の建設に着工。
1980年
大阪府泉南市に遊戯場の経営を目的として杉野興産株式会社(資本金300万円)を設立、大阪府泉大津市にローラースケート場(ゲームコーナー併設)をオープン(泉大津店)
1980年
鹿児島市に「サンメンバーズ鹿児島」を開業
1980年
京都市右京区に「サンメンバーズ京都嵯峨」を開業
1980年
自社ブランドのオフコン「OFFICE80」を開発
1980年
(株)オービックビジネスコンサルタント設立
1980年
USSの前身、「愛知自動車総合サービス株式会社」設立。ブランドネームをUSSとする。
1980年
コンピュータの販売業務、コンピュータプログラムの製作及びシステム設計業務を目的として、株式会社ビック・システム・コンサルタント・グループを設立
1980年
コンピュータによるアニメ映像製作へ向けて本格的な研究を開始。
1980年
世界で初めて採血不要の測定を実現した、フラッシュ光測光型「黄疸計」発売
1980年
宮崎美子さん起用、「ミノルタX-7」のテレビCM放映が大反響
1980年
漢字インクジェットプリンター(カイザー方式)を開発
1980年
セルジュ・ルタンスをイメージ・クリエイターに起用
1980年
資生堂ドイチュラントGmbH設立
1980年
ライオン歯磨株式会社とライオン油脂株式会社が合併し「ライオン株式会社」発足
1980年
歯間清掃に適したハブラシ『ビトイーンライオン』を発売
1980年
本格的な無リンの洗濯用洗剤、酵素パワーの『トップ』を発売
1980年
茨城県鹿島郡波崎町に鹿島工場竣工。
1980年
東京都港区高輪3-19-22に本社を移転。
1980年
東京支店を移転(東京都新宿区)
1980年
池森賢二が化粧品販売を個人創業。化粧品の通信販売を開始
1980年
インドネシアの「P.T.ガジャ・ツンガル社」と技術供与契約締結
1980年
バンドー工材株式会社(現社名:西日本バンドー株式会社)を設立
1980年
イオン交換膜法による新電解技術「AZECシステム」を開発
1980年
川崎工場相模原製造所(現・相模原事業所)の操業開始
1980年
偏光板製造開始
1980年
真空式ソーラーコレクタの生産開始
1980年
「四国工場」を分離し、「東炭化工株式会社」とする
1980年
ノリタケダイヤ(株)がクイーンダイヤ(株)に資本参加し、グループ会社となる(ダイヤモンドドレッサ製造)
1980年
給湯機の生産開始(滋賀工場)
1980年
アフターサービス業務会社を設立(東陶メンテナンス(株)(現社名:TOTOメンテナンス(株)))
1980年
オーストラリアNGKスパークプラグ(株)設立
1980年
クイックグローシステム(QGS)製造開始
1980年
尼崎製造所を閉鎖
1980年
共英製鉄(株)のビレット運送を目的として、鐵鋼運輸興業(株)(現(株)共英メソナ)を設立
1980年
泉大津工場に炉外精錬設備を新設。
1980年
大阪市に高田鋼材工業株式会社を設立。
1980年
星崎・知多工場で連続鋳造機稼動開始
1980年
富山工場 日本海事協会認定工場
1980年
富山工場 ノルウェー船級協会認定
1980年
非調質鋼開発[クランクシャフト用に量産化]
1980年
亀山工場(三重県亀山市)操業開始。
1980年
(旧)新潟工場の操業を停止、電解設備を廃棄(南アフリカ・アルサフ社へ売却)
1980年
三井金属箔製造(株)および三金レア・アース(株)の両社を当社に吸収合併し、上尾金属箔工場(現上尾銅箔工場)・三池レアメタル工場を設置
1980年
台湾銅箔股份有限公司を設立
1980年
最初の新型電解槽が完成(マルチポーラーセル方式)
1980年
東京営業所(現東京支店)と大阪営業所(現大阪支店)を設立する。
1980年
パラレルワイヤー製造開始
1980年
SM光ファイバ融着機開発
1980年
幸ビルディング竣工(東京都千代田区)
1980年
東京支社を東京本社に昇格
1980年
㈱ネツレン・名南を設立
1980年
スペインに合弁会社エグスキア-NHK株式会社を設立。
1980年
とらばーゆを創刊 日本で初めて、女性のための転職情報誌を創刊。日本で男女雇用機会均等法が施行されたのは5年後の1985年。女性の社会進出を後押しし、後に「とらばーゆする」が流行語に。
1980年
PC制度と社員皆経営者主義 会計的側面だけでなく、自主性や主体性という企業文化と一体化。
1980年
MC-H形横形マシニングセンタ製造開始。
1980年
アマダ技術サービス株式会社が米国ロサンゼルス市に現地法人アマダエンジニアリングアンドサービスを設立
1980年
株式会社園池製作所が東京証券取引所市場第一部銘柄に指定
1980年
NC形彫放電加工機EDNC22を開発
1980年
超硬エンドミルの製造を開始
1980年
世界に先駆けて、会話型ネスティングソフトを搭載した自動プログラミングシステムKAP-450を開発。
1980年
福井県坂井郡(現 坂井市)坂井町に福井事業所を開設
1980年
米国Sodick-InovaInc.(現Sodick,Inc.)に資本参加
1980年
NC形彫り放電加工用ソフト「アシスト」を開発、販売開始
1980年
ロータリー・サーフェイス・グラインダ「DFG-83H/6」を開発
1980年
販売拠点拡充のため広島営業所を開設。
1980年
フランス・パリの展示会に出展
1980年
株式会社日本医療事務センターに社名変更
1980年
JA型エアジェット織機の生産開始。
1980年
和歌山市神前に株式会社シマファインプレス(現連結子会社)を設立。(1987年3月当社100%出資子会社となる。)
1980年
米国のアクアメディア社および日揮株式会社(現日揮ホールディングス株式会社)との合弁会社の日本アクアメディア社(1991年、株式会社ナムテックに商号変更)を設立(当社出資比率33.3%)
1980年
アメリカ合衆国インディアナ州に子会社 Hirata Corporation of America を設立(現連結子会社)
1980年
水平多関節型4軸ロボット「アームベース AR-300」を開発
1980年
インジェクション金型他金型の製造・販売を開始半導体製造用全自動レジスト塗布装置を開発、製造・販売を開始
1980年
米国カリフォルニア州に販売現地法人(NISSEI ASB CO.)を設立
1980年
「サイレントパイラー」の基本特許取得
1980年
仙台営業所を開設
1980年
福岡営業所を開設
1980年
超大型コンビネーションプレスライン開発
1980年
SPMコーポレーション(現米州SHIプラスチックマシナリー社)設立
1980年
医療診断用小型サイクロトロン開発
1980年
住友重機械鋳鍛(株)(現住友重機械ハイマテックス(株))設立
1980年
全自動マルチプランジャ方式による半導体樹脂封止装置の試作に成功、半導体樹脂封止の高品質量産化技術確立の端緒を開く。
1980年
三井物産(株)と当社製品の日本国内に販売することに関する販売店契約締結(代理店契約を解除)。
1980年
エジプト・シェルケア州より「灌漑システム」受注、砂漠の緑化に取り組む。新スローガン「技術で応えるたしかな未来」制定。
1980年
中小企業庁より中小企業合理化モデル工場の指定を受ける
1980年
培った技術を活かして、半導体機器分野に進出
1980年
シャルコ社(アメリカ)とコールドボックスマシンについて技術提携
1980年
上尾事業所に工法開発センターを開設。
1980年
業界別定期フェアスタート。
1980年
第一回配電工事研究会を開催。
1980年
半導体用ドライエッチング剤『PFC‐14』を開発
1980年
日産自動車・相模原パーツセンターに格納数10万バケット超の「バケットビルシステム」を納入。
1980年
チェンコンベヤが東大寺大仏殿の昭和大修理に貢献。
1980年
半導体プロセス用大型CVD(Chemical Vapor Deposition)装置の開発、販売を開始
1980年
群馬工場の第一期工事が完了し、操業を開始する。
1980年
YUKEN EUROPE LTD.設立
1980年
香川県さぬき市志度に志度工場新設
1980年
カーゴクレーンZシリーズを発売
1980年
香川県さぬき市志度に志度工場新設、カーゴクレーンZシリーズを発売
1980年
フジテック・タイワンを設立
1980年
超特電『フィーバー』を発売。
1980年
遊技場向け景品管理システムを開発し、販売を開始。
1980年
マイコン搭載インテリジェントタイムレコーダー「インテレコーダー」発表
1980年
熱交換器工場生産開始
1980年
米国にカーエアコン用コンプレッサーの生産工場設立(テキサス州ダラス市)
1980年
リニアモーター機構を搭載した電子オフィスタイプライターJP15「EM-1」生産開始
1980年
第一事務器を子会社化し、北海道グローリー株式会社に商号変更。
1980年
プレハブ冷凍冷蔵庫の仕入販売を開始。
1980年
愛知県春日井市に春日井事業所を新設。航空機エンジン部品のリペア業務を開始。
1980年
第2世代HUBユニット軸受
1980年
国産モルダサーム®ヒータ使用によるコンベア炉1号機が完成
1980年
半導体製造工場完成
1980年
製造会社台湾美蓓亞電子股份有限公司を設立。光洋精工(株)のシンガポール工場を買収し、Pelmec Industries(Pte.)Ltd.(現 NMB Singapore Ltd.)を設立、小径ボールベアリングの生産を開始。
1980年
日高精工(株)(現・日本ピラー精密(株))に資本参加(現・連結子会社)
1980年
青銅製バルブに「菊ハンドル」を採用。
1980年
昭和54年度売上1兆754億円で1兆円企業に到達
1980年
オーロラビジョン第1号機を米国ドジャースタジアムに設置
1980年
「株式会社富士電機総合研究所」設立
1980年
プログラマブルコントローラ(MICREX-P)を発売
1980年
パワートロニクス&メカトロニクスを掲げる
1980年
長野県上田市に築地工場を開設
1980年
産業機器用モータの発売
1980年
カナダにおいて電動工具の生産開始、初の海外生産(2009年1月 生産終了)
1980年
VTRローディング用モーターを発売し、映像機器分野に本格進出する。
1980年
アーク溶接用ロボット販売開始
1980年
配電盤、制御盤等の製造・販売を目的として旧寺崎電気産業株式会社より営業譲渡を受け、大阪市阿倍野区に寺崎電気産業株式会社を設立
1980年
世界初の全自動半導体封止装置を発売。
1980年
システムラックの製造販売を開始
1980年
日本語ワードプロセッサ「OASYS 100」を発表
1980年
超LSI生産会社、宮崎沖電気株式会社工場完成
1980年
64キロビットDRAM生産開始
1980年
パーソナルコンピュータ「if800シリーズ」発売
1980年
「MP-80」 時代の先駆けとなった、コンピューター用小型軽量プリンター
1980年
家庭用および業務用ゲームソフトの制作、販売等を行っていたアイレム株式会社の株式を取得し、子会社化
1980年
シャープ社友会が発足
1980年
ニュービジネス戦略・ニュービジネススタイル運動を開始
1980年
早川徳次会長逝去
1980年
シャープビジネス株式会社を設立
1980年
アンリツ・ヨーロッパ(イギリス・ベッドフォード州)を設立
1980年
「Genebras Eletronica Ltda. 」(ブラジル・サンパウロ:現「Fujitsu General do Brasil Ltda. 」)を設立
1980年
CCDイメージセンサーを開発 商品化
1980年
積層チップインダクタ発売
1980年
埼玉県坂戸市に坂戸事業所を新設、産業用及び民生用電子部品を製造
1980年
新本社事務所及び工場を新設。設計から最終製品までの一貫生産体制を確立
1980年
多層板の製造を開始
1980年
現地法人ヒロセエレクトリックUSA設立
1980年
東京証券取引所市場第一部へ上場
1980年
京都工場にビデオテープ工場竣工
1980年
経営合理化等の目的で、旧水産電気工業株式会社(本店 兵庫県西宮市)に吸収合併
1980年
地震計(SM-10)を発売
1980年
日置技報を創刊
1980年
欧州現地法人TOA MEDICAL ELECTRONICS(DEUTSLAND)GMBH(現Sysmex Europe SE)設立
1980年
東京都港区にコンピュータシール、真空シール、磁性流体の輸入販売を目的として設立
1980年
本社隣接地5,502m2取得、鉄骨3階建2,723m2の工場完成稼動
1980年
本社隣接地新工場
1980年
神奈川県川崎市中原区に精密金属加工機械の製造、販売を目的としてアイアールエス精工株式会社を設立
1980年
世界初の遠赤外線を利用した自動ドア用センサーを開発
1980年
ドイツ・デュッセルドルフに駐在員事務所を開設
1980年
下請け業務がなくなり自社製品100%に
1980年
カラー液晶の製造開始
1980年
タイにおける自動車用照明機器の生産拠点としてThai Stanley Electric Public Co., Ltd.を設立(現・連結子会社)
1980年
東京及び大阪証券取引所市場第1部上場(2010年1月、大阪証券取引所上場廃止)資本金 1,540,000千円
1980年
鳥取県鳥取市雲山372番地4に本社工場を移転。
1980年
電子楽器「カシオトーン」発売
1980年
ゲーム電卓「MG-880」発売
1980年
FANUC U.K. LIMITED を開設
1980年
FANUC GERMANY GmbH を開設
1980年
埼玉県秩父市に中銘エンジニアリング株式会社(1989年 シイエムケイメカニクス株式会社に商号変更)を設立
1980年
シンガポールにCMK SINGAPORE(PTE.)LTD.(現 CMK ASIA(PTE.)LTD.)を設立
1980年
開発研究部を分離独立させて、株式会社第一精工研究所として設立
1980年
アメリカジョージア州に、Enplas (U.S.A.), Inc.を設立
1980年
VTR用テープガイドローラー「VDGローラー」を開発
1980年
鳥取工場(現 鳥取事業所)を新設、水晶振動子を増産
1980年
水晶フィルタ、クロック用水晶発振器の生産を開始
1980年
定電圧ダイオードの開発、研究が完成
1980年
光技術の総合力をPRした プライベート展示会 第1回『フォトンフェア』開催
1980年
アメリカ(カリフォルニア州)に現地法人インターナショナル・リードフレーム・コーポレーションを設立
1980年
アメリカ(イリノイ州)に現地法人ミツイ・プレシジョン・マシーナリー・コーポレーションを設立
1980年
長野県中野市に 高丘工場開設
1980年
滋賀八日市工場を新設
1980年
ERIE社の買収
1980年
千葉県長生郡長南町に長南精機工場を設置し、モールド金型用器材部門を移転
1980年
愛知県丹羽郡大口町に本社事務所を移転
1980年
香港にASIA CHEMI-CON COMPANY LTD.(現HONG KONG CHEMI-CON LTD.)を設立。
1980年
ローソンとサンチェーンが業務提携
1980年
加賀営業所を開設 平成8年7月加賀支店に昇格
1980年
スペインのモトール・イベリカに資本参加。
1980年
藤沢第4工場完成
1980年
「いすゞ南京パーツセンター」を開所
1980年
WFR型「ファーゴ」シリーズ(ワゴン&バン)発表
1980年
2ウェイオーバードライブ付き4速オートマチックトランスミッションを開発
1980年
海外要員登録制度制定 (1982年8月国際人材登録育成制度となる)
1980年
中型トラックをフルモデルチェンジ、「風のレンジャー」シリーズを発売
1980年
新田工場(群馬県)稼働開始
1980年
PT. インコアスク社(インドネシア)と技術援助契約締結
1980年
埼玉県入間市に武蔵工場を開設
1980年
自動車部品の生産拡大に伴い田原工場を新設
1980年
東京証券取引所市場第二部に株式上場
1980年
TQC活動に対し、デミング賞実施賞を受賞
1980年
オーストラリア、シドニーに合弁会社(販売)スズキオーストラリア社を設立。
1980年
会社創立60周年を記念して財団法人・機械工業振興助成財団(現スズキ財団)を設立。
1980年
発電機事業に進出。発電機
1980年
コンピューターによる生産管理システム、PYMACを導入
1980年
アメリカのYMUSがカリフォルニア州サイプレス市に新社屋を完成
1980年
米国ワシントン州にシアトル事務所開設
1980年
愛知県西春日井郡春日村(現・清須市)へ本社を移転
1980年
愛知県稲沢市西溝口町に西溝口工機工場を建設
1980年
愛協産業(株)(現・連結子会社)を設立
1980年
樹脂キャニスタの生産開始
1980年
ロードコンポーネンツ DURA-ACE AX 7300 エアロダイナミクス発表
1980年
本社を現在地(東京都新宿区)に移転。
1980年
秋田県秋田市に秋田営業所(現秋田支店)を開設
1980年
株式会社西友のPB商品「無印良品」誕生(家庭用品9品目/食品31品目)
1980年
NECマイコンショップ・システムイン三重開設。
1980年
卸売販売及び小売販売を目的として、株式会社ジャスト(現株式会社パン・パシフィック・インターナショナルホールディングス(PPIH))を東京都杉並区桃井4-4-19に資本金3百万円で設立
1980年
滋賀県栗東市伊勢落に栗東第一工場を竣工。ベンディックスコネクタを用いたケーブル・ハーネスの製造を開始。
1980年
本社をさいたま市大宮区吉敷町に移転。
1980年
FC加盟店1号店として愛知・稲沢国府宮店オープン
1980年
(財)島津科学技術振興財団を設立
1980年
主力戦闘機F-15J搭載機器の製造開始。
1980年
高根沢第2工場を新設。
1980年
輸出部門を新設し、歯科用リーマ・ファイルの輸出を開始。
1980年
一眼レフカメラ「ニコンF3」発売 最高級電子制御式絞り優先AE一眼レフカメラとして登場した。イタリアのデザイナー ジョルジェット・ジウジアーロによるデザインは、その後のカメラに大きな影響を与えた。
1980年
超LSI製造用縮小投影型露光装置「NSR-1010G」発売 商用機としての国産初のステッパー。次世代の超LSI生産装置として、高い集積度、処理能力、歩留まりを実現。
1980年
EDMセオドライトGTS-1(GUPPY) セオドライトに光波距離計組込第1号機。世界初、測量作業で必要な測距、測角を1台で可能に
1980年
35mmカメラ販売終了
1980年
「ビデオ製版システム」を凸版印刷株式会社と共同開発。ビデオ画像信号をスキャナーに入力、4色版フイルムを直接出力
1980年
株式額面変更のため、キヤノン電子株式会社に吸収合併される。
1980年
NORITSU(UK)LIMITEDを販売会社として設立(出資比率50%)し、ヨーロッパ市場へ進出(1988年1月に当社の100%子会社化)
1980年
ローマ字入力初採用の日本語ワープロ「キヤノワード55」発売
1980年
国産初のG2規格ファクシミリ「テレフアクスB-601」発売
1980年
自動眼屈折力測定機「オートレフR-1」発売
1980年
業界初マイコン制御によるラインインパクトプリンタ発売
1980年
省人化加工機完成
1980年
無人加工機完成
1980年
(株)埼玉アサヒカントリー倶楽部(旧.産報グループ/廣済堂埼玉ゴルフ倶楽部)の全株式を取得しゴルフ場経営を開始
1980年
ビデオ画像信号から直接製版する「トッパンビデオ製版システム」をわが国で初めて開発
1980年
バッグインボックス用無菌充填システムを開発
1980年
物流の合理化、効率化のため福山第一配送センターを開設。このころから社会的にトレー容器のゴミ処理問題が発生、使用済みトレーの回収をいち早く開始する
1980年
RW事業部発足
1980年
大型移動壁ランニングウォール(移動間仕切)を開発、販売開始
1980年
ヤマハピアノテクニカルアカデミーを設立
1980年
携帯型ゲーム機「ゲーム&ウオッチ」発売。
1980年
アメリカ、ニューヨーク州に現地法人Nintendo of America Inc.を設立。
1980年
ベッカー株式会社(現北陸工場)に資本参加(78%出資)、電気温水器・給湯機器の製造を開始
1980年
札幌ネポン販売株式会社を設立。
1980年
東京本社新社屋が完成(港区北青山2丁目)。
1980年
物流倉庫(現:スクロールロジスティクスセンター(SLC)浜松)完成
1980年
ドイツ・デュッセルドルフにNagase(Europa)GmbH(現・連結子会社)を設立。
1980年
千葉市中央卸売市場に中央魚類株式会社千葉支社を設置(業務開始 1980年11月4日)。
1980年
米国AMD社と代理店契約
1980年
福岡市東区に金丸商事㈱を設立
1980年
東京都中央区京橋に本社を移転。
1980年
キヤノンシステムアンドサポートの前身、コピア販売を設立
1980年
産ガス国からの直接輸入を開始 LPガス輸入基地 「堺LPGターミナル」が完成
1980年
ソーケンを設立
1980年
北京(中国)に駐在員事務所を設置
1980年
「チャームソフトタンポン」発売
1980年
山梨液化ガス(株)[山梨ミツウロコガス(株)]設立
1980年
空調部を子会社山田空調株式会社(現、サンワトリニティ株式会社)に移管。
1980年
物流センターを設置。
1980年
モスバーガー加盟店会「モスバーガー共栄会」が発足
1980年
売上高100億円突破。
1980年
EOSシステムを導入
1980年
「株式会社アオキファッション」に商号変更
1980年
首都圏進出の本格的1号店として、神奈川県に海老名店開店
1980年
仏壇の製造を行なう株式会社長谷川仏壇製作所及び寺院工事を行なう株式会社長谷川仏具工芸(現株式会社はせがわ美術工芸)を当社の子会社とし、充実強化を図る。
1980年
(株)緑屋から(株)西武クレジットに社名変更
1980年
ジャスコカードを発行
1980年
(株)日本アビリティーズ社と共同出資で、アビリティーズジャスコ(株)を設立
1980年
「株式会社イズミ」に商号変更
1980年
電気通信機器、コンピュータ及び端末機器販売、設置工事及び保守管理を事業目的として、東京都新宿区高田馬場に「新日本工販株式会社」(現 株式会社フォーバル)を設立(資本金100万円)
1980年
(株)ベルを設立。
1980年
家電小売業を営むカトーデンキ販売株式会社と、不動産賃貸業を営む株式会社カトーデンキに分離
1980年
車両ローンの取扱い開始
1980年
「日本消費者金融株式会社」から「エヌエスケイ信販株式会社」に商号変更
1980年
共同事業システム「Let's」を開始。
1980年
東建住宅サービス(株)営業開始(現東京建物不動産販売(株))(2015年7月完全子会社化)
1980年
住友不動産シスコン株式会社(連結子会社)を設立
1980年
「住友不動産日比谷ビル」竣工(東京都港区)
1980年
アクアサービス株式会社(現アクアテクノサービス株式会社)を設立
1980年
東京国際空港にて下水道ポンプ場運営管理を運輸省より受託
1980年
ジャスコカードを発行
1980年
(株)日本アビリティーズ社と共同出資で、アビリティーズジャスコ(株)を設立
1980年
特急・急行列車座席予約発売オンラインシステムが完成
1980年
各地域における東急グループの組織である「東急会」の再編および「東急会連合会」の発足
1980年
小田急センチュリービル完成
1980年
京王線 都営地下鉄新宿線、相互乗入開始
1980年
近鉄難波ビル完成
1980年
社名を山九株式会社に変更
1980年
中国交通部より研修生受入れ開始
1980年
南港PDセンター(大阪市)開設により、総合複合機能倉庫(PDセンター)建設に着手
1980年
豪州/マレーシア/ペルシャ湾航路、三国間コンテナサービス開始
1980年
佐川自動車工業株式会社(現・SGモータース株式会社)を設立
1980年
佐川航空株式会社(現・SGHグローバル・ジャパン株式会社)を設立
1980年
福岡/壱岐、福岡/福江線を日本近距離航空に移譲
1980年
長崎/対馬線を日本近距離航空に移譲
1980年
資本金19億8,000万円
1980年
大阪府和泉市に管理型最終処分場(※1)を開設し、最終処分事業及び収集運搬事業を開始
1980年
クリーンアップ(現日本テレビワーク24)設立
1980年
テレビジョン音声多重放送開始。
1980年
横溝正史賞を設定。映画「復活の日」公開。
1980年
住宅地図全国出版を達成
1980年
決算・監査関係法令集『監査小六法』の初版を発刊
1980年
東新建物株式会社設立(「東新ビルディング株式会社(1996年10月商号変更)」)
1980年
東京リビングサービス株式会社設立
1980年
50万ボルト変電所・送電線営業運転開始
1980年
当社初の光ファイバ通信を長岡(制)~長岡(営)間に開発導入
1980年
55.12雪害(停電61万戸)
1980年
50万Vの中央・西九州変電所新設、佐賀幹線50万Vに昇圧
1980年
電源開発株式会社が関門連系線(50万V)運転開始
1980年
西地域連系線全線運転開始
1980年
京阪神支社の指令室に緊急出動指令システム設置
1980年
・札幌工場にICI式高圧ガス発生装置建設完工
1980年
浅草歌舞伎が22年ぶりに復活
1980年
「ドラえもん のび太の恐竜」公開(「ドラえもん」シリーズ第1作)
1980年
「影武者」カンヌ国際映画祭パルムドール受賞
1980年
ナビオ阪急(現・HEPナビオ)竣工
1980年
東京都新宿区西新宿一丁目4番6号に(株)インターナショナルツアーズ設立(資本金10百万円)
1980年
学生寮事業を開始
1980年
自動車メンテナンスの受託業を開始。
1980年
沖縄県浦添市に沖縄出張所(現 沖縄支社)を開設
1980年
業務の拡大に伴い、本社を大阪府吹田市江の木町に移転。
1980年
株式会社営団社募集サービスセンターの100%出資により、不動産売買及び仲介を目的として株式会社営団社不動産を設立(資本金500万円、東京都港区虎ノ門三丁目18番12号)
1980年
株式会社共栄データセンターを設立。
1980年
福岡市に事業所を開設
1980年
札幌支社開設
1980年
金融機関のATMの運用・管理を行う「ハンクスシステム」を開発し発売する。
1980年
オフィスコンピュータおよびOA機器の販売に関する事業を開始。
1980年
「病院・診療所会計システム」完成
1980年
TKA監査法人設立
1980年
「TASK80住民情報システム」完成
1980年
「V80システム」完成
1980年
「公益法人会計システム」完成
1980年
一級建築士事務所登録の認可を得る。
1980年
大阪府に新社屋完成 本社を移転大阪府に新社屋完成 本社を移転
1980年
新日本環境調査株式会社(現 連結子会社)を資本金1,000万円で設立し、環境調査業務を開始
1980年
第1次CI で「文化化・情報化・国際化」を発信
1980年
進研ゼミ「小学講座」を開講
1980年
有限会社廻る元禄(1989年3月14日株式会社に組織変更。その後、当社を存続会社として合併)の所有店舗8店を貸借して当社店舗として営業開始。
1980年
株式会社オートバックスセブンに商号変更
1980年
店名を「ホームセンター順天堂」に変更
1980年
広島県に進出を開始
1980年
会社更生手続きを申請。
1980年
株式会社松屋商事設立。
1980年
「長尺型材自動供給装置」の特許を取得
1980年
計算センタービジネスからオフコンの開発・販売ビジネスへ
1980年
会計事務所専用オフコン「ミロクエース・モデルシリーズ」を開発・発売
1980年
情報提供誌「Voice」創刊