1965年
独自に改良した育種による鶏肉加工事業に着手。
1965年
久原採石所を開設(1988年10月 山口採石所に改称、2023年3月 廃止)
1965年
石油資源開発株式会社法の改正により、事業範囲が海外にまで拡大
1965年
資本金3百万円をもって(株)髙松組を設立
1965年
日本の超高層建築第一号横浜ドリームランド・ホテルエンパイア竣工
1965年
本格的な海外進出工事インドネシア・ムシ大橋竣工
1965年
仙台営業所開設(昭和47年東北支店に昇格)
1965年
三井建設株式会社、宅地建物取引業法による建設大臣免許(1)第1号の免許を取得(以後3年ごとに免許更新・1998年より5年ごとに免許更新)
1965年
株式会社奈良万葉カンツリ倶楽部を設立。
1965年
わが国初のプレハブ住宅専門工場(奈良工場)開設
1965年
広島出張所開設(1989年4月 支店に昇格)
1965年
「日清長野化学株式会社」の全株式を取得し、同社の社名を「日清化学株式会社」に改める
1965年
直系会社「日清フーズ株式会社」よりプレミックス類の製造、研究部門を譲受け
1965年
東京日本橋に「株式会社京浜計算センター」として創立、データエントリー業務開始
1965年
搬入されてきた屋外発酵貯酒タンク(吾妻橋工場)
1965年
設置された屋外発酵貯酒タンク(西宮工場)
1965年
世界初の屋外発酵貯酒タンクを開発、西宮・吾妻橋・博多の3工場に設置
1965年
広島、大阪、中部、東京、東北の各地区に「ファンシー会」誕生
1965年
機械営業部を分離し、(株)シー・エス・シーを設立
1965年
東京エレクトロン株式会社で電子部品(フェアチャイルド社など)の販売を開始
1965年
日本初のしょうゆベースドレッシング 「キユーピー オリエンタルドレッシング」発売
1965年
新橋富士ビル(現ヒューリック新橋ビル)竣工
1965年
新宿富士ビル(現ヒューリック新宿ビル)竣工
1965年
千葉、東京両工場を分離し、日東紡建材株式会社を設立。
1965年
絹調ポリエステル繊維 シルック®織物の販売開始
1965年
クラレプラスチックス株式会社に社名変更)へ出資
1965年
日本電子開発株式会社を設立(資本金 10百万円)
1965年
中央研究所を設置(2003年3月閉鎖)。
1965年
住友千葉化学工業株式会社を設立(1975年1月同社を合併、現在の千葉工場)。
1965年
日産石油化学株式会社を設立、石油化学事業へ進出
1965年
化成品部門・無水リン酸、金属表面処理剤の製造開始
1965年
本社を東京都千代田区大手町 三井生命ビルに移転
1965年
肥料製造会社日之出化学工業(株)の経営権を取得(現・連結子会社)
1965年
胃溶性コーティング剤(TC-5)を開発
1965年
初の海外進出として、台湾に合弁会社中日金属化工(株)を設立
1965年
ビーズ法発泡ポリスチレン樹脂「カネパール」を開発、高砂工業所で生産開始
1965年
カネカロン洋かつら「フォンテーヌ」販売開始(1985年譲渡)
1965年
三井化学工業、東洋高圧工業、関西石油化学が大阪石油化学を設立
1965年
ニューファインゾール(亜鉛版高速腐蝕添加剤)の製造を開始。
1965年
徳山工場(山口県)が完成し、GPB法(自社技術によるブタジエン抽出技術)による
1965年
アデカ・スウィフト化学(株)設立(1972年 アデカ・ファインケミカル(株)に改称)
1965年
神奈川県平塚市に中央研究所(現在の開発センター)を新設
1965年
Kansai United Paint(シンガポール)に資本参加(現在のKansai Paint (Singapore) Pte Ltd)
1965年
富士天然色写真(株)を(株)フジカラーサービスに商号変更、ならびに富士天然色写真(株)の販売部門を分離し、フジカラー販売(株)を設立
1965年
米国・ニューヨーク州に北米市場を統括するFuji Photo Film U.S.A., Inc.(現 FUJIFILM U.S.A., Inc.)を設立
1965年
商号を株式会社ミルボンに変更し、翌月本社を移転(大阪市旭区)
1965年
スチールコード・コンベヤベルトを常磐炭鉱に納入
1965年
「ブリヂストン・マレーシア」がブリヂストンの海外工場としては戦後初めて操業開始
1965年
米国ニューヨークに現地法人アキレスK.C.I. Corp. を設立。(1978年ACHILLES USA, INC. により吸収)
1965年
舞鶴工場にて東洋初となるフロート板ガラスの生産を開始
1965年
樹脂加工設備増設、化粧板用含浸紙量産開始
1965年
NGKアメリカ(現NGKロック)を設立
1965年
高松電気製作所(現エナジーサポート)に資本参加
1965年
八戸工場の銑鉄生産設備の一部を合金鉄及びフェロニッケル製錬用に転換、フェロマンガンに続いて、1966年にはフェロニッケル、1968年には鉱石からの一貫製造法によるステンレス鋼の生産を開始する。1969年に25,000KVA、1970年に40,000KVAの大型電気炉2基を設置し、フェロニッケルの生産を増強
1965年
大博アルミニウム工業株式会社(福岡県福岡市)の全株式を取得。
1965年
市川市に中央研究所(現 市川研究センター)建設
1965年
岡山で同和鉄粉工業(株)を設立(現・DOWA IPクリエイション)、電子材料事業を開始
1965年
スポンジチタン2,400t/年に設備増強
1965年
三塩化チタン触媒製造設備完成(設備能力36t/年)
1965年
プロメカムシッソンレーマン(フランス)と技術援助契約を締結し、プレスブレーキの製造販売を開始
1965年
ユーエスインダストリー(米国)と技術援助契約を締結し、メカニカルプレスの製造販売を開始
1965年
日本初の医療事務教育機関として創業(10月)
1965年
鹿児島県出水市において鉄工所を故前田務(元社長、元相談役)が個人で創業
1965年
販売会社6社と日立建設機械サービス株式会社が合併し、(旧)日立建機株式会社を設立、販売・サービス事業を一体化
1965年
純国産技術による日本初の油圧ショベルUH03を発売(2011年に(社)日本機械学会の「機械遺産第48号」として選定、2018年に国立科学博物館の認定する「重要科学技術史資料」(愛称、未来技術遺産)として登録)
1965年
純国産技術による日本初の油圧ショベルUH03を発売
1965年
各種シェルマシン開発(CHS型、CSV型、CSL型、CBR型)
1965年
藤沢工場を建設 藤沢工場の建設により、国内初の標準ポンプの量産体制を確立しました。翌年からは冷凍機の生産も開始し、現在は半導体関連装置など、さまざまな製品を製造しています。
1965年
200m アセンブリラインを有する世界最大のコンプレッサ工場完成。インドへの技術輸出開始。輸出貢献企業の認定を受ける。
1965年
サウジアラビアのペトロミン向け ジェッダ製油所建設工事受注
1965年
プロセス薬品へ事業拡大 大量に水を使用する紙パルプ・石油・鉄鋼分野において生産性を向上させる薬品を開発し、水処理分野から生産プロセスへと事業領域を拡大。
1965年
ボルグ・ワーナー社(米国)と、合弁会社「椿本モールス(株)」を設立
1965年
日本初の無人搬送車「プロントウ」を製造・販売。
1965年
メッシュボックスパレット「パレテーナ」の製造・販売を開始。
1965年
中国技術進口公司と油圧機器プラント第1号補充契約(油圧研究室の試験および計測器) を締結
1965年
大阪市東区(現中央区)にて、電気設備の開発・製造・販売を目的にダイコク産業を創業。
1965年
愛知県春日井市に名古屋事業所を新設。放電加工の受託業務を開始。
1965年
藤沢工場、オートメーション化【円すいころ軸受】
1965年
アメリカのディクソン社と業務提携し、三重県桑名市に合弁で洋ベアルーロン工業株式会社を設立。
1965年
(1991年 NTN精密樹脂株式会社に社名変更、NTN株式会社の連結子会社となる。2018年 NTN株式会社に合併、現 複合材料商品事業部 精密樹脂製作所、三重県員弁郡)
1965年
秦野製作所に歯車工場を建設し、操業を開始(資本金1億8千万円)
1965年
氷砕艦(南極観測船)「ふじ」に電気推進装置搭載
1965年
わが国初のサイリスタ静止レオナード装置シリーズ完成
1965年
SCRレオナード方式の抄紙機セクショナルドライブ電機品1号機を開発
1965年
千葉県松戸市に小型マグネットモーターの一貫生産体制を整えたモデル工場を建設する一方、販売面では米国ニューヨーク駐在事務所を開設する。
1965年
(株)関電兼平製作所と合併(現・兼平工場)
1965年
国内初の自動字幕式行先表示器の製造販売を開始。
1965年
新事業部制の採用(中央研究所、15事業部、3開発本部、2営業部)
1965年
移動体テレメーターシステムZD-101を開発
1965年
世界初の家庭用VTR ビデオコーダー「CV-2000」発売
1965年
池田工場(愛知県)および広島工場の操業を開始 本社以外の生産拠点を初めて設立。現在は、世界中の拠点で生産を行う。
1965年
歴史的なブームを巻き起こした直線切削用NCの一号機完成
1965年
オールプラスチック製のカウンター(数取器)を開発
1965年
自社製フェライトコアを用いたインダクタ「H型シリーズ」を商品化
1965年
電子機器工場を設置(ラジコン機器専用工場)
1965年
小松証券株式会社を吸収合併、小松支店を開設
1965年
三菱重工業株式会社がタイのUDMI社に資本参加
1965年
「愛知工業」と兄弟会社である「新川工業」が合併、「アイシン精機」を設立。体質強化、国際競争力強化という目的のもと、「小異を捨て大同につこう」という両社の決断により誕生した。
1965年
船外機部門に進出。「D55」(2サイクル5.5馬力)発売。
1965年
新型小型車「フロンテ800」(2サイクル)を発売。
1965年
民間向け軽飛行機FA-200「エアロスバル」の初飛行に成功。翌1966年から販売を開始
1965年
トヨタ自動車工業(株)と「トヨタ2000GT」の製作で業務提携
1965年
ヤマハ初のFRP漁船「第三富士丸」を建造
1965年
Shimano American Corporationをニューヨークに設立
1965年
子供服の販売を事業目的に加え兵庫県姫路市紺屋町に出店し、あわせて本部事務所を移転
1965年
ブルドン管式圧力計・水銀充満圧力式指示温度計、日本工業規格表示工場の許可を授く
1965年
東海精密(株)を吸収合併し、スター精密(株)に社名変更
1965年
国産機YS-11用航法計器の生産開始。
1965年
彦根にシャドウマスク製造工場を建設、同製品事業軌道に乗る
1965年
エレクトロファックス方式の複写機「キヤノファックス1000」を発表
1965年
静電複写機「電子リコピーBS-1」発売。業績不振を救うヒット商品となり、南極観測船「ふじ」にも搭載された
1965年
事務機生産開始(加算機、カメラのシャッター)
1965年
西ドイツ(当時)に事務所開設、欧州への本格的輸出開始
1965年
協伸工業株式会社(後にリズム協伸株式会社に商号変更)設立
1965年
東洋コンタクトレンズ株式会社に社名変更
1965年
ポリプロピレン延伸テープ製造のため、乾式延伸機を開発
1965年
ワインダーTS36鳥居鉄工所と共同開発
1965年
カナダのムーア社と合弁でトッパン・ムーア・ビジネスフォーム株式会社(現 TOPPANエッジ株式会社)を設立
1965年
ザ・スタンダード・レジスター社と提携、ビジネスフォームの量産開始
1965年
全国農業協同組合連合会(全農)とハウスカオンキの販売契約を結び、農協組織を通じて全国に販売。
1965年
米国フェアチャイルド社とICテスタの代理店契約
1965年
大栄水産㈱、㈱太源、大栄食品㈱の3社を合併し、大阪市中央区に大栄太源㈱設立
1965年
米国に現地法人(現・連結子会社、Yamazen,Inc.)を設立。
1965年
大阪・東京両営業本部制を採用。管理本部並びに海外営業本部を大阪本社に設置。
1965年
製薬会社向けに輸液セットの販売を開始し、医療機器事業進出の端緒を開く。
1965年
本店を、東京都千代田区大手町2丁目4番地に移転。(なお、本店所在地は昭和45年1月住居表示の実施により、東京都千代田区大手町2丁目2番1号と変更。)
1965年
大分九石販売株式会社(現、連結子会社株式会社九州エナジー)の株式取得
1965年
日本瓦斯工事株式会社設立(配管工事施工部門を分離)
1965年
食料品、日用雑貨品の販売を主目的に(有)バラエティーランド・ハトストアーを設立。(1976年2月21日当社と合併、消滅)
1965年
株式会社住友銀行、株式会社河内銀行を合併
1965年
「株式会社丸糸」から「丸糸株式会社」に商号変更
1965年
調査部を分離独立させて、株式会社野村総合研究所を設立(1988年1月、野村コンピュータシステム株式会社と合併)
1965年
阿部野橋~吉野間特急新設(1日6往復)
1965年
三重電気鉄道㈱(西桑名~阿下喜間、四日市~湯ノ山間、四日市~内部間、日永~伊勢八王子間および鳥羽~真珠港間)を合併
1965年
福島県いわき市にて東北曳船(株)の設立に参加(昭和53年3月に同業社と経営統合、現在の福島汽船(株))
1965年
中日本航空の定期航空部門を吸収(名古屋/小松、名古屋/富山線)
1965年
YS-11の愛称を「オリンピア」に決定
1965年
羽田のジェットハンガー「全日空、東京第1号格納庫」完成
1965年
東京/大阪線、全便B727による完全ジェット化が実現
1965年
現会長 福田 武が神戸市生田区江戸町96番地で資本金700千円にて日本管財株式会社を設立し、建物清掃管理による業務を開始する。
1965年
株式会社へ組織変更、商号を現在の株式会社上組へと改称。
1965年
JRN(ジャパンラジオネットワーク)結成
1965年
西条発電所1号機15.6万kW、運転開始(1965年度を境に、認可最大出力で火力発電が水力発電を上回る)
1965年
佐久間周波数変換所運転開始日本で初めて周波数の異なる東西間における電力供給が可能に
1965年
(株)大阪ガス不動産(現 大阪ガス都市開発(株))設立
1965年
・小樽工場にMS式低圧ガス発生装置完工(石炭から石油系原料へのガス源転換完了)
1965年
都市ガスの原料に石油系原料(ナフサ)を導入。
1965年
初のヨーロッパ公演(西ベルリン、パリ、リスボン)
1965年
TV「青春とはなんだ」(NTV系列)放送開始
1965年
新・帝国劇場の建設にあたり、(株)帝国劇場を設立(1976年7月、東宝不動産(株)に合併)
1965年
本社を大阪府河内市(現:東大阪市)大字中野5番2へ移転。
1965年
千葉県印西市に、競走馬の育成と休養を目的に、小林牧場を建設
1965年
当社をモデルにしたテレビドラマ「ザ・ガードマン」がスタート。宇津井健さん主演で大ヒットし、当社の知名度が一躍高まることになる。