1961年
神奈川県足柄上郡中井町に中井試験場を開設
1961年
松栄不動産株式会社を設立(連結子会社)
1961年
旧本社ビル(東京都千代田区四番町)完成
1961年
ポンプ浚渫船「スエズ」建造、国際入札によりスエズ改修工事受注。
1961年
わが国初の本格的民間デベロッパー「大和団地(株)」創業
1961年
シンガポールに合弁会社「大和マラヤ(馬来亜)有限公司」設立
1961年
滋賀県栗太郡栗東町(現 栗東市)に滋賀工場を設置、操業を開始(2009年3月生産機能停止)
1961年
應用電気(株)(現、関工商事(株))に資本参加
1961年
冷暖房、衛生、水道、その他管工事の営業を開始
1961年
ミッドランド・ロス社(MR社)との資本提携成立
1961年
本社を東京都千代田区神田小川町(神田三和銀行ビル)に移転
1961年
直系会社「日清飼料株式会社」より配合飼料の製造、研究部門を譲受け
1961年
神戸市東灘区に本社社屋移転。(現登記上の本社)
1961年
秋田工場(現連結子会社 秋田プリマ食品(株)、秋田県本荘市(現由利本荘市))を開設。
1961年
埼玉県鶴ヶ島市に埼玉工場(2006年に閉鎖)を新設。名古屋証券取引所(2023年に上場廃止)に上場。
1961年
(株)ミドリ電化社((株)ミドリ電化の前身)設立
1961年
中部液化ガス株式会社(後にガステックサービス株式会社に社名変更)設立
1961年
吉幸食品工業株式会社設立(現日本デルモンテ(株))
1961年
日本アミノ飼料(株)(現、伊藤忠飼料(株))設立
1961年
マラヤ味の素社設立(現、マレーシア味の素社)
1961年
4月 ヱスビースパイス工業株式会社を設立する。(現・連結子会社)
1961年
10月 東京証券取引所市場第二部に株式上場する。
1961年
本格的に工場見学を開始(現 オープンキッチン)
1961年
仙台出張所(現東北支店)開設 栃木工場(現那須工場)完成
1961年
静岡県焼津市にハム・ソーセージ工場設置。
1961年
本社・新潟工場(816平方メートル)を現在地に移し、有限会社佐藤食品工業所を設立
1961年
名古屋市中村区に名古屋出張所を開設(現中部支社)
1961年
ニューヨーク駐在員事務所をアメリカ現地法人Sanyo Corporation of Americaに改組
1961年
長野県松本市に松本工場を新設し、鉄骨加工を開始する
1961年
ニッケ不動産(株)設立(現・連結子会社)
1961年
信成商事(株)の経営に参加(現・ニッケ商事(株)、現・連結子会社)
1961年
東急不動産(株)の広告業を廃止し、「(株)東急エージェンシー」譲渡
1961年
油圧機械及び油圧機器の販売を目的として東京都港区に内外機材株式会社を設立。
1961年
子会社・ (株)イチロンサービスを設立。
1961年
市川工場に塗工白板紙抄紙機(4号機)を新設
1961年
東京証券取引所及び大阪証券取引所の市場第一部に上場
1961年
2号抄紙機を設置し、日本で初めて二重紙の生産を開始
1961年
利根川製紙工場を開設(1997年7月 利根川事業所に改称)
1961年
(旧)製鉄化学工業(株)を合併し、社名を製鉄化学工業(株)と変更
1961年
研究所(現・研究センター)(兵庫県尼崎市)を開設
1961年
大垣工場、カーバイド大型電気炉 (3万kVA、月産能力6000トン) 稼動開始
1961年
東京証券取引所市場第二部に上場(昭和38年10月合併のため上場を廃止、昭和39年1月再上場)
1961年
青森県八戸市に八戸工場新設(現八戸支店)
1961年
東京証券取引所第2部に当社株式を上場。
1961年
徳島第一工場において、後に壁材の原料ともなるCMCの生産を開始
1961年
新ヨウ素製造技術(ブローイングアウト法)を確立、千葉県に白子工場の建設を完了し、天然ガス、ブローイングアウト法によるヨウ素の生産を開始、以後各工場逐次同製造法に転換
1961年
三宝工場にフッ化水素酸、フッ化アルミニウム、その他フッ化物製造設備を増設
1961年
本社を大阪市東区高麗橋五丁目1番地(住居表示の変更により、現大阪市中央区高麗橋四丁目1番1号)に移転。吹田工場内に研究所を新設。
1961年
チョコレート用油脂「ベルコ」を開発、高砂工業所で生産開始
1961年
名古屋工場でビスフェノールAの生産を開始
1961年
東洋高圧工業ヨーロッパ(ドイツのデュツセルドルフ)駐在事務所開設
1961年
日合商事株式会社(現・JSRトレーディング株式会社・連結子会社)設立。
1961年
生産規模の拡大に伴い、大阪府柏原市に本社及び工場を移転。
1961年
販売活動の充実を図るため,大阪市東区(現・中央区)に大阪営業所を設置。
1961年
大協和石油化学(株)設立(大協石油との合弁会社)、石油化学へ製法転換
1961年
大日本化成株式会社(現 大竹工場)を設立
1961年
奈良工場で、プラスチック製ゴミ容器「ポリペール」の製造開始
1961年
東京証券取引所に株式を上場、10月には大阪、名古屋にも上場。
1961年
東京営業所を東京都港区に設置(現、東京本部:東京都新宿区西新宿2丁目7番1号)
1961年
本社事務所を大阪市北区堂島浜通に移転(現、本社:大阪市北区西天満2丁目4番4号)
1961年
チンマーロールコーターを導入。『セパレーター』(現エスケーセパレーター)を上市
1961年
旭友不動産(株)設立(2006年 ADEKAライフクリエイト(株)に商号変更)
1961年
可塑剤サンソサイザーDOP(フタル酸ジ2-エチルヘキシル)を上市。
1961年
日本で初めて無水コハク酸(リカシッドSA)の製造開始。
1961年
合成ゴム乳化重合用助剤並びに合成樹脂製品の製造開始
1961年
中央研究所(大阪市福島区)を建設(現:医薬研究センターに集約)
1961年
食品事業へ進出。スパイス工場を建設。第1号製品・粉末香辛料「スパイス・ケンダ」発売。
1961年
愛知県西加茂郡(現在の愛知県みよし市)に名古屋工場(現在の名古屋事業所)を新設
1961年
大阪証券取引所 市場第二部に上場、翌年には第一部に指定替え
1961年
東京都板橋区に東洋プラスチック工業株式会社を設立。
1961年
インターケミカル社〔現 BASF社〕製工業用両面接着テープ「ダブルフェース」の輸入販売を開始。
1961年
名古屋市中区栄4丁目1番地にて「株式会社名古屋国際ホテル」を設立
1961年
大塚実により東京・秋葉原で創業(複写機事業)
1961年
本社工場(当時)の生産ラインを自動化。
1961年
初のメイクアップキャンペーン「キャンディトーン」実施
1961年
美白効果の高い新原料リン酸カルシウムを使用した『ホワイトライオン』ハミガキを発売
1961年
ダンボール等紙器製造会社、株式会社トパック(後にインターコスメ株式会社と合併)を設立
1961年
合成ゴム重合用乳化剤「ロンヂス」を上市
1961年
新潟県新発田市に新潟工場を設置。東京証券取引所市場第二部へ上場
1961年
アポロサービス(株)(現アポロリンク(株)・連結子会社)を設立
1961年
中央研究所(大阪府茨木市)を開設(2013年12月、兵庫県川西市に移転)
1961年
名古屋工場操業開始。テニスボール「ダンロップフォート」の生産開始
1961年
英国ICI社と軟質ポリウレタンフォームの製造に関する技術提携。
1961年
プロピレンオキサイド・プロピレングリコールの生産を開始
1961年
岩倉工場を新設稼動し、食器事業に本格的に参入。その後、びん工場を新設しびん事業を拡大
1961年
神奈川県相模原市に東京工場を建設し、操業を開始
1961年
ドライタイプ・コンデンサーブッシングを開発
1961年
日本鋼管株式会社と業務提携、日生工場発足
1961年
株式を東京、名古屋両証券取引所に上場しました。
1961年
昭島工場を新設 各工場を集約 総合工場として操業開始
1961年
ゲルマニウムウェハー用ポリシング材[FS]を生産開始
1961年
新設網干工場で、40トン電気炉1基稼働。
1961年
姫路市に鋳型専門工場として姫路東工場を建設
1961年
日亜加工鋼業株式会社を吸収合併し、大阪工場とする
1961年
「(株)日本軽金属総合研究所」(後の㈱日軽技研、現・グループ技術センター)を設立
1961年
千葉県市原市市原町地先海岸埋立地に千葉電線製造所を新設し、操業を開始
1961年
電気用品取締規則による絶縁電線の製造免許取得
1961年
中期5ヵ年計画の初年度計画として、生産の増強を図るため、茨城工場を茨城県猿島郡総和町東牛谷1144番に設置して製造を開始(現在は古河事業所)。
1961年
[印刷機器事業] オフセット印刷機の製造を開始
1961年
扶桑軽合金株式会社の株式を東京証券取引所市場第二部に上場
1961年
東都成型(株) (現 連結子会社)に資本参加
1961年
株式会社狭山製作所を設立。東京証券取引所市場第二部に株式を上場。日本特殊金属工業株式会社武蔵工場が竣工
1961年
子会社大成工業(株)(兵庫県明石市)を設立
1961年
超高抗張力鋼の表面亜熱間ねじ転造の研究について通産省鉱工業応用研究補助金を受ける
1961年
今井俊明が、プレス板金製品・機械加工部品の製造販売を目的として、埼玉県北足立郡戸田町大字下笹目で株式会社本郷製作所を創業
1961年
平田プレスエ業株式会社が、群馬県前橋市に前橋製作所を設置
1961年
京都工場(現 株式会社日本サーモエナー京都工場)操業開始
1961年
株式額面変更のため、東京都千代田区に本店を有する株式会社天田製作所(旧商号寿々川礦業株式会社)と合併、合併後本店所在地を東京都中野区に移転する以後株式額面は50円となり、会社の設立は1948年5月1日となる
1961年
神奈川県中郡伊勢原町に伊勢原工場を新設
1961年
商号を「株式会社牧野フライス製作所」に改称
1961年
株式会社へ改組、資本金300万円で現会社を設立
1961年
東京都品川区に有限会社日進工具製作所を設立
1961年
和歌山市大泉寺丁に資本金100万円をもって三伸精機株式会社(現提出会社)を設立し、手袋編機用半自動装置の製造販売を開始。
1961年
大阪府八尾市に新工場(現八尾製作所)を稼働。エアハンドリングユニット(エアハン)の製作を開始
1961年
創業50周年を迎え、初代社長井上昌二が社長を退き、会長に就任し、井上忠義が代表取締役社長に就任
1961年
世界初、背負動力噴霧機『チェリー』を開発
1961年
株式会社北川製作所(現・連結子会社)を広島県府中市に設立、旋盤用チャックの製造を開始。
1961年
国内初の全自動制御方式の高速鍛造プレス工場を完成
1961年
四日市製作所(現:四日市事業所)を開設
1961年
当社株式を大阪証券取引所市場第二部に上場(昭和41年11月市場第一部銘柄に指定)
1961年
ハーマン・ニューマチックマシン社(アメリカ)と高圧自動造型機について技術提携
1961年
紙幣印刷用ドライオフセット印刷機を印刷局に納入
1961年
大阪支店を開設。東京及び大阪証券取引所市場第二部に上場
1961年
廃棄物処理プラント事業に参入 ストーカ式ごみ焼却炉1号機を納入し、廃棄物処理プラント事業に参入しました。
1961年
ユニオンポンプの販売を目的として、米国ユニオンポンプ社との合併会社、日本ユニオンポンプ株式会社を設立
1961年
東京都千代田区にオルガノソフナー株式会社を設立[1981年東京オルガノ商事株式会社に、2006年オルガノ東京株式会社に商号変更、2014年オルガノ株式会社に吸収合併]
1961年
関西栗田整備(株)を設立 水処理装置・施設のメンテナンス・サービス会社として、関西栗田整備(株)(栗田テクニカルサービス(株)の前身)を設立。
1961年
東京証券取引所市場第2部に株式を上場。
1961年
尼崎工場が第一種圧力容器製造許可を取得。
1961年
食品用充填機、冷菓資材の販売を目的として鈴茂商事株式会社を文京区に設立
1961年
工作機械外販第1号として教育用小型旋盤発売
1961年
神奈川県川崎市下平間に資本金100万円をもって株式会社放電精密加工研究所を設立し、放電加工の受託業務を開始。
1961年
米国フェデラル モーグル バワー ベアリング社(現フェデラル モーグル コーポレーション)とすべり軸受に関する技術導入契約締結。
1961年
軸受研究における世界の中心地、技術研究センター(神奈川・藤沢市)設立
1961年
歯科エアタービン用ステンレス製ミニアチュア玉軸受(30万min)
1961年
多摩川工場、オートメーション化 【精密小径玉軸受】
1961年
大阪府河内長野市の金剛ベアリング株式会社(現 産業機械事業本部 金剛製作所)を合併。
1961年
ドイツに販売会社 NTN Wälzlager(Europa) G.m.b.H.を設立。
1961年
光洋精工株式会社発祥地(大阪市生野区中川町)中川工場跡地にリンドバーグ事業部工場建設
1961年
埼玉県幸手市に幸手工場を建設し、門扉類の製造を開始
1961年
社名を日鍛バルブ株式会社に変更(資本金7千万円)
1961年
多賀工場より那珂工場独立。勝田工場新設。
1961年
セア社(フランス)とプリントモータに関する技術提携
1961年
ASEA社と技術提携(タービン発電機)
1961年
埼玉工場完成、エンジン発電機の生産を開始
1961年
世界で初めての高周波応用によるシリコン単結晶の性能測定用ライフタイム測定器と比抵抗測定器を開発
1961年
大阪府摂津市に溶接機工場新設(摂津事業所)
1961年
生産能力の拡大を図るため、大阪市阿倍野区に株式会社阪南電機製作所を設立
1961年
船舶用集合始動器盤の専門製造工場として奈良県橿原市に株式会社畝傍電機製作所を設立
1961年
東京証券取引市場第2部に上場、天皇・皇后陛下御来社
1961年
茨城県龍ケ崎市に竜ヶ崎工場が竣工し、操業を開始。
1961年
(株)日立製作所と「配電盤および器具の製作ならびに販売に関する技術援助契約」締結
1961年
事業部制の採用(通信機、電波機器、電子機器、電子部品、商品および海外の6事業部)
1961年
トランジスタ式電子計算機「OKITAC-5090システム」を発売
1961年
東京都八王子市に半導体工場開設、トランジスタの生産開始
1961年
信州精器(株)(82年にエプソン(株)に社名変更)設立
1961年
真空技術の基本を応用し、真空冶金事業を開始。
1961年
工事部門を分離し、日信電気工事株式会社を設立。大阪証券取引所に上場
1961年
海外生産を積極的に推進 松下幸之助会長、松下正治社長体制
1961年
長野県飯田市に関係会社「飯田帝通株式会社」を設立し、固定抵抗器部門に進出。東京証券取引所市場第2部に上場。長野県須坂市の松田電機株式会社(現在、須坂帝通株式会社)に資本参加
1961年
テレビが爆発的に家庭に普及。放送用機器として、音声調整卓当社1号機を開発。
1961年
昭島工場(現昭島事業所)完成、川崎市(玉川工場内)より移転
1961年
日東電気工業株式会社(現日東電工株式会社)から乾電池、磁気テープ部門が分離独立、マクセル電気工業株式会社として創業
1961年
西宮工場 第1期工事完成(兵庫県西宮市)
1961年
増資時、三菱電機(株)が当社株式を取得
1961年
藤沢工場(現:藤沢テクノセンター)を建設
1961年
東亞特殊電機株式会社(現TOA株式会社)が医用電子機器業界へ進出方針決定 研究室を新設し、3人の技術者が調査を開始
1961年
品質管理の最高権威であるデミング賞を受賞 受賞に向けた社員全員参加での取り組みが、今日も続く「品質第一」の思想や風土の礎となる。
1961年
個人会社を法人化し中央銘板工業株式会社(東京都杉並区)を設立
1961年
ガラス端子の量産技術、めっき技術導入のため、 光延丈喜夫専務(当時)他が 米国GTI(Glass-Tite Industries)社などを視察
1961年
雪ヶ谷工場でプリント配線板の生産を開始
1961年
万世営業所を設置し、通信機・ラジコン機器・プラモデルの販売を開始(1972年フタバ産業(株)として独立)
1961年
ふっ素樹脂製品の製造開始(ニトフロン)
1961年
表面保護用ビニルシートの製造開始(SPV)
1961年
東京証券取引所市場第二部に上場。資本金を95,000千円に増資
1961年
薄膜フィルムコンデンサの草分けラッカーフィルムコンデンサを開発(国内初)。当時の最薄膜フィルム(3μm)の製造からコンデンサ製造までの一貫生産体制確立。
1961年
タンタル固体電解コンデンサの製造を開始。
1961年
商号を日本コンデンサ工業株式会社に変更(同時に国内販売会社関西二井販売株式会社をニチコン販売株式会社に商号変更)。
1961年
電力用及び機器用コンデンサ総合工場として滋賀県草津市に草津工場(現ニチコン草津株式会社)を新設。
1961年
長野県上伊那郡南箕輪村に中央工場を設置する
1961年
神奈川県横浜市港北区に東京中央研究所を設置する
1961年
世界初の大型自動化船「金華山丸」(貨物船)が進水
1961年
パセコ社とコンテナクレーンに関して技術提携
1961年
社是『まごころこめて生きた船を造る』制定
1961年
大江工場(名古屋市港区)新設、橋梁鉄骨・化工機製作を開始
1961年
藤沢製造所(現藤沢工場)第1期工事竣工・開所
1961年
1.75t積み小型トラック「エルフィン」発表
1961年
中部日本自動車整備学校(現 学校法人トヨタ名古屋整備学園専門学校トヨタ名古屋自動車大学校)を開校
1961年
原価管理を全社的に展開するため原価会議発足
1961年
東京地区の配車基地として綱島車両センター完成
1961年
小型商用車「ブリスカ」、初の自社開発による乗用車「コンテッサ」発売
1961年
東都造機、茅ヶ崎製作所(現 神奈川製造所)開設
1961年
車輪工業、豊川工場(現 豊川製造所)開設
1961年
車輪工業、東都製鋼、東都造機および東都鉄構の本社を東京都千代田区四番町に移転
1961年
東京都昭島市に立川発条株式会社(現 株式会社タチエスH&P)を設立
1961年
貿易業務を新設立の三國商工株式会社に譲渡
1961年
関係会社太平洋精工株式会社を設立(現:PECホールディングス株式会社、持分法適用関連会社)し、リベット、オートヒューズの生産を移管
1961年
2速半オートマチックトランスミッション生産委託(日本初)。
1961年
西ドイツ(当時)に「ヨーロピアン・ホンダ・モーター」設立。生駒テックオープン。
1961年
繊維機械部を分離、鈴木式織機株式会社を設立。
1961年
世界GPロードレース第3戦:フランスGPに初参戦
1961年
第1回太平洋1000Kmモーターボートマラソンで「CAT-21」が優勝
1961年
広島県安芸郡に広島工場を開設(1992年5月同県東広島市に移転、分社してディーケープロナックとし、2010年エクセディ広島に社名変更、2013年当社が吸収し消滅)
1961年
東京証券取引所・名古屋証券取引所第一部に株式を上場
1961年
アメリカのショーにスリースピードハブを初出展
1961年
(株)松田商店 専務取締役 松田 洋 就任
1961年
金沢支店を分離独立させ、丸文金沢株式会社(現:丸文通商株式会社)を設立
1961年
世界初の遠隔操作式X線テレビジョン装置を開発
1961年
東京証券取引市場第2部の開設にともない、株式を上場。
1961年
ステンレス針を開発。世界で初めて、18-8ステンレス縫合針の製造に成功。
1961年
オートレベルAT型 (初代オートレベル)発売開始
1961年
資本金300万円で和歌山市中島にノーリツ鋼機株式会社(有限会社ノーリツ光機製作所より組織変更)を設立
1961年
基幹現像所用白黒フィルム自動現像機RF-20E販売開始
1961年
「キヤノネット」発売、爆発的な売上を記録、EEカメラブーム起こる
1961年
国産初の輪転式マイクロフィルムシステムを完成
1961年
当社、龍水社、シチズン時計株式会社、シチズン商事株式会社の共同出資により、龍水時計株式会社(長野県上伊那郡箕輪町)を設立
1961年
プラスチック・レールを使用した鉄道玩具「プラレール」を発売。
1961年
埼玉県北足立郡(現鴻巣市)に吹上工場を新設。
1961年
機械及び電気部品の製造並びに販売を開始。
1961年
中央区銀座に「凸版印刷サービスセンター(現 トッパンアイデアセンター)」を設立
1961年
大日本ポリマー(現 DNPテクノパック)を設立。ブローボトル成形開始
1961年
鋼板への直接カラー印刷に成功(日本初)
1961年
フォトマスク(エマルジョンマスク)を製造
1961年
インシュレーションボードJIS表示認定工場に
1961年
わが国のプラスチック産業の飛躍的な発展に呼応しての、当社事業の拡大にともない、埼玉県川口市に工場を新設。
1961年
埼玉県大宮市(現:さいたま市)に東京工場建設
1961年
関西染色株式会社八尾工場を買収、当社八尾工場として流し台の組立を開始
1961年
当時世界随一の紙製品生産工場「八尾工場」が稼動
1961年
自動製図機械「ヌメリコン」を開発、製造販売を開始。
1961年
札幌営業所を開設(1976年4月北海道営業所と改名)。
1961年
東京証券取引所において株式上場。中国より友好商社の指定を受け、以後日中貿易のパイオニアとなる。
1961年
全株式を従業員が保有という組織を廃し、株式公開(大阪証券取引所市場第二部。1963年に市場第一部銘柄に指定、2010年に上場廃止)
1961年
ホテル、レストランなどを対象として生鮮水産物、加工水産物の販売を行う共同水産株式会社を買収。
1961年
会社設立(菱洋電機株式会社)、本社を東京都中央区に開設し、同時に大阪市に大阪営業所(現、大阪支店)を開設
1961年
合成樹脂分野のビジネス拡大により、化学品から合成樹脂部門が分離独立する
1961年
東京煉炭、横浜煉炭、栃木三鱗、永沼燃料、湘南燃料を合併、社名を「株式会社ミツウロコ」とする
1961年
伊藤忠商事株式会社と、かねてから取引協力関係にあった日本鉱業株式会社が、水島に製油所を新たに建設し、石油業界に進出したのを機に、その製品を販売するために、伊藤忠商事株式会社の子会社である伊藤忠石油株式会社(1949年1月設立の西日本米油株式会社を、1951年4月に名称変更)を分割して当社を設立した。(資本金6千万円)
1961年
豊中店(大阪府豊中市)を開設し、スーパーマーケット形式による営業を開始。
1961年
2号店として東松山店を開店し、同時に営業の主体をこの東松山店に移しチェーン化理論を取り入れ、商品を集中仕入制とし、また、運営体制を仕入と販売とに分離。
1961年
銀座店1階正面の床石に2億年前の巻き貝(学名 ベレロフォン)の化石が浮き出る
1961年
株式会社いづみ設立、スーパーいづみ第1号店オープン
1961年
高額の耐久消費財向けに長期払い(6ヵ月)の「スペシャルクーポン」制度を導入。
1961年
協同組合広島クーポンと業務提携し、融資業務を開始
1961年
相鉄ビルサービス(株)(現・相鉄企業(株))設立
1961年
富士五湖国際スケートセンター(現在の「富士急ハイランド」)営業開始
1961年
神奈川県横浜市鶴見区生麦町字明神前2036番地に、日産自動車株式会社の全額出資により、日産自動車の新車を全国販売会社へ輸送する専門会社として、日産陸送株式会社(資本金30百万円)の商号で設立
1961年
1960年3月に日産自動車の新車輸送会社として設立された弘和陸送株式会社(現在当社に吸収合併)に資本参加
1961年
中川短絡線完成、名阪特急列車ノンストップ運転開始
1961年
豊田貨物自動車運送株式会社(現 株式会社日本陸送)を買収により子会社化。
1961年
貨客船「氷川丸」を山下公園(神奈川県)に係留、一般公開開始
1961年
主機の操縦を船橋、機関部の監視や制御を機関室制御室から行う世界初の自動化船「金華山丸」就航。
1961年
証券取引所(東京、大阪、名古屋)市場第二部に上場。
1961年
鹿児島/那覇間定期航空運送事業が日本政府より免許される
1961年
自動車部の業務を分離し、上組陸運株式会社を設立。
1961年
商号「株式会社 ラジオ新潟」を「株式会社 新潟放送」に変更。
1961年
中部火力工事(株)(現・連結子会社)を設立
1961年
火力設備が水力設備の出力を上回る(火主水従へ)
1961年
世界初の気球工法による鳴門海峡横断送電線工事成功
1961年
154kV送電系統一部中性点低抵抗接地併用方式の新技術採用(八戸、秋田変電所)
1961年
新小倉発電所1号機(石炭、15.6万kW)運転開始
1961年
・第1回ガス展を札幌・小樽・函館で開催
1961年
・札幌工場でTG式原油ガス発生装置完工(当社最初の石油系原料による装置)
1961年
子会社静岡液化瓦斯株式会社(現連結子会社)を設立(
1961年
「大学の若大将」公開(「若大将シリーズ」第1作)
1961年
東京証券取引所、大阪証券取引所、名古屋証券取引所、各市場第1部に指定
1961年
教育映画部、世界に先駆けトーキー8ミリの開発事業化へ。
1961年
東京都練馬区に株式会社協和コンサルタンツを設立。土木・建築に関する測量・設計の営業を開始
1961年
当社の前身である日本システム・マシン株式会社に電子計算機部を新設し、
1961年
東京都千代田区神田小川町にダイレクト・メール・サービス株式会社を設立
1961年
ダイレクトメールの取扱いを中心としたセールスプロモーション業務の営業を開始
1961年
大阪市南区(現中央区)に本社社屋を建設し、移転
1961年
生鮮食料品の小売業を目的として、札幌市南13条西9丁目716番地において株式会社ダイマルスーパー(現、株式会社アークス)設立(資本金5百万円)。
1961年
コンピュータIBM1620-Iを建設・建築設計業界に導入