1969年
建設業者の登録を建設大臣(現国土交通大臣)許可に変更
1969年
日本初のLNG地下タンク(東京ガス根岸LNG基地)工事第1号基を受注
1969年
田辺建設株式会社の機電事業部(機械・電気部門)を分離し、資本金1,000万円をもって、田辺工業株式会社を設立、本社所在地を新潟県西頸城郡青海町(現、新潟県糸魚川市)に、営業所を青海(現、青海支店、新潟県糸魚川市)・直江津(現、北陸支店、新潟県上越市)・千葉(現、千葉支店、千葉県市原市)・東京(現、東京本社、東京都千代田区)に設置
1969年
建設業法に基づく特定建設業の種類のうち、「電気工事業」「管工事業」「鋼構造物工事業」及び一般建設業の種類のうち、「とび・土木工事業」「タイル・れんが工事業」「機械器具設置工事業」「電気通信工事業」の許可を国土交通大臣(旧建設大臣)より受ける(以後3年ごとに許可更新)
1969年
札幌支店、仙台支店(1996年4月東北支店に改称)開設
1969年
新菱建設(株)から三菱建設(株)に社名変更
1969年
札幌支店開設。全国的スケールの総合建設企業の地歩を確立。1969年日本土地開発株式会社を吸収合併し、海洋土木部門の施工能力を強化。
1969年
当社単独による初の大規模都市開発「緑が丘ネオポリス」販売開始
1969年
株式額面変更のため積水ハウス株式会社(昭和殖産株式会社が1969年3月商号変更)に吸収合併
1969年
東京証券取引所市場第2部銘柄より第1部銘柄に指定される
1969年
仏国スタイン・サーフェス社(SS社)と無酸化加熱炉の技術導入契約調印
1969年
英国スタイン・アトキンソン・ストーディ社(SAS社)とWB型連続鋼片加熱炉技術供与契約調印
1969年
SS社とWB型連続鋼片加熱炉技術供与契約調印
1969年
小麦胚芽製品「ファミリージャーム」を発売。小麦の可能性を広げる新製品を次々開発
1969年
日本フード株式会社(食品の製造販売、1982年3月期から連結子会社)設立
1969年
千歳工場(北海道千歳市、現:北海道工場)操業開始
1969年
独自のモニター制度、奥様重役制度を導入
1969年
営業所、1977年9月支店となる。(2016年10月東北支店に改称)
1969年
広島出張所を開設。1977年9月営業所、1984年2月支店となる。(2023年4月中四国支店に改称)
1969年
株式会社マーケティングフォースジャパン(当時 日清サラダ油株式会社 1999年4月より現社名)設立
1969年
阪南工場(泉佐野市)、第1期工事完了、操業
1969年
米国チェシャー社のラベリングマシンを販売開始
1969年
米国ジンマーマン社のFA機器を販売開始
1969年
中部住宅販売株式会社(現・サーラ住宅株式会社)設立
1969年
ジャパン・フード社(米国)に資本参加(現JFCインターナショナル社)
1969年
三英食品販売株式会社を通して、業務用商品の本格的な販売を開始
1969年
グラスファイバー織物工場(福島)を新設。
1969年
有限会社から株式会社ことぶき食品に組織変更
1969年
リビングストアー伊那店を新規出店し、家具・インテリアの販売を開始する
1969年
「東急ホームサービス(株)」(後に「(株)東急アメニックス」に社名変更)設立
1969年
愛知県知立市に知立営業所(現豊田支店)開設。
1969年
西条工場でポリエステルフィラメント<クラベラ>(商標)の生産開始
1969年
長野県飯田市常盤町 飯田商工会館に飯田営業所を開設
1969年
東京都新宿区(西大久保)に日本エム・アイ・エス株式会社(現当社)を設立 電子計算機利用状況の診断・導入指導・システム設計指導、電算機要員教育訓練等のコンサルティング業務を開始
1969年
砺波製紙(株)二塚工場、1号ボイラー及び1号発電設備完成
1969年
砺波製紙(株)二塚工場、1号ボイラー及び1号発電設備完成
1969年
砺波製紙(株)二塚工場、1号ボイラー及び1号発電設備完成
1969年
三島・DIP製造設備を新設(脱墨パルプの生産開始)
1969年
大阪市淀川区豊崎東通に大阪営業所を開設。
1969年
王子工場の閉鎖・移転計画に伴い千葉県に現在の袖ケ浦工場を建設
1969年
呉羽プラスチックス株式会社(現・樹脂加工事業所)設立
1969年
原油分解技術を企業化するため呉羽石油化学工業株式会社設立
1969年
大和田工場構内に百島倉庫完成、営業開始
1969年
同和鉱業株式会社西日本硫酸センターに参加のため、大和田工場の操業停止、製造設備除去
1969年
松阪工場(現:CGP)にてフロート法によるフロート板ガラスの生産を開始
1969年
東京都北区に東京出張所(現:東京営業所)を開設
1969年
日本酸素株式会社と合弁会社富士酸素株式会社を設立。
1969年
(旧大陽東洋酸素)日本酸素株式会社と合弁会社富士酸素株式会社を設立。
1969年
千葉県に光工場の建設を完了し、ヨウ素の生産を開始
1969年
米Schenectady Chemicals社と合弁会社「日触スケネクタディ化学(株)」設立
1969年
「日本合成ゴム株式会社に関する臨時措置に関する法律を廃止する法律」が第61国会で可決成立、即日公布施行、純民間会社となる。
1969年
神港有機化学工業株式会社(現・連結子会社)を設立し、「酢酸エステル類」の一部製造を移管。
1969年
水島工場(岡山県)が完成し、塩化ビニル樹脂生産開始。
1969年
酢酸ビニル樹脂エマルジョン木材接着剤「アイカアイボン」のJIS表示許可(甚目寺工場)
1969年
積水化成品工業株式会社に商号変更、本店を奈良市に移転(ただし、本社事務所は大阪市に設置)滋賀県甲賀市に滋賀工場設置、発泡性ポリスチレンビーズの製造を開始
1969年
輸出貢献企業に認定され、通産大臣より表彰を受ける
1969年
関東珪曹硝子(株)、鹿島共同施設(株)設立に参加
1969年
日本で初めての血液バッグを発売し、日本の血液事業を支える
1969年
東洋プラスチック工業株式会社を解散。着色剤の生産機能を川越第二工場に移管。化成品研究所と包装加工研究所を統合し、技術研究所を開設。
1969年
IFA(国際フランチャイズ協会)に、日本初のメンバーとして入会国際フランチャイズ協会
1969年
コンピュータの高度利用に向けた広範な技術サービスの提供を目的として、東京都千代田区富士見町に資本金3百万円をもって株式会社インフォメーション・ディベロプメントを設立。
1969年
史上初の有人月面着陸を果たしたアポロ11号に、露出計「ミノルタスペースメーター」搭載1968年、米国の宇宙船アポロ8号に「ミノルタスペースメーター」が搭載されました。これは米航空宇宙局(NASA)から、当時当社が市販していた露出計「オートスポット1°」をアポロ計画向けに改良してほしいという依頼を受けて製造したものでした。この露出計は1969年に史上初の有人月面着陸を成し遂げたアポロ11号にも搭載され、世紀の宇宙開拓プロジェクトに貢献しました。
1969年
インドネシアジャカルタ市に合弁会社P.T.TANCHOINDONESIAを設立(現連結子会社 PTMANDOMINDONESIATbk)
1969年
上野工場(三重県上野市 現三重県伊賀市)を新設し、喜連工場を閉鎖
1969年
水洗トイレ用芳香洗浄剤「ブルーレット」を発売し、日用雑貨分野へ新規参入
1969年
静岡県小笠郡菊川町(現・菊川市)に動物研究所、生物研究所を設置、研究体制を整備。
1969年
Agricultural Chemicals (Malaysia) Sdn.Bhd.設立
1969年
米国にタイヤ販売会社「ヨコハマタイヤ・コーポレーション」設立
1969年
栃木県足利市に御厨工場(現・足利第二工場)を建設。
1969年
車輌内装材、硬質ウレタンシェル等産業資材の製造に着手。
1969年
九州バンドー株式会社(現社名:西日本バンドー株式会社)を設立
1969年
九州ノリタケ(株)設立(電子部品製造)
1969年
岡山工場大形圧延工場完成、H形鋼の生産開始。
1969年
(株)土佐電気製鋼所より同社高知工場の譲渡を受け、当社高知工場として生産開始。
1969年
共栄産業株式会社の株式の過半数を取得(2023年3月、同社の保有株式を売却したため、関係会社に該当しなくなりました)。
1969年
徳島工場設置、工業薬品工場完成(クロム塩類を製造)。
1969年
クリモトビルを新築して、本社を現在地に移転。
1969年
ニューヨーク、デュッセルドルフ、テヘランに事務所設置。
1969年
小名浜製錬所から安中製錬所へ焼鉱を長距離ピストン輸送する専用タンク貨物列車「東邦号」の運行開始
1969年
ペルー グランブレターニャ鉱山開発に着手
1969年
独自開発による電気分解式の銀リサイクル装置を設置
1969年
Crown Seal Company Limited(現Crown Seal Public Co., Ltd.)が東洋製罐グループに参加
1969年
世界で初めてアルミ箔を用いたレトルトパウチの生産を開始
1969年
加圧加熱殺菌が可能となり、世界に先駆けて開発・実用化をした常温流通ができる容器
1969年
大阪市西淀川区中島に大阪外島工場を建設(現大阪事業所)
1969年
(株)文化シヤッターサービスセンターを設立してアフターメンテナンス体制強化
1969年
富山県南砺市(旧福光町)に福光工場を竣工
1969年
富山軽金属工業株式会社(現射水工場)を設立
1969年
福岡営業所を福岡市博多区に開設(1974年2月支店に昇格。1989年10月福岡支店ビルを全面改築し、「NORITZビル福岡」と命名、同時にショールーム開設(2020年3月閉鎖))
1969年
名古屋営業所を名古屋市昭和区に開設(1974年2月支店に昇格。1991年11月ショールーム開設(2020年3月閉鎖))
1969年
大阪営業所を大阪市北区に開設(1994年3月支社に昇格。現在地は大阪市此花区、1990年7月ショールーム開設(2020年3月閉鎖))
1969年
菊池プレス工業株式会社:東京都西多摩郡羽村町(現東京都羽村市)に羽村工場を新設し、操業を開始
1969年
FTファスナーズ社(現TRW社)と、合成樹脂の留め具の技術提携。ばねメーカーとして、初めて樹脂ファスナーを製造。
1969年
太田工場を新設。(現在、群馬工場の分工場)
1969年
台湾に合弁会社友聯車材製造股份有限公司を設立。
1969年
本店所在地を東京都中野区から神奈川県中郡伊勢原町に移転
1969年
米国現地法人DISCO ABRASIVE SYSTEM INC.を設立
1969年
NITTO KOHKI U.S.A.を設立
1969年
石川県松任市(現 石川県白山市)に松任工場を新設
1969年
本社を東京都中央区日本橋本石町におく米国のゼネラル・エレクトリック社(以下、GE)が開発したNuclepore Membrane Filter(以下、メンブレン)の極東地区販売権を獲得
1969年
住友機械工業(株)と浦賀重工業(株)が合併して 住友重機械工業(株)となる
1969年
油圧モータHMA50Lを開発し、UH03M湿地用油圧ショベルに搭載
1969年
アーティキュレート方式のホイールローダWS100を発売
1969年
足立工場(東京都)と土浦工場(茨城県)を分離独立し、日立建設機械製造株式会社を設立
1969年
株式会社吉舎鉄工所を広島県双三郡吉舎町(現在三次市)に設立、自動車用鋳物製品の製造を開始。
1969年
新企業スローガン「ゆたかな人間環境つくり」制定。「コンバイン」の製造開始。農作業機械化の一貫体系を完成。
1969年
東京瓦斯(株) 向け 根岸LNG基地建設工事完成
1969年
商号を変更し、トーヨーカネツ株式会社となる。
1969年
新型ノンシールポンプを自社開発し、製造販売開始。
1969年
スイス ブス社のプラント用機器製作に関し同社との特約を締結。
1969年
旭化成工業・延岡ベンベルグ工場に日本初のコンピューターオンライン制御による自動倉庫「ラックビルシステム」を納入。
1969年
合弁会社、台湾油圧工業股有限公司(現 台湾油研股有限公司)設立
1969年
北海道地区の販売拠点として札幌市に札幌支店を開設。
1969年
細江工場(静岡県細江町)完成。集塵機等の公害関連機械及びタイムレコーダーを生産開始
1969年
国栄商事株式会社がグローリー商事株式会社(現 グローリー株式会社)に商号変更。
1969年
奈良県大和郡山市に郡山工場が完成し、ボールねじの生産を開始
1969年
名古屋市中村区にホシザキ東海株式会社(現 連結子会社)を設立。
1969年
大阪市天王寺区(現本社 大阪府大阪市中央区)にホシザキ京阪株式会社(現 連結子会社)を設立。
1969年
福岡市博多区にホシザキ北九株式会社(現 連結子会社)を設立。
1969年
大阪府八尾市に大阪事業所を新設。放電加工の受託業務を開始。
1969年
スウェーデンのベアリングメーカーSKF社と4年間にわたり業務提携。
1969年
岐阜県美濃市に岐阜製作所を開設し、岐阜工場(現第一工場 南棟)を竣工。
1969年
アトウッド・アンド・モリル社(現 ウィアーバルブ&コントロール社(米国))と電力業界向けバルブに関する技術提携契約を締結
1969年
ソフトウェア工場新設。青梅工場新設。大みか工場新設。日立建設機械製造株式会社(現日立建機株式会社)分離独立。
1969年
オフィスコンピューター<MELCOM83>発売、ベストセラーとなる
1969年
完全週休2日制を実施(製作所・研究所)
1969年
自販機の製造開始 牛乳用ショーケースベンダーの開発を皮切りに、自販機ビジネスへ進出。
1969年
SF6ガス開閉装置用ロータリアーク方式を開発
1969年
「メカトロニクス」の商標登録出願(登録は1972年)
1969年
小形産業用ロボット「システムハンド」開発
1969年
SEVCON社と技術提携(フォークトラック用電装品)
1969年
AEG社と技術提携(サイリスタ整流器・プロセッシングライン)
1969年
米国ヒグビー社と一重巻鋼管(シングルウォールチューブ)の製造技術援助契約締結
1969年
電池ドリル 6500Dを発売(充電式工具第1号)
1969年
東京証券取引所株式市場第一部に指定替)
1969年
初の海外現地法人TEC AMERICA,INC.を設立
1969年
台湾台北市の華淵電機工業股份有限公司(台湾マブチ)に資本参加し、香港マブチと並んで、世界市場に対するモーター供給体制を確立する。
1969年
世界最小の卓上電子計算機「CALCULET-1200」を発表。
1969年
ミニコンピュータ「OKITAC-4300」を発売
1969年
「セイコー クオーツアストロン 35SQ」 時計史に革命をもたらした、世界初のクオーツウオッチ
1969年
東京、大阪、名古屋に シャープ事務機販売株式会社を設立
1969年
ガリウム砒素負性抵抗発光素子(GND)を開発
1969年
MOS LSI採用の電卓マイクロコンペット 〈QT-8D〉発売
1969年
独自の送風機構を搭載したウインド形クーラー 「ホームランクール」AL-845C を発売
1969年
世界初の電子式キャッシュレジスター ECR22-45を開発
1969年
日本初の 防錆マーク (日本防錆技術協会の推奨品マーク)を電気洗濯機・電気冷蔵庫で取得
1969年
初の海外生産拠点として、台湾田村電子を設立。米国からの受注増に対応するための、労働力確保およびコスト削減が目的。
1969年
埼玉県川越市にタムラ精工株式会社を設立、鉄芯、その他の製造開始(2010年4月、当社へ吸収合併)
1969年
米国に販売拠点「Maxell Corporation of America」を設立
1969年
東北リオン株式会社(2010年3月清算結了)を設立
1969年
当社関係会社として東京都千代田区に日本ベンダーネット㈱を設立(2010年12月 全株式を譲渡し、当社関係会社より除外)
1969年
山武機材株式会社(現:アズビル株式会社)を設立
1969年
プラチナスシリーズ(低温恒温恒湿器・低温恒温器)を発売。
1969年
エルコー株式会社を設立(資本金250万円)
1969年
「ELCO」は「Electronics」で「Control」するものを事業の主柱に据えたいとの願いを込めて命名した。
1969年
メディカル分野への進出 テレビカメラを用いた瞳孔面積計測装置の開発
1969年
IC用リードフレーム・ DIP-17生産開始
1969年
鹿児島工場(現·鹿児島川内工場)を新設 米国現地法人Kyocera International, Inc.を設立 Kyocera International, Inc.
1969年
中之条工場を開設(群馬県吾妻郡中之条町)
1969年
キーボード工場(千葉県茂原市)を設置し、キースイッチ等の製造・販売を開始
1969年
アルミニウム電解コンデンサ工場として福井県大野市に大野工場(現ニチコン大野株式会社)を新設。
1969年
岩手県紫波郡紫波町に岩手工場(後にニチコン朝日株式会社)を新設。
1969年
台湾台北市に現地資本との合弁会社台湾電容器製造廠股份有限公司(アルミニウム電解コンデンサ製造)を設立。
1969年
アルミニウム電解コンデンサ用の電解箔製造のため、長野県南安曇郡穂高町(現安曇野市穂高)に穂高工場を設立。
1969年
小形電解コンデンサを量産するために、岩手工場(岩手県北上市、現ケミコン東日本株式会社岩手工場)を建設。
1969年
長野県下伊那郡鼎町に飯田工場を設置する
1969年
長野県下伊那郡阿南町に阿南興亜電工株式会社を設立し、抵抗器の製造を開始する
1969年
長野県下伊那郡阿智村に阿智興亜電工株式会社を設立し、抵抗器の製造を開始する
1969年
新菱建設は三菱建設(のちのピーエス三菱)と改称
1969年
北洋商会は山田商事を合併し、北洋商事となる
1969年
セントラルリース(のちのUFJセントラルリース)を設立
1969年
川崎重工業、川崎車輛、川崎航空機工業の合併。川崎重工業が川崎車輛と川崎航空機工業を吸収合併するという形で、3社の合併が実現
1969年
国産初の産業用ロボット「川崎ユニメート2000」誕生。川崎航空機工業が産業用ロボットを専門に開発しているアメリカのベンチャー企業ユニメーション社と1968年に技術導入契約を結んで国産化に着手
1969年
「ダットサン・フェアレディ」の後継車、「日産・フェアレディZ」登場。
1969年
パブリカ店の社名をトヨタカローラ店に変更
1969年
仕入先を含めたオールトヨタ品質総点検を実施
1969年
三菱重工業株式会社が自動車事業本部を港区芝に移転
1969年
4G3型(サターン)エンジンの生産を開始
1969年
トピーインターナショナル, INC. (現 トピーアメリカ, INC.)設立
1969年
子会社日本メクトロン株式会社(現:メクテック株式会社)を設立。
1969年
自動車マフラー専門工場として安城工場を新設
1969年
アメリカの「ボーグ・ワーナー」と「アイシン精機」の合弁により、オートマチックトランスミッション(AT)の専門メーカーとして「アイシン・ワーナー」を設立。
1969年
量産二輪車初の並列4気筒エンジンを搭載したドリーム CB750 FOURを発売。世界で初めて最高時速200km/hを突破し、今までにない数々の斬新なメカで、名実と共に世界一のバイクメーカーとなる。
1969年
汎用エンジンの第1号機「MT100」を発売
1969年
静岡県袋井市にヤマハテストコースを開設
1969年
佐鳥パイニックス株式会社(現連結子会社)を設立
1969年
山田商事株式会社(資本金1億円、本店:名古屋市)を合併、同時に商号を北洋商事株式会社に変更。
1969年
東京都北区滝野川六丁目51番3号に有限会社トウショウを設立
1969年
ブランド名「Daitron」を商標登録。
1969年
電子応用機器,計測器の量産専門工場として新東京計器株式会社を設立。
1969年
(株)東精エンジニアリングサービス(現(株)東精エンジニアリング)設立
1969年
第1回ニコン フォトコンテスト・インターナショナル(現 ニコン フォトコンテスト)作品募集
1969年
東京光学精機(株)(現、(株)トプコンオプトネクサス)を福島県田村郡に設立
1969年
世界初のマイクロカセットテープレコーダー「ズイコーパールコーダー」を発表
1969年
一眼レフカメラ用交換レンズ・テレビ用レンズ・電子複写機用レンズ等 を生産開始
1969年
キヤノンカメラ販売設立、国内のカメラ販売体制を強化
1969年
カメラの生産工場として福島キヤノン設立
1969年
長野リズム株式会社設立(長野県上伊那郡箕輪町)
1969年
シチズン時計株式会社と商標の相互使用に関する基本契約を締結
1969年
延伸テープ製造工場を増設し、日本において最も進歩したフラットヤーン設備で稼動開始
1969年
シドニー駐在員事務所とフランクフルト駐在員事務所を開設
1969年
四国大日本印刷を設立(現 DNP四国)
1969年
ボーカルアンプシステム(PA機器)発売
1969年
兵庫県龍野市に関西工場(現龍野工場)を新設し、西日本地区への供給拠点とする。
1969年
当社台木部門から独立し、株式会社ミロク銃床を設立(1999年8月に株式会社ミロク精工に商号変更。 現 株式会社南国ミロク)
1969年
本社新社屋完成、執務空間を一般に公開するライブオフィスの取り組みを開始
1969年
コクヨ専門代理店を「総括店」に名称変更
1969年
泡を利用したパールトイレ(泡洗式簡易水洗便器)を開発、発売。
1969年
4月、熱ポンプ工業株式会社から、ネポン株式会社と改称。
1969年
大阪本社新社屋が竣工。「創業100年記念新社屋完工披露パーティ」を開催。
1969年
宅地建物取引業法により宅地建物取引業者として建設大臣免許(1)第166号を取得(以後3年ごとに免許更新。1996年より5年ごとに免許更新)。
1969年
オーストラリア・マウントニューマンからの鉄鉱石出荷開始。
1969年
三井グループ17社により三井石油開発設立。
1969年
テルトロン(株)を設立し、カーステレオOEM輸出販売を開始
1969年
世界初のクオーツウオッチ「クオーツアストロン」発売。
1969年
5スポーツスピードタイマー6139(垂直クラッチ機構とコラムホイールを同時に搭載した世界初の自動巻クロノグラフ)発売。
1969年
株式会社福井情報処理センター(現 三谷コンピュータ株式会社・現 連結子会社)設立
1969年
販売先ネットワーク「ユアサやまずみ会」発足
1969年
富沢製作所(群馬県館林市 現ニプロ医工 )に資本参加し、注射針の生産を開始。
1969年
日本で初めてホースのいらない卓上こんろ「イワタニホースノン・カセットフー」発売開始
1969年
東京都日野市に研究所を設置し、泡消火剤、防かび剤、防錆剤等の開発製造販売に着手
1969年
千葉グラスロン販売(現 東京グラスロン)の設立に参加
1969年
(株)あおばガスセンター[東北ミツウロコ(株)]設立
1969年
四日市電算機センター[(株)アイコン]設立
1969年
サンリオグリーティング株式会社設立。グリーティングカードの企画販売業務を開始。
1969年
東洋キヤリア工業株式会社(現、東芝キヤリア株式会社)とのディストリビューター契約を締結。(現、サンワトリニティ株式会社(山田空調株式会社から名称変更)へ継承)
1969年
群馬県太田市に、三益産商株式会社 太田営業所を開設
1969年
研磨部を分離独立し、半導体シリコンウエハーの鏡面研磨加工を目的として、群馬県群馬郡群馬町(現 高崎市足門町)に三益半導体工業株式会社を設立
1969年
群馬県群馬郡群馬町(現 高崎市足門町)に、三益半導体工業株式会社 第二工場を建設
1969年
(株)都築シーイーセンター設立(現都築テクノサービス(株))
1969年
福岡市大字那珂に新本社・工場(ロイヤルセンター)が完成、全部門を移転
1969年
玉川店開店 (日本初の本格的郊外型ショッピングセンター)
1969年
(株)岡田屋、フタギ(株)、(株)シロの3社共同出資で共同仕入機構「ジャスコ株式会社」を設立。授権資本金6億円、払込資本金1億5000万円
1969年
三菱商事(株)と折半出資でディベロッパー会社の(株)ダイヤモンドシティを設立
1969年
伊藤忠商事株式会社・株式会社第一銀行(現、株式会社みずほ銀行)・日本生命保険相互会社・朝日生命保険相互会社の4社の共同出資により、資本金500百万円でセンチュリー・リーシング・システム株式会社を設立。
1969年
大手メーカーと提携し、債権買取業務(ショッピングクレジット)を本格的に開始。
1969年
ノムラ・セキュリティーズ・インターナショナルInc.、ボストン証券取引所の会員権を取得
1969年
三井不動産販売株式会社(現・三井不動産リアルティ)設立。
1969年
「赤坂パークハウス」分譲(マンション事業に進出)
1969年
バンコクに現地法人・タイ住友タニヤ不動産を設立
1969年
「伊豆一碧湖別荘地」分譲(静岡県伊東市)
1969年
(株)岡田屋、フタギ(株)、(株)シロの3社共同出資で共同仕入機構「ジャスコ株式会社」を設立。授権資本金6億円、払込資本金1億5,000万円
1969年
三菱商事(株)と折半出資でディベロッパー会社の(株)ダイヤモンドシティを設立
1969年
玉川線(三軒茶屋~下高井戸間)を世田谷線に名称変更
1969年
自動車業営業開始(新宿~桃源台・新宿~元箱根間)
1969年
中央高速バス富士五湖線(新宿~富士五湖間)運行開始(2012年子会社に移管)
1969年
東名高速道路浜名湖サービスエリアに浜名湖近鉄レストラン開業
1969年
京都線京都~東寺間の線路を連続立体交差事業により高架へ切替え
1969年
鳥羽線宇治山田~五十鈴川間運輸営業開始
1969年
第一貨物自動車株式会社(現・第一貨物株式会社)と東北方面の連絡運輸業務提携開始
1969年
近海、内航部門を近海郵船株式会社に委譲
1969年
当社初、自動車船兼ばら積船「第五とよた丸」が竣工
1969年
NYK Line(Hong Kong)Ltd.、NYK(Thailand)Co.Ltd. 設立
1969年
日本初のLNG船「ポーラアラスカ」根岸に入港
1969年
富士海事(株)(海外売船業)の設立に参加
1969年
全機種の機体塗装をモヒカンルックに決定
1969年
貨物自動車運送業の免許取得、コンテナのトラック輸送開始
1969年
横浜大黒橋(現鶴見営業所)2号配送センター新設
1969年
東大阪流通団地に大阪支店東大阪営業所開設
1969年
内航海運業務を分離し、上組海運株式会社を設立。
1969年
睦海運株式会社、中央運輸株式会社の2社を吸収合併
1969年
ラジオカー TBS950が初出動(現在はTBS954)
1969年
(社)日本証券業協会東京店頭売買銘柄に登録。
1969年
KDD、山口衛星通信所開所。対欧間に衛星回線開設
1969年
「日本近代文学大系」(全60巻)発刊。
1969年
(有)西日本写真製版を(有)ゼンリン印刷に改称
1969年
当社初の揚水式発電所である新成羽川発電所(出力30.3万kW)が全面運転開始
1969年
新潟火力発電所4号機(25万kW)運転開始、水力・火力比率逆転(水力:48.6%、火力:51.4%)
1969年
大分発電所1号機(石油、25万kW)運転開始 当社初の重油専焼火力発電所
1969年
アラスカよりLNG(液化天然ガス)導入開始
1969年
本社を大阪市港区弁天6丁目4番6号へ移転。
1969年
商号を株式会社イチネン(現:株式会社イチネンホールディングス)に変更。
1969年
自動車リース業・自動車整備業・損害保険代理業を開始。
1969年
札幌市北区において受託臨床検査を目的として資本金130万円にて株式会社第一臨床検査センターを設立。
1969年
大阪府大阪市東区北浜(現 大阪府大阪市中央区北浜)に住商コンピューターサービス株式会社を設立
1969年
「SPアラーム」が108号連続射殺魔事件の犯人逮捕のきっかけを作り脚光を浴びる。9月にはこの功績に対して、西独(当時)ミュンヘン市で開催された国際警備連盟でゴールドメダルが授与される。
1969年
建設業者登録(都知事登録から建設大臣登録に変更)
1969年
「TKCトータルシステム」完成および著作権登録
1969年
大阪市東区(現:中央区)に、(株)日本システムディベロップメントとして設立
1969年
商号を新日本気象海洋株式会社に変更、環境調査業務を開始
1969年
高校生向け通信教育講座「通信教育セミナ」を開講(現「進研ゼミ高校講座」)
1969年
1969年の日本グランプリに出走したレーシングカー「カーマンアパッチ」を共同開発
1969年
日本初のホームセンターとして、益田市に「ハウジングランド順天堂駅前店」を開店
1969年
名古屋営業所(現 名古屋支店)を開設(中部地区へ進出)
1969年
株式会社愛知ミドリ十字(現:株式会社エス・ディ・ロジ)の全株式を取得(現・連結子会社)