1943年
東鹿越採石所(1951年4月 東鹿越鉱業所に改称)を開設
1943年
鉄道の保持・強化を目的に、当時の鉄道省の要請により、関東地方の建設業者が企業合同し、国策会社「東京鐵道工業株式会社」として、丸の内1丁目1番地に設立
1943年
上條唯雄が秋田県花輪町において「上條防水工業所」を創業
1943年
商号を大阪電気鉄管工業株式会社に変更。
1943年
ビール銘柄商標廃止を決定、こののちラベルは「麦酒」に統一される
1943年
麒麟麦酒、麒麟科学研究所(現・キリンホールディングス株式会社キリン中央研究所など)開設
1943年
株式会社天龍舘は、株式会社養命酒本舗天龍舘を吸収合併。
1943年
中部ガス株式会社設立(豊橋瓦斯株式会社と浜松瓦斯株式会社の合併により誕生)
1943年
日本綿花株式会社が日綿實業株式会社に商号変更。
1943年
株式会社岩井商店が岩井産業株式会社に商号変更。
1943年
太平洋戦争により原料の入手が困難となり、この頃、「キユーピー マヨネーズ」の製造を休止
1943年
水産物の買入・販売並びに製氷・冷蔵・凍結事業を開始。
1943年
戦時統制下における蚕糸業の衰滅に伴い、商号を「神栄實業株式会社」に変更。
1943年
電機部品分野に進出し、コンデンサの製造を開始。
1943年
トヨタ自動車工業株式会社(現・トヨタ自動車株式会社)に合併
1943年
石川県小松市京町において絹・人絹織物の精練・染色加工を行う小松織物精練染工株式会社(資本金100万円)を設立。
1943年
「大王製紙株式会社」設立(14工場が合同合併し設立)
1943年
「高度紙」がコンデンサ用セパレータとして販売される
1943年
日本鉱業株式会社と合併、同社の化学部門となる
1943年
海運業を日本海運株式会社に譲渡し、石原産業株式会社に社名変更
1943年
電解ソーダ(苛性ソーダ、塩素、水素) 生産開始
1943年
青柳工場(大日本紡績より現物出資)、探照灯カーボン生産開始 (1945年 生産中止)
1943年
帝国染料製造株式会社、山川製薬株式会社を合併。
1943年
鐘淵紡績株式会社の傘下に入り、鐘淵油脂工業株式会社と改称。
1943年
凸版印刷富士工場敷地内に「富士分工場」を設置し、証券用インキを供給。
1943年
大江山ニッケル工業(株)を合併し、ニッケル鉱石の採掘並びにフェロニッケル製錬事業を継承
1943年
大江山の岩滝製錬工場を岩滝製錬所と改称
1943年
後藤鍛工(株)を設立し後藤安基氏が代表取締役に就任
1943年
昭和鉱業(株)から日比製煉工場(現日比製煉所)および竹原電煉工場(現竹原製煉所)を買収し、日比製煉所を設置
1943年
関東通信金属株式会社と商号を変更する。
1943年
社名を株式会社大阪航空電気製作所と改称
1943年
株式会社菱備製作所(現リョービ株式会社)を設立
1943年
扶桑軽合金株式会社を設立、ダイカスト製品、アルミニウム砂型鋳物の製造を開始
1943年
東罐化学工業株式会社(現東罐興業株式会社)設立
1943年
株式会社駒井鐵工所(資本金60万円)を設立
1943年
現在地に資本金170万円をもって、航空機用エンジンの弁ばね用高級鋼材を製造する目的で、三興線材工業株式会社として設立
1943年
豊田病院(現医療法人豊田会 刈谷豊田総合病院の前身)開設。
1943年
国産ブルドーザーの原型「小松1型均土機」を製作
1943年
社名を山越機械株式会社と改称。足利工場を操業開始
1943年
旧日本海軍の指定工場となり、コンプレッサ大量納入。東京支社開設。
1943年
名古屋市に 「日本航空電機株式会社」として設立、資本金1000万円
1943年
株式会社に改組し、名称を「東京重機工業株式会社」(旧社名)と改称
1943年
福岡県行橋市に行橋工場を新設し、素材から完成品までの一貫生産を確立した。
1943年
本社を西大崎一丁目から西五反田五丁目に移転
1943年
理研真空工業株式会社を吸収合併、茂原工場増設。
1943年
時局の要請により、北野電気工業株式会社と改称
1943年
富山県大沢野町に北陸電気科学工業(株)を創立し、本社及び皮膜工場を設立(資本金15万円)し、炭素皮膜固定抵抗器の製造販売を開始
1943年
向島船渠株式会社(現向島工場)及び原田造船株式会社(元大浪工場)を吸収合併
1943年
旧海軍の要請により彦島工場を三菱重工業株式会社に譲渡
1943年
三菱社は三菱本社と改称、分系会社の統理助長、関係会社の育成を図る旨を表明する
1943年
三菱本社社長より政治に関与せざることを各社に通達
1943年
上海および京城府(現在の韓国・ソウル特別市)の支店を廃止。
1943年
刈谷工場のゴム部門、国華工業(株)と合併し、同社の名古屋工場(現豊田合成(株)の前身)として発足
1943年
川崎航空機と共同出資で、東海飛行機(株)(現アイシン精機(株)の前身)を設立
1943年
三菱重工業株式会社が水島航空機製作所(現、水島製作所)を設立
1943年
大阪府大阪市生野区にて金属加工業を目的に松岡精工所を創業
1943年
宮製鋼所と東京シヤリングが合併し、東都製鋼株式会社に変更
1943年
「東海航空工業」を設立直後に「東海飛行機」へ社名変更、航空用エンジンの生産を目指すが陸軍の方針転換により頓挫。
1943年
北國銀行設立(加能合同、加州、能和の三行合併)
1943年
日本製鐵株式会社(現日本製鉄株式会社)八幡、戸畑製鉄所に各種オイルシールを納入、産業界への参入を図る
1943年
大日本スクリーン製造株式会社設立、社長に石田敬三就任
1943年
日本金属衛帯工業株式会社を吸収合併し、燃料工業用金属ガスケットの製造を開始。
1943年
静岡布帛工業株式会社(資本金198千円)を設立
1943年
港湾運送業統制令により、株式会社楢崎商店の主たる営業の港湾運送業が室蘭石炭港運株式会社に吸収統合されたので、港湾運送業を中断し、楢崎商事株式会社と合併して、楢崎産業海運株式会社を設立
1943年
丸越と合併、株式会社大和(金沢、武蔵、新潟、富山、福井、高岡、清津、計7店舗 資本金3,100千円)を金沢市片町に設立。
1943年
埼玉県下4銀行が合併し、株式会社埼玉銀行を設立
1943年
株式会社三井銀行、株式会社第一銀行と合併し株式会社帝国銀行となる
1943年
千葉合同銀行・小見川農商銀行・第九十八銀行が合併し、千葉銀行創立(初代頭取に古荘四郎彦就任)
1943年
上伊那銀行、佐久銀行、信州銀行の営業譲り受け
1943年
十二・高岡・中越・富山の前身4行合併により「㈱北陸銀行」設立
1943年
千葉合同無尽株式会社を設立(設立日3月31日)
1943年
藤本証券(株)、(株)日本信託銀行と合併し、大和證券(株)設立
1943年
下野電気鉄道(株)を買収(現鬼怒川線)
1943年
(当社)横浜~海老名間、相模国分~厚木間の鉄道営業を行っていた神中鉄道(株)を吸収合併
1943年
福岡県下バス事業の統合(1944年7月まで)
1943年
大阪鉄道㈱(阿部野橋~橿原神宮 (現:橿原神宮前) 間、古市~河内長野間および道明寺~柏原間)を合併
1943年
奈良県下におけるバス事業を奈良交通㈱に譲渡
1943年
富山県礪波市に「礪波運輸株式会社」として発足
1943年
九州瓦斯株式会社(供給区域小倉、門司、八幡、若松、戸畑及び島原の各市)を吸収合併。
1943年
新潟瓦斯(株)・長岡瓦斯(株)・三条瓦斯(株)三社合併
1943年
日本初のフルセルアニメーション『くもとちゅうりっぷ』公開
1943年
松竹動画課を松竹動画研究所に改称 大阪松竹少女歌劇団を大阪松竹歌劇団(OSK)に改称
1943年
東宝映画(株)を合併し、映画の製作、配給、興行および演劇興行の総合的一貫経営を行うこととなり、社名を東宝(株)に改称