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各企業の年別活動

各企業における1984年での活動

Year
[証券コード]会社名
活動内容
1984年
冷凍食品・チルド食品の製造を目的にキョクヨーフーズ株式会社(現:連結子会社)を設立
1984年
大規模海外プロジェクト イラクハイライズ 竣工
1984年
鹿島リース株式会社(現連結子会社)を設立
1984年
新潟支店を北陸支店に改称。
1984年
タイ大豊株式会社(子会社)を設立。
1984年
泥土加圧シールド工法の特許登録。
1984年
定款の事業目的に海上運送事業、陸上運送事業等を追加
1984年
鳴尾技術センター(現 鳴尾研究所)開設
1984年
北陸支店開設。
1984年
住友林業ホーム株式会社と住友林業住宅株式会社を対等合併(新商号:住友林業ホーム株式会社)。
1984年
ニュージーランドにおいてMDF(中密度繊維板)製造・販売を目的とする合弁事業開始(現 Nelson Pine Industries Ltd.<連結子会社>、1990年(平成2年)6月に株式会社に改組)。
1984年
中国(上海市)に駐在員事務所開設
1984年
ソレタンシュ社と恒久性地盤改良工法「シラクソル」の技術提携契約
1984年
株式会社関電工に商号変更
1984年
関工不動産管理(株)(現、(株)ケイアセットマネジメント)を設立
1984年
合弁会社キンデンコウ(タイランド)・カンパニー・リミテッドを設立(タイ)
1984年
原子力の技術開発体制の充実強化のため「大洗原子力技術開発センター」を茨城県大洗町に設置
1984年
仏国スタインハーティ社と一体形カテナリ焼鈍炉、アルミビレット用WB加熱炉に関する技術供与契約調印
1984年
米国MR社とUASに関する技術供与契約調印
1984年
タイタカサゴCo., Ltd.を設立(現・連結子会社)
1984年
厚木市に総合研究所新設(2014年4月 技術研究所に改称)
1984年
販売本部を新設 民需市場向け販売体制を強化
1984年
国内拠点本部を新設 事業の全国網展開を強化
1984年
VANシステム工事が本格化
1984年
有限会社八千代地域新聞社(出資金2,000千円)を設立
1984年
「地域新聞」八千代台版を創刊
1984年
本社を東京都葛飾区柴又六丁目13番1号に移転
1984年
(株)関西ヤマザキが(株)イート食品(現(株)高知ヤマザキ)の株式を取得
1984年
(財)食品科学振興財団設立(2013年4月に公益財団法人に移行し、(公財)飯島藤十郎記念食品科学振興財団に名称変更)
1984年
タイ国に現地法人との合弁会社THAI YAMAZAKI CO.LTD.設立
1984年
熊本工場竣工稼働(当時(株)関西ヤマザキ熊本工場)
1984年
伊勢崎工場竣工稼働
1984年
大阪証券取引所および東京証券取引所市場第一部指定。
1984年
「カラムーチョ」発売
1984年
世界初の馬鈴薯輸送船「カルビーポテト丸」就航
1984年
リプトン社(現ユニリーバ・ジャパン・ビバレッジ社)と商標の使用契約を締結
1984年
中央研究所開設
1984年
日本ドライフーズ(株)を設立し、フリーズドライ事業に進出(現在は宝幸(株)にて事業継承)
1984年
「チキンナゲット」発売
1984年
テレビ・ラジオなどのマス媒体を使って「甲子園の味」ブランドおよび「こてっちゃん」広告活動を開始
1984年
業界初の合同企業セミナー「就職博」初開催
1984年
株式会社システムプロに商号変更
1984年
OA機器トータルサポート事業開始
1984年
パソコン研修事業開始
1984年
メンテナンスサービス事業開始
1984年
今では当たり前のPC教室やサポートも率先して開始
1984年
株式会社二番工房を傘下に加え、CM制作事業を拡大
1984年
東北新社においてCG制作事業を開始
1984年
ナショナルインテリアがJAB社と代理店契約を締結
1984年
コアネットインタナショナル株式会社を設立しVAN事業に参入
1984年
北京核軟件有限公司(北京コア)設立
1984年
グローバル展開を開始
1984年
本格的に映像サービス事業を開始。
1984年
米国にSAPPORO U.S.A. INC.を設立
1984年
財団法人アサヒ生活文化研究振興財団設立(現アサヒグループ学術振興財団)
1984年
スポーツクラブ運営会社、株式会社キリンプラザ設立(2007年株式譲渡)
1984年
商号をダイドードリンコ株式会社に変更。
1984年
缶内の酸素除去により、緑茶の品質を保持する「TーNブロー製法」を確立し、「缶入り煎茶(「お〜いお茶」の前身)」の開発に成功
1984年
株式会社ゴルフジョイ設立
1984年
沖縄県宜野湾市に大山流通センターを新設
1984年
米国オフィスをサンフランシスコに移転
1984年
衣料品小売の一部門として株式会社ピー・エム・ピー(
1984年
テクノシステム株式会社設立
1984年
南船場に「丸天家」をオープン
1984年
難波に寿司家「百歳」オープン
1984年
心斎橋にもんじゃ焼「えびす」をオープン
1984年
難波に串揚げ「恵比寿亭」をオープン
1984年
キッチンバー「25・バンサンカン」をオープン
1984年
イタリアンレストラン「チャンピーニ」をオープン
1984年
回転寿司1号店「祭寿司」をオープン
1984年
KSPシンガポール工場グランドオープニング
1984年
第2回「日米食品流通シンポジウム」開催(東京)
1984年
甘味料「Pal Sweet® 1/60」発売
1984年
アメリカにてハートランドリジン社(現、味の素ハートランド社)設立
1984年
日本で初めてノンオイルドレッシングを製造・販売 日本初のノンオイルドレッシング 「ジャネフ ノンオイルドレッシング」発売
1984年
子会社(株)エイチ・アイ・イー(現ハウスビジネスパートナーズ(株))設立。
1984年
新1リットルパックの烏龍茶、はと麦茶、自然水発売 トルコ、タット社と技術供与契約
1984年
事業目的に医薬品、医薬部外品及び試薬の製造・売買、種苗の生産及び売買を追加。
1984年
ロサンゼルスオリンピック公式麺製品に認定。
1984年
香港タイポー地区に日清食品有限公司を設立。
1984年
岩国機能膜工場、人工腎臓用中空糸膜本格生産開始
1984年
英文社名をNisshinbo Industries, Inc.に変更
1984年
「アップライズ」設立(~2010)
1984年
精密ろ過部門へ進出
1984年
フレームラミネート加工事業へ進出
1984年
堺連絡所(現営業所)開設
1984年
自社ビル完成
1984年
ジャスコ株式会社(現イオン株式会社)の100%出資の居酒屋フランチャイズの企業として、東京都千代田区神田錦町1丁目1番地に設立する
1984年
直営1号店として高田馬場店を開店その後、神田店、市ヶ谷店、都立大学店を順次開店し、実験店舗として営業する
1984年
加古川市にショッピングセンター「ニッケパークタウン」を建設、賃貸開始
1984年
「東急不動産ローン保証(株)」設立
1984年
「(株)東急住生活研究所」設立
1984年
日本ベルクロ株式会社を吸収合併
1984年
市川毛織商事 (株)全額出資により、米国現地法人、 イチカワ・アメリカ・インコーポレーテッドを設立。
1984年
大阪府豊中市に1号店(屋号:すし太郎)を出店
1984年
大阪府豊中市に、株式会社すし太郎(屋号:すし太郎→その後の屋号:スシロー)を設立
1984年
(株)システム トウエンティ・ワン(現 エム・アール・アイリサーチアソシエイツ(株))を設立し、ソフトウェアの開発及びこれに関わる調査・分析事業を拡大。
1984年
水道料金システム「Warms」の提供開始
1984年
ニチメン株式会社(現双日株式会社)の営業部門の戦略子会社として東京都中央区に「ニチメンデータシステム株式会社」を設立
1984年
砺波製紙(株)と合併、二塚工場が当社工場となる二塚工場、DIP設備(II系)完成
1984年
川内工場、連続蒸解釜完成
1984年
砺波製紙(株)と合併、二塚工場が当社工場となる二塚工場、DIP設備(II系)完成
1984年
川内工場、連続蒸解釜完成
1984年
砺波製紙(株)と合併、二塚工場が当社工場となる二塚工場、DIP設備(II系)完成
1984年
川内工場、連続蒸解釜完成
1984年
株式が大阪証券取引所市場第一部に昇格
1984年
稲畑産業株式会社との間で住友製薬株式会社を設立(同年営業開始)。
1984年
シンガポール石油化学コンビナート操業開始。
1984年
大阪工場にてシリコンウェハー再生事業に着手
1984年
化学薬品の販売を主目的とし、当社100%出資のテイカ商事株式会社を設立
1984年
直鎖状低密度ポリエチレン(L-LDPE) 生産開始
1984年
多結晶シリコン事業進出
1984年
高純度多結晶シリコン製造開始
1984年
宇部工場に有機フッ化物の多目的製造設備完成
1984年
八フッ化プロパン製造開始
1984年
信越半導体、白河工場完成
1984年
信越半導体「シンエツハンドウタイ・ヨーロッパ社(U.K.)」を設立
1984年
リチウム・タンタレート(LT)を開発
1984年
ニューテックス株式会社を設立
1984年
米国(オクラホマ州)に子会社WOODWARD IODINE CORPORATIONを設立
1984年
三宝工場に半導体用高純度フッ化水素酸クリーンプラント(PAS-Ⅰ)完成
1984年
アモルファスシリコン太陽電池を開発、滋賀工場で企業化
1984年
超耐熱性ポリイミドフィルム「アピカル」を開発、滋賀工場で生産開始
1984年
カネカテキサスにMBS樹脂プラント完成・稼働
1984年
MITSUBISHIGASCHEMICALAMERICA,INC.(現連結子会社)設立
1984年
三井石油化学工業 チバ・ガイギーと日本アルキルフェノールを設立
1984年
感光性樹脂版専用工場として山梨工場を開設。
1984年
OFPR-5000(超LSI用ポジ型フォトレジスト)を開発。
1984年
プロセス機器工場(相模第二工場内/現 湘南事業所)竣工。
1984年
阿蘇工場を開設。
1984年
本社を大阪市東区(現・中央区)に移転し、大阪営業所を統合する。
1984年
米国にDaicel(U.S.A.)Inc.を設立
1984年
ドイツにDaicel (Europa) GmbHを設立
1984年
宇都宮工場開設。
1984年
水素化ニトリルゴム「ゼットポール」の生産を高岡工場で開始。
1984年
メラミン化粧板「アイカカラーシステム105」発売
1984年
株式会社アイホー設立
1984年
アイカ電子株式会社設立(岐阜県恵那郡山岡町馬場山田字和田1465番地2)
1984年
シンガポール事務所(現 ノムラ・リサーチ・インスティテュート・アジア・パシフィック)を開設
1984年
ロサンゼルスオリンピックの開催に協力
1984年
米・ヤング・アンド・ルビカム社と国際営業ネットワーク「DYR」を設立
1984年
リンゴ酸誘導体の応用開発技術が高く評価され、科学技術庁長官賞を受賞 ・福知山工場 第1期工事(PTBBA大型製造プラント)完成
1984年
本社工場を神奈川県愛甲郡愛川町に移転
1984年
化合物半導体材料としての高純度三塩化砒素の供給を開始
1984年
名古屋営業所(現:名古屋支社)を開設
1984年
アメリカにMETAL COATINGS INTERNATIONAL INC. (現 NOF METAL COATINGS NORTH AMERICA INC.)設立
1984年
同社はフランスのDACRAL S.A. (現 NOF METAL COATINGS EUROPE S.A.)を同時に子会社化
1984年
環境に配慮して、平型水銀体温計の生産を中止(包装工程は1985年3月20日をもって終了)
1984年
合名会社別府温泉化学研究所を買収し、大分工場として注射薬の製造開始
1984年
現像型ソルダーレジストインキの開発に成功、販売を開始
1984年
東北事業所を福島県郡山市に開設。
1984年
京都府熊野郡(現:京丹後市)に「リゾーピア久美浜」を開業
1984年
大分県別府市に「リゾーピア別府」を開業
1984年
技術計算・エンジニアリングサービスを主たる目的として株式会社菱友システム技術を設立
1984年
日本語リレーショナルデータベース管理システム「MRDB Ver.1」を発売
1984年
会員数500社、ポス席248席に。
1984年
PC用CADソフト『PC-CAD』発売
1984年
CAD事業に進出
1984年
大塚システムエンジニアリング(現:OSK)設立
1984年
「有限会社アクセス」設立
1984年
初の民間衛星放送会社「日本衛星放送(現WOWOW)」設立
1984年
研究設備の増設と充実を目的として、大阪市旭区に大阪研究所を開設。
1984年
コンパクトディスク用超高精度非球面プラスチックレンズを開発カメラの非球面プラスチックレンズ技術を活かし、世界で初めてコンパクトディスク(CD) プレーヤーに内蔵される非球面プラスチックレンズを開発、1984年にはCDプレーヤーメーカーに供給を開始しました。その後、各種光ディスクにも用途を拡大、CD・DVD・ブルーレイを1枚のレンズで対応できるマルチディスク対応も開発し、この分野は世界でトップシェアを誇る事業に成長しています。
1984年
世界初の無水洗ミニラボシステム「サクラナイスプリントシステム」発売
1984年
暗所での画像保存100年を実現するカラー印画紙「サクラカラー百年プリント」発売
1984年
植物の発育状況をサンプル採取することなく測定できる、葉緑素計「SPAD-501」発売
1984年
バイオヒアルロン酸の量産化に成功
1984年
女性化粧品分野に進出するためピュセルブランドを発売
1984年
研修センター(大阪市都島区)を開設
1984年
フィールドパーソン戦略スタート(一期生入社)
1984年
ファンケル美容研究所を子会社化し、化粧品の自社生産体制を確立
1984年
情報誌「エスポワール」創刊
1984年
タイランドにKOSÉ(THAILAND) CO., LTD.を設立
1984年
台湾に台湾高絲股份有限公司を設立
1984年
「オルビス株式会社」設立 通販事業開始
1984年
アプロード発売
1984年
東京工場閉鎖
1984年
カナダにタイヤ販売会社「ヨコハマタイヤ・カナダ」設立
1984年
コーポレート・アイデンティティの考え方を取り入れ、新しい理念を導入
1984年
社名を「株式会社ブリヂストン」に変更するとともに新しいコーポレートシンボルを採用
1984年
英独仏の6工場およびタイヤ技術中央研究所を買収
1984年
事務機器向け精密部品事業参入
1984年
バンドートレーディング株式会社を設立
1984年
株式会社バンテックを設立
1984年
第2回物上担保附転換社債(30億円)を発行
1984年
航空機内装用ハニカムサンドイッチパネル製造開始
1984年
プリント配線板用ガラスクロス製造設備新設
1984年
浜松工場を閉鎖
1984年
NGKエレクトロニクスを設立
1984年
ナトリウム硫黄電池用ベータアルミナの研究を開始
1984年
米国特殊陶業(株)を存続会社とし、米国特殊陶業(株)・米国NGKスパークプラグ(株)・米国NGKスパークプラグ製造(株)の3社を合併
1984年
(株)可児セラミック設立
1984年
台湾NGKスパークプラグ(株)設立
1984年
(株)飯島セラミック設立
1984年
岐阜県土岐市鶴里町に土岐工場を新設
1984年
FUJIMI CORPORATIONを米国イリノイ州に設立
1984年
東京製造所を閉鎖
1984年
大阪製造所、70トン電気炉・第3連続鋳造設備を新設
1984年
九州工場大形圧延工場完成、大形H形鋼、ユニバーサル・プレートの生産開始。
1984年
中部地区での拠点拡充のため、第一製鋼(株)(愛知県海部郡)の経営権を取得
1984年
大阪工場に連続式塗装設備一基を新設。
1984年
大阪市に株式会社アラシン(現ヨドコウ興産株式会社)を設立。
1984年
NKリング販売開始
1984年
直江津工場、富山工場、習志野工場を分離し、鋳鋼部門、鍛鋼部門、機械部門をそれぞれ大平洋特殊鋳造株式会社、大平洋製鋼株式会社、大平洋機工株式会社に営業譲渡
1984年
札幌工場を新設し、軽量鋼管の製造を開始。
1984年
南港製品センターを開設し、ダクタイル鉄管の物流センターとする。
1984年
ロサンゼルス駐在員事務所を開設。
1984年
グループの建材事業を統合し、「新日軽(株)」を設立
1984年
ポリシリコン工場の第一期完成
1984年
会社更生手続終結。
1984年
北陸金属工業株式会社より黄銅棒事業の全部譲渡を受け、砺波工場とするとともに、商号をサンエツ金属株式会社に変更する。
1984年
タイに現地法人「Fujikura(Thailand)Ltd.」を設立
1984年
メッキ分野からの貴金属リサイクル事業を開始
1984年
株式会社 横河技術情報設立
1984年
東京証券取引所市場第二部に上場
1984年
本社を本店に、東京本社を本社に改称
1984年
昭和フロント販売株式会社(現:昭和フロント株式会社)にてストアフロントの販売を開始
1984年
オーニングや各種テントの製造販売を行う(株)テンパル設立
1984年
新日軽株式会社設立
1984年
株式会社アイフルホーム(のちの株式会社アイフルホームテクノロジー)を設立
1984年
大阪証券取引所市場第2部に上場
1984年
高松営業所(現四国支店)を開設
1984年
アメリカ・オハイオ州に、菊池プレス工業株式会社、高尾金属工業株式会社、株式会社ヒラタ、株式会社本郷、American Honda Motor Co.,Inc.の5社合弁でK・T・H Parts Industries,Inc.を設立
1984年
電子回路検査機器用プローブの設備投資を行い生産開始
1984年
平田プレスエ業株式会社及び株式会社本郷製作所がアメリカ合衆国オハイオ州のケー・ティ・エイチ・パーツインダストリーズ・インコーポレーテッド(現:連結子会社)設立に資本参加(現在までに、北米に計5拠点を設ける)
1984年
東京証券取引所市場第2部に株式を上場
1984年
カーセンサーを創刊 中古車売買の専門情報誌を創刊。それまで販売店に足を運んで選ぶしかなかった中古車選びを、家に居ながら比較検討できるものに変える。当時の新入社員研修プログラムで提案されたアイデアから生まれた事業。
1984年
米国に販売会社OKUMA MACHINERY INC.設立。
1984年
相模工場に射出成形機工場完成
1984年
台湾・三重市に現地法人アマダ台湾を設立
1984年
ドリルの製造を開始
1984年
CAD/CAM技術と薄板の酸素プラズマ切断技術を駆使した空調ダクト加工システムを日本で初めて製品化・販売する。
1984年
ダクト業界に効率の良いダクト製造手段を提供する。
1984年
三重県上野市(現伊賀市)に三重第二工場を竣工
1984年
道路切断用大径ダイヤモンドカットオフホイールを発売開始
1984年
大型機械加工、組立及び塗装工場として本社工場を増設。
1984年
「英語による電話受付業務及び通訳業務」を開始
1984年
研究所内に最新鋭の超純水テストプラントを建設
1984年
西独のティッセンヴァッサーテクニク社に超純水技術の供与
1984年
熊本県熊本市にロボット工場(現在の楠野工場)を設置
1984年
半導体製造装置用搬送装置「FWH」を開発、製造・販売を開始
1984年
生産拠点の海外展開
1984年
小型5ポートソレノイドバルブ(VZ) 開発
1984年
レーザー加工機を発売
1984年
日本初の純国産大型練習帆船「日本丸」引渡し
1984年
土浦工場がマイルズ賞事業部門賞を受賞
1984年
株式会社明共製作所(現・巴マシナリー株式会社)を当社全額出資の子会社とする
1984年
台湾、韓国の市場開拓のための販売代理店を設置。
1984年
技術テーマ「Hu-Tech(ヒュー・テック)」制定。
1984年
コモリ・ヨーロッパ・リミテッド(現在コモリ・UKリミテッド、英国リーズ市)設立
1984年
現在のCIマークを策定 高度成長から安定成長へ移行し、社会構造が変化し始めました。荏原もその変化に対応すべく、古い慣習を改める構造改革を行い、企業イメージをリフレッシュするため、現在のCIマークを新たに策定しました。
1984年
無破砕ごみ焼却施設(TIF炉)1号機を納入
1984年
西日本にARA(AIRMAN RENTAL ASSOCIATION) 結成。
1984年
サウジアラビアのペトロミンと 米国モービルの合弁会社向けヤンブー製油所完成
1984年
半導体用エッチング剤「バッファードフッ酸‐U」を開発
1984年
人工膵臓の製造承認取得。
1984年
米国イエロー・スプリングス・インスツルメント社(現MEAS EUROPE社)との合弁により、精密級サーミスタなどの製造販売を目的として、日機装ワイエスアイ株式会社(日機装サーモ株式会社に2007年6月社名変更)を設立。
1984年
静岡工場を静岡製作所と改称、医療器工場および電子工場を設置。
1984年
半導体製造向けの「クリーンストッカー」、「クリーンウェイ」、「クリーンシャトル」を開発。
1984年
大福機工株式会社から株式会社ダイフクに社名を変更。
1984年
東京都品川区に東京出張所(現東日本営業部)を開設
1984年
相模営業所開設
1984年
相模工場内にユニットセンター新設、相模事業所と改称
1984年
北京事務所を中国に設立
1984年
全自動握り飯機G-1200型発売
1984年
VVVFインバータ制御方式のエレベータを開発
1984年
マレーシアに「M-CKD PRECISION SDN.BHD.」設立
1984年
金沢営業所を開設
1984年
静岡営業所を開設
1984年
景品管理システム 景品管理POS「オミクロンPS-80」発売。
1984年
長野県埴科郡戸倉町(現・長野県千曲市)に戸倉工場を新設
1984年
韓国の萬都機械(株)とカーエアコン技術、製造技術のノウハウ供与契約締結
1984年
サンデン・メキシカーナ合弁設立
1984年
国産初の個人向け日本語ワードプロセッサーの生産開始
1984年
佐用グローリー株式会社(現 グローリープロダクツ株式会社)を設立。
1984年
神奈川県厚木市に飯山事業所を新設。放電加工の受託業務を開始。
1984年
福島工場設立(超省人化工場)
1984年
ファクトリーオートメーション用ダイレクト・ドライブモータ メガトルクモータ
1984年
半導体用多目的露光装置(2015 事業譲渡)
1984年
長野県上伊那郡に株式会社東洋ベアリング長野製作所を設立。
1984年
(1989年 NTN株式会社に合併、現 産業機械事業本部 長野製作所)
1984年
半導体製造装置専用工場完成
1984年
商品別(工業炉、半導体製造装置、電子工業炉、関連機器部)組織を発足
1984年
環境試験機器についてブルーM社と提携
1984年
電子工業炉工場建設、関連製品工場整備
1984年
ロボット部門発足。
1984年
半導体メモリーの製造・販売を目的に、千葉県館山市に(株)エヌ・エム・ビー セミコンダクターを設立。
1984年
大証第二部上場のダイキャストメーカー 帝国ダイカスト工業(株)を吸収合併。
1984年
ミネベア電子(株)と(株)オーディオリサーチを合併してエヌ・エム・ビー オーディオリサーチ(株)を設立。
1984年
岐阜製作所に第二工場を開設(現第一工場北棟)。
1984年
商号を株式会社テーエチケーからTHK株式会社に、テーエチケー販売株式会社をTHK販売株式会社に変更。登記上はテイエチケー株式会社、テイエチケー販売株式会社とする
1984年
株式会社大幸製作所を買収し、岐阜工場とする
1984年
東京営業所(赤羽)開設
1984年
埼玉サービスステーション(上尾市)開設
1984年
米・ヒューストンに販売拠点としてKITZ Corporation of Americaを設立。
1984年
光通信用高出力半導体レーザーの製品化(世界最高レベル)
1984年
スパイラルエスカレーターの製品化
1984年
商号変更「富士電機株式会社」
1984年
「株式会社富士電機技術研修所」設立
1984年
プログラマブルコントローラ(PLC) 「マイクレックス(MICREX)Fシリーズ」発売開始 PLCは工場など様々な自動制御機器の要。富士電機は業界で初めてPLCにネットワークを標準装備し、高評価を得る。
1984年
車内補充券発行システム完成
1984年
MOTOMAN ROBOTICS EUROPE AB(スウェーデン)設立
1984年
デミング賞実施賞受賞
1984年
長野県青木村に青木工場を開設(現・ロジスティックセンター)
1984年
水関連機器分野に参入、第一弾としてエンジン高圧水ポンプと排水管洗浄装置を開発・生産を開始
1984年
絶縁材料組合わせのアメリカ規格(UL)取得
1984年
電熱器具製造事業認可
1984年
トロイダル巻線モータの発売
1984年
電池生垣バリカン(UH3000D)を発売(充電式園芸用機器第1号)
1984年
マキタ・コーポレーション・オブ・アメリカ(米国)設立
1984年
晴海にシステムセンター(ソフトウェア開発拠点)を設置
1984年
本店を東京都葛飾区から千葉県松戸市へ移転する。
1984年
株式を店頭登録により公開する。
1984年
テクニカルセンター完成。研究開発部門を集約し、技術情報の共同利用を促進させるとともに最新研究設備を導入する。
1984年
米国トリン社の軸流ファン部門を買収し、米国に現地法人・ニデックトリンコーポレーションを設立
1984年
3.5インチ型ハードディスク装置用 スピンドルモータの生産を開始
1984年
滋賀工場を新設
1984年
ソフトウェア開発会社 大分ダイヘン(株)設立(現・ダイヘンテック(株))
1984年
AutomatEngineeringGlasgowLtdの発行済株式総てを買取り、当社の100%出資の子会社とし、
1984年
名をTERASAKI(EUROPE)LTD.に変更
1984年
大阪市阿倍野区にテラテック株式会社(現 連結子会社)を設立
1984年
東海道新幹線用として国内初の鉄道車両用車内表示器(列車案内情報装置)の製造販売を開始。
1984年
盤用熱交換器の製造販売を開始
1984年
福崎事業所(兵庫県神崎郡)完成 操業開始
1984年
本社事務所(大阪市淀川区)設置 本社機構を移転
1984年
エレクトロニクス分野における電子部品組立を事業目的として太洋製作所を創業
1984年
京都市右京区に日進サーキット株式会社及び滋賀県野洲郡野洲町(現野洲市)にシライハイテク工業株式会社を設立。(1990年4月、当社により両会社とも吸収合併。)
1984年
滋賀工場を増築し両面プリント配線板の量産体制を確立。
1984年
「FACOM Kシリーズ」でオフコン市場トップに
1984年
アメリカの現地法人を合併しオキ アメリカ社を設立
1984年
「IP-130K」 商品化第1号となった、インクジェットプリンター
1984年
「ET-10」 世界初の液晶ポケットカラーテレビ
1984年
電子回路基板製造を行っていた和光電子株式会社 (石川県羽咋市) の株式を取得し、子会社化
1984年
欧州向け販売子会社としてハイテクアソシエーツ株式会社 (石川県金沢市) を設立 (1990年1月エイゾー株式会社に商号変更)
1984年
米国にNanao USA Corporationを設立 (現EIZO Inc.)、コンピュータ用CRTモニターを自社ブランド「NANAO」にて北米向けに販売開始
1984年
富士通と業務提携と資本提携による増資
1984年
「白河ゼネラル株式会社」(福島県白河市)を設立
1984年
構内用携帯電話 キャリングテレフォンを開発
1984年
電子式消防救急指令装置 HA-305を開発
1984年
世界初のポータブルCDプレーヤー「D-50」発売
1984年
1970年代半ばからスイッチング電源が普及し、テレビやVTR用の高周波トランスの需要増に対応するため外販も始めた。
1984年
新潟県長岡市に長岡工場(現長岡開発センター)を開設
1984年
本社工場増築(現 神奈川工場)
1984年
YOKOWOAMERICACORPORATION(現・連結子会社)設立。
1984年
東京証券取引所第一部に昇格
1984年
台湾航空電子股份有限公司(JAE Taiwan, Ltd.)を設立
1984年
12型追記型光ディスクカートリッジ(OC301)商品化
1984年
ICカード、メモリカード生産開始
1984年
協立電波株式会社(本社 東京都八王子市)を買収
1984年
株式会社フルノシステムズ(本社 東京都新宿区)設立
1984年
オーダーメイド補聴器(HI-02)を発売
1984年
世界初の防滴耳かけ型補聴器(HB-35)を発売
1984年
日本初の液中微粒子計(KL-01)を発売
1984年
世界初のオールテレメータ化分娩監視装置を発売
1984年
結晶工場(京都市南区)を新設し、光学結晶の量産体制を確立。
1984年
群馬工場を群馬県邑楽郡邑楽町に開設
1984年
本社を大阪府高槻市に移転
1984年
自動血液凝固測定装置「CA-100」発売
1984年
額田テストコースを開設 部品メーカーとしては早くからテストコースを開設。カーメーカーに匹敵する評価施設は、お客さまの期待を超えた製品性能や品質保証のため。
1984年
本社ビル完成(滋賀県大津市におの浜)
1984年
欧州戦略拠点としてフランスにSTANLEY-IDESS S.A.(現・Stanley IDESS S.A.S.)を設立(現・連結子会社)
1984年
焦電型赤外線センサの米国特許を取得。
1984年
新横浜駅前に初の自社ビル完成、同ビルに本社を移転
1984年
イタリアに現地法人JEOL (ITALIA) S.p.A.設立
1984年
純電子式プラスチック射出成形機 FANUC AUTOSHOT を完成
1984年
日本シイエムケイ株式会社に商号変更し、本社を東京都杉並区より埼玉県三芳町へ移転
1984年
「8mmVTR用テープカセット」を開発・製品化
1984年
プラマックを応用した磁気式エンコーダ「マックコーダ」を開発
1984年
加古川市に中央研究所を竣工
1984年
徳島工場(現 徳島事業所)を新設、人工水晶、部品から水晶デバイスまでの一貫生産拠点が稼動
1984年
水晶光学部品の量産を開始
1984年
MBE法による半導体レーザの工業的な実用化に世界で初めて成功
1984年
ローム甘木(株)設立
1984年
商号を株式会社三井ハイテックに変更
1984年
IC組立事業を開始(2018年10月 同事業清算)
1984年
「京都賞」顕彰事業などをおこなう(財)稲盛財団(現·公益財団法人稲盛財団)設立を支援
1984年
ウシオ電機(株)、セコム(株)、ソニー(株)、三菱商事(株)等24社と第二電電企画(株)(第二電電(株)を経て、KDDI(株))を設立 第二電電企画(株)設立
1984年
千葉県佐倉市にソーラーエネルギーセンターを新設
1984年
世界初のニッケル電極大容量積層セラミックコンデンサを商品化
1984年
㈱金沢村田製作所を設立
1984年
長生工場群に長生電子機器工場を設置、第二期工事完成、ラジコン機器部門を移転
1984年
茨城営業所開設。
1984年
長野県上伊那郡箕輪町大字中箕輪14016-193にイーストウィングを設立する
1984年
長野県下伊那郡阿南町に、阿南興亜電工、千代興亜電工、南信濃興亜電工の三社を合併し興亜エレクトロニクス株式会社を設立、電子部品の製造を開始する
1984年
石川県鹿島郡鹿島町に鹿島興亜電工株式会社を設立、電子部品の製造を開始する
1984年
当社初のLNG船「泉州丸」(125000m3)が竣工
1984年
三菱銀行がバンク・オブ・カリフォルニアを買収
1984年
三菱石油は米国ゲッティ石油所有の同社株式の三菱各企業等への譲渡を完了、民族系石油会社となる
1984年
三菱自動車工業は三菱自動車販売を統合
1984年
三菱レンタカーは三菱オートリースと改称
1984年
大江工場を廃止し衣浦製作所へ移転・統合
1984年
富山ファースト・リース株式会社設立
1984年
北海道工場を開所(1984年6月操業開始)
1984年
GM 社向け「R カー」(日本名ジェミニ)出荷開始
1984年
4~7t級中型トラック「ニューフォワード」シリーズ発表
1984年
新大型路線バス「キュービック」シリーズ、新中型バス「ジャーニーK」シリーズ発表
1984年
1~3.5t積み小型トラック 4代目「エルフ」シリーズ発表
1984年
世界初の電子制御式自動5速トランスミッション「NAVI-5」発売
1984年
GM社との合弁会社ニュー・ユナイテッド・モーター・マニュファクチャリング社(NUMMI社)設立
1984年
「セリカ」、サファリラリーで総合優勝(1985年・1986年も総合優勝)
1984年
初めて大型自動車専用船「センチュリー・リーダー1」および「せんちゅりーはいうぇい1」就航
1984年
士別試験場(北海道)完成
1984年
米国トヨタ・米国トヨタ産業車両が合併
1984年
豊田工業大学に大学院(修士課程)開設
1984年
株式会社ラリーアートを設立
1984年
三菱自動車販売株式会社を統合
1984年
四輪カムシャフトの生産開始
1984年
三重県鈴鹿市に鈴鹿工場を開設
1984年
船舶用機器の販売・設計の合弁会社KYB・マックグレゴー・ナビーレ(株)を設立
1984年
台湾に合弁で関係会社太平洋汽門工業股份有限公司を設立(現:連結子会社)
1984年
「ホンダ・クリオ店」発足。3チャンネル体制となる。
1984年
スズキニュージーランド社(生産販売会社)設立。
1984年
GMにリッターカーの輸出を開始。
1984年
スズキフランス社(販売会社)設立。
1984年
モトクロス世界GP125で、スズキ10年連続メーカー、個人チャンピオン獲得。
1984年
製造品質&効率の向上をめざして「TPM活動」を開始
1984年
アメリカのFord社と自動車エンジン供給の仮契約を締結
1984年
イタリアのMotori Minarelliと技術援助契約を締結
1984年
世界初 オール樹脂製異形ヘッドランプを生産・販売開始
1984年
インジェクタの生産開始
1984年
アイサンコンピュータサービス(株)(現・連結子会社)を設立
1984年
静岡県磐田郡竜洋町 (現、静岡県磐田市)に竜洋工場(現、浜北第二工場)を新設。
1984年
ペーパーライニングの一貫生産を開始。
1984年
商号を株式会社エフ・シー・シーに変更。
1984年
第1回 シマノグリーンピアロード開催
1984年
第1回 ジャパンカップ(釣り)開催
1984年
SISを搭載したロードコンポーネンツDURA-ACE 7400シリーズ発表
1984年
関東地区進出第1号店を埼玉県八潮市にオープン
1984年
山形県東根市に山形営業所(現山形支店)を開設
1984年
岩手県盛岡市に盛岡営業所(現岩手支店)を開設
1984年
西友大型店を中心にインショップ展開
1984年
ゲートアレイセンター開設。
1984年
当社から新会社北陸鮮魚センター(株)を独立させ、鮮魚の取り扱いを開始。
1984年
FAシステム機器の生産分野へ進出のために電子機器事業部(現FAシステムセンター)を設置。
1984年
不動産管理を目的に株式会社アイシンを設立。
1984年
優良店舗の確保を主目的に不動産部門として壱番屋店舗開発(株)[のちに壱番屋開発(株)]を設立
1984年
福井県福井市に「ジョイフルストアーみった みゆき店」を出店
1984年
規格製品用総合カタログ初版を発行。無店舗販売を開始。
1984年
静岡県小笠郡菊川町(現 静岡県菊川市)に菊川工場を新設
1984年
英国ロンドンに現地法人スターマイクロニクス ヨーロッパ・LTDを設立(旧社名 スターマイクロニクス UK・LTD、2003年6月に社名変更、現在は英国ハイウィッカムに移転)
1984年
油圧機器の生産体制の充実をはかるため、東京ビッカース株式会社を吸収合併し、佐野事業所(現 佐野工場)を開設。FA分野向け慣性センサの製造・販売を開始。
1984年
35mmフィルムダイレクト電送装置「NT-1000」発売 世界で初めての35mmフィルムダイレクト電送機として、共同通信社と共同開発のもと完成。
1984年
縮小投影型露光装置「NSR-1010i3」発売
1984年
ウェーハ・ゴミ検出装置 WM-2 ウェーハ面上に付着したゴミの数と位置を定量的に非接触で自動測定。クリーンルームへ設置するため世界最小化を実現
1984年
米国・ロサンゼルスに印刷製版機器の技術サービス提供のため、Dainippon Screen Engineering of America Inc. を設立
1984年
中国・北京に駐在員事務所を開設
1984年
美里工場開設。
1984年
株式会社シーイーパートナーズ設立。
1984年
青森県浪岡町に『株式会社オプテックタムロン』を設立
1984年
新本社ビルを新宿区中落合に竣工。
1984年
子会社の(株)保谷レンズおよび(株)保谷クリスタルを吸収合併し、商号をHOYA(株)に変更。
1984年
NORITSU(FAREAST)LIMITEDを販売会社として香港に設立(出資比率100%)し、中国・東南アジア市場へ進出
1984年
キヤノン・コンポーネンツ設立
1984年
米国ヒューレット・パッカード社にレーザービームプリンターのOEM供給を開始
1984年
世界初のCOM用普通紙リーダープリンター「PCプリンター70」発売
1984年
レーザーファクシミリを発表
1984年
ロサンゼルスオリンピックでスチルビデオカメラの実用テストが行われる
1984年
デジタル方式の「レーザーコピアシステムNP-9030」発売
1984年
世界最小・最軽量のレーザビームプリンタ「LBP-8/CX」発売
1984年
1MDRAM対応ステッパー「FPA-1500FA」発売
1984年
高品位TV(現ハイビジョン)用ズームレンズ「PV14×12.5B HD」を発表
1984年
協伸工業株式会社が川越工場を開設
1984年
関工場新設
1984年
転写印刷を応用したレインボーホログラム量産技術を開発
1984年
京都市にエレクトロニクス製品の工場を開設
1984年
溶融型熱転写記録材の製造技術確立、生産を開始
1984年
大阪市南区に大阪営業所開設
1984年
大阪市に音楽教室(現ローランド・ミュージック・スクール)開設
1984年
創業者 小松安弘がPSP成形加工工業組合理事長に就任
1984年
子会社小松ウオール京都販売株式会社を設立 1999年7月 吸収合併。
1984年
東京都江東区に関東物流センターを新設
1984年
東京物流センターを開設(現:東京ロジスティクスセンター)
1984年
FSK株式会社に商号変更。
1984年
日本初の大型からくり時計「マリオンクロック」設置。全国的なからくり時計ブームの火付け役となる。
1984年
京都市に京都営業所を開設
1984年
松本市に松本営業所を開設(現、松本支店)
1984年
楢崎港運(株)(1969年2月設立)、苫小牧楢崎港運(株)(1966年6月設立)、楢崎運輸(株)(1960年5月設立)の子会社3社を合併統合し、併せて複合輸送本部の業務を移管し、商号を楢崎総合運輸株式会社として発足
1984年
デンマーク大手製薬企業へインスリン用注射針納入開始。
1984年
子会社のFar East Mercantile Corp.の商号を「KBK Inc.」と改称。
1984年
子会社のFar East Mercantile GmbHの商号を「Kyokuto Boeki Kaisha (KBK) GmbH」と改称。
1984年
医薬事業部を分離し、住友化学工業株式会社(現・住友化学株式会社)との共同出資による住友製薬株式会社を設立する(現・住友ファーマ株式会社)
1984年
栄養補助食品販売の日本ビーエフ株式会社を設立する
1984年
(株)アイコン設立
1984年
株式会社ココロを設立。
1984年
株式会社東陽テクニカに商号変更
1984年
丸正産業株式会社がソマール工業株式会社を吸収合併し、ソマール株式会社に商号変更
1984年
テリヤキチキンバーガー新発売
1984年
商号を「株式会社モスフードサービス」に変更
1984年
群馬県群馬郡群馬町(現 高崎市棟高町)に、エンジニアリング事業部を移転
1984年
福島県白河市に、産商事業部 白河営業所を開設
1984年
子会社株式会社エス・エヌサービスを設立
1984年
七ヶ浜町に仙台七ヶ浜ケミカルセンターを開設
1984年
子会社サト運輸株式会社を設立
1984年
生鮮流通センター設置
1984年
サービス部門を分離独立させ「ジョーシンサービス株式会社」として設立
1984年
鹿沼ガス株式会社に経営参加
1984年
素材段階からの自社企画商品の開発(織る・縫う・売る)体制の充実を図るため、毛織産地の愛知県一宮市に商品本部開設
1984年
CI導入 シンボルマーク変更
1984年
ショッピングセンター事業に進出
1984年
新潟県にSC三条店(新潟県三条市)を開店
1984年
群馬県大泉町のしまむら大泉店の出店により、店舗数は50店舗に。
1984年
川口市に物流センターを建設し、物と情報の融合と集中をはかり、また、店舗への夜間定時配送等の改革を行い、伝票仕入を廃止し、納品検収業務を大幅に合理化。
1984年
子会社のはせがわ商事株式会社を吸収合併
1984年
関東事務所を東京都中央区銀座に移転
1984年
本店を福岡市博多区に移転
1984年
松屋グループの企業理念を「生活文化創造集団」とする(銀座・有楽町百貨店戦争始まる)
1984年
株式会社エムアンドシーシステムを設立し、情報システム業に進出
1984年
マレーシアにジャヤ・ジャスコストアーズを設立
1984年
英国ローラアシュレイ社と業務提携
1984年
タイにサイアムジャスコを設立
1984年
飲食業を目的とした(株)平和フーズを設立し、直営食堂の営業を同社に移管。(2001年2月に閉鎖)
1984年
(株)ファイブスターを設立。(1996年11月に武糧不動産(株)と合併)
1984年
郊外型メンズ店の「サンキョウ安積店」を郡山市に出店。
1984年
財団法人長野経済研究所設立
1984年
商品有価証券売買業務開始
1984年
八十二キャピタル株式会社設立
1984年
ニューヨーク駐在員事務所開設
1984年
ATM稼動開始(アイフル ファイン カード発行)
1984年
「貸金業の規制等に関する法律」の制定により、貸金業の登録を行う
1984年
不動産担保ローンの販売を開始
1984年
売掛金集金代行事業の営業開始
1984年
商号をリコーリース株式会社に変更
1984年
貸金業者の登録(関東財務局長(1)第00215号)
1984年
東京都千代田区富士見に本店所在地を変更
1984年
本社を東京都港区芝浦に移転
1984年
海外現地法人としてJAFCO America Ventures Inc.を設立
1984年
国内ホテル第1号「三井ガーデンホテル大阪淀屋橋」開業(大阪府)。
1984年
三菱地所ホーム株式会社設立
1984年
共同ビル管理(株)設立(現東京建物不動産投資顧問(株))
1984年
「六甲グランドヒルズ」分譲(兵庫県神戸市)
1984年
住友不動産ファイナンス株式会社を設立(2022年3月吸収合併)
1984年
ニューヨークに現地法人・ラソラーナ ニューヨーク インクを設立(現:住友不動産ニューヨーク株式会社)
1984年
資本金1億2,000万円に増資
1984年
株式会社日本リロケーションセンターに社名変更
1984年
日本初のリロケーションサービス開始(リログループの実質的な創業)
1984年
マレーシアにジャヤ・ジャスコストアーズを設立
1984年
英国ローラアシュレイ社と業務提携
1984年
タイにサイアムジャスコを設立
1984年
手小荷物取扱業務を全廃
1984年
「東武スイミングスクールかねがふち」がオープン(スポーツ事業に本格参入)
1984年
東急ホテルチェーンと東京ヒルトンの契約満了に伴い、「キャピトル東急ホテル」が営業開始
1984年
つきみ野~中央林間間が開通、田園都市線が全通
1984年
東急総合研究所を設立
1984年
新宿南口駅ビル完成
1984年
住宅・都市整備公団線(現北総線)小室~千葉ニュータウン中央間開通
1984年
中央高速バス駒ヶ根線(新宿~長野県駒ヶ根間)運行開始(2003年子会社に譲渡)
1984年
シンガポールに進出
1984年
「近鉄グループカードKIPS」会員募集開始
1984年
「ゴルフ宅急便」発売
1984年
山九ユー・エス・エー株式会社設立
1984年
センコー情報システム株式会社を事業主体としてVAN事業を開始
1984年
東京証券取引所市場第二部から第一部に上場
1984年
VAN(付加価値通信網)業務に本格参入
1984年
LNG船「泉州丸」就航。
1984年
東京電力(株)東扇島火力発電所LNGバースの作業開始
1984年
シンガポールに運送取扱会社設立(こののち、1985年6月香港に運送取扱会社、1989年9月タイに運送取扱会社、1998年10月マレーシアに運送取扱会社、2011年7月ベトナムに運送取扱会社設立)
1984年
本店所在地を「東京都中央区日本橋箱崎町」から「東京都中央区日本橋茅場町1丁目」に移転
1984年
社名を「株式会社山種産業」に変更
1984年
日総工産が日総第1ビル(神奈川県横浜市)を竣工
1984年
三重中央開発株式会社が三重県上野市(現伊賀市)に管理型最終処分場を開設
1984年
第二電電企画設立
1984年
日本高速通信株式会社 (TWJ) 設立
1984年
旧 日本テレコム(株)創立
1984年
本社を富山市豊田本町に移転
1984年
「第四の核」(上・下)発売、60万余のベストセラーに。「週刊ザテレビジョン」北海道から沖縄までカバーする全国15版体制に。
1984年
「住宅地図製作自動化システム」を確立、さらに「住宅地図情報利用システム」を発表
1984年
『会社法務大辞典』を発刊
1984年
株式会社ティー・ピー・エス設立(「東電ピーアール株式会社(2000年1月商号変更)」)
1984年
当社初の原子力発電所、女川原子力発電所1号機(52万4千kW)運転開始
1984年
当社初のコンバインドサイクルプラント、東新潟火力発電所3号系列半量運転開始(54万5千kW)
1984年
川内原子力発電所1号機(89万kW)運転開始
1984年
姫路製造所操業開始
1984年
西部ガスリビング販売株式会社(現西部ガスリビング株式会社)を設立。
1984年
有楽町センタービル(マリオン)1期ビル完成、同ビル内に丸の内ピカデリー1、2開館
1984年
日劇ミュージックホール閉館
1984年
旧・日本劇場跡地に有楽町センタービル(有楽町マリオン)竣工
1984年
有楽座(2代目)閉館
1984年
第1回東宝シンデレラ誕生(沢口靖子)
1984年
受託寮事業を開始
1984年
(株)ホスピタル・ブレイン昭和(HBS)を設立
1984年
大井興業株式会社の倉庫部門を分離・独立、
1984年
同社全額出資の子会社、東京倉庫株式会社を設立
1984年
当社所有の物流倉庫を賃貸し、運営・管理を委託
1984年
東京都文京区に情報機器事業部を移転
1984年
港区新橋五丁目に本社第1ビル (旧本社別館) 完成、移転
1984年
業務用ビデオゲーム『1942』を発売。
1984年
山梨県甲府市に甲府システム営業所(現 甲府事業所)を設置
1984年
千葉県我孫子市に千葉システム営業所(現 我孫子事業所)を設置
1984年
創業者・飯田亮(当時、代表取締役会長)が京セラ(株)創業者の稲盛和夫氏やウシオ電機(株)会長の牛尾治朗氏らとともに設立発起人として第二電電企画(株)(現在のKDDI(株)の前身)を設立する。
1984年
コンピュータネットワーク「セコムネット」(SECOM-NET)が完成。当時の日本最大規模のコンピュータネットワークが誕生し、その後の高度情報化社会への基盤整備が整う。
1984年
金融機関のATM向けに初の現金補填サービスを開始する。
1984年
(株)アイネスに商号を変更。
1984年
株式会社丹青総合研究所(現:株式会社丹青研究所)設立
1984年
名古屋営業所設置(1989年4月支店登記、現:名古屋支店)
1984年
「財務三表科目残高照合システム(ABIS1000)」提供開始
1984年
VIP-ネットワーク・ステーション「V-85」出荷開始
1984年
「VIP-Network(VAN)」発表
1984年
富士ソフトウエア株式会社に社名変更
1984年
福岡に営業所を設置
1984年
大阪府に新・技術研究所ビル完成大阪府に新・技術研究所ビル完成
1984年
英国に現地法人Konami Ltd.(現・Konami Digital Entertainment B.V.)を設立
1984年
ドイツに現地法人Konami GmbH(現・Konami Digital Entertainment B.V.)を設立
1984年
「ファミリーコンピュータ」用ゲームソフト事業に参入
1984年
株式会社元禄(現株式会社ジー・テイスト)と「元禄寿司商標使用に関する契約」を締結。
1984年
元禄株式会社に商号変更。
1984年
物流部門の強化と効率化のため、前橋市朝倉町に「流通センター」を開設。
1984年
「ゼリー状計量物の計量充填法並びにその充填装置」の特許を取得
1984年
居酒屋事業へ進出、居酒屋「きんどん」片町店を石川県金沢市に開店
1984年
配送の合理化を図るため、石川県金沢市東力に東力物流センターを新設
1984年
大阪地区の拠点として大阪府堺市に堺支店を開設
1984年
診断薬分野へ参入 簡易血糖測定器の主力製品「グルテスト」を発売し、診断薬分野へ参入
1984年
(株)トライアルカンパニーに商号変更