1972年
現在地で健康な食べ物づくりを目指し個人創業
1972年
大手総合商社との合弁でアイエムポートリー(現・連結子会社)を設立し、ブロイラー生産能力を増強。
1972年
伊王島鉱業所を廃止。伊王島炭鉱の閉山をもって石炭部門から撤退
1972年
JPO設立後初の海洋油田となる、新潟県・阿賀沖油ガス田発見(生産期間1976~1998年)
1972年
東京都江東区越中島に研究所・計算センター 完成
1972年
建設事業の調査、企画立案、設計、施工、資材機器調達の受託等を事業目的に追加した。
1972年
三井建設株式会社、建設業法改正に伴い、建設大臣許可(特-47)第200号の許可を取得(以後3年ごとに許可更新・1996年より5年ごとに許可更新)
1972年
東京都中央区新川一丁目に地下1階地上8階の新社屋完成、本社を移転しました。
1972年
宅地建物取引業者免許を取得、免許証番号東京都知事(1)第23310号。
1972年
定款の事業目的に住宅事業並びに不動産取引等を追加
1972年
宅地建物取引業法による大阪府知事免許(1)第11264号を取得。
1972年
ユニット式賃貸住宅「ダイワユニメント」発売
1972年
事業目的の明確化を図るため電気工事・屋内管工事と表わしていたものを電気工事・管工事・電気通信工事・消防施設工事に改める
1972年
宮城電設(株)を設立(現 (株)ユアテック宮城サービス)
1972年
建設業法による許可(建設大臣)を受ける
1972年
株式 東京および大阪証券取引所 市場第一部銘柄に指定
1972年
不動産管理子会社株式会社サンエーデベロッパーを設立。(東和興産株式会社を経て、2008年4月1日付で三機工業株式会社に吸収合併。)
1972年
英国ハムワージ社と船舶および発電所ボイラー用バーナに関し技術提携
1972年
日本開発興産株式会社を設立(現・連結子会社)(2021年4月 ヒューコス株式会社に社名変更)
1972年
日本ピーマック株式会社を設立(現・連結子会社)
1972年
横浜出張所開設(1987年1月支店に昇格)
1972年
日本エスエフ株式会社を設立(1978年4月 日本フレクト株式会社に社名変更)
1972年
「日清エンジニアリング株式会社」を設立
1972年
EDP事業部を独立させ株式会社中部システムズを設立
1972年
石川県加賀市に株式会社コトブキ(現 株式会社北陸寿)を設立。その後西日本を中心に販売子会社を順次設立し全国に販売網を広げる。
1972年
ヤクルトレディによる「愛の訪問活動」を開始
1972年
明治商事が乳製品部門を明治乳業に移譲 明治製菓、明治商事が合併
1972年
米国オスカー・マイヤー社と資本並びに技術提携。
1972年
ナショナル麻布スーパーマーケットを傘下に加える
1972年
ソフトウェア開発ならびにシステム運用管理業務を目的に、東京都品川区に顧客の為の技術者集団となるべく、カストマエンジニアーズ株式会社を設立
1972年
西日本シンクタンク株式会社(現・中四国カンパニー)設立
1972年
「ポッカコーヒー」(缶入りコーヒー飲料)発売
1972年
株式会社三ツ矢ベンディング設立(現アサヒグループジャパン傘下、アサヒ飲料株式会社)
1972年
キリン・シーグラム株式会社(現・キリンディスティラリー株式会社)設立
1972年
ザ コカ・コーラカンパニーおよび日本コカ・コーラ株式会社との前契約を改め、新たに日本コカ・コーラ株式会社と再実施許諾契約を締結
1972年
高速自動包装機(スイス・インダストリアルゲゼルシャフト社製)導入。
1972年
茶葉鮮度保持のための真空パック技術を開発
1972年
本土復帰に伴う通貨の切換えにより、資本金は24,400千円となる
1972年
株式会社サウンド北越を設立。オーディオ・ビジュアルの小売店「サウンド北越」を展開(第1次創業)
1972年
キッコーマン・フーズ社設立(KFI・米国)
1972年
キッコーマン大都会ヨーロッパ社設立(KDE・ドイツ)
1972年
ブラジルのミョージョーアリメントス社(現、日清味の素アリメントス社)へ出資
1972年
キユーピーで製造した商品の販売を、 株式会社中島董商店よりキユーピー株式会社に移管
1972年
東京本部発足、東京都中央区築地に移転 英国セルボス社製A1ソースの販売権取得 「カゴメ劇場」スタート
1972年
MARUCHAN,INC.設立。(カリフォルニア州、アーバイン)
1972年
岡山県瀬戸内市に日清エフ・ディ食品株式会社を設立。
1972年
株式会社ロック・フィールドを資本金300万円で設立。本店を神戸市生田区元町通2丁目95番地(現神戸市中央区元町通2丁目4番1号)に設置。惣菜の製造販売業を開始。大丸と取引開始、神戸店に第1号店を出店。
1972年
東洋紡エンジニアリング株式会社(現・連結子会社)設立
1972年
Nisshinbo Do Brasil Industria Textil LTDA.設立(ブラジル)
1972年
ブラジルに「ブラジル倉敷綿紡」(後の「コトニフィシオ・クラシキ・ド・ブラジル」)設立(~2006)
1972年
営業の目的に「自動車部品の製造、加工並びに販売」を追加
1972年
横浜市東白楽に、電子部品などの販売を目的とした、ジャパンマクニクス株式会社を設立
1972年
名古屋市中区において、橘至朗がミタチ産業を創業
1972年
富士教育研修所(現 帝人アカデミー富士)を開所
1972年
岡山工場でエチレン・ビニルアルコール共重合体<エバール>(商標)の生産開始
1972年
米国にKuraray International Corp.設立
1972年
鹿島工場操業開始(ポリイソプレンゴム<クラプレン>(商標))
1972年
新聞紙面編集システム「コスモス」の提供開始
1972年
能町工場、5号抄紙機稼動、高級白板紙生産開始
1972年
能町工場、5号抄紙機稼動、高級白板紙生産開始
1972年
能町工場、5号抄紙機稼動、高級白板紙生産開始
1972年
村松工業用地B工区埋立に着工(〜1975年5月)
1972年
社名を「聯合紙器株式会社」から「レンゴー株式会社」に変更
1972年
ハリマ興産(株)(現 セイカテクノサービス(株))を設立
1972年
大阪工場にてエレクトロニクス向け高純度リンの製造開始
1972年
呉羽化工機株式会社(現・株式会社クレハエンジニアリング)設立(現・連結子会社)
1972年
イソプロピルアルコール(IPA)製造開始
1972年
山富商事(株)(現YKアクロス(株))に資本参加
1972年
川崎第二工場(現川崎製造所浮島工場)でセカンダリーアルコールエトキシレートの製造を開始。
1972年
発泡スチレンペーパー「カネファイン」を開発、大阪工場で生産開始(2009年譲渡)
1972年
難燃ABS系樹脂「エンプレックス」を開発・企業化
1972年
下関にわが国最大の燐酸工場営業運転開始
1972年
OFPR-2(国産初の半導体用ポジ型フォトレジスト)を開発。
1972年
株式会社サンエスハイム製作所(現:セキスイハイム工業株式会社)設立
1972年
ウレタン樹脂系塗り床材「アイカシームレス」発売
1972年
医療機器部門(2003年10月 旧 持田メディカルシステム(株)が事業承継)を設置静岡工場(現 藤枝事業所 旧 持田製薬工場(株)静岡工場 2011年6月閉鎖)を開設
1972年
富士通株式会社との合弁会社 ぺティ株式会社を設立(電算写植システムの開発販売)。
1972年
東洋インキ城東販売株式会社〔現 東洋インキ株式会社〕を合弁設立。
1972年
紫外線硬化型スクリーンインキ「SS-FD」を開発。
1972年
メタルフリーフタロシアニン、ε型フタロシアニンなどを開発。
1972年
アクリルポリオール系ウレタン塗料「ライオポール」を製品化。
1972年
菱友計算株式会社に商号変更し、同時に第一計算株式会社よりコンピュータ運用管理、コンピュータプログラム作成業務、穿検孔作業の事業を譲受け、社員を当社に移籍
1972年
日本で民間企業初の商用タイムシェアリングサービス「電通TSS」を提供開始。
1972年
製造から販売に至るまでの物流整備を目的として、大阪市都島区に発送センターを新設。
1972年
フランスドクタ・ルノー社との提携によるエステティック専門化粧品会社日本ドクタ・ルノー化粧品株式会社(1989年8月 株式会社ピアセラボに商号変更)を設立(現連結子会社)
1972年
マレーシアに高絲化粧品(馬)有限公司(KOSÉ(MALAYSIA) SDN. BHD.)を設立
1972年
医療関連事業に参入するため米国のC.R.Bard,Inc.と提携、株式会社日本メディコ(現 株式会社メディコン)を設立
1972年
農薬等製造・販売業の尾道クミカ工業株式会社を設立。(現・連結子会社)
1972年
沖縄石油精製(株)(2004年4月、沖縄石油(株)に商号変更し、2009年4月、沖縄出光(株)に合併し解散)に45%出資(1980年7月100%取得)
1972年
スリランカにランカポーセレン社設立(食器製造)(現 NORITAKE LANKA PORCELAIN (PVT) LIMITED)
1972年
100万V級試験変圧器用油浸紙コンデンサーブッシングを開発
1972年
グラスライニングの製造技術をディートリヒ社(フランス)から導入
1972年
大阪府枚方市に枚方電炉工場に併設して圧延工場を新設し、製鋼圧延一貫体制確立(現枚方事業所枚方工場)
1972年
山口県小野田市(現山陽小野田市)に異形棒鋼と形鋼を製造販売する山口共英工業(株)を設立熊本県宇土市に異形棒鋼と形鋼を製造販売する熊本共英工業(株)を設立
1972年
本社を大阪市東区南本町(現中央区)に移転。
1972年
フィンランドのアールストローム社と技術提携し、製紙用ステンレスカバードグルーブドロールの製造を開始。
1972年
インドネシア・アネカタンバン社フェロニッケル製錬工場建設の技術援助契約締結(アンタム計画)
1972年
堺工場(後に大阪臨海工場と名称を変更)を新設し、鉄構製品の製造を開始。
1972年
「東邦開発エンジニアリング株式会社」(現、「株式会社ティーディーイー」)を設立
1972年
「株式会社中国環境分析センター」を設立
1972年
富士小山工場(現ユニバーサル製缶(株) 富士山工場)設置。飲料用アルミ缶事業に進出。
1972年
福島県に電子材料部門のいわき工場、東京都日野市に日野研究所を建設する
1972年
英文社名をFURUKAWA CO.,LTD.と変更する
1972年
西独W.C.ヘレウス社と電子機器部品用の精密加工製品の製造を目的とする古河精密金属工業(株)を設立
1972年
ラミコンボトル(マヨネーズ向け)の生産を開始
1972年
ガス高速レンジ(コンベック)で日本瓦斯協会より太田賞を受賞
1972年
当年6月に外国部を設置。米国GE社やカミンズ・エンジン社と年間輸出契約を締結。フランスばね協会が視察訪問。
1972年
「ZMP(3年間有償保守管理)契約」制度を開始
1972年
CNC(コンピュータライズドNC)を自社開発。以降、すべての当社NC機はCNC装置付きとなる。OSP2000形CNC装置
1972年
ドイツ デュッセルドルフ市の現地機械商社を買収し、ドイツアマダを発足
1972年
英国バーミンガム市に現地法人アマダユーケーを設立
1972年
アメリカに販売会社として現地法人 Okamoto Corporationを設立
1972年
適応制御マシニングセンタによるトランスファライン(FMS)を開発
1972年
サンダイヤモンド工業株式会社(現 山梨旭ダイヤモンド工業株式会社)に経営参加東京証券取引所市場第二部上場
1972年
世界初のCNC式ワイヤカット放電加工機開発。
1972年
ヘッドガード一体構造のフォークリフトを生産開始。
1972年
決算期を年1回(11月30日)に変更。
1972年
GE社と合弁会社のNuclepore Corporation(以下、NPC)を設立(当社出資比率23%)
1972年
電子機器部品の製造及び設備の修繕を目的として岡山県井原市西江原町3213番地に資本金300万円をもってタツモ株式会社を設立
1972年
住友エール(株)(現住友ナコ フォークリフト(株))設立
1972年
自社最大(当時)の全油圧式クローラクレーンKH900(つり上げ能力180t)を発売し、高層住宅団地の建設などの効率的な施工に寄与
1972年
松山工場(和気)を増設、本社を同所に移転
1972年
ゴミ焼却炉分野へ本格参入。米国に「クボタトラクタコーポレーション」を設立。米国トラクタ市場に本格的に進出。
1972年
Toyo Engineering Europe, S.r.l社(現在所在地イタリア:当時社名 IPS社 ルクセンブルク)を設立
1972年
ポーランド向けに環機具生産用大型鋳造プラント成約
1972年
(株)サカイエンジニアリング(昭和55年12月サカイクレーン工業(株)、平成7年5月酒井機工(株)に商号変更)を設立。
1972年
油圧駆動ホイール式ロードカッタ(ER160)を開発。
1972年
北海道札幌市に北海道オルガノ商事株式会社を設立[2006年オルガノ北海道株式会社に商号変更、2014年オルガノ株式会社に吸収合併]
1972年
福岡県福岡市に九州オルガノ商事株式会社を設立[2006年オルガノ九州株式会社に商号変更、2014年オルガノ株式会社に吸収合併]
1972年
オランダに椿本ヨーロッパを設立。その後、カナダ、アジア地域に販売会社を設立
1972年
東北岩田塗装機株式会社(現当社秋田工場)を設立。
1972年
既存建屋内に設置可能なユニット式自動倉庫「コンパクトシステム」を開発、藤村鉄工所に納入。
1972年
ロールボックスパレット「カーゴテーナ」を開発。
1972年
日本初の過負荷防止装置 AML を開発
1972年
東京・大阪両証券取引所各市場第1部に指定替上場
1972年
沖縄出張所(現 沖縄支店)開設・世田谷事務棟増設
1972年
長野県埴科郡坂城町に村上工場(現・本社工場)を新設
1972年
欧州に現地法人「AMANO EUROPE N.V.」設立(ベルギー・ブラッセル)
1972年
高速ドットプリンターM-101の国内発売(電子制御部はセントロニクス社から供給)
1972年
社名をエヌ・テー・エヌ東洋ベアリング株式会社と変更。
1972年
静岡県磐田市に株式会社東洋ベアリング商品開発研究所(現 商品開発研究所)を設立。
1972年
本社 社屋 (1970年代当時、大阪市西区)
1972年
半導体製造部門の光洋リンドバーグセミコン株式会社がリンドバーグテンプレス株式会社に社名変更
1972年
ブラジル・サンパウロ州に工具・ベアリング製造会社NACHIDOBRASILINDUSTRIAECOMERCIOLTDA.(現NACHIBRASILLTDA.)を設立。
1972年
東邦精工株式会社が株式会社日新製作所を吸収合併し、東京工場(現山形工場 東京製造課)とする
1972年
ピラー不動産(株)(現・エヌピイ不動産(株))を設立
1972年
わが国初の本格的オンラインリアルタイム三菱物流情報システム<MOLDIS>開通
1972年
シーケンサー<MELSEC310>発売
1972年
世界初の完全ブラシレス電動発電機(BLMG)完成
1972年
わが国初の150kVA 440Hz静止形CVCF完成
1972年
マキタ・エレクトリック(U.K.)Ltd.(英国)設立(1992年12月からマキタ(U.K.)Ltd.に社名変更)
1972年
テック電子事務機(株)を設立(昭和52年9月「テック電子(株)」に商号変更)
1972年
東京証券取引所市場第一部に株式を指定替上場
1972年
日本初の福祉工場である「オムロン太陽株式会社」を設立。
1972年
特機部門及び不動産部門を新設し、製造販売及び不動産事業を開始。
1972年
アメリカにオキ エレクトリック オーバーシーズ社とオキデータ社を設立
1972年
鹿沼工場を建設 各種アンテナ製作業務を開始
1972年
新販売会社体制が発足(全国の地区販売会社を、地域ブロック単位の16社に集約)
1972年
COS化電卓開発プロジェクト(S734)を開始
1972年
全国のサービス専門会社9社内に「お客様ご相談窓口」を開設
1972年
シャープシステムプロダクト株式会社を設立
1972年
「新庄電機株式会社」を「新庄ゼネラル株式会社」に改称
1972年
20形業界初のタッチ・チャンネル選局カラーテレビ「ゴールデン王朝」20C‐9100を発売
1972年
20形業界初のダイヤル式超音波リモコン付きカラーテレビ 20C‐911TLを発売
1972年
マレーシアにTAMURAELECTRONICS(M)SDN.BHD.を設立、変成器の製造ならびに輸出開始
1972年
民生用VTR機器は日本メーカーが世界を先行。ベータ方式とVHS方式、双方に電源トランスを供給。
1972年
高信頼性トランスの実績により、日本初の人工衛星、電離層観測衛星ISS(うめ)、試験衛星ETS-Ⅰ(きく)用のトランス、コイルの開発を開始。
1972年
血球計数器 MEK-1100を発売。血球計数器市場に参入
1972年
欧州事務所(ドイツ)を発展的に閉鎖し、現地法人ホリバGmbH(現ホリバ・ヨーロッパ社)(ドイツ)を設立。
1972年
国産初の半導体試験装置「T-320/20」「T-320/30」を発売
1972年
業界で初めての2年・5000時間の長期保証体制を実施。(プラチナスシリーズ)
1972年
東亞特殊電機株式会社の医用電子機器開発製造部門を譲受、臨床検査機器専門メーカーとして新発足
1972年
初の海外生産会社であるニッポンデンソー・オーストラリア、ニッポンデンソー・タイランドを設立 お客さまのニーズに応えるため、世界各地のお客さまの近くでの生産を開始。
1972年
生化学自動分析装置 JCA-1KM「クリナライザ」完成
1972年
「カシオミニ」を発売しパーソナル電卓の市場を確立
1972年
ハンブルグに現地販売会社CasioComputerCo.,GmbHDeutschland(現・CasioEuropeGmbH、現・連結子会社)を設立
1972年
富士通株式会社よりNC部門が分離し設立、資本金20億円
1972年
ROHM Korea Corporation 設立
1972年
電子管の開発、製造で蓄積したノウハウをもとに シリコンフォトダイオードの開発
1972年
アメリカ(イリノイ州)に現地法人インターナショナル・リードフレーム・コーポレーションを設立(1980年1月 閉鎖)
1972年
シンガポールに現地法人ミツイ・マニュファクチュアリング(シンガポール)プライベート・リミテッド(現ミツイ・ハイテック(シンガポール)プライベート・リミテッド)を設立
1972年
京都市山科区に新社屋を建設、本社を移転
1972年
シンガポールに初の海外生産・販売拠点を設立
1972年
台湾双葉電子股份有限公司を設立(蛍光表示管の製造)
1972年
韓国双葉精密工業(株)を設立(モールド金型用部品)(2008年解散)
1972年
香港に販売会社 NICHICON (HONG KONG) LTD.を設立。
1972年
韓国に合弁会社三瑩電子工業株式会社を設立。
1972年
長野県下伊那群喬木村に喬木工場を設置する
1972年
瀬戸田造船株式会社(1944年11月設立)が、田熊造船株式会社(1951年6月設立)を吸収合併し、社名を内海造船株式会社(現持分法適用関連会社)と改称
1972年
汽車製造(株)を合併、川重冷熱サービス(株)を設立
1972年
名和産業株式会社を設立(現 連結子会社)
1972年
KB型1t積みピックアップトラック「シボレーLUV」対米輸出開始
1972年
KB 型1t 積みピックアップトラック「ファスター」発表
1972年
トヨタイージー・キャリー・システム(TECS)を発表
1972年
第1回洋上セミナーを開催(2008年まで毎年実施)
1972年
天皇杯全日本サッカー選手権大会で三菱重工業サッカー部が初優勝
1972年
三菱レンタカー株式会社(のちの三菱オートリース株式会社)を設立
1972年
4G5型(アストロン)エンジンの生産を開始
1972年
経営会議(現在の業務報告会)実施、現在に至る(同時に毎週火曜日早朝会議開催)
1972年
川西モーターサービス所のアフターサービス部門を分離し、株式会社カワモサービス(現・連結子会社新明和オートエンジニアリング株式会社)を設立
1972年
豊橋製造所内に技術研究所(現 事業開発戦略センター)創設
1972年
岐阜県安八郡神戸町に北大垣工場を新設し、タイヤバルブおよびバルブコア部門を南大垣工場より移転
1972年
デミング賞受賞。かつお・まぐろ自動一本釣機を開発。
1972年
シビック発売。低公害車用「CVCCエンジン」の開発に成功。米の大気浄化法案(マスキー法75年度規制)を世界の自動車メーカーに先駆けて達成。
1972年
秋田県南秋田郡にスズキ部品製造株式会社を設立。
1972年
アメリカ、カリフォルニア州にエヌ・エス・インターナショナル社を設立。(現・連結子会社)
1972年
西ドイツのデュッセルドルフに現地法人「シマノヨーロッパ」設立
1972年
本部事務所規模拡大のため、兵庫県姫路市二階町に出店(1994年10月廃止)し、同時に本部事務所を移転
1972年
有限会社トウショウを株式会社トウショウに組織変更
1972年
小型軽量のシステム一眼レフカメラ「オリンパスOM-1」を発売(発売当初の名称は「M-1」)
1972年
理研計器九州サービス株式会社設立(2011年1月理研計器中部サービス株式会社に吸収合併)
1972年
奈良工場を分離し、株式会社理研計器奈良製作所を設立(現連結子会社)
1972年
ヨーロッパ初の生産拠点、Physotec GmbH(現キヤノンギーセン)を設立
1972年
世界初の液乾式普通紙複写機「NP-L7」発売
1972年
乾式普通紙複写機 (PPC)「リコーPPC900」発売。
1972年
印刷物のオフセット製版を目的として東京都中央区にて、東京リスマチック株式会社を設立
1972年
土木用途商品「エンドレン」の製造販売開始
1972年
PilotCorporationofAmericaを設立(現・連結子会社)
1972年
シーティエス大日本を設立。電算写植システムの実用化を推進
1972年
建材用化粧板の専門工場として、茨城県に常磐共同印刷(株)を設立。
1972年
大阪府大阪市住吉区(現 住之江区)に資本金3,300万円でローランド株式会社設立
1972年
ローランドブランド第1号商品となるリズムマシン発表
1972年
半導体の生産を開始 ※2015年ファブレス化
1972年
本社工場を、高知県南国市篠原537番地1に移転
1972年
GENERAL MOTORS CORP.(GM社)との間に技術援助契約を締結。
1972年
CHRYSLER CORP.(クライスラー社)との間に技術援助契約を締結。
1972年
FORD MOTOR CO.(フォード社)との間に技術援助契約を締結。
1972年
総合商社で初めて、中国から友好商社に指定される。
1972年
株式会社エム・デー・シー(現:株式会社スクロールロジスティクス)設立
1972年
婦人販売代理人(LP レディスプロモーター)による販売開始
1972年
(株)ハイランドを設立(縫製加工、繊維二次製品の販売等、当社縫製工場部門を分離独立。2006年2月清算)。
1972年
ONWARD KASHIYAMA U.S.A. INC. 設立
1972年
船橋市中央卸売市場において水産物卸売業を営む船橋中央魚類株式会社(連結子会社)を設立(業務開始 1972年6月20日)。
1972年
東京プロセス開発(株)を設立、分析機器(公害防止機器)の輸入販売を開始
1972年
パネトロン(株)がインテル社の代理店としてマイクロプロセッサの輸入販売を開始
1972年
冷蔵保管業務を行う豊海東市冷蔵株式会社設立。
1972年
ドイツにSeiko Time GmbH設立。
1972年
クアラルンプール事務所(現・DAI-ICHI JITSUGYO (MALAYSIA) SDN. BHD.)開設
1972年
現地法人 DAIICHI JITSUGYO (AMERICA), INC. を設立し、ニューヨーク事務所を吸収
1972年
広島雑貨支店新設(現 広島ライフ支店)
1972年
三谷住設機器株式会社(現 クリーンガス福井株式会社・現 連結子会社)設立
1972年
HANWASINGAPORE(PRIVATE)LTD.(現・連結子会社)設立
1972年
日本プラスチック・スペシャリティース (同年 ニプロに商号変更)を買収し、医療機器の国内販売を開始。
1972年
中国の友好商社に指定され中国貿易本格化
1972年
昭和モレックス株式会社(現日本モレックス合同会社)と取扱店契約を結ぶ
1972年
モスバーガー1号店「成増店」オープン(東京都)
1972年
当社設立(商号「株式会社モス・フード・サービス」)
1972年
本社を東京都文京区本郷3-39-5に移転。
1972年
アップル用自社ブランドモニター「KG-12」を発売
1972年
自社ブランドカラーモニター「TAXAN RGB VISION」を発売
1972年
三益産商株式会社 本社を、群馬県高崎市上並榎町に移転
1972年
富士市に富士田子の浦ケミカルセンターを開設
1972年
㈱島村呉服店より㈱しまむらへと社名を変更。
1972年
第2次合併。やまてや(株)、やまてや産業(株)、京阪ジャスコ(株)(旧(株)シロ)を合併。資本金7億7750万円に
1972年
「商工ローン」「暮らしのローン」取扱開始
1972年
「丸糸株式会社」から「マルイト株式会社」に商号変更
1972年
東京事務所(現・東京支店)を開設し、関東地区へ進出。
1972年
本社の新社屋を広島市中区幟町14番8号に建設移転
1972年
名古屋証券取引所第二部上場。オリエント・リース・インテリアを設立。
1972年
シンガポールにOrient Leasing Singapore Ltd.(現:ORIX Singapore Limited)設立。
1972年
三菱地所住宅販売株式会社を設立(2007年4月三菱地所リアルエステートサービス株式会社に商号変更)
1972年
ロサンゼルスに現地法人・住友不動産カリフォルニア(連結子会社)を設立
1972年
千葉県千葉市において「千葉ガーデンタウン」分譲(共同事業)
1972年
ハワイで現地法人・エカハヌイ・インクの経営権を取得し、ゴルフ場事業に進出
1972年
賃貸仲介、売買仲介、不動産管理事業を主として千曲不動産株式会社を東京都江戸川区一之江4丁目37番地に設立(現在のスターツコーポレーション株式会社)
1972年
第2次合併。やまてや(株)、やまてや産業(株)、京阪ジャスコ(株)(旧(株)シロ)を合併。資本金7億7,750万円に
1972年
田園都市線つくし野~すずかけ台間が開通
1972年
新宿南口駐車場(株)(現京王地下駐車場(株))を設立
1972年
北総開発鉄道株式会社設立(平成16年7月北総鉄道株式会社に商号変更)
1972年
(株)九州メタルスクラップ(現九州メタル産業(株))の設立
1972年
山九ブラジル機工有限会社設立(1979年山九ブラジル株式会社に改称)
1972年
初の都市型倉庫、平和島流通センター完成
1972年
コンピューター導入によるトナミトータルオンラインシステム開始
1972年
ニューヨーク航路、コンテナサービス開始
1972年
北海道・苫小牧港の北日本曳船(株)の設立に参加
1972年
浦賀マリーンサービス(株)を設立 浦賀水道における進路警戒船の配船業務および横須賀水先区水先人の配乗業務を受託
1972年
札幌オリンピックの聖火、沖縄から全日空特別機(B727)で東京入り
1972年
米国・サンフランシスコに海外駐在員事務所を設置。以降海外進出が本格化。
1972年
東洋埠頭作業㈱設立(1992年、鹿島東洋埠頭㈱に社名変更)
1972年
東京、大阪証券取引所において第一部銘柄の指定を受ける。
1972年
ドッドウェル上組エアカーゴ株式会社〈現:上組航空サービス株式会社〉を設立。
1972年
4月「現代俳句大系」(全12巻)発刊。富士見書房を設立。
1972年
教育コンパニオンによる家庭直販制へ移行開始
1972年
(株)住宅地図出版社を日本住宅地図出版(株)に改称
1972年
当社初の154kV地中送電線運用開始(錦町線:旧仙台中央線)
1972年
沖縄振興開発特別措置法に基づき、琉球電力公社の全ての発送電業務(一部配電)を引き継ぎ、政府及び沖縄県の出資による特殊法人として資本金137億28百万円をもって沖縄電力株式会社設立沖縄電気工事(株)(現・連結子会社 (株)沖電工)及び沖縄電機工業(株)(現・連結子会社)は設立時より子会社
1972年
増資完了(新資本金:147億28百万円)
1972年
天然ガスへの変更作業開始(5000kcalから11000kcalへ)
1972年
熱量変更事業に着手(1m3当たり17.58141メガジュール(4,200キロカロリー)から39.767475メガジュール(9,500キロカロリー)に転換)
1972年
TV「太陽にほえろ!」(NTV系列)放送開始
1972年
事業目的に不動産売買・賃貸、演芸・催物製作供給、版権事業等を追加。
1972年
洋画配給業に進出。ボウリング事業から撤退。
1972年
札幌オリンピックが開催。会場周辺の警備を無事故で行い、重責を果たす。
1972年
子会社株式会社セントラルエージェンシーを設立。
1972年
三井物産株式会社及び住友商事株式会社の共同出資により設立された日本セントラルシステム株式会社との合弁により、機械警備を主たる事業目的とするセントラルシステム警備株式会社を設立。
1972年
警備業法の施行に伴い、東京都公安委員会に「届出書」を提出。
1972年
官庁会計システムを開発し大蔵省よりAクラスに格付けされる。
1972年
福岡営業所設置(1984年7月支店登記、現:九州支店)
1972年
株式会社TKC広報部(現TKC出版)設立
1972年
東京用品センター(現TKCサプライ事業部)設立
1972年
「変身商法」が大ベストセラー 舩井幸雄著の「変身商法」が40万部の大ベストセラーとなり、業績が急上昇。競争至上主義的コンサルティングからの方向転換が徐々に行われていく。
1972年
中学生向け通信教育講座「通信教育セミナ・ジュニア」を開講(現「進研ゼミ中学講座」)
1972年
(株)ニチイメンテナンスを大阪市東区に創立
1972年
本店所在地を、大阪市東区淡路町2丁目14番地に設置(本社事務所は、大阪市東区平野町辻子ビル内)、メンテナンス業務及び損害保険代理業務を開始
1972年
「似鳥家具卸センター株式会社」を設立。
1972年
石川県加賀市桑原町に加賀工場を新設し、タレの生産を開始
1972年
株式会社スズケン沖縄の株式過半数を取得(現・連結子会社)