1964年
長野県長野市大字箱清水においてデラップス商事株式会社を設立、一般包装資材の販売を開始。資本金50万円
1964年
新潟地震により落橋した昭和大橋の復旧工事で、床版ひび割れの樹脂注入を担当、土木工事としての構造物補修の地位を固める
1964年
富士山頂レーダー基地(静岡県・山梨県)
1964年
日本初の高張力による吊り屋根構造 国立屋内総合競技場主体育館 竣工
1964年
丸善鋪道株式会社(現鹿島道路株式会社・連結子会社)の株式を譲受
1964年
本店を広島市から東京都港区に移転。全国展開の体制を固めた。
1964年
スミリン合板工業株式会社設立。住宅資材製造事業を開始。
1964年
スミリン土地株式会社(現:住友林業ホームサービス株式会社<連結子会社>)設立。分譲住宅事業に進出。
1964年
タイに合弁会社「大和ハウス秦国両合公司」設立
1964年
「モルタル射出装置」が全国発明表彰を受賞
1964年
本社(現 大阪本社)を大阪市福島区に移転
1964年
森下仁丹株式会社との業務提携(提携開始は4月)により社名変更(仁丹井村屋食品株式会社)
1964年
初の海外事業所として、台湾ヤクルトが営業を開始
1964年
新東京工場(現茨城工場、茨城県土浦市)を開設。
1964年
株式会社新日本映画社を傘下に加え、CM制作事業を開始
1964年
千代田区神保町に資本金50万円で会社設立
1964年
1956年6月創業の「日比野電気」を母体として、ヒビノ電気音響株式会社を東京都台東区浅草橋二丁目7番5号に資本金800千円で設立。業務用音響機器の設計・販売・修理業務を開始。
1964年
市川・王子の両工場を統合し、松戸工場建設。
1964年
摂津酒造株式会社、本辰酒造株式会社を吸収合併、大阪(1973年3月廃止)、長野(現・長野蔵置場)の二工場とする。
1964年
特約店組織の「ファンシー会」、九州に誕生
1964年
新協産業株式会社(現・サーラカーズジャパン株式会社)に経営参加
1964年
「クノール®スープ」発売(米国CP社との提携により)
1964年
即席めんの生産工場として横浜市戸塚区に横浜工場完成。
1964年
岩国工場、ポリエステル生産(重合、紡糸)開始
1964年
敦賀工場、二軸延伸ポリプロピレンフィルム生産開始(1969年4月犬山工場に移設)
1964年
ハンブルグ事務所開設(デュッセルドルフより移転)(~1993)
1964年
三洋貿易ビルを竣工し、本店を神戸から東京に移転
1964年
長野県飯田市に綿半ストアー飯田店を開店し、総合家庭用品販売を開始する
1964年
日本でのウールマーク使用認可第1号を取得
1964年
タイにToray Nylon Thai社(現 Thai Toray Synthetics社[TTS])を設立
1964年
ABS樹脂 トヨラック®の生産開始(名古屋)
1964年
アクリル繊維 トレロン®の生産開始(愛媛)
1964年
米国DuPont社との合弁で、東洋プロダクツ(株)(現 東レ・デュポン(株))を設立
1964年
玉島工場でポリエステルステープル「クラレエステル」の生産開始
1964年
倉敷工場で人工皮革<クラリーノ>(商標)の生産開始
1964年
日窒電子化学がチッソ電子化学株式会社に商号変更。
1964年
柏工場 (千葉県柏市)を新設、ニードルフエルトの製造を開始。
1964年
市川工場に塗工白板紙抄紙機(5号機)を新設
1964年
新潟工場は新潟地震により被災、ただちに再建工事(新鋭抄紙設備を含む)に入る
1964年
東京都中央区日本橋蛎殻町に東京営業所を開設
1964年
苛性ソーダと併産する塩素を利用し、プロピレンオキサイド(PO)製造開始
1964年
松阪工場(現:CGP)にてデュープレックス法による磨板ガラスの生産を開始
1964年
株式会社カイゲン設立(改源株式会社吸収)
1964年
オンサイトプラント第1号となる周南工場(現 周南酸素株式会社)を開設。
1964年
MBS樹脂「カネエースB」を開発、高砂工業所で生産開始
1964年
大阪工業所(現・大阪工場)発足 東洋高圧工業が大阪地区に石油化学工場を建設。翌年、東洋高圧工業と三井化学工業などが出資して石油化学コンビナートの建設計画に着手、大阪石油化学を設立した。その後1970年(昭和45年)、大阪石油化学の年産30万tのエチレン製造設備が完成。
1964年
日合ゴム加工株式会社(現・株式会社エラストミックス・連結子会社)設立。
1964年
ポリプラスチックス株式会社をセラニーズ社と合弁で設立、ポリアセタール樹脂「ジュラコン®」の製造・販売を開始
1964年
徳山積水工業株式会社を設立、塩化ビニル樹脂の製造開始
1964年
酢酸ビニル樹脂エマルジョン接着剤工場竣工。10月生産開始
1964年
千葉ポリエチレン工場新設(現 宇部丸善ポリエチレン(株))
1964年
ニューヨーク、デュッセルドルフに駐在員事務所開設
1964年
利根工場を建設し、合成樹脂成形品およびレジン・コーテッドサンド(RCS)の製造を開始
1964年
常磐工場を建設し、レジン・コーテッドサンド(RCS)の製造を開始
1964年
初の海外拠点となる、花王インダストリアル(タイランド)社設立。台湾花王社設立(1991年花王(台湾)社に改称)。
1964年
1社提供番組「シオノギ・ミュージックフェア」放送開始
1964年
東日本の医薬品生産拠点として小田原工場設置。
1964年
大阪府寝屋川市に寝屋川工場完成、蒲生工場を閉鎖し統合
1964年
大塚製薬を設立。シービーシー食品工業が傘下に入り大塚食品工業に社名を変更した。
1964年
日本全国に直販網を整備(札幌、仙台、富山、前橋、名古屋、神戸、広島、岡山、小倉、熊本)。
1964年
大阪府寝屋川市に寝屋川工場完成。翌年6月よりグラビアインキ生産開始。
1964年
米国ペトロライト社〔現 Baker Hughes社〕製マイクロクリスタリンワックスの独占輸入販売を開始。
1964年
化学ぞうきん「ホームダスキン」全国発売開始ホームダスキン
1964年
歯槽膿漏予防の『デンターライオン』ハミガキを発売
1964年
東京都北区に研究所(現 コーセー製品開発研究所)を開設
1964年
羽田工場にプリント回路用プライマスター製造ライン完成
1964年
名古屋出張所開設(2002年大阪支店と統合)
1964年
アラビア石油、東京電力(現 東京電力ホールディングス)、住友化学、日本鉱業(現 ENEOS)などの出資により富士石油を設立
1964年
石油化学部門を分離し、出光石油化学(株)を設立
1964年
平塚市中原にハマタイト(接着剤)工場建設
1964年
我が国初の乗用車用ラジアルタイヤを開発
1964年
滋賀高月工場(現、滋賀高月事業場)開設
1964年
三好工場操業開始(食器製造)(現 三好事業所)
1964年
大阪工場に溶融亜鉛めっき鋼板の塗装設備一基を新設。
1964年
三菱製鋼(株)と三菱鋼材(株)が合併し三菱製鋼(株)となる
1964年
日軽アルミ(株)船橋工場(現・船橋工場)の操業を開始
1964年
串木野鉱業所を分離し、三井串木野鉱山(株)を設立
1964年
サンタ・ルイサ鉱業(株)の全株式を取得
1964年
住鉱アイ・エス・ピー(株)を設立し、亜鉛・鉛の生産開始(昭和55年、当社に吸収合併され、播磨事業所となる)
1964年
「大阪自動車電線株式会社」 (現 株式会社ダイジ) 設立
1964年
菊池プレス工業株式会社:本田技研工業株式会社と取引を開始
1964年
広島県東広島市にプレス・組立工場を新設(広島事業所)
1964年
焼入製品特殊異形PC鋼棒「ウルボン」を開発し販売を開始
1964年
東洋製綱株式会社(ワイヤロープ製造)を合併し、泉佐野工場を設置
1964年
戸塚区上矢部町工業団地に3300平方メートルの敷地に635平方メートルの軽量鉄骨平屋工場を新設。
1964年
エーエム商事株式会社および株式会社巧技術研究所を吸収合併し、株式会社巧技術研究所を小野工場と改称
1964年
本社および亀戸工場を相模原に移転・統合
1964年
千葉アセチレン工場を千葉県市原市に新設。
1964年
6気筒斜板式コンプレッサー(CC6A)の生産開始。
1964年
熊本県鹿本郡植木町(現熊本市)に植木工場(現熊本工場)を設置
1964年
日立製作所機械事業部から建設機械事業部が独立
1964年
名古屋中小企業投資育成(株)の投資第1号となる
1964年
海外進出・輸出拡大を本格化 輸出課の設置、戦後初の海外事務所をバンコクに設置するなど、貿易自由化の進みに合わせて海外展開を拡大させていきました。
1964年
荏原サービスを設立 アフターサービス強化のため、荏原サービスを設立。2000年に荏原テクノサーブに社名変更したのち、2012年に荏原製作所に吸収合併しました。
1964年
藤沢工場内に本社新社屋を完成、本店を藤沢に移転
1964年
トラッククレーン TS-80 を発売[汎用車架装]
1964年
仙台出張所(現仙台営業所)を開設北海道出張所(現北海道営業所)を開設
1964年
米国ニューヨークに現地法人「AMANO TIME SYSTEMS INC.(A.T.S.)」設立
1964年
東京証券取引所並びに大阪証券取引所市場第一部に指定
1964年
マックス工業(株)とマックス製販(株)が合併、マックス(株)と改称。製造から販売までの一貫体制を敷く。
1964年
エヌエスケー・ワーナー社(現・NSKワーナー社)設立
1964年
世界最高速鉄道(東海道新幹線 時速200km以上 )向け車軸軸受
1964年
フランスにINA-SIDAG社との合弁で販売会社 NTN ROULEMENT (FRANCE) S.A.を設立。
1964年
(1973年 NTN ROULEMENTS SIDAG S.A.R.L.として、エヌ・テー・エヌ東洋ベアリング株式会社の連結子会社になる)
1964年
イギリスにBirfield社との合弁で販売会社 NTN Bearings-Birfield Ltd.(現 NTN BEARINGS (UK) LTD.)を設立。
1964年
(1988年 エヌ・テー・エヌ東洋ベアリング株式会社の連結子会社になる)
1964年
米国 MPB社との販売提携を相互の了解のもとに円満に解除。
1964年
日本トムソンベアリング株式会社を吸収合併。
1964年
日本シールオール株式会社(現 イーグル工業株式会社)設立
1964年
福岡県行橋市にスペロ機械工業株式会社を設立した(現・持分法適用関連会社)。
1964年
富士山頂気象観測所向け気象用レーダー装置完成
1964年
東海道新幹線に滑走固着検知装置が採用される
1964年
半導体素子製造における不純物拡散の研究により拡散炉を開発
1964年
電動加算機「トステック」シリーズ生産開始
1964年
香港九龍新蒲崗に萬寶至實業有限公司(香港マブチ)を設立し、香港市場へのモーター供給(製造・販売)と世界市場に対する拠点とする。
1964年
千葉県千葉市に千葉工場を新設し、習志野市より移転
1964年
世界初の「電子式自動感応式信号機」を開発。
1964年
東京オリンピックでセイコーが公式計時を担当 当時セイコーグループの一員だった(株)諏訪精工舎(現セイコーエプソン(株))がそれを支援
1964年
外国事業部リライアンス部を分離し、米国 Reliance Electric and Engineering Co. と共同出資で日本リライアンス株式会社を設立。
1964年
香港万豊有限公司と共同出資で合弁会社 Hong Kong ULVAC Co., Ltd. を設立。
1964年
新幹線の無線中継所などに炭酸ガス消火設備を設置。
1964年
世界初のオールトランジスタ電卓コンペット 〈CS-10A〉を発売し、総合エレクトロニクスメーカーの基礎を築く
1964年
自動重量選別機(オートチェッカ)の製造開始
1964年
「ゼネラル電子工業株式会社」(岩手県一関市:現「株式会社富士通ゼネラルエレクトロニクス」)を設立
1964年
世界初の9形線順次方式オールトランジスタカラーテレビ「カラーネット」GTC-9を発売
1964年
東京都大田区に東北アルプス(株)設立(同年9月 宮城県古川市(現大崎市)に古川工場(現仙台開発センター(古川))を開設、1966年6月 宮城県遠田郡に涌谷工場を開設)
1964年
大阪府大阪市に大阪出張所[現 関西営業所]を開設
1964年
資本金50万円で株式会社井上電機製作所設立(大阪市東住吉区)
1964年
圧電点火装置リオノスパーカー(PE-01)を発売
1964年
愛知県名古屋市に名古屋出張所を開設(現 名古屋支店)
1964年
ウシオ電機株式会社設立 資本金 12,500千円
1964年
フランスに現地法人JEOLCO (FRANCE) S.A.設立
1964年
技術研究所を開設(群馬県群馬郡榛名町、現・高崎市)
1964年
電気絶縁用FRP製品、両面接着テープの製造開始
1964年
岐阜県高山市山田町1523番地に興亜ソリッド株式会社を設立し、ソリッド抵抗器の製造を開始する
1964年
福井機械株式会社(現株式会社エイチアンドエフ(現連結子会社))を設立
1964年
三菱製鋼と三菱鋼材が合併し、三菱製鋼を設立
1964年
大日電線と日本電線の合併により、大日日本電線を設立
1964年
三菱事務機械販売を設立(三菱商事を中心とする三菱グループの合弁)
1964年
三菱日本重工業、新三菱重工業、三菱造船が合併し、三菱重工業を設立
1964年
三菱ふそう自動車と新三菱自動車販売の合併により、三菱自動車販売を設立
1964年
豊川工場(愛知県豊川市・現豊川製作所)新設、貨車の製作を開始
1964年
本格的スポーツカー「ベレット1600GT」発表
1964年
トヨタ車の海上輸送を専門とするトヨフジ海運(株)を設立
1964年
名古屋港に国内海上輸送基地(現 名港センター)を完成
1964年
海外サービス体制の確立 「フィールドメカニック制度」開始
1964年
重工3社が合併し、三菱重工業株式会社として発足
1964年
車輪工業、綾瀬工場(現 綾瀬製造所)開設
1964年
車輪工業、東都製鋼、東都造機および東都鉄構の4社が合併し、トピー工業株式会社が発足
1964年
子会社日本シールオール株式会社(現:関連会社イーグル工業株式会社)を設立。
1964年
(株)松田商店(食品系)の商号を松田産業(株)に変更
1964年
特殊肉盛溶接・溶射加工を目的に本社工場(現メンテックセンター名古屋工場)を設置。
1964年
島田理化工業(株)と全国販売代理店契約を締結し、高周波・超音波応用機器の販売を開始。
1964年
長野県上田市秋和に秋和工場の第1期工事完成
1964年
トキコ㈱(現・日立Astemo㈱)との合弁により、トキコ圧力計㈱(現・日立Astemo&ナガノ㈱)を設立し、両社製品の販売を開始長野県上田市秋和に秋和工場の第1期工事完成
1964年
メンテナンス部門を独立させ、長野計器サービス㈱(現・㈱ナガノ計装)を設立
1964年
秋和工場第2期工事完成、上田工場を移転(現・上田計測機器工場)
1964年
日本で初めてウェーハプロービングマシンを開発
1964年
中国と電気・空気マイクロメータのプラント技術輸出契約締結
1964年
ルーリングエンジン1号機納品 超精密で製作が困難なため、日本では1960年代まで「幻のマシン」と呼ばれていたルーリングエンジン(回折格子刻線機)の国産第1号機となった。
1964年
トプコンユニ発売 世界最初のミラーメーターを組み込んだレンズシャッター式35mm一眼レフカメラ
1964年
ファイバー付ガストロカメラ「GTF」を発表
1964年
欧州現地法人オリンパス・オプティカル・カンパニー(ヨーロッパ)設立(ドイツ・ハンブルグ)
1964年
電子製版彫刻機「オートグレーバー」を開発。反射原稿または透過原稿から直接版材に網凸版を彫刻。また、原稿から直接、色補正した分解版を作成することを実現
1964年
本社工場を埼玉県秩父市大字下影森に新設。
1964年
基幹現像所用カラーフィルム自動現像機RF-C1販売開始
1964年
8mmシネカメラおよびレンズの専門工場として玉川工場(現玉川事業所)が完成
1964年
「キヤノン電子」に秩父英工舎が社名変更
1964年
世界初のテン(10)キー式電卓「キヤノーラ130」発売
1964年
埼玉県北足立郡(現 埼玉県新座市)に印刷、製袋工場(現 埼玉工場)を移転。
1964年
東京オリンピックの入場券、記念シール、ポスター等を印刷
1964年
金属チューブ印刷工場として小田原工場を開設。日産10万本という西独ヘルラン社製全自動チューブ製造ラインを設置して、印刷企業として最大の生産能力を持つ。
1964年
リビング用品の製造を開始(FRP製バスタブ)2010年リビング事業子会社の株式を譲渡
1964年
プラスチック製ごみ箱「ポリトラッシュシリーズ」を開発、東京オリンピックを機に全国に普及拡大。
1964年
蕨工場内の自動包装機製作部門を独立させ、株式会社不二紙工機械事業部(FSKエンジニアリング株式会社)を設立。
1964年
企業組合平和ブロック工業に出資(半額出資)、流し台木部の製造能力の拡充を図る
1964年
ハウスカオンキ(施設園芸用温風暖房機)を開発、発売。
1964年
建設業法により東京都知事登録(ち)第31567号の登録を完了。
1964年
株式を公開(大阪証券取引所市場第二部に上場)。
1964年
米国サームコ社から拡散炉の輸入販売代理権を獲得し、販売を開始
1964年
大阪東部水産市場㈱を設立、水産物部卸売人として業務許可(農林大臣)
1964年
大阪市中央卸売市場東部市場開場、水産物卸売業務開始
1964年
ポータブルクオーツクロック「クリスタルクロノメーター」発売。
1964年
東京オリンピック公式計時、以降5大会で計時担当。(札幌、バルセロナ、リレハンメル、長野、ソルトレーク)
1964年
東京オリンピック聖火に、マルヰプロパンを供給
1964年
本店を東京都中央区銀座東六丁目2番3号に移転
1964年
体操、バレーボール、レスリングをはじめとする、日本代表ユニフォームを製作。
1964年
寝屋川市に家電専門店チェーン展開第1号店として「寝屋川店」を開設
1964年
広島県府中市において、紳士服を主に、食料・飲料品、県の特産品販売等の事業を行う「青山商事株式会社」を設立。
1964年
日本初のDEC社製ミニコンピュータPDP5を東京大学原子核研究所へ納入
1964年
銀座店増築開店(3丁目のワンブロック全体を占める)
1964年
外国為替公認銀行として外国為替業務開始
1964年
オリエント・リース株式会社(現:オリックス株式会社)として大阪市に設立。
1964年
新宿営業所開設(現ビルマネジメント第二部新宿営業所)
1964年
「浜芦屋マンション」分譲、分譲マンション事業に進出(兵庫県神戸市)
1964年
デラックスロマンスカーにスチュワーデス登場
1964年
日光線に6000型使用の快速列車を運転開始
1964年
営団(現東京メトロ)日比谷線(北千住〜中目黒間20.3㎞)全通 中目黒への乗り入れ開始
1964年
「記念物」を初指定(当社設立時の文書など17点)
1964年
東横線と営団(現: 東京メトロ)日比谷線が相互直通運転を開始(日吉~北千住間)
1964年
京王サービス興業(株)(現(株)京王設備サービス)を設立
1964年
初島バケーションランド(現在の「PICA初島」)開業
1964年
信貴生駒電鉄㈱(生駒~王寺間、新王寺~西田原本間
1964年
京都~橿原神宮(現:橿原神宮前)間特急新設(1日6往復)
1964年
海運再建整備に関する臨時措置法に基づき、三菱海運株式会社と合併、合併後の所有船舶153隻、228万7696重量トン
1964年
日本の海運界は大型集約により6社になる。大阪商船と三井船舶が合併し、大阪商船三井船舶に、日東商船と大同海運がジャパンラインに、山下汽船と新日本汽船が山下新日本汽船となる。
1964年
「海運業の再建整備に関する臨時措置法」に基づき、飯野汽船㈱を吸収合併。
1964年
海運集約に際し、定航部門を分離して新たに設立した飯野汽船株式会社に譲渡し、これと川崎汽船株式会社とが合併した。
1964年
東京オリンピックを運ぶ オリンピック大会公認運送人として指定。競技用具、手荷物、開会式で放す鳩の輸送のほか、マラソンや自転車の練習コースづくりやケガをした競技用馬輸送のためのコンテナ作製などあらゆる要請に応えた。
1964年
日東航空株式会社、富士航空株式会社、北日本航空株式会社の合併により日本国内航空株式会社設立。
1964年
大阪/広島、大阪/広島/岩国、大阪/米子線を東亜航空に、名古屋/金沢線を中日本航空に移譲
1964年
YS-11でオリンピック聖火リレー実施(沖縄→鹿児島→宮崎→千歳)
1964年
バイカウント828にて世界最初のテレビサービス公開飛行実施
1964年
KDD、第1太平洋横断ケーブル (TPC-1) 開通 神奈川県の二宮海底線中継所とグアム間がつながり、ハワイを経て米本土へ続く最初の海底ケーブル「TPC-1 (Trans Pacific Cable-1~第1太平洋横断ケーブル)」が開通したのは、1964年
1964年
KDD、国際電気通信衛星機構 (インテルサット) に加盟
1964年
広告請負代理業を事業内容とする子会社、株式会社プランニングセンターを設立
1964年
会計関係法令集『会計法規集』の初版を発刊
1964年
当社初の揚水発電所である三尾発電所発電開始(3万4,000kW、1968年12月に1,500kW増加)
1964年
当社初の火力発電所を運転開始(富山火力発電所)
1964年
無停電供給対策として1回線ループ3相再閉路方式実施
1964年
京阪神地区のカロリーアップ実施(3,600kcal/m3から4,500kcal/m3へ)
1964年
供給ガスの熱量変更。(1㎥当たり15.06978メガジュール(3,600キロカロリー)から18.837225メガジュール(4,500キロカロリー)へ)
1964年
新潟地震により、新潟地区甚大な被害を受ける
1964年
東映京都テレビ・プロダクションが発足(後の東映太秦映像)
1964年
直営ボウリングセンター第1号「横浜東映ボウリングセンター」オープン。
1964年
建設省に建設コンサルタント登録(第39-133号)
1964年
代表取締役社長に金本善中が、専務取締役に金本太中が就任
1964年
東京オリンピック開催に伴う国内線到着専用ターミナルビル工事竣工
1964年
東京オリンピックの選手村などの警備を担当。前年12月から警備を開始し、社会から高い評価と信頼を得て、飛躍のきっかけとなる。
1964年
(株)協栄計算センターとして協栄生命保険(株)(現ジブラルタ生命(株))より独立。
1964年
大阪営業所設置(1984年7月支店登記、現:関西支店)
1964年
中山機工商会創業者中山注次が大阪市中央区(当時、大阪市東区)にて中山機工株式会社を設立(資本金5百万円)。
1964年
日本ビジネスコンピューター株式会社設立
1964年
超小型コンピューターの先駆けとなるTOSBAC-1100Dを開発、販売
1964年
北海道札幌郡広島村字大曲に本社を移転。商号を大丸産業株式会社に変更。