1981年
アルゼンチンに漁業拠点としてペスパサ社設立(ブエノスアイレス)
1981年
トロール船金剛丸、日米初の洋上買付事業実施
1981年
技術開発を進めながらバランスのとれた総合建設業を目指す経営目標を策定した。
1981年
パネル軸組併用構法による「ダイワハウスGシリーズ」開発、企画提案型住宅「ルグラン チムニーのある家」発売
1981年
ソレタンシュ社より管路沈埋工法「プラス工法」を導入
1981年
積和不動産株式会社(1981年6月に中部積和不動産株式会社に商号変更)を設立
1981年
DGB型バーナ、省エネルギーセンターから優秀製品賞を受ける
1981年
スイス、エッシャ・ウィス社(EW社)と都市下水汚泥の乾燥・焼却用流動層システムについて技術提携締結
1981年
年米国・デラウェア州ドーバーにTKS Industrial Companyを設立年 Taikisha USA, Inc.に社名変更)
1981年
健康食品の販売を専門に担当する日本デイリーヘルス株式会社を設立
1981年
埼玉工場埼玉第二東村山工場稼働(当時武蔵野第二工場)
1981年
ロングライフのハンディパック乳飲料「ピクニック」を発売
1981年
マリンフーズ(株)の事業を継承し、水産加工部門に進出
1981年
倉庫管理パッケージ「RAPAC」販売開始
1981年
ローマ法王ヨハネ・パウロ 2世身辺警備(初の身辺警護実施は1967年)
1981年
K.B.B. Malting Co., Pty Ltdを完全子会社化
1981年
日本で初めて音声認識装置の販売開始[米国センチグラム社製]
1981年
イタリア系インポートショップの店舗展開を事業目的に英・インターナショナル株式会社(連結子会社)を設立。大阪市中央区に本社を設置。(1999年に3店舗の営業を当社へ移管し休眠)
1981年
トレンドショップ「フレーバー」を大阪市北区の梅田エスト1番館に出店。都心型店舗の出店開始。
1981年
難波にパブレストラン「夜間飛行」1号店をオープン
1981年
「東京ディズニーランド」のオフィシャルスポンサーに決定
1981年
100BOX新発売によりチルド市場に参入
1981年
日商岩井非鉄販売株式会社(現アルコニックス株式会社、当社)を資本金1億円で日商岩井株式会社の100%出資により設立(本社所在地:東京都中央区)。アルミニウム、銅の製品を主体とした非鉄金属の販売を開始
1981年
兵庫県加古川市神野町石守において、創業者沼田昭二が屋号をフレッシュ石守として食品スーパーを開業する。
1981年
聖和精密工機(株)、聖和精機(株)の聖和グループと業務提携
1981年
逆浸透(RO)膜エレメント ロメンブラ®の生産開始(滋賀)
1981年
本社を東京都千代田区丸の内3丁目4番2号に移転。
1981年
村松工業用地C工区埋立着工(〜63年6月)
1981年
顧客企業の立場に立った、通信とコンピューターの最適ソリューションサービスを提供することを目的として、名古屋市熱田区金山に日通システム株式会社(資本金6百万円)を設立
1981年
オフィスコンピューター・システム開発・通信機器の販売を開始
1981年
大阪工場において縮合リン酸塩(K-ホワイト、K-ボンド、K-フレッシュ)の製造開始
1981年
樹脂サッシ製造会社 株式会社シャノン設立(現 株式会社エクセルシャノン)
1981年
ファインセラミックス用ジルコニアの販売を開始
1981年
半導体メーカー向け窒素他各種ガス供給基地(トータルガスセンター)第1号として岩手ガスセンターを設置。
1981年
新立化工株式会社に資本参加。(現株式会社日本触媒トレーディング 現連結子会社)
1981年
オーディル(プリント基板用ドライフィルムレジスト)を開発。
1981年
初の本格的半導体用フォトレジスト量産工場として宇都宮工場を開設。
1981年
スピンコーターTR5000(SOG・フォトレジスト塗布装置)を開発。
1981年
OPM-Aシリーズ(完全自動プラズマアッシング装置)を開発。
1981年
生産規模の拡大に伴い、石川県松任市(現・白山市)に松任工場(現・金沢工場)を設置。
1981年
東京・大阪両本社制へ、東京 虎ノ門に東京本社を設置
1981年
茨城県猿島郡境町に境工場設置、押出発泡ポリスチレンボードの製造を開始(2010年3月 押出発泡ポリスチレンボード事業を譲渡)
1981年
米国(カリフォルニア州)に化学品・製薬用機械の販売会社を設立
1981年
イスラエル サイテックス社〔現 Eastman Kodak社〕製デジタル画像処理ワークステーション「レスポンス300システム」を国内に紹介。
1981年
モートンケミカル社〔現 Dow Chemical社〕の集積回路封止剤「ポリセット」を東洋モートンにて国産化。
1981年
株式会社に組織変更し、株式会社アルプス技研に。
1981年
宅地建物取引業者大臣免許(建設大臣第2901号)認可
1981年
(株)オービックビジネスソリューション設立
1981年
商号を株式会社オービック・ビジネス・コンサルタントに変更
1981年
テレビシリーズアニメ作品「Dr.スランプ・アラレちゃん」放映開始、以後5年の長寿番組になるとともに、キャラクター商品もヒット。
1981年
ムシ歯の原因となる歯垢を酵素で分解するハミガキ『クリニカライオン』を発売
1981年
ジャパンファインケミカル販売株式会社(現 株式会社ファンケル)を設立
1981年
「BFグッドリッチ社」が保有する横浜ゴム株式の大半を日本側に譲渡
1981年
豪州のタイヤ販売会社を統合し「ヨコハマタイヤ・オーストラリア」設立
1981年
ボーイング757/737用ウォータータンク開発
1981年
ベルギーのGlaverbel社を買収。欧州の板ガラス市場に本格参入
1981年
光コネクタ用ガラスキャピラリの生産開始
1981年
日本陶器(株)の商号を(株)ノリタケカンパニーリミテドに変更
1981年
愛知県瀬戸市山の田町に山の田工場(旧瀬戸工場)を新設
1981年
市川工場に溶融亜鉛めっき鋼板の連続式塗装設備一基を新設。
1981年
八戸工場を分離して、鋳物専門の高周波鋳造(株)として発足
1981年
富山工場 真空誘導溶解炉(20KVA)設置
1981年
本社事務所(大阪市西区)を開設し、本社業務を移転。
1981年
鹿児島の菱刈鉱区で有望な高品位金鉱脈発見(金属鉱業事業団(現 (独)石油天然ガス・金属鉱物資源機構))
1981年
自動閉鎖装置付引戸「カームスライダー」発売
1981年
磯村機器(現リンナイテクニカ)と業務提携
1981年
アメリカ ケンタッキー州ダンビル市にATRWire&CableCo.,Inc.(スチールコード及びビードワイヤ製造)設立
1981年
山梨県中巨摩郡に山梨三興株式会社(現 サンコールエンジニアリング株式会社、連結子会社)を設立
1981年
ワシノ機械株式会社が株式会社淀川プレス製作所を吸収合併することにより、同社株式の27.2%を取得
1981年
株式会社園池製作所が米国ラ・ミラダ市にユーエスソノイケ(現アマダノースアメリカ)を設立、NC付きタレットパンチプレスの現地生産を開始
1981年
米国レブロンド社を買収し、レブロンド・マキノ(現MAKINO INC.)と改称
1981年
世界初の酸素プラズマ切断システムを開発・製品化し、KPC-250Aとして販売。造船の生産性向上の武器として急速に普及する。
1981年
5軸同時制御のNCワイヤ放電加工機、「330W」の販売を開始
1981年
世界初の10気筒斜板式固定容量コンプレッサー(10P)の生産開始。
1981年
シマトロニックデザインシステム(SDS)の製造販売を開始。
1981年
ティーエスエム工業株式会社に50%を出資。(1987年10月当社100%出資子会社となる。2018年10月当社に吸収合併。)
1981年
東京都品川区に本社移転、旧本社を熊本本部とする(2016年6月、本社を熊本に再移転)
1981年
半導体製造用全自動レジスト塗布装置「TR5000」シリーズを開発、製造し、東京応化工業株式会社を通じ販売を開始
1981年
「サイレントパイラー KGK-80C」を発売
1981年
新たに(株)高知技研コンサルタント(休眠会社)を設立
1981年
(株)高知技研コンサルタントを(株)技研施工に商号変更
1981年
茨城県かすみがうら市に、技術研修センタを開設
1981年
チャック専門工場として、広島県府中市に本山工場を新設。
1981年
ポンプ事業の北米拠点として、アメリカにEbara International Corporation を設立
1981年
ミニバックホー発売。資本金10 億100 万円。
1981年
インドネシア プルタミナ向け アルンLNGプラント建設工事受注
1981年
世界一薄型の海上コンテナ用冷凍装置を開発
1981年
粉粒体コンベヤ部門を分社化、「椿本バルクシステム」を設立
1981年
静岡工場に炭素繊維複合材料開発プラント建設、CFRPなどの製造販売開始。
1981年
日本初のマイコン搭載洗車機「ワックスモアー303」を開発。
1981年
和倉温泉の有名旅館、加賀屋に配膳自動搬送システムを納入。
1981年
国産初の化合物半導体製造用MOCVD装置の開発、販売を開始
1981年
ラフテレーンクレーンの生産を開始する。
1981年
リソグラフ販売を主力とする直販展開を目的として、全国に拠点作りを開始。
1981年
日本電気株式会社とオフコン販売取扱店契約を締結。
1981年
パチンコ遊技機の表示ユニット製造開始。
1981年
ミニショベルのシリーズ完成(1~5トン)
1981年
アマノ本館ビル建設(創業50周年記念事業)
1981年
カーエアコン用スクロール式固定容量コンプレッサー(TRシリーズ)生産開始。スクロール式では世界初
1981年
東京都中央区日本橋箱崎町に本社を移転。
1981年
株式会社ジーエヌシステム(現 グローリープロダクツ株式会社)を設立。
1981年
米国カリフォルニア州(現本社 ジョージア州)に現地法人
1981年
HOSHIZAKI AMERICAINC.(現 連結子会社)を設立。
1981年
春日井事業所において航空機エンジン部品のサーメテルコーティング業務を開始。
1981年
半導体製造部門のテンプレスジャパン株式会社を吸収合併
1981年
当社の販売部門を分離独立させ、(株)エヌ・エム・ビーを設立、同社に当社グループメーカーの販売部門を合併。
1981年
(株)東京螺子製作所、新興通信工業(株)、新中央工業(株)、および大阪車輪製造(株)の系列メーカー4社を吸収合併し、社名を「ミネベア株式会社」と変更。
1981年
家具の輸入販売会社(株)アクタスを設立。
1981年
アメリカ(シカゴ)にTHK America, Inc.を設立
1981年
炭酸ガスレーザー発振器ML-1000P製品化
1981年
氷砕艦(南極観測船)「しらせ」に電気推進装置搭載
1981年
「ユー・エス・富士電機社」設立 (現 「富士電機アメリカ社」)
1981年
汎用インバータFVRシリーズ発売-UPSシリーズ」発売
1981年
直流ダイナモメータを開発。自動車用試験装置事業に参入
1981年
シンガポールに現地資本との合弁会社 United Machinery Services Pte. Ltd. (現 Denyo United Machinery Pte. Ltd.) を設立
1981年
エア釘打 AN5000、エアコンプレッサ AC6001を発売(エア工具第1号)
1981年
マキタ・ド・ブラジルLtda.(ブラジル)設立(南米で電動工具の生産開始)
1981年
ドアロック用モーターを発売し、自動車ドアロック市場に進出。
1981年
電気ドリル用モーターを発売し、工具分野に本格進出する。
1981年
福岡市博多区東光2丁目7番25号に本社ビル完成
1981年
京都市右京区にプリント配線板の設計を目的にCADルームを設置。
1981年
「カメラ用日付写し込みデートモジュール」 デファクトスタンダードとなった日付写し込みモジュール
1981年
米国 Helix Technology Corp. と共同出資でアルバック・クライオ株式会社を設立。
1981年
石川県松任市 (現 白山市) に工場を建設、操業開始
1981年
「台湾能美防災工業股份有限公司」を設立。
1981年
ELディスプレイ量産工場を建設(1983年 本格稼動)
1981年
26形業界初のセパレート形FMサイマルキャスト対応AVカラーテレビ ATV-M25(モニター) / ATV-R(受信機) / ATV-S(スピーカー)を米国に輸出開始
1981年
世界で初めてマルチビデオプロセッサを開発
1981年
ローランドの関連会社として、アムデック株式会社を大阪に設立
1981年
コンピュータミュージック用機器などコンピュータ周辺機器、電子楽器の組立キット等の製造販売を事業内容とした
1981年
N.V.YOKOWO(EUROPE)S.A.設立。
1981年
コイン形二酸化マンガンリチウム電池(CR)商品化
1981年
世界初のトランジスタ式微風速計(AM-02、AM-03)を発売
1981年
世界初の自動騒音抑制式(ANS)補聴器(HA-39AS)を発売
1981年
当社関係会社として山形県東根市に㈱東根新電元を設立
1981年
クランプオンパワーハイテスタ3161を発売
1981年
青森県南津軽郡平賀町(現 青森県平川市)に平賀工場を新設
1981年
大阪府大東市に大阪営業所を開設(1990年2月、大阪府大阪市中央区に移転)
1981年
LSIレチクル欠陥検査装置「2RD1」発売
1981年
愛知県額田郡(現・岡崎市)に岡崎製作所開設、自動車用電装品を製造
1981年
株式会社ユーテック(現ウシオライティング株式会社、ランプ及び産業機械の販売)を設立
1981年
デジタル基板自動設計用パッケージを開発
1981年
英和辞典を内蔵した電子辞書「TR-2000」発売
1981年
ファナックパートロニクス株式会社を子会社化
1981年
群馬県伊勢崎市に技術センター工場を開設(2015年閉鎖)
1981年
茨城県水海道市に茨城第一精工株式会社を設立
1981年
大真空(香港)有限公司を設立、香港・中国市場に音叉型振動子の供給を開始
1981年
商号(株)東洋電具製作所からローム(株)に変更
1981年
スポーツテーピング用テープの製造開始(ニトリート)
1981年
超小形アルミニウム電解コンデンサ製造のため、岩手県岩手郡岩手町にニチコン岩手株式会社を設立。
1981年
長野県上伊那郡箕輪町大字中箕輪14016-30に米国TRW社と資本提携し、資本金5億円にてKOA TRW INC(コーアティーアールダブリュ(株))を設立し電子部品の製造を開始する
1981年
株式会社フォーラムエンジニアリング設立
1981年
国内向けの一部車種と日本国外向けの車種に設けられていた「DATSUN」ブランドを廃止して、順次「NISSAN」ブランドへ変更して統一する方針を発表。
1981年
開発拠点をテクニカルセンター(神奈川県厚木市)に集約。
1981年
(株)ヤナセと販売提携に合意(1991年12月解消)
1981年
鈴木自動車工業(株)と業務提携(1994年3月解消)
1981年
小型4輪駆動車「ロデオビッグホーン」発売
1981年
大型トラックをフルモデルチェンジ、「スーパードルフィン」シリーズを発売
1981年
ポルシェ社に「サイレントシャフト」技術を提供
1981年
金型、治具溶接機の専門工場として高橋工場を新設
1981年
世界初の自動車用ナビゲーション・システムを完成させる。
1981年
スペインのバルセロナにSociedad Espanola de Motocicletas.S.a.(SEMSA)を設立
1981年
Dunphy Holding Pty.Ltd.(オーストラリア)の株式取得
1981年
米国カリフォルニア州に現地法人SATORI ELECTRIC (AMERICA) INC.を設立
1981年
青森県弘前市(現在地)に本社を新築移転
1981年
株式会社井上北洋((旧)株式会社福島リョーショク)を設立。
1981年
グループ各社の本社機能を東京都新宿区に移転
1981年
名古屋工場(現日進事業所)を愛知県愛知郡日進町(現愛知県日進市)に新設し、移転。
1981年
東京都豊島区に日本ライフライン株式会社を設立
1981年
札幌営業所、大阪営業所、福岡営業所を開設
1981年
千葉県船橋市にショッピングセンター第1号店となる「船橋ららぽーとららぐるめ店」を開店。
1981年
ブルームシステム(社員のれん分け制度)を発足
1981年
有限会社薬王堂を岩手県紫波郡矢巾町に設立
1981年
生産体制の充実をはかるために第一東京計器株式会社を吸収合併し、新たに那須事業所(現 那須工場)を開設。
1981年
チタンフレーム「チテックス」発売 世界初のチタンフレーム。従来のニッケル合金フレームに比べ強度が高いうえ、約50%の軽量化を実現。
1981年
NASA仕様「ニコンF3」がスペースシャトル「コロンビア号」に搭載される
1981年
国産初の画像処理システム「シグマグラフ2000」を開発。その後、同システムを基盤に画像処理システムの開発を積極的に展開
1981年
オランダ・アムステルダムにDainippon Screen (Nederland) B.V.を設立
1981年
NORITSU(UK)LIMITEDの100%子会社としてNoritsu(Deutschland)GmbHを設立し、ヨーロッパにおけるドイツ市場へ進出(1982年10月に当社の100%子会社化)
1981年
埼玉県鴻巣市に工場(現・鴻巣工場)を移転
1981年
コンポーネント開発センターとして平塚事業所を開設
1981年
ファクシミリの生産および精密金型製作の精機工場として阿見事業所を開設
1981年
複写機・LBPの化成品生産工場として上野工場を開設
1981年
毎分135枚の超高速複写機「NP-8500SUPER」発売
1981年
プロ用システム一眼レフ「New F-1」発売
1981年
本社工場内に新製品のカーペット二次裏地(タフバック)生産工場を増設稼動
1981年
本社工場内にプラント製作工場および事務所を建設
1981年
「明治ブルガリアヨーグルト」専用容器「MD-1」を開発
1981年
ビジネスフォーム・証券・カード製造の専門工場として、埼玉県に鶴ヶ島工場を開設。
1981年
大阪府大阪市住之江区にエフェクター・キット/コンピュータ周辺機器のアムデック株式会社(現ローランドディー.ジー.株式会社)設立
1981年
食品容器のファッション化に対応して、カラー食品容器の製造販売を開始
1981年
中・四国、九州地区の生産拠点として山口工場を建設。
1981年
Shin-Etsu Polymer America,Inc.設立
1981年
業務用テレビゲーム機「ドンキーコング」を開発、販売開始。
1981年
ミロク機械株式会社がミロク機販株式会社を設立
1981年
「ロングランデスク〈くるくるメカ〉」を発売
1981年
千葉中央魚類株式会社(連結子会社)を設立。
1981年
1日付で中央魚類株式会社千葉支社の営業一切を千葉中央魚類株式会社へ譲渡。
1981年
テル・ジェンラッド(株)を設立、インサーキットボードテスタを国産化
1981年
大阪東部水産市場㈱より営業の一部譲受、水産物部卸売業者として業務許可(農林水産大臣)
1981年
大阪市中央卸売市場東部市場に東部支社を開設、東部支社水産物卸売業務開始
1981年
セイコー時計資料館(現セイコーミュージアム)を開設。
1981年
本社機構を改革し東京本社、北九州本社の2本社制に移行
1981年
神戸支店及び横浜支店を閉鎖し、業務を京都支店に集約
1981年
三機工業株式会社と販売代理店契約を締結。
1981年
社名を株式会社菱三電気から株式会社リョーサンへ変更
1981年
三信エンジニアリング株式会社の営業の一部を譲受。
1981年
本社を東京都文京区湯島3-14-2に移転。
1981年
TAXAN USA CORP.をアメリカ合衆国に設立。
1981年
大野町に広島大野ケミカルセンターを開設
1981年
大型パソコン専門店「J&Pテクノランド」(現・日本橋店に統合)を開設
1981年
三鷹市に関東地区進出第1号店として「みたか店」を開設
1981年
本店所在地を東京都中央区日本橋本町二丁目6番3号に移転。
1981年
自社企画商品の充実を図るため、イタリアミラノのオートクチュールデザイナーと技術提携し、オリジナルブランドを開発、翌秋より販売開始
1981年
商品管理をデータベース化し、全店舗をオンラインで結び、POSシステム(マニュアルインプット)による7桁での単品管理を開始。
1981年
創業50周年を機に、カードキャッシングの取扱いを開始。
1981年
コンピュータ総合システム「CAROL」を開発導入
1981年
東京ビジネスレント株式会社(現・連結子会社)を設立
1981年
日本クレジットサービス株式会社として会社設立
1981年
世界最大の免税店チェーンのDFS(Duty Free Shoppers)とクレジットカード業務で提携。
1981年
米国にOrient Leasing Containers,Inc.(現:ORIX Corporation USA)設立。
1981年
ノムラ・セキュリティーズ・インターナショナルInc.、ニューヨーク証券取引所の会員権を取得
1981年
ショッピングセンターららぽーと(千葉県船橋市)が営業開始。
1981年
東武動物公園がオープン(当社創立80周年事業)
1981年
東上線踏切集中監視業務を志木から池袋へ移行
1981年
輸送商品名を「カンガルー特急便」「カンガルー宅配便」等に統一
1981年
北海道、本州、四国、九州を単独一社で結ぶ業界唯一の全国縦貫路線網を完成
1981年
首都圏進出のため、東京支店(現 本社)を設置する。
1981年
増資により資本金1億9,200万円とする
1981年
日本耐火防腐(株)が,(株)ニッタイに商号変更
1981年
玄海原子力発電所2号機(55.9万kW)運転開始
1981年
牧港火力発電所9号機(出力125,000kW)営業運転開始
1981年
沖縄プラント工業(株)設立(現・連結子会社)
1981年
松島火力発電所運転開始日本で初めて海外炭を主燃料にした大規模石炭火力発電所
1981年
松竹ショッピングセンター(大船撮影所内)開場 ドライブイン‧シアター第1号、千葉県船橋に開業
1981年
日本劇場閉館(日劇ミュージックホールは東京宝塚劇場5階へ移動)
1981年
一般旅行業代理店業登録(登録第3034号)
1981年
福岡東映ホテル開業。不動産事業・ホテル網整備拡充を進める。
1981年
北海道旭川市に設立された株式会社第一臨床検査センターに資本参加。
1981年
信販業務システムを中心とする情報サービス拡大強化のため、株式会社緑屋計算センターを吸収合併。
1981年
埼玉県大宮市に株式会社関東スーパーハウスを設立(資本金3,000万円)し、本州地区の営業所(大宮・宇都宮・郡山)の営業権を譲渡。(同社は1986年4月商号を株式会社ナガワ(本社 大宮:以下埼玉ナガワという)に改称、1988年5月株式会社ナガワ(本社伊達市)に吸収合併)
1981年
総合レンタルショップのフランチャイズチェーンの展開を開始。
1981年
大阪市淀川区に大阪システム営業所を設置
1981年
神奈川県大和市に大和システム営業所を設置
1981年
日本初の家庭用安全システム「マイアラーム」(現・「セコム・ホームセキュリティ」)を開発し発売。家庭マーケットに進出する。
1981年
米国カリフォルニア州のバレーバーグラー ファイヤーアラーム社の株式を100%取得(現在は売却)。本格的に米国に進出する。
1981年
韓国のサムスングループと合弁で、韓国安全システム(株)(現・(株)エスワン)を設立(設立は1980年7月)し開業。4月から韓国初のオンライン安全システムの提供を開始する。
1981年
大規模施設向けトータル安全管理システム「トータックス-T」を発売。
1981年
東京都三鷹市に「セコムTEセンター」を開設。それまでのセコムEDセンター、技術部など分散していた技術陣を同センターに集結し強化。
1981年
「V80プログラム」オンライン提供開始
1981年
KONAMIのロゴマークを制定KONAMIのロゴマークを制定
1981年
損害保険代理業務を(株)エヌ・アイ・エーに営業譲渡
1981年
札幌市以外の地方1号店「苫小牧店」をオープン。
1981年
ステンレス鋼板の積極的な販売を図るため、神奈川県伊勢原市にステンレス鋼板の剪断機、プラズマ切断機の設備を備えた伊勢原スチールサービスセンターを開設。
1981年
石川県金沢市豊穂町に安原工場を新設し、煮豚、スープの製造を開始
1981年
株式会社日本ソフトバンク設立、パソコン用パッケージソフトの流通事業を開始 孫 正義は、米国留学中に科学雑誌に掲載されたマイクロチップの写真を見て衝撃を受け、これからはパソコンの時代が来ると確信していました。そして最初に取り組んだ事業は、パソコンのソフトウエアを日本全国津々浦々に流通させることでした。「ソフトウエアの銀行」、情報化社会のインフラを目指し、株式会社日本ソフトバンク(現 ソフトバンクグループ株式会社)と会社を名付けた。